過去がもたらすもの 【4】
ユジン…
もしもこの場に君がいたら、きっと君はジュンと同じ事を言うだろう。
ミニョンはジュンの言葉を聞きながらそう感じていた。
そうして感じたユジンを頭の中で思い描いてみると、それは先日と同じで、高校生の頃のユジンだった。
高校生の頃、僕は焼却場でユジンに聞いた事があった。
「二度と会わないと決めたなら、会いたくても我慢するか?それとも我慢しないで会うか?」と。
ユジンはそれに「自分なら会うだろう」と答え、更に理由を聞く僕に「会いたいのに理由なんかいらない」と言い笑った。
そんな風に、いつだってユジンは屈託がなかった。
同じ過ちを何度繰り返そうと、自分が思う事をやる。
そして自分を誤魔化さないで素直になればいいのだと、ユジンは僕に教えてくれた。
『それが本当のあなたでしょう…』
ユジンの声が耳元でリフレインする。
ミニョンはその声に促されるように、纏っていた鎧(に手を掛けようとしていた。
「リ室長…」
「はい」
「僕の過去をそんなに知りたい…」
「はい」
「それがリ室長を傷つける事になっても…」
「…はい」
「そうか…」
ミニョンはジュンの意思を確認すると一息つき、頭に描いたユジンに導かれるまま、やっとその波乱に満ちた半生を語り出した。
「僕は私生児としてこの世に生まれた。
母親でピアニストでもあるカン・ミヒからは、父親は死んだと聞かされて育ったが、僕はある日そんな母の元で一枚の写真を見つけたんだ。
それは若い時の母が男と一緒に映っている写真で、僕はその母と親しげな男を自分の父親ではないかと疑った。
それで調べ初めて辿り着いた先、それが春川第一高校だった。
実は母もその高校の出身で相手の男は同級生、しかもその男にはその時、春川第一高校に通う息子がいた。
その事実を知っていてもたってもいられなくなった僕は、無理やり春川第一高校に転校し、そこで最初に出会ったのがユジンだった。
僕は世間を疎(んじるように生きてきた。
ユジンはそんな僕に初めて出来た友達だった。
そうしてユジンと過ごすうち、いつしか僕にとってユジンはかけがえのない大切な人になっていた。
しかし、そんなある日、事件は起きた」
ミニョンはそこまで話すと、顔を辛そうに歪(ませた。
「僕は大晦日の夜、ユジンと待ち合わせた場所に向かう途中で事故に遭ったんだ。
その事故は僕を生死の境に彷徨(わせ、そして人生までも狂わせてしまった。
僕の履歴をリ室長は知っているだろう。米国生まれで米国育ち。
つまり韓国生まれで韓国育ちのカン・ジュンサンはその事故で死に、新たに生まれたのがイ・ミニョンだったのさ…」
「そんな…」
「嘘みたいだろう。でも本当なんだ。事故で記憶を無くした僕に母親はまったく別の過去を植え付けたんだ。
僕はね、ずっと母親を恨んでいた。そして私生児である自分を呪っていた。
そんな僕を見るに耐えなかった母は再婚までして、家族を愛し、明るく人生を楽しんでいる息子を作り出したんだ。
そうして僕はユジンの事も忘れ、10年もの長い間イ・ミニョンとして米国で生きていた。
そして、10年目の冬、僕は再び韓国の地を踏んだ」
「そこでユジンさんと再会したんですね」
「ああ、そうだ。でも僕はチェリンという恋人を連れ、イ・ミニョンとしてユジンの前にいた。
ユジンは最初、僕を見てたいそう驚いていたよ。
だからよく似た僕をジュンサンではないかと疑ってもいた。
しかし、サンヒョクと婚約中だったユジンは幻影を追う事に疲れ、カン・ジュンサンは死んでいないのだと諦めたようだった。
でも、反対に僕は…イ・ミニョンであったにもかかわらず、ユジンに惹かれていったんだ。
それは不思議な感覚だった。
僕だって米国にいた10年もの間、人並みに恋愛だってした。
だから人を愛する気持ちの何たるかを知っていた筈だった。
でも、ユジンに対する気持ちは、もっと心の奥底から湧き上がるような、魂の結びつきさえ感じたんだ」
ミニョンはそう言った後で、見えないジュンを気遣うように顔を上げた。
「もう止めようか…」ミニョンは張りつめた空気を感じながら静かに尋ねた。
「…いいえ、最後まで話してください」
するとジュンはグッと一つ息を呑んでから、血の気のない唇でそう返答した。
「僕はユジンに自分の感情を告白した。
自分にそっくりだというカン・ジュンサンに嫉妬しながら…。
ユジンには婚約中のサンヒョクだっていたのに、僕にはユジンが想い続けているのは死んだジュンサンの方に思えたんだ。
それからは僕はチェリンと別れ、ただひたすらユジンを見守っていた。僕を受け入れなくてもいいから、幸せであれと願って。
だが、当然サンヒョクはそんな僕を嫌い、ユジンを渡すまいと必死だった。
考えてみればサンヒョクはずっと幼なじみのユジンが好きだったんだ、それを同じ顔をした男に二度も取られる屈辱は耐え難かったんだろう。
だから僕がカン・ジュンサンとしてではなく、イ・ミニョンのままユジンの愛を手にしたとき、サンヒョクは生きていくことを放棄した。
そしてユジンはそんなサンヒョクを見捨てる事が出来ずに、僕の前から心だけを残して去っていったんだ…」
ミニョンはここで一つ大きな息を吐き出した。
そうしてから見えない視線を宙に這(わせると、その日を思い出すように話を続けた。
「ユジンを失った僕は仕事も手に付かなくなって、逃げるように別荘に隠(った。
しかし傷心を癒そうと思って来たこの別荘で、僕は自分とジュンサンの共通する過去を知ってしまった。
一緒に来ていた母親の様子がおかしい事もあって、僕はそれからジュンサンに付いて調べ始めた。
そして再び行き当たった春川第一高校でジュンサンの住所を聞き、その家を訪ねしばらくそこにいると、驚くべき人物が僕のすぐ後で同じジュンサンの家を訪ねてきたんだ。
その人物は誰だと思う?
