真実の口 【3】
「打ち合わせが終わりましたので、私はこれで失礼します」
ユジンはジュンの質問がまるで聞こえなかったような素振りをすると、一礼して部屋を出ようとした。
「待ってユジンさん!」
それをドアに手を伸ばしたジュンが阻む。
「話はまだ終わってないわ!」
両腕を組んでドアを背にしたジュンは、この時とばかりに語気を強めた。
そんなジュンを見て、ユジンはため息を吐(く。
「ジュンさん…、あなたがお話された事は確かに間違いじゃありませんが、だからと言って全てでもない。
だから、あなたと話す事はこれ以上何もないんです」
「全てじゃない?でも事実なんでしょう。事実以外の他に何があると言うの?それとも逃げる為の口実を言ってるの?」
「逃げるつもりなんて…」
ユジンはそこまで言うと、ジュンとの距離を置くように後ずさりした。
「そんな気持ちがあるのなら、こうやってマルシアンに来てません。
ただ、ジュンさんと私は、立っている場所が違いすぎる。
だから同じイ理事を間に置いても、何も話せないと言ってるんです。
あなたが彼を失明させた私を憎むならそれでもいい。それで気が済むのならいくらでもどうぞ。
でも、そんな愛情表現の仕方ではあなたが辛くなるだけだと思います」
ユジンはジュンに言葉を投げかけた。
ミニョンを好きならば、その気持ちをこんな形で私にぶつけるのではなく、直接本人に言えばいいのだ。
ユジンにはそうされても動じない自信があった。
「立場が違う?ユジンさん、あなただってイ理事が好きなんでしょ、それの何処が違うの?
もしかしたら、昔からずっと彼を好きだったからそう言えるのかしら?
高校の同級生なんですってね。でも、イ理事は生まれも育ちも米国のはず。
それなのに何処で一緒だったの?そのカラクリを教えてくれないかしら」
ジュンは平静としてるユジンを慌てさせたくて、知ってる情報を洗いざらい口にした。
ところがユジンは眉のひとつも動かさない。
そればかりか、逆にジュンを諭(すような口調で話し出した。
「ジュンさんがイ理事を好きなら、そのまま真っ直ぐに彼だけを見てればいいわ。
そうして彼を手助けしてあげて下さい。
私はただ…彼の魂を救いたいだけ。今はそれしか願っていないから…」
しかし、答えにもならない達観したようなユジンの言葉は、ジュンの苛立ちを募らせるだけだった。
「魂を救う…それがあなたの償いなの?まるで聖職者のような台詞ね。だけど、それじゃあ何一つ答えになってないわ!」
「知らない方が良いことだってあるんです…」
「話せないと言うの?」
「…」
純粋にイ・ミニョンを好きなジュンに話すべき事など、ユジンには何もなかった。
真実はきっとジュンを苦しめる。
でも、その想いはジュンにはとうてい理解出来ず、1人蚊帳の外に置かれたような疎外感だけを生んでいた。
「じゃあ、今度はイ理事の前でこの話をしましょうか?
ユジンさん、次の打ち合わせの席であなたがどんな顔をするのか楽しみにしているわ」
業を煮やしたジュンは、ユジンにそう言い残すと先に部屋を出た。
それは感情の制御も出来ず、嫉妬に駆られた、ただの女としてのジュンの姿だった。
来た時には軽く感じられたマルシアンのドアが重い。
ユジンはそのドアを押し開けると、雲が低く垂れている鉛色の空を見渡した。
まるで今の私の心境そのものだ…
今にも滴(が落ちてくる。
「ユジンさん!」
と、誰かが階段の下からユジンを呼んだ。
見るとキム次長が笑顔で手を挙げていた。
「お疲れさまでした。今日はもう終わりですか?」
「はい」
ユジンが階段を下りるのを待って、キム次長は労(いの声を掛けた。
そして、ユジンの返事を聞くと間髪入れずに「飲みにでも行きましょうか?」と更に聞く。
どうですか?嫌ですか?
