巡り逢う理由 【4】




「社長室に2人そろって呼ばれるなんて…、イ理事どんな話だと思います?」
「う〜ん、何だろう?僕にも分からないよ」
「先月、設計した、視覚障害者向けの住宅にどこか問題でもあるのでしょうか?」
「あれは、大丈夫だと思うよ。使い勝手の良さは、僕の頭の中で実証済みだから…」
ジュンはミニョンと一緒に社長室に向かいながら、どこか気乗りがしなかった。

そもそも、韓国支社から来たキム理事代理が、同じように社長室に呼ばれた後に、自分にしたリアクションが気に入らない。
妙にニコニコしたと思うと肩を叩き、「今後ともよろしく!」って、どういう意味だろう?
イ理事から言われれば嬉しいけれど、あのキム理事代理と今後付き合う予定なんか全然ないのだ。
ジュンはその態度に内心ムッとした。
が、上役でもあり、しかも遠路遙々(はるばる) 来た来客だと思うと、露骨(ろこつ) にそれを顔に出すわけにもいかない。
なので、しかたなく、ジュンは愛想笑いでその場を誤魔化(ごまか) したのだった。

2人が社長室の手前まで来ると、それを察知した秘書が、内線で中に確認を取る。
そのおかげで、2人は大して待つこともなく部屋に通された。
そこには、声の大きなソン社長が、柔和な顔で座っている。

「挨拶はいいから、まあ、座りなさい」
2人の顔を見ると、ソン社長は自分も席から立って応接のソファにどっかりと座った。
そして、ジュンがミニョンの腕を取って、そつなくソファに誘導し座らせたのを確認すると、「急な話で驚くかもしれないが、どうか、心して聞いてくれ…」と切り出した。

「実は、2人には、韓国支社への異動の辞令が下りている」
「えっ!」
ソン社長は一旦そう口に出すと、驚きの声を上げた2人を尻目に黙々と説明を始めた。

「この所、韓国支社は業務成績が上がっていない。
それで上の方も、考えたんだろう。
もう一度、イ理事をあちらに戻して、学会で評価された手腕を発揮してもらう、それが得策だとね。
イ理事も、リ室長が一緒なら心強いだろう。
念のため、キム理事代理には先ほど話をして、同意の上、この提案を受けてもらった。
いやぁ、彼も喜んでいたよ、仕事を推し進めるここ一番の力強さは、やはりイ理事に勝る人はいないってね」


晴天の霹靂(へきれき) 。それはこんな時に使うんだ。
ジュンは今、自分が直面した事柄で、初めてその言葉の意味を理解した。

「あんな事、急に言われたって…」
ジュンは、廊下を歩きながら、ブツブツと文句を言ってみる。
しかし、何を言っても、胸の動悸は収まらない。

韓国へ行く、それもミニョンのサポート役として…。
それは自分の人生の中に起こる出来事として、思ってもみなかった事だ。
確かに半分とはいえ、韓国人の血が混じる身としては、一度ぐらい祖国の地を踏むのはいい。
でも、それはあくまで旅人としてであって、まかり間違っても、そこで生活する気なんてジュンにはさらさら無い。

ジュンはニューヨークが好きだった。
此処は米国であって、米国でない。多種の人種が集まった、まるで世界が凝縮された街。
ここで泳ぐように人の波をすり抜け、お洒落なカフェでお茶を飲み、躍動感のある日々を送る。
それは、まるで自分が世界の中心にいるような錯覚を与えてくれるのだ。

でも、今も社長室に残るミニョンの事を考えると、ジュンは気持ちを動かそうとしていた。
いくら慣れ親しんだところだとはいえ、目の不自由なミニョンを1人で行かせる訳にはいかない。
彼のサポートは自分でなければ出来ない。
それは、この1年、ミニョンと共に苦楽を共にした自分だからこそ言える言葉だった。

それに…
ジュンにとって、ミニョンの居ない日常はすでに意味の無いものになっていた。
彼が行くのなら、たとえ嫌いな辛い食べ物だって食べてやる。
そんな意気込が、今のジュンの生活を潤いのあるものに変えていた。



「神妙な顔だね…」
ソン社長は、部屋に残したミニョンの様子を見て心配そうに声を掛ける。

「余りに突然な事なので、驚いてしまって…」
「その気持ちは分かる。君の立場からすれば、身体的な事も含め、なんで今更?そう思うのが当然だ」
「では、何故?」
「それは…、詳しいことは私にも分からないが、誰かが進言して、君を() したんじゃないだろうか?」
「何の為にですか?」
「いや、それも分からないが、君に苦労をさせて、人間的に飛躍させたい人もいるんじゃないか?それだけ君を買ってるって事だ。
だから、期待に応えて、向こうで大きな仕事を成功させて来なさい。そして大手を振って、またこちらに戻ればいい」

ソン社長の言葉は、困惑気味のミニョンを励ましているつもりだった。
が、当のミニョンには、その1つも頭の中に入らない。
言葉を交わしていても、頭の中にあるのは、仕事から離れた別の事柄だった。

ユジンの居る韓国、そこに再び自分が行く…
それをどう自分に理解させ、どう対処するべきか…、その事だけがミニョンの頭を占めていた。

誰でもいい…、理由があるのなら聞きたい。
ミニョンは社長との話に見切りをつけると、一礼して部屋を出た。
そして、壁に手を触れながら廊下を歩き、迷った末に、一番人気のない屋上に出ると携帯電話を取り出した。

携帯電話のワンタッチボタンは3つ。その1つを押すと、母のミヒに繋がる。
だが、あいにくとミヒの電源は切られていた。
それが分かると、ミニョンは躊躇(ためら) わずにもう1つのボタンを押した。
セウングループのトップメンバーの1人であるレオンに話を聞くのが、もっとも手っ取り早いと、すぐに気が付いたからだ。

「もしもし…、ミニョンです」
「あぁ、ミニョン。珍しいじゃないか、電話をくれるなんて…」
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあって…」
「そうか、じゃあ久しぶりだし、会って話さないか?日本の学会での成果も聞きたいし、どうだろう?抜け出せるか?」
「はい、特に差し迫っている仕事もありませんから大丈夫です。…はい、分かりました、では、そこで待っていて下さい」
ミニョンは携帯をポケットに仕舞うと、そのまま階段を下りて、受付の案内係にタクシーを頼んだ。

あの教会は、ミニョン自身も復帰のきっかけのなった最初の建物としての思い入れがある。
その場所を、レオンが気に入って、時々訪れている事は、ミニョンにとっても嬉しいことだった。

車を下りると、ミニョンは運転手に入り口までの案内を頼み、自分で扉を確認すると礼を言った。
ステンドグラスのヒンヤリとした感触をたどって、ミニョンは取っ手に手を掛ける。
礼拝堂の中は、外と違って、空気が冷めていた。
風が抜けるように設計したのは自分だったな…、ミニョンはそんな事を思いながら、最初の一歩を踏み出した。

「ジュンサン…」
そのミニョンを誰かが呼んだ。
その声は、懐かしい響きで、歩き出したミニョンの足を止める。
それはミニョンにとって、2度と呼ばれる筈のない名前だった。
自分をそうやって呼ぶ人は、この世でただ1人。

「ユジン…」
それはミニョンにとっても、二度と声に出して呼ぶはずのない名前だった。