動き出した星々 【3】
失明と言っても、闇に閉ざされた中に居る訳じゃない、その反対で、白いもやの中に居るようなんだよ…
今では、その中で人影ぐらいは判別出来るようになって、光と影のコントラストはあるんだ。
手術は2回。
渡米して直ぐと、一年前に1回した。
僕の頭の中に出来た血腫の場所が悪くてね、視神経が圧迫されているんだ。
だからそれを取り除く手術をしたんだが、どうしても取りきれなかったそうだ。
神の領域…医者はそう言ったよ。
そういう場所に血腫があるんだって…
ユジンは寝室のベットの脇に、布団を引きながら、ジュンサンの言葉を思い出していた。
その瞳は以前と変わらない澄んだ湖のようなのに、サングラスの奥で、それは見る物を探し出せないでいるのだ。
唇を噛みながら、ユジンはもう泣けないと思った。
ジュンサンが背負っているものを考えたら、泣くなんてとんでも無い。
これからは、自分がしっかりしなくては…
彼の手と足になるのは自分なのだから。
「支度できたわよ、ジュンサン」
「ありがとう、ユジン」
ユジンは努めて明るい声を出して、居間に戻ってきた。
立ち上がって先に立って歩くジュンサンを見ながら、その後ろで、ユジンも同じように壁に手をやり、目を閉じる。
廊下を歩く音だけに神経を集中すると、潮騒と相まってそこは海の中のようだ。
他に誰もいない、2人だけの世界。
それもまたいいな…、とユジンは思った。
仕事もなく、こうして朝から晩までジュンサンと2人、世間から離れた場所で静かに暮らせたら…。
無くした10年と、会えなかった3年を取り戻したい。
それは私だけの思いだろうか?
と、次の瞬間、ユジンは急に立ち止まったジュンサンとぶつかった。
「どうしたの?」
急いで目を開けると、背中を向けていたはずのジュンサンの穏やかな顔が目線の先にあり、ユジンは慌てた。
見えていないと知っていても、この状況では焦る。
見えていないからこそ、気持ちが見透かされそうな気がした。
「どうしたって、ユジンの方こそどうしたの?」
「ううん、別に」
「僕の部屋は此処だろう?だから止まったんだ」
見ると、確かに其処はジュンサンが指定した部屋だった。
「すごい、合ってるわ!」
「一度覚えた場所は、間違うことないさ」
「じゃ、知ってる?」
「何を?」
「此処は私の部屋でもあるって事を…」
「えっ…」
ジュンサンは無理矢理に回れ右をさせられると、背中をユジンに押されるような形で部屋に入った。
「ベットと布団どっちがいい?」
「ねぇ、ユジン…、部屋は他にもあるだろう?」
「だめよ、貴方1人じゃ心配だもの…」
ユジンは引きそうにない。
「私達、新婚旅行のやり直ししなきゃ。そうでしょう。前にも言ったけど、私、貴方がいれば何も怖くないの」
「ユジン、前とは状況が違うよ…」
「そうね、兄弟じゃないって事がハッキリした訳だから、あの時と比べれば、状況はずっと良いわ」
「そうじゃなくて…、僕は自信が…ない」
「自信?なんの?」
「君を守っていく自信だ。僕は君を守る温かな手にも、丈夫な足にも、もうなれない…」
「そんなこと無いわ、仕事だってきちんとやっているじゃない。ジュンサン、貴方は貴方、何も変わってないわ…」
ユジンはジュンサンの背中に身を寄せ、両手をその胸に回した。
「貴方は、私が愛しているジュンサンよ。それ以外の誰だって言うの…」
「…」
ユジンに愛されているジュンサン…
本当にそれは自分なのだろうか?
ジュンサンはユジンに愛を告げられた『ジュンサン』は、自分とは別の誰かのような気がしていた。
ユジンが見て呼んでいるのは、高校生の時の、あの真っ直ぐな自分なのではないか?
愛情に飢えて傷つき、自分に触れる物を刃物のように切ってしまう鋭さがあり、良い意味でも悪い意味でも、カン・ジュンサンを生きていたあの頃の自分。
それがユジンの初恋の人だった筈だ。
でも、今は…
ユジンに呼ばれる『ジュンサン』と自分は、どこか違ってしまったような気がしてならなかった。
昨日ユジンとサンヒョクの声を聞いて、捨ててしまったジュンサンが、本当のジュンサンではないのか?
ユジンを愛しているからこそ、自分で感じるその隔たりは、大きな壁となってジュンサンの心を占めてゆく。
今の僕は、イ・ミニョンという、もう独りの自分に囲われて生きている。
ジュンサンはその気持ちを拭えないまま、ユジンの愛情を一身に感じていた。