カン・ミヒ。そう、それは僕の母親だった。
カン・ジュンサンなんて知らないと言った母がどうしてジュンサンの家を訪ねるんだ。
僕は母親に詰め寄った。
すると母は絞り出すような声で言ったんだ『あなたがジュンサンなのよ』って。
カン・ジュンサンの記憶の一遍もない僕が、イ・ミニョンである僕が、本当はジュンサンだったなんて、そんな事にわかには信じられなかった。
でも僕を治療したアン医師もそれが真実だと言うんだ。
僕はその時点で自分が何者であるのか分からなくなっていた。
ただ、そんな中、思ったのはユジンなら、二人を好きだったユジンなら僕を受け止めてくれるかもしれないということだけ。
だから僕はユジンに真実を告げた。『僕があのカン・ジュンサン』だと。
でも言ったところで、全ては後の祭り、何もかもが遅かった…。
ユジンは僕をジュンサンとして見てはくれなかった。
それはそうさ、イ・ミニョンの記憶しかない僕が、いくらカン・ジュンサンだと言っても、それはただのかたりだから。
僕はそれで自分の無意味さを知った。
それで米国に帰るつもりで空港に行ったんだ。
でも、ユジンは最後の最後で僕をジュンサンだと分かってくれた。
しかしその後、再び事故は起きた…」
「それが原因で失明したんですね…」
「ああ。でもあの事故はそれ以外の物も僕にもたらした。
記憶を…、無くしていたジュンサンの記憶を僕に返してくれたんだ。
僕はやっと自分に戻れた事が嬉しくて、ユジンと二人思い出の地を歩いたよ。
そしてもう二度と離れまいと二人で誓った。
でも細部まで記憶が戻るにつれ、僕はどうしようもなく不安になった。
その不安の種は、ある日突然、皮肉にも僕が父親を捜すきっかけになったあの写真によって芽吹いたんだ。
僕は高校生の頃、父親だと思っていた人がいた。
だが僕はユジンの家で、僕が持っているのと同じ写真をアルバムに見つけてしまった。
ユジンの家にあったその写真は僕のとは違い完品で、そこには僕の写真にはなかった人が映っていたんだ。
本当は僕の母親と、その映っていなかったユジンの父親が恋人どうしだったと知ったのはその時だった。
だからあの大晦日の夜の事故は、その記憶を封印するパンドラの箱だった」
「それじゃあ…二人は兄妹なんですか!?」ジュンの声は色めきだった。
「いいや。結果からいうとそれは違っていた。
でも、その過程の中で僕らは断腸の想いで一度別れたんだ。
違うと分かったのは、その後だったが、その時には僕の病気は一刻の猶予もない状態だった。
だから僕は事実を隠し、ユジンと別れたままでいる決心をしたんだ。
母はね、ユジンの父親を本当に愛していたそうだ。
だけどユジンの父親は母ではなく、ユジンの母親を選んだ。
それで母は、その当時いつも一緒にいたもう一人の男性の愛を受けた。
つまり最初に僕が父親だと思い込んだ人物、それこそが本当の父親で、そしてその息子であった彼…サンヒョクが僕の弟だった。
それが全ての真実、狂った過去だ」
ミニョンはそこまで話すと、肩の力を抜いて背中から崩れるように椅子に寄りかかった。
「ユジンさんとはそれっきり…ですか」ジュンはそんなミニョンを気遣いながらも最後に確認するように尋ねた。
「僕らは…三年の間会う事はなかった。
治療の為に渡米する前、僕は自分が生きられるかどうかも分からない状態だった。
だからサンヒョクにユジンの事を託したんだ…」
そこまで聞いてジュンはやっと、サンヒョクとチェリンがどんな思惑でいたのか理解できたようだった。
そしてユジンの心中も。
彼女は兄妹ではないと知って、彼を諦められずにいるのだ。
そしていつもあんな目でミニョンを見つめている。
だが、当のミニョンは失明と同時に過去に決別して生きようとした。
では、目が見えればミニョンは再び過去を取り戻す…そうなるかもしれない…
ジュンは立ち上がるとポケットに手を入れて、そこにあった一枚の紙を握りつぶした。
そして重い鎧を脱いで放心状態のミニョンの手に触れると、そっとその手を自分の胸に押し当てた。