手紙 《2》


ビザが降りるまでの数日、僕は毎日隣国からユーラルを見続けた。
吐く息も凍りそうな極寒の地で、僕が出来る事はこんな事ぐらいしかない。
そして、思いを馳せて一日が終わる。
年が変わる前までの生活と比べると、今ここでこうしていることが何とも妙な感じだが、さりとて夢のような気もしない。
それよりも、<生きている>という感覚が頭のてっぺんから足のつま先まで僕を包んでいるようだった。
僕はやっと埋められなかったパズルのピースを探す手がかりを見つけたのだ。

ユーラルへのビザが降りた日、僕は新しい防寒着を買い、身支度をきちんと整えた。
そして大事な一歩を踏み出すと、僕は抑えきれない感情と共に走り出していた。

「チップははずむから急いでくれないか…」
そう言われた運転手は小さく頷くと、右足に力を込めた。
僕は後部座席で腕組みをしたまま、窓を流れる風景に母親の姿を探した。

「戻るべき場所…」
理得がそう言った場所はここだった。
父親のいるこの場所だった。

「戻るべき場所…」
もう一度つぶやいてみる。
いったい魂が戻るのはどこなのだろう?

『墓地…』
最初に浮かんだこの余りにも短絡的な答えに僕は呆れた。
が、他に思い浮かぶ場所もなく、僕は最初の目的地を墓地に決めた。
そして、運転手に墓地の場所について聞いてみると、墓地はそれぞれの集落に小さなものもあるし、大きな都市の近くには大きなものもある、つまりは沢山あると言う返事が返って来た。
当たり前と言えば当たり前の返事だが、僕はちょっとがっかりした。

『早く見つけたい…』
この気持を抑えるのはとても大変で疲れる事が、この数日間で分かっていたからだ。
それでも手がかりがない以上、地道に探さなければ見つからない。
僕は気持を定めると、とりあえず起点となるホテルに場所を落ち着けるべく、運転手に長期滞在に向くホテルに案内してくれるように頼んだ。

すぐに窓の外には大きな建物が見えてきた。
「もうすぐですよ…」
運転手の声に僕は「そう」と答え、座席に深くもたれた。

ホテルの部屋は落ち着いた色合いで統一されたこぢんまりとした部屋だったが、今の僕にはそれで十分だった。
僕はもう医者ではない。
ただの29歳の男。
そう、僕は自分の手で須藤龍を捨てたのだ。
そして孤児だった自分に自から戻った。

ここユーラルで最初からの自分を探して、もう一度やり直したい…
自分で道を探して歩く人生を、もう一度…
加納リュウとして…
だから捜し物を見つけよう…
そう、ここにはきっと僕に必要な何かが眠ってるに違いない。

僕は次の日、タクシーに乗ると運転手に「ユーリ・マロエフを知ってるか?」と尋ねた。
「ウラノフ氏の暗殺を阻止した英雄として、どこかの墓地に埋葬されていると思うのだが…」
思いをめぐらしている運転手に僕はさらにそう付け加えた。
すると、彼は表情を変え、大きなアクションをしながら僕の方を振り返った。
「そこに行きたいんだ」
僕は無表情でそう言った。

運転手は僕の態度にちょっと拍子抜けしたようだったが、それでも車を走らせながら、気を使ってか、時々バックミラーで僕の様子を伺っていた。
程なく車は小高い丘の下で止まった。
「お参りですか?」
運転手はおずおずと質問した。
「ああ、そんなところだ。実は僕は日本人でね。僕の友人が彼と知り合いだったんだよ…、それでちょっと見ておきたくなって来てみたんだ」
「そうですか…、確かお墓は丘の一番上だったと思います。前にTVで見た時にそんな記憶があります」
「そう、ありがとう。ここは広い墓地だね。全部見て回るのは時間がかかるのかな?」
「お客さん、全部見るんですか?」
「そのつもりなんだ…」
そう言うと僕はやっと少し笑った。

「大変かな?」
「そりゃ、寒いですし…」
「そうか、やっぱり大変か…、じゃあ、すまないがお昼にもう一度ここに迎えに来てくれないか?美味しい食事が出来る店に連れて行ってくれ、そして君も一緒に食べよう。どうだろう?」
「分かりました、お客さん、じゃあ、お昼にこの場所で待ってますから…」
「ああ、ありがとう。あ、お昼は僕がご馳走するから…」
その言葉に今度は運転手が少し笑った。

僕は料金とチップを渡して、タクシーから降りた。
そして雪が舞う中、小高い丘の頂上を目指して歩き始めた。
「ここにいるんだね、理得」
僕はそっとつぶやいた。

そう、この雪は理得、君なんだ。
あの夜舞っていた雪と同じ。
「僕はやり直したい…、その為には君に会わなければ…、ちゃんと向き合わないと進めないのは分かっていたんだ、でもずっと出来なかった。でも今なら出来る気がするんだ、加納リュウとしてでの僕なら…」

息がハァハァと切れる頃、僕はやっと頂上についた。
そこには6つの墓が整然と並んでいた。
僕は積もった雪を手で払いながら、墓標の名前を一つずつ確認する。

「やっとお前にも会えた…」
ユーリ・マロエフの文字を雪の下から見つけると、僕は天を仰ぎ、降る雪に包まれていた。