約束 《2》
最近慣れてきたので、週の半ばでも時々こうして龍のマンションを訪れては、家の中の事をする。
エプロンをつけて、窓をあけ、掃除機をかけて、洗濯機を回す。
自然と鼻歌が出てしまうくらいの幸せ。
本当の結婚式は来年早々だと両親と言う人から聞いたけど、どうも信じられない。
籍が入ってない今だって、私が龍の奥さんであることに代わりがないのに・・。
夜になっても龍は帰って来ない。
まあ、私が勝手に来て、勝手に待ってるだけだから文句は言えないけど。
ただ、夜になると1人はやはり怖い。
玄関の鍵は3回も確かめに行ったし、窓の鍵という鍵は全部閉めたけど、心の中にある不安は収まらないばかりか、後から後から増えてくる。
自分でもこの不安が本当は怖さの為じゃないことぐらいは知っている。
でもそれを認めたくないから鍵を確かめずにはいられない。
テ−ブルに座って手首の傷を指先でなぞりながら考える時もある。
この傷がいつ何の為に出来たのか、思いだそうとしても頭の中が真っ白になるだけで何も浮かんでは来ないけど、こんな所の傷が簡単に出来るはずもなく、きっと誰かがつけたのだ。
誰かって誰?
龍?私?それとも他の人?
いろいろな場面を考えても1つとしていい場面を思い描く事が出来ず、もやもやとした気持ちだけが残って、記憶のなさが私を苦しめる。
龍は何度尋ねても教えてはくれないし・・。
私は知らなければならない事が本当は沢山あるんじゃないかしら。
龍が帰って来た。
玄関で迎えた時にお酒の匂いがした。
龍は私の存在に驚くこともなく、いつものように優しく微笑んで「ただいま」と言う。
「外で飲むなんて珍しいのね・・」
「うん、ちょっと送別会してたんだ・・」
「病院の人?」
「いや、違う」
「お友だち?」
「まあ、そんなところかな・・」
「いいお酒だったの・・」
「なんで?」
「龍の機嫌がいいからよ・・」
「そうか?」
「そうよ」
『私といるときもそうしていて・・』
私は内心そう思っていた。
龍は優しいし、私の事をとても気遣ってくれる。
それはとても嬉しいけど、何かが違う気がするのどうしてだろう。
本当の夫婦になっていないからだろうか・・。
そう、私たちは1つのベットで眠るだけで、体を求め合ったりはしない関係が続いている。
キスも額だけで、唇にはしてくれない。
余りにも淡泊な龍に痺れを切らした私は一度ベットの中で迫った事があった。
「どうして私に触れようとしないの・・」
「それは、・・まだ正式に結婚した訳じゃないから・・」
「結婚しなくてもセックスするカップルは沢山いるわ・・」
「楓はずっと妹だったからね、僕にも時間が必要なんだ・・」
「私を嫌いな訳じゃないのね・・」
「そうじゃないよ」
龍は「そうじゃない」と言ったけど、でもそれは「好き」でもないような気がする。
こうして一緒に暮らして、結婚も決まっているのに、私はまだ『妹』から抜け出していないのだから・・。
「じゃあ、約束して・・」
「正式に結婚したら毎日愛してくれるって・・」
「毎日?」
「そう、毎日キスして・・」
私は無理矢理、龍との約束を取り付けた。
そうすることでしか自分を保てない。
結婚式が待ちどうしい、その日私は妹から女になる。