ラビリンス 【1】




この手の先には、雪が舞っている…

そう思うと、ユジンは自分の手から視線を外せないでいた。
雪の中にいれば、ジュンサンとの思い出が自然に甦り、今の、この現実を考えなくていいからだ。

この現実…
それは余りにも辛すぎる。
これを、どう理解すればいいと言うのだろう。

ユジンは、ジュンサンを探す気にはなれなかった。
彼が今どこにいるかを知っても、そんなことは、自分が取り残されたという事の慰めにはならない。
メッセージも残さずに消えたという事は、そういう事なのだから…

大学路(テハンノ)のベンチに座り、降らない雪を待つ。
今のユジンには、それが精一杯だった。
あの雪の日に、ミニョンに出会ったように、そうすれば、ジュンサンに会えるかもしれない。

と、ポケットの携帯がユジンを呼んだ。
実は、もう何度も、携帯はユジンを呼んでいたのだが、それに応えるつもりのないユジンは、ポケットから出すこともなく、ずっとそれをやり過ごしていた。
それは、相手がサンヒョクだと分かっていたからだ。
帰国して直ぐにサンヒョクがプレゼントしてくれた携帯には、まだサンヒョクの番号しか登録されていない。

サンヒョクが心配しているのは分かっていた。
「ジュンサンを連れて行くから…」
事情を説明して、そう言って電話を切ったのは、まだ半日も経っていない今日の事だ。
「ユジン、本当なの!?」
そう耳の先で喜んだサンヒョクに、何て言えばいいのか…

「兄さんって呼びたいんだ…」
サンヒョクはそう言っていた。
それが叶うはずだったのに…
ユジンは、サンヒョクの思いまでも、自分が壊してしまったような気がしてならなかった。


その頃、サンヒョクはいくら連絡しても繋がらないユジンを心配して、ホテルまで足を運んでいた。
そして、フロントでジュンサンとミニョンの名前の両方で所在を尋ね、その返事を聞くと、慌ててユジンの事を口にした。
「女性が来たのは、イ・ミニョン氏がチェックアウトした後なんですね?」
「はい、そうです」
サンヒョクには、その答えを聞くと、急いで外に出た。
すぐに、ユジンを捜さなければならない。

ユジンのアパート、其処にはいなかった。
次は?
ジンスクやチェリンの所には、行かないだろう。
では?
サンヒョクは目星を付けると、車を走らせた。
ユジンはきっと其処にいる。


「やっぱり此処だったね…」
その声で、ユジンはハッとして振り向いた。
だが、其処に立っていたのは、期待していた彼ではなく、あの時と同じように、慈愛に満ちた目で自分を見つめているサンヒョクだった。
その瞳は、全てを理解した上で、尚、相手を包み込もうとする。

ユジンはサンヒョクが隣に座ると、それが合図だったかのように、ポロポロと涙を流した。
泣くことで、現実に戻されてしまうことが怖かったが、それでも涙は止まらない。

「もっと早く連絡すればいいのに…、お前はいつだってそうだ。あの時も一緒に捜すって言っただろう。それとも、僕を信じていないのか?」
ユジンはその言葉に、泣きながら首を振った。

「じゃあ、泣くのは後だ。ジュンサンを捜そう」
サンヒョクは再び立ち上がると、ユジンに手を差し出した。
が、ユジンは座ったまま、動こうとしない。
涙を流しながら、両手を膝の上で強く握りしめ、サンヒョクを見ようともしなかった。

「ユジン…」
サンヒョクは、その様子を見て、ため息と共にユジンの名前を呼んだ。
それが無駄だろうと、何だろうと、今を逃す訳にはいかない。
「3年前も君は後を追わなかった。意地を張るのもいいかげんにしろよ!このままジュンサンと離れ離れになっていいのか?」
その、少し上擦った声は、サンヒョクの気持ちの表れだった。

が、サンヒョクが言えば言うほど、その一生懸命さが、ユジンには煩わしかった。
どうして、自分をそっとしておいてくれないのだろう?
ここで待っていれば、きっとジュンサンは来るのに…。

そう、きっと彼は来る…、捜さなくたって…。
私を置いていくなんて、嘘。
そんなことが、あるはずがない。

ユジンは、自ら迷宮に身を置いていた。
神に導かれたような再会をし、抱き合い、唇を重ね、手を握りながら眠ったその事実だけを信じたかった。
そうしなければ、明日からどう生きていったらいいか分からない。
ユジンには自分しか見えていなかった。
可哀想なのは自分。残された自分だった。

サンヒョクはそんなユジンに、諭すように話し出した。

「ユジン、今まで言わなかったけれど、ジュンサンは3年前、米国に旅立つ前に、僕に会いに来たんだ。
ユジンを支えて守ってやってくれと…僕に言いに来た。
自分はもうユジンの力になれない、僕のほうが長くユジンを見守ってあげることができるからと…そう真剣な表情で話してた。
あの時、ジュンサンは手術をして、たとえそれが成功しても、後遺症が残る身体になってしまうかもしれないと分かっていたんだ。
だから、僕に君を託した。
君も知っている筈じゃないか、カン・ジュンサンがどんな男か、イ・ミニョンがどんな男か。
君の足手(まと)いになるくらいなら、彼は姿を消すことも(いと)わない。
君を守れないのが、君に恨まれるより辛いんだ。
なぜなら、世界中で一番、君を愛しているから…」

「だから、ユジン…、君が行かなきゃ…。ジュンサンの所に、君が行くんだ」
「…」
「愛しているんだろう?ずっと、愛していたじゃないか。18歳で出会った時から。僕が愛した君が、幸せじゃないなんて、僕は許せない。
その相手が兄さんなら、尚更だ。2人共、幸せになってくれなければ、僕が君を諦めた意味がないじゃないか」

サンヒョクの声が止むと、ユジンの座っていたベンチに、小さなシミが出来ていた。
ユジンはそれに気がつくと、そっとそれを撫で、サンヒョクを見上げた。
それはサンヒョクの頬を伝わって流れ落ち、木の木目に沿って広がった物だった。

金星がやっと光を放ち始めた夕暮れの中、サンヒョクは涙を零さないように天を仰いでいる。
その滴は、自分しか見えていなかったユジンの瞳の濁りを消す、魔法の力を持っていた。


…悲しいのは、私だけじゃない。
私を置いていったジュンサンだって、きっと、こうして泣いている。
…苦しいのは、私だけじゃない。
そう、彼も愛ゆえに、きっと同じようにもがいている。