手紙 《4》


「失礼します」
佐伯は開いていたドアを開けると、その場に立って相手の声を待っていた。
「どうぞ中に入って下さい」
程なくそう声がして、佐伯は廊下の奥に向かった。

日が入る明るいリビングにいた女性は、佐伯にソファーに座るように勧めた。
「すいません、何もなくて…」
見た目にもやつれ、口紅もしてないその女性はすまなそうにそう言うと、自分もソファーに座った。
「いえ、いいですよ」
佐伯はそう言うと、話を聞くタイミングを計っていた。

「須藤先生はいらっしゃらないのですね…」
「…」
「病院にも顔出していないようだし…」
「…」
佐伯は女性の顔を見ながら、正面から話を切り出した。

「失礼ですが、あなたは須藤先生の婚約者の方ですか?」
女性の顔がぴくっと動く。
「お名前を教えて欲しいのですが…」
女性は躊躇っているのか、口を閉ざしたまま、佐伯の顔をなかなか見ようとしない。

「私が警察の者だと言うことは知っていますよね」
頷く女性を見て、佐伯は言葉に力を込めた。
「それじゃあ、話してくれませんか、その為にあなたは私を呼んだのでしょう?」

「いったい、何から?…」
女性は怯えた目を佐伯に向けた。

「いったい、何から話せばいいのか分からないんです。私は家にいた龍の事しか知らないから…。記憶もないし、ここで龍と暮らしていた事しか分からない」
「記憶がない?」
「そうです…龍の勤めていた病院で倒れた事がありまして、その時から一部記憶を無くしました。目が覚めた時、龍の事だけは覚えていたんですが、それ以外の人は両親さえも思い出せなくなっていたんです」
「そうですか…」
病院と聞いて、佐伯は理得の事を思い浮かべた。
すぐに刑事としての詮索が頭の中で動き出そうとする。
が、それよりも、今は先にするべき事があった。

「あなたにもいろいろと事情がありそうな事はわかりました、でも、ともかくお名前を教えて下さい。呼び方に困ってしまうので…」
佐伯の言葉に女性の厳しい表情が緩んだ。

「楓です。須藤楓と言います」
「須藤さん?…名字が一緒と言うことは、もう籍は入れたんですか?」
「いえ、私も元々須藤なんです、龍とは血の繋がらない妹になります」
佐伯はそれを聞いて、前に須藤龍の実家近くで聞いた話を思い出した。
彼を養子に迎えてから誕生した妹がいたことを…。

「楓さん、それで須藤先生は今どこにいるんです?」
「分かりません」
「家に帰ってこないんですか?」
「たぶん…」
「たぶん?」
「元日の日に泊まりで出かけて、次の日に一度戻って来たようですが、それっきりです」
「何か心当たりとかはありませんか?」
「手紙が…、手紙がテーブルの上に置いてありました」
「それを見せてもらえませんか?」
楓は当然問われるその質問には答えずに、逆に佐伯に疑問をぶつけた。
取引をする為に使うには、この手紙は申し分のない餌だった。

「佐伯さん、その前に少し教えて欲しいのです。あなたと龍の関わりは何ですか?龍が何か犯罪を犯したんですか?それで彼について調べているんですか?」
「別に彼が何か犯罪を犯したと言うわけではありません、ただ…」
佐伯はそう言うと言葉を濁した。

楓の疑心に満ちた目をどう捉えていいのか正直迷ったのだ。
記憶を無くしたというその場所が病院という事も引っかかる。
このままストーレートに話してしまうには、自分はこの楓と言う女性の事を知らなすぎるのではないか?
佐伯はそう判断すると、答えを待つ楓に向き直って話を続けた。

「ただ、事故で病院に運ばれたある方が亡くなったその理由がどうも腑に落ちなくてね、担当だった須藤先生にお話を聞きたくてこうして足を運んだんです、刑事なんて気になるとどこまでも調べないと気が済まない人種でしてね、正月休みもこうして返上してしまうんですよ」
「大変なお仕事なんですね…」
「まあ、余り良い仕事とは言えないかもしれませんね…。楓さん、これで手紙を見せてもらえますか?」
「…分かりました、でも、約束して下さい。手紙を読んでもし何か知ってる事があったら私に話してくれると…、どうです、約束してくれますか」
「事によります」
「事による?」
「そうです、私はあなたの事を何も知らない。知ってる事を話すのにもそれがあなたに及ぼす影響が私には分からない。私は刑事です。あなたの安全を守らなければならない。失礼だがあなたのこの普通じゃない状況を見て、なにもかも話すという約束は出来かねます」
「それなら大丈夫です、刑事さんを呼んだ時点で覚悟は出来てます…、私は知りたいんです、全てを、この部屋だけじゃない外を、そしてこの傷の理由も…」
楓はそう言うと手首を差し出した。
白い手首に斜めに走る少し盛り上がった線がそこにはあった。

「知れば見えない傷が増えるかもしれませんよ…」
「それでもいいです。もう一度、龍に会いたいんです…、その気持ちがきっと私を支えてくれます」

「そうですか、じゃあ、手紙を読んで須藤先生の状況が分かったら、僕も知ってる情報をあなたに話します。ただ、ちょっとその前に時間を下さい。どうせ話すならきちんとした形であなたに話す方がいいので…」
楓はその声で立ち上がると、棚の上から開いたままの手紙を取り、それを佐伯に渡した。

佐伯はその文面を見て息を呑んだ。
そこには探していた人物の名前があり、想像もしていなかった事実が見え隠れしていた。