キム次長はニコニコしながらユジンを見ると、そんな言葉を心に届けた。
きっとキム次長は下から空を見上げる私を見たので、心配して誘ってくれているのだろう。
ユジンはその気持ちに甘えてみようかと思った。
逢いたい人に会えない…、こんな気持ちを抱えたまま帰るのは寂しいだけだ。
それを何処かに置いていきたい。
「キム次長、あの…私、お酒は飲めませんが、コーラでも酔えますから…」
「それは頼もしい!じゃあ行きましょう。先に軽く何か食べますか?お腹が空いたでしょう」
キム次長が「美味しい冷麺を食べさせてあげますからね」と朗(らかに話す。
その声を聞きながら、ユジンは少しづつ元気を取り戻していた。
「さてと…、混んでいるかな?なんせ金曜の夜だから…」
ぼやきながらバーのドアを開けたキム次長は、予想通り混み合ってる店内を見渡してからカウンターに足を運び、顔見知りのバーテンダーと二言三言話した後、一番奥の席にユジンを案内した。
「お待たせ致しました」
程なくビールとコーラと果物がテーブルに運ばれ、2人は乾杯を交わすと喉を潤(した。
「今日、モデルルームの打ち合わせだったそうですね。
現場から姿が見えなくなったリ室長を捜してて、偶然それを知りました。
でも、本来なら同席するはずのイ理事は、ちゃんと現場の詰め所に居て、作業員が指示を仰ぎに来るのに備えているじゃありませんか。
それってどう見てもおかしいですよ。で、それとなく様子を見に本社に来てみたんです。
そしたらユジンさんは元気が無くて…
それで、僕なりに考えてみたんです。
1,お腹が空いていた、2,仕事が上手くいかなかった、3,恋しい人に会えなかった、さて、どれだろうと?」
ユジンはコーラの入ったグラスを持ったまま、キム次長の説明に苦笑した。
さすがにキム次長、その洞察力はお見事だ。
「でも、お腹はさっきの冷麺でだいぶ満たされたと思うし、こうしていても仕事の愚痴はこぼさない、となると後は残された3番が怪しいと踏んだんですが、どうですか?」
「やだ、キム次長もう酔ったんですか?まだ早いですよ」
「ユジンさんがコーラで酔うなら、僕もビール一本で酔いますよ。なんなら歌ってみせましょうか?」
「はいはい、後で一緒に歌いましょう」
ユジンはキム次長の話を冗談めかしに聞き流すと、新しいビールの瓶をキム次長の前に置いた。
「ユジンさん、僕はちゃんとユジンさんにジョンアさんとの事を話したじゃないですか。
なのに、ユジンさんは何も話さない。おまけにイ理事も淡々としたままだ。
そりゃあ3年も前の恋愛を蒸し返す権利は、他人の僕には無いかも知れませんが、結婚の約束までした2人が顔も合わさないなんて悲し過ぎます」
「そんな、避けてるわけじゃないんですよ。たまたま会えないだけです」
キム次長はどうやら今日の事を、お互いが避けたと勘違いしているようだ。
「恋しい人に会えないで元気が無いのは、キム次長の方じゃないんですか?
だからそんな事言うんでしょう。だったら、ジョンアさんを呼び出しましょうか?
そうだ!ここで私が2人の間に入って白黒はっきりさせてあげますよ」
ユジンは嬉々(として提案した。
「それは嬉しいですが、また後日で良いです」
しかし、キム次長はかしこまった返事しかしない。
「なぜですか?」ユジンは不思議そうに尋ねた。
「私は直にお暇(するからです」
「えっ?まだ飲み始めたばかりじゃないですか?」
「実は3番だと思ったら、お節介の虫が動きまして…。さっき電話を掛けてくれるように頼んでしまったから…」
「電話?誰に?」
ユジンが訝(しげな表情を浮かべる。
「おっと、そんな話をしていたら、どうやらお着きなったようだ。ちょっと迎えに行ってきます」
キム次長が立ち上がって入口に向かう姿を目で追っていたユジンは、その先の薄暗い中でポツンと立っている人物を見て我が目を疑った。
「ジュンサン…」
それは紛れもない彼だった。