運命の輪 【2】
「どうだった、久しぶりに友達に会った感想は…」
「うん…、安心した」
「安心?何が?」
「みんな、この3年に私が知らない事とか、いろいろとあった訳でしょう、でも、全然変わりなくて…、そして、私にも変わりなく接してくれて、安心したの」
「ばかだなぁ、僕たちは春川第一高校の放送部員だろ、仲間じゃないか、そんなこと当たり前だろう。
まあ、ここまでくれば腐れ縁とも言うけどさ、でも、きっと、死ぬまで僕たちはこの仲間を大切にするよ、この先、何があってもね」
「うん…」
サンヒョクはユジンのホッとしたような笑みを見て、テーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。
実際、ジヒョンがいなければ、3年の歳月の長さが感じられないほど、皆を取り囲む空気は軽く、それはどちらかというと高校生の時のノリに近かったと思う。
些細な事が可笑しくて、バカを言いながら笑い合う。
そんな穏やかな再会が、サンヒョクには何より嬉しかった。
が、一方ユジンは笑顔こそ見せたが、内心はサンヒョクの次の言葉に怯えていた。
ここから逃げ出したい衝動が、身体の中で湧き上がる。
それを押さえながら椅子に座っていると、背中がジンジンと痺れた。
サンヒョクの持つコーヒーカップの立ち上がる湯気の向こう、そこから、いつ彼の名前が出るのか?
その時を、ユジンはもう待ちきれない思いだった。
「ねぇ、サンヒョク、電話で話があるって言ったでしょ…」
「あ、うん」
「でも、私、今日はこのまま帰りたいの、ポラリスにも寄りたいし、だから、また別の時にしてくれる?」
「ちょっと、待てよユジン」
サンヒョクは、立ち上がりかけたユジンに目を向けると、飲んでいたコーヒーをゆっくりとテーブルに戻した。
「このまま帰るつもり?何を慌ててるの?」
「慌ててなんかないわ…」
「慌ててるさ、そうだろう、3年ぶりの再会だ、話したいこともいっぱいある。なのに、君はそんなことお構いなしに、そうやって立ち上がってる。
僕の話だけど、君は薄々内容を分かっているんだろう?だから帰ろうとしたんじゃないのか?聞きたくないから。手紙でも、君は先を知ろうとしなかったし」
「…」
「ともかく座れよ、コーヒーが冷める」
その声で、ユジンはため息を飲み込むようにしながら、浮き上がった腰を元に戻した。
そう、ユジンだって、逃げることが最善だとは思ってはいない。
でも面と向かう気力は、この3年間無くしたままなのだ。
それに、今更知っても、自分の気持ちがこんなままでは、それをどうすればいいのかさえも分からない。
自分の優柔不断さがこんなに時には酷く悲しく思えた。
それでも、ここはちゃんと話さなければ…。
ユジンは覚悟を決めてサンヒョクを見据えると、やっと重い口を開いた。
「そうよ、サンヒョク、今は聞きたくないの。だから、それでいいじゃない、私がそうして欲しいんだから…」
「そうやって逃げてどうするんだ、ユジン。このままでいいのか?」
「いいのよ…」
「ジュンサンの…」
「止めてよ、サンヒョク!」
「ユジン…」
ユジンのこの拒否反応をサンヒョクは、理解出来なかった。
何故?が頭を渦巻く中、それでもサンヒョクはユジンの顔を探りながら、言葉を選んだ。
「ユジン…、じゃあこれならどう?僕の話したいことは兄さんの事だ。とにかく僕の話を聞いてくれないか…」
「サンヒョク…、私にとっては、どちらも変わらない。今日は、みんなに会った、この楽しい気持ちのまま帰りたいの」
「どうしてもか?」
「サンヒョク、私達は別れたのよ。ジュンサンは私を置いて米国に行き、私は彼を追いかけることもなくフランスに行った。
もう、それでなにもかもが終わったの。だから、その後の彼の事を知っても何にもならないわ。それでいいじゃない」
「それが本当ならね」
「それ以外のどこに本当があるの?」
「君の心の中さ、口から出る言葉じゃなく。
どうしてこの3年、君はそのスタンスを崩さないんだ?本心を言えよ。兄さんの今を知りたい、そう思ってるだろう?」
「あなたこそ、どうして兄さんって言葉がそう容易く出るのよ?それが本心じゃないでしょう?」
「ユジン!」
ユジンはサンヒョクの語気の強さに、ハッとすると、流れていく感情が、どこを刺激しているのか分からないまま涙を浮かべた。
そんなユジンを見てサンヒョクは優しい口調で話し出す。
「僕の家は、真実が分かって、確かに滅茶滅茶になった。
母さんはあんな気性だから、結婚前の話だと聞いても、父さんをなかなか許そうとしなかったし、僕は僕で、ジュンサンの身ばかり案ずる父さんが理解出来なかった。
でも、僕はそれがジュンサンへの嫉妬であり、僕の父さんへの愛情の裏返しだと思ったら、それでも父さんを許せたよ。
それにジュンサンは、明日をも知れない身だったのに、僕の気持ちを汲み取って、君に話をしてくれた。
その気持ちが何だったか、僕は知ってる。
今、僕がジュンサンに抱いてる気持ちと一緒だからだ、あの時は分からなかったけどね。
それに、一人っ子だと思っていたのに、兄弟が出来たんだ…、それを兄さんと呼ばない手はないだろう…
ユジン、僕はジュンサンに会って、兄さんと呼びたいんだ。
君はジュンサンに会いたくないのか?彼は米国で生きているんだよ」
その問いをユジンは痛みを感じながら聞いていた。
会いたくない訳がない…。
ただ、それが生み出す運命が、ユジンには怖かった。
逢えて幸せだったのは私、不幸になったのはジュンサン…、そう、生きているなら尚更、私達は、逢ってはいけない。
「サンヒョク、私達は愛し合って、愛を認め合って、愛するが故に別れたの。
だから、不幸でもなんでもないのよ、愛は成就したんだから…。
私はこれからも、自分の心に住むジュンサンがいればいい。それで十分なの。それ以上望んだら、罰が当たってしまうわ」
ユジンはそれだけ言うと立ち上がり、サンヒョクにさよならの笑顔を向けた。
その瞳には涙がまだ滲んでいる。
サンヒョクはその笑顔を見て、かける言葉を見つけられないまま、自分の横を通り過ぎるユジンを黙って見送った。
柔らかな春の日差しが降り注ぐ窓辺を歩くその後ろ姿に、チラチラと舞う雪が見える。
ユジンは見つけてくれる人がいないのを知りながら、1人雪の中を歩いていた。