動き出した星々 【1】
これは夢なのかと思う。
米国にいる貴方が、此処に、私の目の前にいるなんて、そんな筈は無いのだから…
でも…
確かに、その顔は私の知っているジュンサンで、その声は私の名前を呼んでいた。
ただ…
その目はいったい、どうしたというの?
「どなた…ですか?」って私が見えていないの?
視力を失うかもしれない…
3年前にサンヒョクが、私にこう言ったのを思い出す。
それが現実になったというの?
そんな…
米国行きも、手術も、全てが手遅れだったなんて…
嬉しさと悲しみが交差する中で、私はやっと、「ジュンサン…なの?」とだけ声を発した。
そして、自分も泣きながら、涙を溢れさせるジュンサンに、掛けるべき次の言葉を探せないでいた。
でも、今は私から手を差し伸べなくては…
「ジュンサン…」
ユジンはジュンサンにゆっくりと歩み寄ると、その腕に手を掛けた。
その触れられた瞬間、ジュンサンはハッっとした顔をしたが、それはすぐにまた涙になり、頬を伝う。
ユジンはそんなジュンサンを見て、ゆっくりと両手を彼の背中に回した。
その手にギュッと力を込める。
見えない分だけ実感の無かったジュンサンも、ユジンの匂いが身体にまとわりつくと、それはやっと現実味を帯びたようだった。
抱きしめていいんだね…
今はそれが許されるんだね…
ジュンサンはユジンの頬に自分の頬を付けると、やっとその背中に自分の両手を広げて、抱きしめた。
そして、あの最後に別れた夜にそうしたかったように、ずっとその手を離さないでいた。
「あの…、イ理事…」
躊躇いがちに掛けられたその声は、2人を夢から覚まさせる。
ジュンサンはユジンから身体を離し、声のする方向に振り向いた。
管理人を待たせていたことを、思い出したのだ。
「あぁ、管理人さん、すいません、僕、もう少し此処に居ることにします。
お客さんが来たので少し話をしたいんです。
申し訳ないですが、それが済むまで事務所で待っていて下さいませんか。後で電話しますから…」
「あ、はい、分かりました。それでは、そのようにします」
管理人も状況を察してか、すんなりとそう言うと、一礼して席を外した。
人の気配が消えると、そこはまた潮騒の直中。
海の響きが溢れる記憶を呼び起こすが、ジュンサンは意を決すると、ユジンに向き直った。
「ユジン、君がサンヒョクと幸せそうで、安心したよ…。結婚おめでとう。子供は女の子だよね?ねぇ、そうだろう?」
先ほどの湧き上がるような感情を表に出さないようにしながら、ジュンサンは努めて平静を装う。
「えっ?」
が、ユジンは何の事か分からない。
「昨日、君の家の近くまで行ったんだ。そしたら、君とサンヒョクの声がした。
小さな女の子の泣き声もね。だから隠さなくてもいい。それで良かったんだから…」
「ジュンサン…、そうだったの…」
ユジンはどこまでも自分の幸せを願っているジュンサンを見て、胸が詰まる思いだった。
それは、再び涙になって、ユジンの喉を塞いでいく。
だが、見えないジュンサンを目の前にして、今、その激情ぶつけてはいけない…
ちゃんと話をするのなら、落ち着かなければ…
「ジュンサン…、私まだ、この家の中を全部見てないのよ。だから案内して欲しいの。
海の見えるテラスがもう一つあったわよね。あそこからも海が見て見たいわ…」
わざと明るい声を出すと、ユジンは涙を拭い、ジュンサンの手を取った。
「分かった…」
その手の温もりが、ジュンサンの心に流れ込む。
それは懐かしさとか、辛さとかではなく、再び会えた喜びに満たされたものだった。
「どこも私の設計図通りだったわ。ありがとうジュンサン、こんなにステキに作ってくれて…」
テラスにもたれながら、室内に目を向けるユジンがそう呟くと、ジュンサンは頭を振り、ため息をついた。
「いや、僕は図面を引いて、それをキム次長に渡しただけだ。
内装も本職じゃないから、材質と色の指定だけして、後は全部キム次長に任せたんだ。
本当は全部自分で造り上げたかったけれど、見えない僕が余り口を出しても却って邪魔になると思ってね…」
「それは何時の事なの?」
ユジンはそう聞いてからハッっとした。
これはまだ聞いてはいけない質問だった。
彼の身体の事に関しては、時間を掛けて聞かなければならない。
「書いたのは、米国に行く前だよ…、建てるように頼んだのは一昨年の冬の初めだった」
ユジンは慌てて質問を変える。
「じゃあ、あのジグソーパズルもキム次長が?」
「そうだよ、僕へのプレゼントだって…。でも、ユジン、君はどうして此処に来られたんだ?誰かに聞いたのか?」
「ううん、ジョンアさんが雑誌に載っていたのを見つけたの。盗作じゃないかって?」
「盗作?」
「そうよ、で、やっぱり、りっぱな盗作だった」
ユジンはそう言うと、ジュンサンの苦笑いを誘い、そして笑った。
「誰にだって間違いはあるわ…」
ユジンはひとしきり笑うと、夕焼けに染まった海を見つめながら話し出した。
「でも、真実を知れば、それは盗作でも、間違いでもなく、美しい話になるの…」
そんなユジンの言葉をジュンサンは不思議そうに聞いている。
「カン・ジュンサン、私達は巡り会う運命なの。知ってた?」
ユジンはジュンサンの顔をのぞき込む。
たとえ見えていなくても、そうしたかった。
「私ね、本当は2度と貴方に会えないと思ってた。別れた時、そう約束したし…。
何より私と巡り会ってから、貴方は不幸の連続で、会う資格さえ無いと思ってたの。
でも、こうしてまた巡り会えて、私は考えを変えたわ。
別れても、別れても、貴方に会うのが運命なら、それはもう宿命よね。
だから、私達、離れてる意味がないのよ。
第一ね、貴方は早とちりしすぎよ。
私がいつ貴方以外の誰かと結婚したの?
あれはヨングクとジンスクの子供よ。
私とサンヒョクで、買い物中の2人に代わって子守りしていたの。ただ、それだけよ…」
「えっ!じゃあ…」
「私がこんな歳まで独身なのは、誰のせいだと思っているの?」
「ユジン…」
「私が愛せるのは貴方だけだって、知ってるじゃない…、知らないなんて言わせないわよ、ねぇ、ジュンサン、そうでしょう」
「…ユジン…、でも…」
その先の言葉を、ユジンは掌で遮った。
ヒンヤリとしたジュンサンの唇がその掌に当たる。
ジュンサンにも、その手を通して、見えない瞳の中にユジンが見えていた。
高校生の時の愛らしいユジンとも、大人になってキビキビと働いていたユジンとも違う、だた1人の女性であるユジンが…。
夕暮れの中、2人は過ぎていく時を惜しむように、もう一度抱きしめ合った。
話さなければならないことが、沢山あるのは分かっている。
これで良いのかも分からない。
でも、誤解が解けた今、言葉よりもっと大切な、3年もの間ずっと抜け落ちていた欠片を埋めたい…。
ジュンサンはユジンの顔に指を滑らせ、その唇を探し出すと、印を付けた。
そして、静かにその印に自分の唇を重ねた。
すると、それは美しいシルエットになって、ずっと前からその場所にあったような、一枚の完成された絵になっていた。