刹那 《4》
理得は人の気配を感じ月明かりの影になってる部分に目を凝らした。
「あなたは・・」
ぼんやりと浮き上がった人影は、同じ様に夜空を見上げている。
「夜の月って綺麗ね。月と星と太陽だけはどこで見ても同じだけど、太陽は眩しくてよく見えないから月の方が私は好き。でもここは星が少ないわ、私がこれから帰る所は降るような星でいっぱい、あなたにも見せてあげたいくらいにね・・」
その女性の横顔を見つめながら、理得は聞き覚えのある声に記憶の糸を探っていた。
「ああ、私が誰か分からないのね、・・・ごめんなさい。あの姿でいるのはあんまり好きじゃないの・・、だって若い方がいいじゃない、それにこれが本来の私だし、本当はこの姿で最初からあなたに会いたかったわ」
理得は自分の方に向き直った自分よりも若いであろう女性の顔を見つめながら、自分の出した答えに驚きの声をあげた。
「気がついた?そう私よ。娘がいるだなんて嘘言って・・、怪しまれないように姿を変え、精一杯お芝居してみたんだけど、代えっておかしな事になっちゃった・・。でもね、あなたがもう一度私に会いたいって思ってくれたのは嬉しかった、本当よ」
理得は目の前で穏やかに話す女性の言葉を、自分を落ち着かせる為にも一語一語頭の中で整理していた。
「驚いて言葉も出ない?」
一言も発しない理得を見て彼女はそう言って微笑んだ。
理得はそう言われてやっと大きな息を1つとすると、おずおずと口を開いた。
「あなたは私に優しくしてくれた人。でもこの世の人じゃない?、だとするとあなたは本当は誰なんですか?」
「本当の私?・・・誰だと思う?私はあなたの主治医の母親・・」
「えっ!」
理得はそう言われてもう一度まじまじと女性の顔を見つめた。
そう言われてみれば、目元は違うが、口元や鼻筋は龍に似ている。
「あの、須藤先生のお母様がどうして私の所に?須藤先生はずっとあなたのことを待っています。私じゃなくて須藤先生に会ってあげて、そして話しをしてあげて下さい」
「あの子の事はずっと見てたわ、離れた地に眠っていても魂だけはずっとあの子の側にあったの。でもあの子には今は会えない、会う時じゃないのよ・・、そうしなくてもいずれ全てが分かる時が来る、その時にあの子がどの道を選ぶかそれを見届けられれば私は十分なのよ。それに・・」
そこまでしっかりとした口調で喋っていた女性は急に顔を曇らせて黙り込んだ。
「どうかしたんですか?」
「ううん、ちょっとね。この姿でいるのはある意味悲しいの・・・生きていた頃を思い出してしまうから・・、でももうそれも終わり、きっともうすぐ消えてしまう・・」
そう言って理得の前に出した右手は輪郭だけ残して夜空を透かしていた。
「ね、透けてるでしょ・・だからもうじき消えるの・・」
そのサバサバとした物の言い方とは違って声には陰りが隠っていた。
「私もたぶんもうじきこの世からいなくなる・・」
理得の吊られるようにふっと漏らした言葉に女性はゆっくりと顔の向きを自分の手先から理得に移した。
「それが怖い?それとも悲しい?」
慈愛の瞳が理得を覗き込む。
「この子の側にいてあげられないのは悲しいです。怖さもあります。でも・・それだけでもないです」
「それは彼がいるから?彼が待っているから?」
「えっ・・、あ、はい、そうかもしれません。・・彼のこと知ってるんですか?」
「知ってるわ、今もここにいるもの・・、あなたには見えなくても私には見える。でもそれだけじゃなくてずっと前から知ってるの・・」
「ここにいるんですか?」
理得は女性の言葉を最後まで聞かずに慌てて後ろを振り向いたが、そこには月に照らされたベットがあるだけで人影などなかった。
「だからあなたには見えないわ・・彼は私とは違う。彼はあなたを見守っていればそれでいいから、あなたの心を掻き乱すような事はしないわ。私は危ぐしてたことが現実になりそうだったので慌ててね、魂がなくなってもいいからチャンスが欲しいと願ったのよ」
そこまで言うと女性は理得の手をとった。
「あなたにお願いがあるの」
ヒンヤリとした手とは裏腹に理得を見つめる瞳には強い光が満ちている。
理得は固唾をのんで次の言葉を待った。
「あの子を・・、龍を助けて欲しい」
「須藤先生を助ける?」
「そう、あの子は死ぬ気です」
「えっ!」
それは思いがけない言葉だった。
が、そう言われて理得は今日の不安な気持ちと龍の言葉を思い出した。
『覚悟は出来てます』
あの言葉の意味の裏には死の影がちらついていたのか・・。
「どうして須藤先生がそんなこと・・?」
「あなたに会うためよ。死んでもあなたに会いたいと・・・」
「・・・」
「だからあなたにしか救えない」
「・・・」
「お願い・・、あの子に私と同じ想いはさせたくないの。愛を恨むような事はさせないで・・」
「愛を恨む・・」
そう繰り返すと理得の手にあったライターが一瞬熱くなった。
はっと手を広げてみたが気のせいだったのかライターは何事もなくそこにあった。
そして再び目線を上げたときそこは月明かりが差し込むだけで誰の人影もなかった。
幻にしては記憶が鮮明に残りすぎる。
消えてしまった女性の面影を胸に理得はただ呆然立ち尽くしていた。