巡り逢う理由 【2】




閑静な住宅街の一角でタクシーが止まると、ユジンは緊張した面持ちで外に出た。
そして、運転手がトランクから荷物を出す間も、その家を確認することが出来ず、伏せ目がちのまま、運転手に最後の「ありがとう」言う。
外は薄暗くて気分的には心細いのだが、だからといって、直ぐに呼び鈴を押す気にはなれない。
そんなことで、ユジンは煉瓦作りの外壁を眺めながら、しばらく門の横にボンヤリと立っていた。

「こちらの家に何かご用ですか?」
そう話しかけたのは、背の高い、すっきりとした体つきの紳士だった。
だが、不意に話しかけられたユジンは、体を硬直させ、早く呼び鈴を押さなかった事を後悔しつつ、怖々と後ろを振り向く事となる。

「あの…、今、呼び鈴を押そうと思っていたんです」
ユジンは声の主が、思ったより紳士的な男性だったことに感謝し、安堵の声を混ぜた英語で答えた。
「そうですか、ミヒのお客さんですか、では、どうぞお入りになって下さい」

ユジンは自分の横を通って、門を開けるその男性の後ろ姿を、不思議な気持ちで見ていた。
英語で話しはしたが、その顔はどう見ても東洋人だったからだ。
もちろん、韓国人であるカン・ミヒの家に、東洋人が訪ねてくる事は不思議ではないが、この場所で、こうして自分と巡り逢う事が不思議だった。

「ミヒ、君にお客さんだよ」
玄関を開けると、その男性は今度は韓国語でそう言うと、「貴方もこの方が良いでしょう?」と微笑んだ。
そう言われたユジンは、どう答えたらいいか分からず、同じようにニコリとする。
それを見て、その男性は満足そうに頷いた。
ユジンは自分でもその笑顔が引きつっていたのが分かっていたが、自分の意志と違うところで、状況がどんどんと進んでいくことに戸惑いを隠せない。

やがて、何も知らないミヒは、家の奥から普段通りに現れた。
「お待たせしました」
が、ユジンの顔を見るなり、ミヒはその足を止め、驚いた表情のまま、じっとその顔を凝視している。
「お久し振りです。ご無沙汰してました」
そんなミヒにユジンは頭を下げ、懐かしそうな顔をした。

「ユジンさん…」
ミヒはやっとそれだけ口にすると、ゆっくりとユジンの側に歩み寄り、その手を取った。
その瞳には涙が浮かんでいる。

「どうやら、お茶は私が用意しなければならないようだね。
でも、2人ともその様子じゃ、胸がいっぱいで何も喉を通らないって感じだけど?」
その言葉を聞いて、やっと2人は緊張を解いたように、男性の顔を見上げ、ミヒはユジンを部屋に招き入れた。


3人が座るテーブルの上にはカップが3つ、部屋にはコーヒーの香りが漂よっている。
「ミヒ、私は席を外そうか?」
約束通りに飲み物を用意した男性は、席に着きながら、そう切り出したが、ミヒは首を横に振ると「大丈夫よ」とだけ答えた。

「紹介が遅くなってしまったわね、ユジンさん、こちら、イ・レオンさんです。
いずれ分かることだから先に話しておくけれど、ジュンサン…、いえ、ミニョンの父親はこの人なの…。
レオンはユジンさんの事を知ってるのよ。何もかも私が話したから…」

「ユジンさん、初めまして。イ・レオンです。
両親が在米なんで、名前がちょっとそれらしくないですが…。
実は僕は貴方に会いたいと思ってました。
ミニョンが韓国にいる時にいろいろとお世話になったそうで、貴方に会って御礼を言いたかったのです」

「初めまして、チョン・ユジンです。そうですか、貴方がミニョンさんのお父様なんですね。
でも、私は御礼を言われるような事は何も…、それよりも謝らなければならない事の方が多いと思っています」

挨拶が済むと3人はそれぞれの面持ちで、自分の立場を考えならが、どこから話をすればいいのかと思案していた。

「ユジンさん、貴方はミニョンの事で来たのよね…」
「はい…。彼に会いに来ました」
ミヒはユジンの意志を確認すると、嬉しさと悲しさが入り交じったような顔でレオンを見た。

「では、やはり、ミニョンに貴方が会う前に、話さなければならないことが沢山あるようだわ…。
ユジンさん、私を恨んでいるでしょう。
ごめんなさいね、私のエゴとわがままで、貴方とミニョンを苦しめてしまって…。
でも、自分でも止められなかったの、貴方のお父様への執着を…。
私は、愛の裏側にあった同じだけの憎しみを、それだけを見つめて生きてきてしまった。
でも、ミニョンがあんな事になって、私は自分の愚かさを思い知ったの。
どれもこれも私が蒔いた種だったのに、神は私ではなく、ミニョンにその罰を与えたのよ、私が一番苦しむ方法としてね…」

「ミヒ…、もう自分の責めるのは止めなさい。ミニョンだって、君を許したじゃないか。
それに、彼は、今はもうりっぱに仕事をこなしているし、君の元からも自立した。
私はミニョンの名ばかりの親だけど、自慢の息子だと思ってる。

ユジンさん、私はミニョンが高校生の時、初めて米国で会ったんだ。
病院で記憶を無くしたまま、不安そうな顔をしている彼を見て、私は迷っていた父親役を引き受けた。
僕はアン医師の友人でね、それでミヒのファンでもあったんだ。それで白羽の矢が立ったのさ。
でも、アン医師とミヒが私の所に相談に来た時は驚いたよ、まあ、こんな話に驚かない人はいないと思うけれど…。

幸い、私は前妻とは離婚、子供は成人していたしね、恋人もいなくて、問題は何も無かった。
それに、ミニョンも大きくて手がかかる歳でもなかったから、私はただミニョンの記憶の中で、良い父親をやっていた振りをすれば良かったんだ。
友人のような親子関係がそれからは続いて、事実が分かった今も、こうして私達の関係は変わらない。
今では、ピアニストの妻と、優秀な息子を本当に持っている錯覚を持つ時もあるよ。
私としては、戸籍上だけではなく、このまま本当の家族になりたいと思っているんだ」

レオンがウインクしながら言った言葉を、ユジンはどう受け取っていいか分からなかったが、その場の雰囲気の穏やかさは、ミヒとレオンの信頼の強さを理解させるのに十分だった。

「でも、ミヒ、ユジンさんがこうして来てくれて良かったじゃないか…。
君もこれでユジンさんに謝りたいという願いが叶ったし、何よりミニョンが喜ぶだろう」

最後に、レオンはそう言葉を結んで、ユジンが来てくれた事に感謝した。
が、あんな別れ方をした自分達を思うと、ユジンは素直にその言葉を受け取れない。
果たして喜んでくれるのか?
それは、彼だけが知っているのだ。

その夜、ユジンはミヒの好意で、ミニョンがかつて使っていた部屋に泊まることになった。
明日、レオンが迎えに来てくれて、一緒に行動してくれる約束も、ミヒが取り付けてくれた。
この3年で、ミヒは何を思い、何を学んだのか、ユジンには分からなかったが、そうした事から、少なくとも自分の過去を清算して、これからの米国での生活を意義の有るものにしたいという気持ちだけは受け取れたような気がした。