約束 《1》
「すいません僕の方が呼び出したのに、すっかり遅くなってしまって・・」
佐伯は龍の横に座ると、気を利かせたバ−テンダ−の差し出した水を飲み干した。
「ありがとう。僕にはアルコ−ルの強くないカクテルでも作ってもらおうかな・・」
佐伯はそう言うと一呼吸おいてから、龍の隣に座った。
「まだこれからお仕事ですか?」
「いや、今日はもう終わりです。でもあんまり飲んで、話が出来なくなったら困りますから・・」
「飲まなきゃ話せないような話じゃないんですか?」
龍のいい方に佐伯は苦笑した。
佐伯の飲み物が運ばれて来ると、龍はグラスを持ち上げて佐伯と目を合わせた。
二人は乾杯こそしなかったが、同じ呼吸でグラスの中の液体を喉に流し入れた。
「この間は残念でした。楽しい夜になるはずだったのにあんな事になってしまって・・」
龍はグラスを置くと佐伯の方を向かずに喋り始めた。
「真代さん達はどうです?病院の方には行きましたか?」
「ええ、二人とも来ました。お姉さんの方は順調です。妹さんはこれからですね・・、でもどうしてこう不幸が重なるんでしょう・・」
「試練に耐えられるから・・、きっとそう思う誰かが与えているんですよ」
「誰かって?誰です。試練に耐えられる?・・人間そう強いものじゃありません」
佐伯の淡々とした答えに龍は語気を強めた。
「では運命って言葉で言えば納得がいきますか?」
「・・・」
「起こってしまったことはもう取り消す事は出来ません。嘆き悲しんでもいつかは前を向いて歩かなければならない。試練と受け止めるか運命と受け止めるかは自由ですが、僕は真代さん達には試練と受け止めてもらいたい」
「どうしてそんなに強さを求めるんです」
「生きて欲しいからです」
龍は佐伯のその言葉の中に佐伯の真剣な想いを感じ取っていた。
そして自分も気持ちをクッと引き締めた。
「実はもうあと一週間ほどで僕は日本を離れます」
佐伯がそう切り出すと龍は驚いた顔をした。
「ニュ−ヨ−クの領事館に行くことにが決まったんです」
「そう・・ですか」
「今行けば、次に日本に戻るのはクリスマス休暇になるでしょう・・。ところで真代さんの出産予定日はいつですか?」
「11月の終わり頃だと聞いてますが、初産ですし、だいぶ発育が遅れているようですから、もう少し遅れるとは思いますが・・」
「じゃあ戻る頃には赤ちゃんの顔が見れますね・・・」
「でも・・」
「でも?何です?」
「それは真代さんの体が持てばの話です」
「それはどういう意味です」
「これから渡米するあなたにこんな事言ってはどうかとは思いますが、真代さんは本当は出産に絶えられるような体じゃないんです」
「それは・・それは最初から分かっていたんですか?」
「分かってました」
「分かってて産むつもりなんですか?」
「それが彼女の意志です」
「諦めさせることは・・」
「石橋先生が・・したそうですが、本人の意志が強くてダメだったそうです」
「・・・」
「でも僕はそのつもりじゃありません。全然そのつもりじゃありません」
「僕が必ず助けてみせます。赤ちゃんには母親は必要です。そして真代さんは母親になるべくして生まれた人です。僕は彼女の母親としての姿を見たていきたい。彼女の中に自分の母親を重ね合わせて行きたい・・」
佐伯は龍の言葉を黙って聞いていた。
今日龍に会いに来たのは側にいられない自分の分も理得の事に心を配って欲しいと頼みたかったからだが、まさかその理得の体が万全じゃないなんて思ってもみなかった事だった。
「試練なら僕が迎え撃ちます。運命には負けない・・」
「医者のあなたが羨ましいです。僕は何の力にもなれない・・」
「僕は医者として全力を尽くすだけですよ・・当たり前のことです。この事で優位に立てるわけでも何でもありません、代えってその件では僕は望みがない」
「望みがない?」
「実は来年早々結婚するんです。親が決めたことですし、養子の僕にはどうすることも出来ない」
「そうですか・・」
「僕たちは変ですよ・・。当の真代さんはただ一人の男を愛してるって言うのに・・・」
龍の言葉に佐伯はフッと微笑んだ。
そうかもしれない・・お節介にも程がある。
でも二人とも心配せずにはいられない、そんな彼女を失いたくないから・・。
「じゃあ、真代さんの事お願いします」
「出来る限りのことはします」
龍は佐伯が差し出した手を握ると精一杯そう答えた。
二人の姿を少し離れた所で哀しそうに見つめる瞳。
その瞳には未来が見えていた。
今は繋がれていないこの手にやがて白い手が重なる。
これは俺と理得の宿命、誰にも変えられない。
瞳の主は静かに席を立ちながら哀しい想いだけをテ−ブルに残していった。