再会 《2》
龍が理得の存在を両親に明らかにした時から、龍の回りは湖面に石を投げ込んだように波紋が広がっていた。
父親は病院関係者から理得の病状を入手し、母親は楓の話を真剣に聞き入った。
一方的に熱を上げているのは龍だと聞いて、安堵はしたものの、何とかしなくてはと言う思いは龍の両親から消えなかった。
龍に連絡を取ろうとしても、龍がそれを拒んでいたため、なかなか話が出来ず、それがさらに二人の不安をかき立てた。
そしてそれが楓の思惑通りに運んでいる事を回りの人間は誰1人として知らなかった。
「婚約だけでもしたいわ・・、そうすれば龍の気持ちも変わるかも・・」
楓の涙ながらのその一言で、不安から逃れるかのように二人は動き出し、とうとう波紋は湖面から流れ始めてしまった。
龍は自分の知らない所で、自分の人生が動き出した事を知る由もなかった。
「今日から理得の主治医として、よろしくね」
佑子は外科の医局に顔を出すと、龍の肩をポンと叩いた。
「えっ、本当ですか?」
「ええ、神崎先生にも了解を取って来たし、心臓は貴方の専門なんだから、その方が理得にもいいだろうし・・」
「それは僕の事を信頼してくれたってことですよね・・・、ありがとうございます」
「そうよ、信頼してるから、理得のことお願いね」
「はい」
龍は佑子から理得のカルテをもらうと、頭を下げた。
今まではなんとなく遠慮がちに理得の元を訪れていたのが、今日から大手を振って診察できる。
理得の為にあらん限りの知識を医者として発揮できる。
こんな嬉しい事はなかった。
「真代さん」
龍は早速、理得の病室を訪れた。
もう7月も終わろうとしている暑い日だった。
「立ったりして大丈夫ですか?」
龍は窓辺に立って、開けはなっている窓から外を見上げている理得に驚いて声を上げた。
「須藤先生・・・」
龍は理得に駆け寄ると心配そうな顔つきで、その手を取った。
「良かった先生が来てくれて、実はちょっと1人だとふらついてたの」
理得は悪戯っ子のように笑った。
「体調がいいからって、心配させないで下さい。リハビリは少しずつやりますから、勝手に歩いちゃダメですよ」
そう言って龍は理得をベットに連れ戻そうと手に力を込めたが、理得は動こうとしなかった。
「もう少しこうしていたいんです、あともう少しだから・・」
「何があと少しなんですか?」
「・・・佐伯さんが今日発つんです」
「佐伯刑事の事ですか?」
理得は頷いた。
「空を見上げていたって事は、飛行機ですね。どこへ行くんです?」
「・・・ユ−ラル・・」
理得がポツリと呟いたその言葉で、龍はハッとした。
そして、空を見上げる理得の真剣な横顔を見つめた。
今自分が手を繋いでいる理得は確かに理得だが、彼女の心はここにはない。
龍には分かっていたことだ。
分かっていながら、選んだ道だ。
「そうですか・・、ユ−ラルに・・・」
「いつか僕と行きましょう。子供を産んだら彼に見せに行かなくちゃ、僕が付いて行ってあげます、その方が安心でしょ」
「・・・・・」
「そうだなぁ、1歳位なら大丈夫かな、飛行機に乗っても、石橋先生に聞いとかなきゃ・・・、真代さんの状態も安定している時でないとだめだし・・・・」
「どうかしましたか?真代さん」
「どうして・・、どうして須藤先生も佐伯さんもそんなに優しいの・・・」
「どうしてって言われても、僕の幸せは貴方を支えることだから・・・、僕に出来る事を貴方のためにしてあげたい、それはきっと佐伯刑事も同じだと思います」
「私は何もしてあげられないのに・・・・」
龍はそれを聞いて首を横に振った。
「貴方は自分で気が付いていないだけです。貴方は僕に大切なことを教えてくれた」
「人を愛する事を教えてくれた。きっとユ−リ・マロエフも貴方を愛して救われたんじゃないですか、僕はそう思います」
「でも・・・」
「いいんです、貴方が誰を愛そうと、僕はもう貴方に僕を愛して欲しいなどと思いません、貴方が幸せならそれでいいんです」
「貴方が幸せなら・・」
龍の深い微笑みの中に、理得はユ−リの眼差しを見ていた。
『俺のことは忘れて幸せになるんだ・・・』
そう言った時と同じ瞳。
ユ−リを愛している、それは今も変わらないし、永遠に変わることもない。
それでも自分を愛してくれる人がいる。
報われない愛でもいいと言うこの人を、どうすればいいのか分からない。
この優しい眼差しを自分は愛してあげられない。
理得は窓枠に手をついて、涙で霞む目で空を見上げた。
空はどこまでも青く澄んでいる。
その青の遙か彼方上空で、佐伯の乗った飛行機はまだ見ぬ国に旅立っていた。