僕が僕である事 【1】




対峙する同じ空間に、愛する人がいる。
その事実は周りの空気さえも取り込んで、お互いの心に流れ込む。
その(せき) を、ミニョンは必死で(こら) えようとしていた。
しかし、ジュンサンと呼ばれた事で動揺した心は、それをそう簡単に成し得る事が出来ない。

そうしているうちに、いつしか、ミニョンはサングラスの奥で涙を浮かべていた。
あんな風に置き去りにしたユジンが、自分を追って米国まで来るなんて…。
それは、期待だとか、想像だとか、自分がしてはいけない事だった。

ユジンはそんなミニョンに、一歩、また一歩と近づく。
そして、昨晩、あの部屋で嗅いだシトラスの香りが、ほんのちょっと鼻先に届く距離になって、ユジンは立ち止まった。

「ジュンサン…」
ユジンがもう一度声に出す。

今度はもっと近い…
ユジンが直ぐ側にいる…

ミニョンは再び呼ばれた自分の名前を聞いて、目を閉じた。
すると、溜まっていた涙が、少し白くなった頬を伝う。

ジュンサンが泣いている…

ユジンはその涙が、何を意味しているのか聞きたかった。
ジュンサンの本心が、本当は何処にあって、何を思っているのか、それが知りたかった。

「手を伸ばしてくれる…?」

ユジンが囁くような声で、そっとそう言うと、ミニョンは(あがら) うことなくその声に従って、右手を前に出した。
その掌にユジンも伸ばした手を重ね、自分の指をミニョンの指に絡める。

自分よりも少しだけ冷たいユジンの手。
ミニョンは、その温度差を感じると、思わずその手を握り返し、そして、ユジンの指先の一本一本を自分の手で確かめると、グイッとその手を自分の胸元に引き寄せた。

「ユジン…、ごめん…」
ミニョンはユジンを抱きしめると、顔を横に背けながら、やっとそれだけ口にする。
その言葉を聞いて、やっとユジンも緊張していた心の琴線を揺らし、同じように涙を浮かべた。

「どうしたのよ?」
ユジンは握り拳をミニョンの胸に当て、もう一度繰り返す。
「どうしたのよ?カン・ジュンサン…」

自分の腕の中にスッポリと収まって、泣きじゃくりながらそう繰り返すユジンを、ミニョンはただ抱きしめて立ち尽くしていた。
いくら責められても、言い訳する言葉が無い以上、そうやってユジンを受け止めてあげる事、それだけが、今の自分に出来る事だった。

愛に形があって見えるものだったなら、お互いのそれを集めて見せ合うことで、全ての事が解決するのかもしれない。
こんなに愛された。こんなに愛している。
それは誤魔化すことの出来ない重さとなって、相手をきっと納得させるだろう。

だが、現実は違う。
ユジンはひとしきり泣いた後、目の前のミニョンを見上げて、彼の心の全てを掴めないもどかしさを感じていた。
自分を愛してくれる気持ちと、流した涙の間にあるものは、複雑な回路を経て彼の胸に秘められてしまう。

「ユジン…?」
ミニョンが、静かになったユジンを心配して声を掛ける。
「大丈夫?」
その声が、ユジンの心に染みていく。

「うん、大丈夫よ。それより、ごめんなさい、叩いたりして…」
ユジンは落ち着きを取り戻した振りをしながら、努めて普通の声を出した。

「いいんだ、叩かれるような事をしたのは僕だから…。
でも、ユジン、いつ米国に来たの?
何故ここにいるの?レオンは?父さんは何処?」
ミニョンには全てが分からない事だった。

「私は昨日、米国に着いて、連絡先が分かっていた貴方のお母様の所に行ったの。
そうしたら、偶然お父様に会って、今日、一緒に貴方のオフィスに行く前に、ここに連れてきてもらったのよ。
でも、もう今はお父様はいないわ。貴方がここに来ることになったと私に教えてくれた後、お帰りになったから…」
「その時、父さん何か言ってなかった?僕の事?」
「どんな事?」
「たとえば、僕が会社の中で異動する事とか…」
「韓国のマルシアンの理事に戻ることは聞いたわ…」
「…」

ミニョンは、ユジンの一言で全てを悟った。
僕を韓国に行かせたいのは、僕の両親なのだ。
それは分かってしまうと、あっけなくストンと心に落ちた。
考えてみれば、こんな体の僕の現状を変えてまで、僕をどうこうしようとするのは親ぐらいのものだ。

それが分かってしまうと、理由はもう、どうでも良かった。
両親の意図が他にあったとしても、こうしてユジンと出会ってしまった後では、何もかもが遅いのだから…。

ミニョンはユジンの肩に掛けていた手を背中に回すと、もう一度自分に引き寄せた。

僕は本当は誰になって、どう生きたらいいのか?
それを、これからもう一度探さなければならない。
ジュンサンとして生きた18年、ミニョンとして生きた10年、そしてジュンサンに再び戻り、2人を併せ持った末選んだ、ミニョンとしての3年。
その運命に(もてあそ) ばれた31年を、僕は今、ユジンを胸に抱きながら、静かに思い起こしていた。