再会 《1》
佐伯は病院の前に立って、理得の病室を見上げていた。
何回かの事情聴取が終わってから理得の元を訪れることは無かったが、佐伯の心のどこかしらにずっと理得は住んでいた。
7月も半ばを過ぎて空は青く、夏はもう始まっていた。
「だいぶ落ち着いてきたようね」
佑子は理得の様子を見ながら、笑顔を向けた。
「うん、ご飯も美味しくなって来たから、少し楽しみが増えたわ」
「それはけっこう、ともかく沢山食べて、体力付けてもらわなきゃ、安定期に入れば一安心だから、もう少し頑張って」
理得は佑子と喋りながら、お腹に手をあてて、優しく撫でていた。
ドアがノックされた音で、二人が振り向くと、佐伯が立っていた。
「佐伯さん」
佑子と理得は同時にそう言うと、顔を見合わせて笑った。
二人の楽しそうな声に佐伯も口元をほころばせて挨拶をした。
「楽しそうですね、いいことでもありました?」
「えっ、別に無いんですけど、今日は何か良い日みたいで、楽しい気分なんです・・、ねっ」
佑子の問いかけに理得は微笑んだ。
「それはよかった、僕はいい日に来たようです。実は真代さんに報告があって今日は来ました」
「報告ですか?」
「そうです」
佑子と理得が見つめる中、佐伯は言葉を選びながら喋り始めた。
「この4月に日本とユ−ラル共和国の国交が樹立したのはご存じですね?」
佐伯は二人の顔を確認するように見渡した。
ユ−ラルと聞いて佑子も理得もちょっと顔つきが変わったようだ。
「ウラノフ氏の素早い対応に内心驚きましたが、それが彼の我が国に対する感謝の気持ちだと思うと嬉しく思ったものです。ユ−リ・マロエフの・・・そして、真代さんの為にもこの国交は末永く続けなければなりません」
「理得のお腹の中には彼の子供がいるし・・・、この子が大きくなるまでにはもっともっと友好的な関係になるといいよね」
「その、石橋先生の言うところの友好関係の初めとして、我が国からユ−ラル共和国への食料援助を行うことが決定したんです」
「本当ですか?」
理得は驚きの声を上げた。
そして、ユ−リが言っていた言葉を思い出した。
『貧しい国・・・飢えに苦しむ同胞達・・・ユ−リを苦しみの場に追いやった全ての源はこの貧しさにあったのかもしれない。飢えが満たされれば、どれだけの人たちが豊かな心を取り戻せるのか・・』
そう思うと理得は嬉しかった。
ユ−リのしたことは無駄では無かった、彼はこのために戦ったのだから・・。
佐伯は目を潤ませる理得を見つめながら、次の言葉をどう言えばいいのかと思っていた。
「真代さん、実は僕も行くことになりました」
「・・・・」
「ユ−ラルへですか?」
答えられない理得に代わって、佑子が尋ねた。
佐伯は静かに頷いた。
「私も行きたい・・・、私も行きたいです、佐伯さん」
「理得・・・」
佑子はそう言うと、首を横に振った。
「理得には無理な事は自分でよく分かるでしょ、先月だって意識がなくなって須藤先生がつきっきりで看てくれて、やっと何とか持ち直したって言うのに」
須藤と聞いて佐伯は口を挟んだ。
「須藤先生はその後どうですか?僕もあれ以来会ってないので、気にはなっていたんですが・・・」
「須藤先生はあの件以来、人が変わったようになりました。仕事にも熱心で、最近では自信持って患者さんに対応してます。一度は理得の担当を外したんですが、神崎先生がお忙しくなったきたので、また彼に理得の担当になってもらおうかと思っている所です。佐伯さん、彼に魔法でもかけたんですか?」
「魔法なんて使えませんよ。僕が魔法使いに見えますか?」
場の空気を和ませようとした佐伯だったが、理得の心中は此処に在らずのようだった。
佐伯は佑子から聞いた龍の様子で、彼が゜大人゜になろうと階段を上り始めたことに安堵していた。
しかし、同時にそれは理得への深い想いを持つ強敵を作り上げる事だとも分かっていた。
どっちにしろ龍は理得の側に居てもらわなければならない人なのだから、゜大人゜でなければ困るのだ。
「話を元に戻します。先日僕の方に外務省から連絡がありまして、ユ−ラル共和国への外交官派遣の護衛として任命されました。まあ、ウラノフ氏との接点もありましたし、その辺が考慮されたようです。政変が起こって間もない国ですから、治安の心配はやはりあります」
「それじゃあ、佐伯さんも大変ですね・・」
「まあ、これも仕事ですから・・」
佐伯は黙ったままの理得に提案をした。
「ユ−リ・マロエフには必ず会ってきます。だから真代さん、彼に何か渡す物があれば、僕が持って行きますから・・・」
「佐伯さん・・・」
「僕にはそれ位しかできない・・」
佐伯の優しさに理得は胸が熱くなった。
しばらく考えていた理得は、引き出しからはさみを取り出すと、自分の髪の毛を切って、白いハンカチの上にそろえて置いた。
そして、それを丁寧に包むと佐伯に手渡した。
「これを彼に・・・」
「分かりました」
佐伯は理得からハンカチを受け取ると、右手を差し出した。
理得は佐伯から差し出された手を、両手で握り返した。
「この暖かさも伝えて来ます」
「・・・・佐伯さん、ありがとうございます」
理得の目から流れ落ちる涙に、佐伯の心も熱く、そしてほろ苦さも増していった。