過去がもたらすもの 【3】




張りつめた空気が漂う。
その中で、決して視線が重なり合う事のない二人が向き合っていた。

ミニョンはジュンの思いがけない言動に、状況を把握できないまま驚いた表情を見せ、その驚きの表情の中にジュンは真実を探ろうとする。
そして、そうやって一度吐き出してしまった激情は、ジュン自身でも収拾が出来ないほど自らを追いつめ、深みに落としていた。

「イ理事、どうして過去を隠しているんです?あなたは名前も履歴も変えた。それはユジンさんのせいですか?」
「…」
ミニョンは冷や水を浴びたような面もちで、ジュンの言葉を聞いている。

「どうして何も話してくれないんですか…」
そのミニョンにジュンは立ち上がると近寄った。
「そんなに私が信用出来ません?サンヒョクさんやチェリンさんや、ユジンさんより…」
そして、ミニョンの持っているグラスを取り上げるとテーブルの上にそれを置く。
ミニョンはそんなジュンに為すがままだ。

「リ室長…なぜ…」
グラスを取り上げられたミニョンは、その反動でやっと意識が繋がったように声を出した。
そう、『なぜ』ミニョンにはそれが()せなかった。
なぜ、自分にこんな詰問をするのか?

するとジュンはミニョンの座る椅子に手を掛け、腰を落としてミニョンの唇に自分の唇を軽く押し当てた。
それがまるで返事とでも言うように。

唇に伝わる感触。
それは言葉の何倍もの意味を持つ。
ミニョンはこの時になってやっと、ジュンが自分に向ける視線の中に何があったのかを知った。
でもそれは、気が付かなかった…と簡単に言えるほど軽くはなく、またそんな状況ではないこともミニョンには分かっていた。

「驚きました?」
ジュンはさばさばした表情で、そんなミニョンを見つめている。
「初めて会った時から、私はずっとあなたを見てました。あなたが見えない事を良いことにして。
だから韓国に来てから、ずっと様子がおかしいあなたを見て不思議でならなかった。環境が変わった位であなたは動じない人だから。
でも、すぐにピンと来たんですよ。あの人を見て」
熱を持ちながらも淡々と話すジュンの言葉を、ミニョンは複雑な想いで聞いている。

「それほど彼女の瞳は雄弁に物語っていました。そして、それは同じ気持ちを持つ者にだけ伝わってしまう。
だから私は焦りました、自分の気持ちに。嫉妬なんて今までしたことがなかったから…」
「リ室長…」
「愛って不思議ですね。思っているだけでは美しいのに、一度感情として表に出すと醜い面をさらしてしまう。
でも、どうしようもないんです。自分でもこの気持ちをもう胸の中に留めて置くことが出来ない…」
ジュンの声は最後は涙に変わっていた。
その真摯な想いは、受け止めるミニョンの心に静かに流れる。

「僕は…」
ミニョンはそう言ったきり、言葉を失った。
――誰も愛していない、そう言えばいいのは分かっていた。
笑い飛ばして、そんなの君の勘違いだ、僕はカン・ジュンサンなんて奴は知らないと、しらを切り通せばいいことも。

思い出と愛と一緒に封印したカン・ジュンサンはいないのだ。
彼を掘り起こしても、辛い過去と辛い現実に(さいな)まされるだけ。
何も感じずに、風のように生きれば、僕はきっとこの先も生きていける。
僕はそうやって道を選んだはずだ。

「僕は…」
「嘘は嫌です」
迷うミニョンをジュンは(さえぎ)った。
もうこれ以上茶番は沢山だ。知りたいのはそんな事じゃない。

「私はあなたの口から真実が聞きたいから、自分の気持ちを話したんです」
ジュンは懇願する。
「きっと調べれば分かったと思います。でもそれじゃあ本当の意味での真実じゃない」

「そんなに簡単なことじゃないんだ…」
そのジュンに、ミニョンは大きな息を一つ吐くとポツリと呟いた。
そして、辛そうに言葉を続ける。
「もう一人の僕を君は知らないだろう。彼はね、僕と違って物思いにふけってばかりで、言葉も少なく臆病なんだ。
だから意気地もなくて、弱々しい。人間らしいといえばそうだが、それじゃあ、今の僕を生きられない。
それでも君は僕に全てをさらけ出せというのか?」

「その彼もあなたなら…そうしなきゃ…だって二人が集まったあなたが本当のあなたでしょう…」
それはジュンの言葉だった。
だが、ミニョンの耳にはまるでユジンが耳元で囁いたように、その声は聞こえていた。