戻るべき場所 【1】
「当機はまもなく仁川(インチョン)国際空港に到着致します。
乗客の皆様、安全の為にシートベルトをお締め下さい」
ユジンはアナウンスに気が付くと、読んでいた本から顔を上げ、前方にあるシートベルト着用のサインを見つめた。
戻って来たんだわ…
フランスからここまでは、長いフライトだった。
でも、その長さは、気持ちの整理をするのに、必要な長さでもあった。
自分の戻るべき場所は、ここしかない。
けれど、ここは、戻る為の勇気がいる場所である事に変わりはないのだ。
ユジンは読みかけの本に栞を挟むと、手荷物鞄にそれに終い、座席の横に手を伸ばした。
シートベルトを締めると、心なしか、気持ちがキュッとする。
ユジンはその心地よさを、胸に止め、これから広がるであろう景色に期待しながら、顔を窓に向けた。
空の色は透き通る青。
そして、地面が見えないほどの一面の銀世界。
胸がドキドキする。
あぁ、でも違う…
今、季節は春だもの、そんなことはないわ…
そう思うと、途端に胸の動悸は収まった。
そして、ため息。
ユジンは、自分が白い雲の下に、どの季節を思い描きたいのか、知っている。
でも、それはもしかしたら、この先、永遠に無いかもしれないのだ。
以前、この空を出た時は、冬の終わりだった。
あれから3年。
それが、もう3年なのか?、まだ3年なのか?ユジン自身にも分からない。
彼との思い出は、ほんの少しの時間だった。
でも、それは短かかった訳ではない、そんなことは断じてない。
だから、ユジンは3年が長いのか、そうじゃないのか分からなかった。
ただ、言えることは、自分のその3年に彼が存在していなかったと言うことだけだ。
では、彼の3年はどうだったのだろうか?
ユジンは、視線を宙に浮かべ、そこに思いを廻らせた。
が、次の瞬間、慌ててかぶりを振り、そして目を閉じた。
バカね、その3年を知るのが怖かったんじゃない…
そうでしょう、チョン・ユジン…
ユジンは天井を見上げると、涙が出そうになるのを堪え、唇を噛み締めた。
何があっても大丈夫、私、そうあなたと約束したんだもの…
そうよね、ジュンサン…
ユジンは、自分を愛してくれた彼を、記憶の中で思い出していた。
若かった時の陰りのある横顔、再会した後の朗らかな笑顔。
白い雪も、輝いていた湖も、青い海も、白い砂浜も…
そう、無くした記憶なんてどこにもない。
彼はずっとそこにいる…
私、あなたの言う通り、ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝て、強く生きてきたわ…
その事は、褒めてくれるよね…
ユジンは改めて、そっと呟いた。
『ああ、偉いな、ユジン…』
心の中で、彼が答える。
その声も、口調も、顔つきも、分かってしまう。
その切なさが、再びユジンの涙を溢れ出させそうになるが、今度は上手く止められそうになかった。
頬を伝う涙が、飛行機の窓に映る。
『泣いちゃダメじゃないか…』
再び、ジュンサンの声がする。
ごめんなさい、ジュンサン…
ユジンは止められない涙を、拭いながら、彼の為の笑顔を探していた。