輪廻 《3》


『何故あんな事言ったんだろう・・』
ベットの上で仰向けになりながら、龍の心に後悔が押し寄せてくる。
『彼女は患者で、おまけにあんな状況なのに・・』
龍が言い放った後の、理得の悲しげな瞳が龍の心をますます苦しめる。
『医者として、失格だ』
龍はこれからどう理得との距離をとればいいのか、思い巡らしていた。

「よっ、今晩は」
「まあ坂口君、今日も来てくれたの・・」
居酒屋の店員として働くまりあは、その明るい雰囲気にすっかりとけ込んで、はつらつとしていた。
「あたりまえさぁ、このお店紹介した俺には、責任ってものがあるし・・」
「責任?」
「あ、あの、つまり、そう、この店の店長がこき使ってないかとかさ・・」
「誰がこき使ってるって」
二人の話を聞いていた店長が、横から割って入ると二人は顔を見合わせて笑った。
「どう、もうお店に慣れた?」
「うん、すっかり、みんな優しくしてくれるし、晩ご飯もここで食べられて、言う事なしよ」
「そうか、それならいいけど、・・・でもきっとみんなが優しいのは、君が綺麗だからだと思うよ」
坂口は照れながらそう言うと、まりあのが持ってきたビ−ルを一口飲んだ。
「キレイ・・・私が・・」
まりあにとって、綺麗なのは常に姉である理得だった、それが今目の前にいる坂口は自分を綺麗だと言ってくれる。
「坂口君は、知らないから・・・、綺麗なのは私のお姉ちゃんなの、私なんてお荷物の妹で、どうしようもない・・」
「俺は君の外側だけを言ってるんじゃない。まあ、外側も十分綺麗だけど・・、君は優しくて、暖かい」
そう真面目な顔で言う坂口の言葉に、まりあの心は暖かな気持ちで満たされていった。

「送っていくよ」
まりあが仕事を終わる時間まで待っていた坂口を追いかけるように、まりあは坂口の横に並んだ。
「歩くの速いね」
「そうかなぁ・・、どうもせっかちで困る、先走っちゃのが、悪い所だよな」
坂口は口ごもるようにそう言うと、ちらっとまりあを見た。
「どうかした?」
まりあの声に坂口は慌てて首を振った。

「ここが家なの」
家に面した道路で、まりあは坂口にそう言った。
「へぇ、こんな大きな家に1人で住んでるの・・・・、すごいやぁ」
「今日はもう遅いし、またこんど・・・、そうだお休みの日にでも遊びに来て、これでもコ−ヒ−ぐらい入れられるから」
坂口は頷くと、まりあに手を振った。

まりあが坂口と別れて、門を開けると、玄関の前で男が1人座ったまま眠っていた。
まりあは後ずさりして、一旦は門の外に出たが、それでももう一度覗いてみた。
よく目を凝らして見ると、どこかに見覚えのある男だった。
「成次!」
まりあの晴れていた心に暗雲が立ちこめた。

理得は1人きりの病室で、静かに音楽を聴いていた。
でも、その音楽のゆったりとした調べに乗り切れない気持ちが、理得の中に芽生えていた。
『僕は捨てられた』そう言って自分を見た龍の目が焼き付いている。
聞いたら話してくれるだろうか?
でも、聞いてどうするのだろう?
この胸がざわついた感じは、何なんだろう。
ユ−リはちゃんと自分の中にいる、でも彼も気になるのだ。
まるで、彼が今自分のお腹の中にいる子供のような気がするのか・・。
この子が産まれて、私がもし生きられなかったら・・・、龍と同じ目で、あんな風に見るのだろうか・・。
『待ちきれなくて、少し早く私の前に現れたの?、だとしたらちゃんと彼と向き合わなきゃ、お母さんはいけないのね・・』
理得は深く息を吸い込むと、静かに目を閉じた。

「成次、起きて」
「う、うん、ああ、まりあ、遅かったじゃねえか・・、お前をビックリさせようと思って内緒にして来たのに、携帯は繋がらないし、お前は帰って来ないし、もう病院に電話するしかないと思ってたら・・、どうも寝ちゃったみたいだな」
成次はよろけながらも立ち上がって、久しぶりに見るまりあの姿を眺めた。
「元気そうじゃないか、俺がいなくて寂しかっただろう」
そう言ってまりあに抱きつこうとした成次を、まりあは上手くよけて、手早く玄関を開けると、成次を中に入れた。
「成次、寒かったでしょ、ともかく上がって、今コ−ヒ−でも入れるから」
成次をソファに座らせると、まりあは急いで台所に向かった。
まりあの心臓はドキドキしたままだ。
成次の顔をちゃんと見ることが出来ない今の自分が、本当の自分なのか、まりあにも分からない。
何もかもが分からないまま、それでも今目の前にいる成次の存在を無視する事は出来ない、この人を愛し、この人と一緒に暮らそうと思って田舎までついていったのだから・・。

まりあがベットに入ると、成次に抱き寄せられた。
「まりあ、この体が恋しかったぜ・・」
成次に成すがままにされながら、まりあは目を閉じた、真っ暗な中、坂口の顔が浮かんで消えた、『君は綺麗だ』そう言った坂口の顔だった、『ごめん、やっぱり私は綺麗じゃない』、まりあの閉じた目から涙が流れ落ちた。

「石橋先生、警察の佐伯さんと言う方からお電話です」
内線で回されて来た電話に出た佑子の耳に、佐伯という言葉だけが残った。

「もしもし、石橋先生ですか、佐伯ですが、ご無沙汰してました」
外線のボタンを押して聞こえて来た、しっかりとした佐伯の声が妙に懐かしい。
「石橋ですが、何かご用ですか?」
「相変わらず、僕は嫌われてる見たいですね。まあしょうがありません、ところで真代さんの様子はどうですか?」
「理得はだいぶしっかりしてきました。もう普通に喋れますし、つかまり立ち位は出来ます」
「事情聴取は?」
「・・・・やっぱりあなたの頭にはそれしかないみたいですね。そうですね、理得の気持ちもしっかりしているみたいだし、今なら大丈夫だと思いますが・・」
「そうですか、分かりました。それでは日時は改めて連絡しますので・・」
「出来るだけ手短にして下さいね」
「分かっています」
電話を切った佑子は、佐伯の声が耳に残っていることに気が付いた。
「まさか・・ね」
佑子は小首を傾けながら、その首を小さく振った。

佑子は、廊下で龍を見つけると、理得に警察の事情聴取が近々あることを伝えて欲しいと頼んだ。
「どうして僕なんですか?それに事情聴取って何ですか?僕には分かりません」
「いいのよ、分からなくって、聞けば理得が教えてくれるわ、もう大丈夫だから・・」
「何が大丈夫なんですか・・・、石橋先生!」
「ごめん、ちょっと用があって、ごめん、お願いね」
手を軽く振りながら、佑子は足早に去って行った。

残された龍は、事態が飲み込めないまま、それでも理得に会えるきちんとした口実が、彼に理得と向き合う勇気を与えていた。