ポラリス 【4】
サンヒョクがチェリンを呼び出したのは、二人が病院に見舞いに行った翌日だった。
あきらかに不機嫌そうな声で電話口で自分の名前を呼ばれたチェリンは、最初それがサンヒョクだとは気が付かなかった。
というか、ジュンサンと話したことに満足したチェリンは、サンヒョクがいるユジンの部屋には寄らずそのまま帰ってしまった事をこの時まで忘れていたので、そんな電話がかかってくるなんて思ってもいなかったのだ。
だから、チェリンがしまったと心の中で思ったときは、時すでに遅く、サンヒョクはこの身勝手な友にすっかり腹を立てていた。
「話があるから出て来いよ!」
そう言った後で喫茶店の名前を告げられたチェリンは、自分の返事を聞くなりすぐに電話を切ったサンヒョクに小さく舌打ちした。
まったく事がユジンに絡むとすぐこうだ。
熱くなって突っ走る。
長年の付き合いでそれは分かっていたが、これからまたくどくどと説教じみた話を聞かなければならないと思うとチェリンは正直うんざりした。
やれやれ…
これじゃあ、いつまで経っても高校生の頃と変わらない。
チェリンは自分のわがままを棚に上げて、サンヒョクの子供じみた行動にため息をつくと、重い腰を上げて席を立った。
「チェリン!」
チェリンが喫茶店のドアを開けて中に入ると、待ちかまえていたと言わんばかりの声がすぐ近くで聞こえた。
「ちょっと、恥ずかしいじゃないの…」
チェリンはそんなサンヒョクを見つけると、これ以上騒がれないよう足早に席に着いた。
「昨日は私が悪かったわ…、だから、もうちょっと落ち着いて話をしましょう」
サンヒョクのご機嫌を取ろうと、とりあえず下手に出たチェリンは、そう言ってから注文を取りに来たウエイトレスに素早くコーヒーを頼むと、申し訳なさそうな顔をした。
それがポーズであることぐらいサンヒョクにもすぐに分かったが、でもこう公然とされてしまうとさすがに大声も出せない。
この辺りはチェリンの上手いところだった。
周りの視線を集めながら、自分はちゃっかりか弱い女を演出するのだ。
「昨日、病院でいなくなってからどこへ行ってた?」
サンヒョクはそんなチェリンをこれ以上とがめる事もできず、仏頂面のまま聞きたい要点だけを抑揚(のない声で尋ねた。
「どこって…、どこかしら?」
とぼけた声でチェリンが答える。
すると端々にトゲを含んだサンヒョクの声が静かに響いた。
「チェリン…聞いているのは僕の方だ」
「そんなに怒らないでよ。まったく、冗談も通じないのあなたは。
どこって…それはあなたの思っている通り。ジュンサンの病室に行ったのよ!」
チェリンは言い終わるとぷいと横を向いた。
そんな分かっていることをわざわざ聞かなくてもいいのに…
チェリンはぶつぶつ言っている。
「そこで何を話した?」
サンヒョクはそのチェリンを構う様子もなく質問を続ける。
これじゃあ、まるで尋問だ。
チェリンはあきれたようにサンヒョクを見ると、クッと顔を引き締めた。
「サンヒョク…、確かに相談もなしに勝手な行動をしたのは悪かったわよ。
でもね、ユジンが友達ならジュンサンだって友達でしょ。片方にお見舞いに行って片方には行かないってのはどうかと思うの。だからユジンの方にあなたが行くなら、ジュンサンの方は私が行こうと思っただけよ。
それに話だって、ユジンが好きならその気持ちに素直になればいい、後のことは私達も力になるからと、そう言っただけ。
それとも、何?あなたは私が彼を誘惑するとでも思ったの?
彼がミニョンでいるならこれ幸い、『もう一度私とつき合ってください』って私が言うとでも?
悪いけど、そんな話、これっぽちもしなかったわ。
ユジンとジュンサンの間に誰も入れないことは、あなただって知ってるじゃない!」
こんなにサンヒョクの機嫌が悪いのは、きっと私を疑っているからだ。
チェリンはそう勘ぐった。
ユジンの幸せを邪魔する者は誰だって許さない、サンヒョクはいつまでもそんな気持ちでいるのだろう。
そんな風に考えたら、チェリンはここにいるのが段々バカらしく思えてきた。
ユジン可愛いもたいがいにしてもらいたい。
と、チェリンが心の中でそう推察していると、不意に目の前のサンヒョクが「じゃあ、チェリンのせいじゃないんだな…」とポツリと呟いた。
「えっ?私のせいって何が?」
チェリンには何が何だかわからない。
ただ、どうやら自分の考えとは違う向きで事件が起こったらしいことは、サンヒョクの態度でなんとなくチェリンにも理解できた。
先程と違って思案顔のサンヒョクは、そうチェリンが尋ねてもしばらく押し黙ったまま口を開こうとしなかったからだ。
「ねぇ、サンヒョク、何があったの?教えてよ!
私を疑っていたんなら、なおさら私には聞く権利があるわ!」
人を呼びだして、ここまで話したのだから、それは当然だとチェリンは訴えた。
第一、 このままじゃ気になって何も手につかない。
するとサンヒョクは、チェリンをじっと見つめると「これは、まだユジンにも話してないんだが…」と前置きしてから眉根を寄せるようにして話し始めた。
「実は今日の昼間、マルシアンのリ室長から僕に電話があった。
イ理事…、つまりジュンサンが病院からいなくなってしまったと、とても慌てた様子で。
だから、僕はてっきりチェリンがジュンサンを責めるような事でも言ったのかと思って…」
「…」
チェリンはそれを聞いて内心ギクリとした。
そういえば、昨日の話の前半で強情を張ってるとか、ユジンを拒絶する真意が分からないとか言った覚えがある。
でも、まさかそんなことで失踪するなんて…
まさか…
それから二人はコーヒーがすっかり冷めてしまうまで、無言でそれぞれの思惑の中にいた。
だが、いくら考えても二人にはジュンサンの行き先も、この先どうしたらいいのかも、何もかもが分からなかった。