戻るべき場所 【4】




スーツケースから手紙の束を取り出すと、ユジンはそれを新しい部屋の、新しい机の上に置いた。
ガランとした部屋には、まだ机と椅子だけしかない。
その椅子を引いて、浅く腰をかける。

すると、目の前の白い壁が自然と目に入った。
不思議な物でそうなると、自分で考えるともなしに、インテリアデザイナーとしての思考が頭を巡る。
緑の額縁の空に伸びゆく大きな木の絵を飾ろうか?、それともアイボリーの落ち着いた柄のキルトを張ろうか?
浮かんでは消える様々なデザイン。
それは、やがて、空想の中で1つになろうとしてお互いに同調を始める。
そうなればしめた物だ。
このまま目を閉じれば、それはいっそう完璧を目指して進むだろう。

しかし、ユジンはしばらくすると、視線を壁からゆっくりと自分の手先に戻した。
とたんに、頭の中の画像のスイッチが切れる。
そう、今はインテリアデザイナーとしての楽しみより、他に気を配らなければならないことがある。

まずは、新しい生活に慣れなくては…
彼のいない母国で、1人で生活する事。
それは思い出との戦いだ。

自分の心に住むジュンサンが、その思い出に引きずられて、いつ表に出てくるとも限らない。
きっとこれから、そんな場面が何度も来るだろう。
サンヒョクやヨングク、ジンスクやチェリンとは、これからも友達として付き合うんだし、そうなると嫌でも彼は見えてしまう。
そんな時、平気な顔でいなければ…
そうしなければ、ジュンサンが悲しむ。

自分の事より、私の事を優先させたジュンサン。
「サンヒョクと一緒に留学して。僕の為に幸せになる努力をして欲しい…」
仮面の向こう側で泣きながら、彼が口にした言葉。
私はその意味を何も分かっていなかった。

事実をサンヒョクから聞き、呆然としながら向かった空港でも、私は混乱したまま「何故?」を自問していた。
頭の中でグルグルと回る疑問。
「私はジュンサンには必要ないのか?」そんな事までも考えた。

が、私達が離れ離れになる事は、そんな簡単な事じゃない…
それはジュンサンにも、私にも、分かっている事だ。
それなのに、ジュンサンは旅立った。
明日をも知れない病気の身で、それは心が引き裂かれる思いだったろう…

お互いの半身がお互いを呼び、魂が魂を呼ぶ。
それが分かっていて、その上で彼の選んだ道が私を残して行くことなら、私の選ぶ道も1つしかなかった。

パリへの留学。
それはきっと彼も望んだ事だったのだから。

けれど…
いくら決めたと言っても、サンヒョクから渡されたニューヨーク行きのチケットに、心乱れなかった訳じゃない…
「兄弟でも何でもないんだから…」その言葉に甘えたくなかった訳でもない…

ただ…
「僕たち、もう、会うのはこれで最後にしよう…」
そう言ったジュンサンの顔が忘れられなかった。

私が思わず差し出した手を見つめる彼も…
その涙も…

激情に流されてはいけない…

そう…、あなたは耐えていた。
私の幸せを思って耐えていた。
自分のプライドを懸けて耐えていた。
ならば、私も耐えなければ…

ジュンサン、あなたは私に、そうあって欲しい自分を残したのよね。
そして、その残した自分と私に生きて欲しかったんでしょう。
記憶だけを残して…私に…

サンヒョクと一緒に行って欲しいと言う希望だけは聞けなかったけれど、私はパリに留学してからも、ずっとあなたと一緒だった。
カフェでお茶を飲む時も、前にチェリンに聞いた様子を思い出して、一緒にいるみたいだなと思ってたし、学校で勉強してる時も、あなただったらどうするだろうと考えていた。
だからいつだって幸せを感じていた。
あなたの為に、そうやって幸せでいたのよ…

そうやって、私はフランスでの毎日に、ジュンサンの笑顔を見ていた。
それ以外の姿は思い浮かばなかった。
それこそが彼が望んだこと。
それが分かっていたから。

ふう…
大きなため息が漏れる。
滲んだ涙を指先で拭うと、吐き出した分だけ心が軽くなったようだ。

ユジンは心の整理を少しだけすると、改めて机の上の手紙の束に目を向けた。

生成り色の封筒に、黒に近い青のインク。
そのサンヒョクからの手紙は、規則正しい期間を置いて送られてきていた。
それは私の為だった…と思う。
その方が、私を安心させると分かっているから…

帰国した今なら、サンヒョクは、この事について聞いても答えてくれるかな?
でも、きっと「自分の為さ…、決まっていた方が書きやすいじゃないか…」と返事するに決まっている。
サンヒョクは優しい人。
それは昔も今も変わらない。

こんなサンヒョクを、ずっと私は悲しめてきたんだ。
ならば、これからは、友達として彼の幸せを祈ろう。

そう言えば…さっきの電話で、
「渡したい物があるんだ」ってサンヒョクは言っていた。
何だろう?
「話したいこともある」とも…

でも、考えてみても、分からなかった。
いや、察しはついても考えたくなかった。
ジュンサン以外の事は、何も分かりたくない。
彼が幸せでいる事だけしか、分かりたくない。