愛が試される時 【4】
「リ室長?」
「えっ?あ、すいません…」
ミニョンに声を掛けられたジュンは、気を取り直すと、少し前を行くキム次長の背中を目指して再び歩き出した。
今は余計な事を考えちゃダメ…
ジュンはこの場で、何が自分に求められているのか分かっていた。
それに今は努めなければならない。
「ミン社長、イ理事とリ室長がタッグを組むとそれはそれは最強です。それに私が加われば鬼に金棒ですよ。どうか安心して旅行に行ってらして下さい」
キム次長は取引先の社長にミニョンとジュンを引き合わせると、最後にそう言って締めくくった。
ミン社長は恰幅が良かったが、その度胸も体と同じ位大きな人だった。
どこから見ても若い2人、ましてその代表になる人物が視覚障害者である事実を実際にこうして目の当たりにしても、大きなお腹をゆさゆさと揺すりながら、心配そうな素振りもしない。
「私はね、ありきたりなマンションは希望していない。是非、その事を踏まえた上で、お2人に今までの実績以上の仕事をしてもらいたいと思っています。既存のものにとらわれない自由な発想…、出来そうでなかなか出来ない事ですが、イ理事、リ室長、お2人を見ていたら、なんだかそんな事も簡単なような気がしてきました。期待してますよ」
それは2人にとって温かではあるが、厳しくもある注文だった。
が、ミニョンもジュンも少し頬が上気した顔を上げ、その言葉を胸に刻んだ。
こんな大きな仕事を、言ってみれば得体の知れない自分達にポンと任せてくれたのだ、出来得ればその旨に添いたい。
それが2人の偽らざる想いだった。
「理事、何か飲み物を持ってきましょうか?」
ミン社長との顔合わせが済んで、さすがに安堵の表情を見せたミニョンに、キム次長はその肩を叩いて労をねぎらうと、返事を待つ間もなく、その足を目的の場所に向けて歩き出した。
「シャンパンかワインか…、いや、まだ客先との顔合わせが残っているからなぁ…、ここはアルコールは我慢、我慢…」
広い会場に目を配らせ、会う人ごとに会釈をするキム次長は、そんな独り言を言いながらも笑みを絶やさない。
それ程、普段は使わないような神経を使ってまで、今日のこのレセプションを成功させたいとキム次長は思っていた。
光を失ったミニョンをその話題性だけじゃなく、実力でもう一度この国で認められる存在にする…、その第一歩が今日なのだ。
しかし、そんな冷静なキム次長が、会場の出入り口に向かって歩く1人の女性の横顔を一瞥(すると、一呼吸置いてから驚きとも喜びともとれる声を上げた。
「ユジンさん!ユジンさんじゃないですか!」
その声で、キム次長と同じようにバーカウンターに飲み物を取りに来た客達は皆、一様に声のする方に振り向いたが、キム次長はその事に構うことなくユジンに足早に近づいた。
「いや〜久しぶりですね、元気でしたか?」
昔と変わらない人なつこいキム次長の笑顔。
ユジンは呼び止められて振り向いた瞬間、キム次長のその顔を見て、マルシアンの仕事をし始めた頃の自分を呼び起こされたような気がしていた。
『あぁ、きっと、この人となら大丈夫…、納得のいく仕事が出来る』そんな安心感を与えてくれた笑顔がすぐ目の前にある。
「はい、おかげさまで。キム次長も元気そうですね」
ユジンは吸い込んだ息をそっと置くように最初の返事をすると、懐かしそうにキム次長を見て、唇の端を緩めた。
「フランスに留学したと聞きましたが?」
「はい、3年間程。この春に戻ったばかりです」
「では、今日は勤め先の会社の代表としてこちらに?」
ユジンがその質問にコクリと頷くと、キム次長は片手を肩まで上げ、頭に指先を当てる仕草をして、閉じかけた目をすぐに見開いた。
「それじゃあ…勤め先はポラリスですか?ポラリスでしょう?当たりですか?」
すると、今度もユジンは同じように頷き「そこしか行くところがありませんから…」と小さく笑った。
「そうですか、ポラリス、ポラリスですか…」
キム次長はその事実が分かると、何かを思いだしたように呟いた。
「それじゃあ、今度のマンション建設の内装を総轄(しているアフロスが、いくつかの会社を競わせて選んだ中にポラリスがあるんですね?」
「はい。ポラリスは自由設計タイプの部屋の内装を任されています」
「それは、それは、さすがですね。一番難しいカテゴリーだ」
「でも、販売戸数は少ないですから…」
「いやいや、お客様のニーズを忠実に反映させていかなければならないから、大変な作業になると思いますよ。でもユジンさんが担当なら大丈夫、私も太鼓判を押して勧められます」
「ところで…」
キム次長はそこまで話すと声をひそめて、辺りを気にするように話し始めた。
「ジョンアさんはどんな様子ですか?」
「えっ?」
ユジンは聞き返しながら、昨日のスンリョンの言葉を思い出した。
『ジョンアさん、随分前にキム次長とケンカしたらしいですよ。だから今回のレセプションに出ないんです』
「元気ですか?」
「え…、ええ、元気ですよ」
「そうですか、それならいいんですが…。ちなみに今日はこちらには来てないんですよね?」
「はい。ジョンアさんは今日は客先に打ち合わせに行ってます」
「そうですか…」
キム次長の落胆の声が広がる。
すると、ユジンはお節介と知りつつ、キム次長に事の顛末(を聞き出そうと切り出した。
「あの…、私がいない間に何かあったんですか?」
キム次長がその声で顔を上げると、ユジンにはその顔が泣いているように見えた。
「…それじゃあ、誤解なんですね」
話を全て聞き終わると、ユジンはキム次長に念を押すように尋ねた。
「そうです。まったくの誤解です」
「じゃあ、何故そう言わないんですか?」
「言いましたよ、誤解だって。でも信じてくれなくて…。どうも、その…、カードに何か良くない暗示が出たようなんです」
「カードって、タロットカードですか?」
無言で首を縦に振るキム次長の口からはため息が漏れている。
「ご存じの通り、ジョンアさんにとってカードの威力は絶大です。だからどうにも聞いてもらえなくて…」
ユジンもカードと聞いて、これは少々やっかいな事になったとこの先の展開を思案し始めた。
そうやって2人が沈黙しながら向かい合っていると、遠くから尖(った声がキム次長を呼んだ。
「次長!飲み物はどうなったんですか?もう喉が渇いちゃって死にそうです。それでなくても緊張したから…」
ジュンにはキム次長の前にある柱のせいで、ユジンが見えていなかったのだろう。
こちらに向かってゆっくり歩きながら、ぶつぶつと文句を並べている。
が、その態度も2人を認められる場所まで来ると急変した。
ジュンは駆け足で2人に近づくと、硬い表情のまま深々と頭を下げる。
「すみません、お客様とご一緒だったのですね。気がつかなくて失礼いたしました」
ジュンはそれだけ言うと、キム次長の渋い顔を見ないよう、急いでその場を離れる為に踵(を返した。
と、それを今度はキム次長が呼び止める。
「いいんですよ、リ室長。こちらのポラリスのチョン・ユジンさんはお堅い人じゃない。それにどちらかというと、…友人のような間柄ですから」
「友人?」
そう言われて、改めて女性に目をやったジュンは、それがさっきから自分が探していた人物だと知って思わず息を呑んだ。