動き出した星々 【4】




「寝付かれないのか?」
「うん…、ジュンサンも?」
「君が気になってね…」
笑いながらジュンサンがそう言うと、その声でユジンもクスリと笑った。

「今日という日が終わってしまうのが勿体なくて、なんだか眠る気になれないの…、まるで夢の中に居るような一日だったから。
明日になって、何もかも夢だったなんて事になったら、どうしようかと思って…。ジュンサン、これは夢じゃないんだよね?そうよね?」
「あぁ、夢じゃないよ、ユジン…」
ジュンサンの落ち着いた声が、ユジンを安心させる。

「そうよね、私達こうすれば触れ合えるのだから…」
そう言うと、ユジンは身体の向きを変えて、そっとベットの端から手を伸ばした。
その手が、直ぐ下で横になっていたジュンサンの頬に触れる。

「ユジンの手は、いつでも冷たいんだね」
ヒンヤリとした感触が頬に触ると、ジュンサンはその手を掴んで自分の布団の中に入れた。
「ジュンサンの手がいつも温かいから、いいの。冷えた手が、貴方の手の温もりで暖まってゆく時間が嬉しいじゃない。
だから私の手はいつも冷たいのよ、貴方に温めてもらうためにね…」

ユジンはぎりぎりまで伸ばした手の先にある、ジュンサンの顔を幸せそうに見つめている。
が、闇に紛れたジュンサンの顔が、少し曇っているのは分からなかった。
その瞳が何を見ているかも、ユジンは知らない。
ジュンサンはユジンの手を握りながらも、昔の自分と対峙して、じっと捕らわれたままだった。

「良い夢を見て…、ユジン」
ジュンサンは、静かな声で呟いた。
「ええ、でも、今見ている以上の夢は無いわ…」
それはユジンの本心だった。
こうして手を握り、体温を感じながら眠れるなんて、本当に夢のようだ。

「本当に温かいのね…」
ユジンは、その手を二度と離すまいと心に決めながら、安心して、安らかな眠りの波間に落ちていった。

――――

目が見えないということは、全ての行動を制限をする。
そんな事は、とっくの昔に割り切った筈だった。

失明すると知った時に、悩み苦しんだ末に諦めたのだ。
そう、僕は、完全を求めてはいけない。
ある程度の充実感を持てれば、今の僕には十分なんだ…そう思える自分を認めたのに…。

だが、朝になってユジンの手を借りないと何も出来ない自分に、ジュンサンは苛立った。
いや、正確には悲しかったと言う方が正しいか。
テーブルの上のコップを倒しても、拭くことも出来ない自分。
それはユジンと一緒だからこそ、ジュンサンを惨めにした。

他の誰と居ても、少なくともこんな気持ちにはならなかった。
愛が深ければ、深いほど、それは痛みとなる…。

記憶の中のユジンと、思い出の中だけで会うことは喜びだった。
が、現実の世界ではそうではない事を、ジュンサンは知ってしまった。

「さあ、行きましょう」
ユジンの声が、台所から聞こえる。
それを聞いて、ジュンサンは唇を噛んだ。
自分で自分を認められない以上、それしか道はないのだ。

――――

「ジュンサン、行きましょう」
ユジンはもう一度繰り返すと、ジュンサンの腕を取り、嬉しそうに席を立った。
その胸には、すでにソウルに着いてからのあれこれが詰まっている。
サンヒョクやチェリン、ヨングクやジンスクがこの事を知ったらどんなに喜ぶだろう。
それを思うと小躍りしたい気分だった。
この3年、自分を押し殺して来た気持ちがまるで嘘のよう。
隣にはジュンサンが居るのだ。

ユジンは、その嬉しさがジュンサンも同じだと思っていた。
こうして運命に導かれて再会できたのだから、それが当然だと、そう信じて疑わなかった。

「ジュンサン、大丈夫?」
飛行機がソウルに着くと、ユジンはジュンサンを椅子に座らせて、自分も隣に座った。
「何が?」
「え、だって余り喋らないし、疲れたのかと思って…」
「ううん、そんな事ないけど…、ユジンと一緒なんで緊張したのかな…」
「そう、それならいいんだけど…」
その心配そうな声で、ジュンサンは薄い微笑みを作る。
それは全てユジンの為だった。

「貴方をホテルに送った後、私は一度、ポラリスに寄って家に帰るから、午後の遅い時間にまた会いましょう。それでいいよね」
「うん」
ユジンは段取りを決めると、ジュンサンの手を握り締めた。
直ぐに会えると分かっていても、今は離れるのが寂しい。
その手を離さないまま、ユジンとジュンサンはホテルに向かった。
以前、イ・ミニョンが泊まっていた部屋まで、ぞれは繋がれたままだった。

「じゃあ、また後でね」
ユジンは見慣れた部屋に安心すると、名残惜しそうにしながらも、ドアに手を掛けた。
「ちょっとまって、ユジン…」
そのユジンをジュンサンが呼び止める。

振り返ったユジンに、ジュンサンは真っ直ぐ歩くと、その手を大きく広げた。
「どうしたの?!」
「もう一度、抱きしめたくて…」
その声は、ジュンサンの震える心からの願いだった。


「遅くなっちゃったわ…」
時計を気にしながら走って来たユジンは、一旦、息を整えてからホテルに入った。
こんな時は、エレベーターの上がり具合まで遅く感じられる。

「遅刻だよ!」
でも、ジュンサンにそう言われるのも悪くない。
昔に戻ったようで、それも嬉しい。
が、ユジンのその気持ちに応えるはずのジュンサンは、呼び鈴をいくら押しても出てこなかった。

「出かけたのかしら?」
フロントに外出の有無を確認しに行ったのは、そんな軽い気持ちだった。
でも、返ってきた返事は、ユジンの心臓を凍らせた。

「イ・ミニョン様は、お連れ様がお迎えにいらっしゃいまして、チェックアウトなさいました」
「えっ!」
ユジンには事態が飲み込めない。

「あの…、それは本当ですか…?何時?何時ごろチェックアウトを?」
「えっと、お昼過ぎになってますね」
「それでその後、何処に行ったんでしょう?」
「さあ、詳しいことは分かりませんが、タクシーを呼んだのは確かですね。ここに書いてありますから」
「そんな…」
明るかった目の前が、ゆっくりと闇に閉ざされる。
そういえば、3年前、同じような事があった。
ユジンは止まりそうな思考の中で、やっとそれだけ思い出した。


「イ理事、疲れたんですか?顔色が悪いですよ?それとも、昨日、あの家で何かありました?泊まるだなんて予定には無かったでしょう?」
キム次長は、ずっと気になっていたことを口にした。
「…」
が、それは張りつめた気持ちを解くきっかけとなって、ジュンサンを動かす。

「どうしたんです?泣いてるんですか?」
慌てたキム次長は、声を低めた。
「…大切な物を…無くしたんです…」
それだけ言うと、ジュンサンであるミニョンは口を閉ざし、赤い目をしたまま、キム次長から顔を背けた。

それは、米国に向かう飛行機の中。
もう、後戻りの出来ない場所での別れだった。