約束 《4》


荷物の支度は出来た。
後は明日の飛行機に乗るだけ。
でも心はとても飛び立てる状況ではなかった。
携帯を握りしめて、ベランダから外の景色を見渡す。
なかなか定まらない心・・。
どの位たっただろう、佐伯はゆっくりとボタンを押した。

「風が冷たくはないですか?」
「いいえ、大丈夫です。それより・・」
理得は佐伯の横に座ってクスッと笑った。
「何ですか?」
佐伯が不思議そうに尋ねる。
「だって佐伯さんの運転すごく慎重で、あんなにゆっくり走らなくたっていいのに・・・」
「それは妊婦であるあなたに何かあったら困ると思って・・」
「でも・・、止まれで左右3回も確認しなくても・・後ろの車がクラクション鳴らしたの知ってます?」
「知ってます」
クスクス笑う理得を横目に佐伯は素っ気なく言い返した。

「気遣ってくれてありがとうございます」
理得は口元を抑えながら佐伯の方を向いた。
「佐伯さんの気持ち嬉しいです」
その言葉を聞いてやっと佐伯の顔も笑顔になった。

「もう明日なんですね」
「今日は無理言ってすいませんでした。どうしても会って直接お話したいことがあって・・」
「私も佐伯さんとしばらくお会い出来なくなると寂しいですから、今日お会いできて良かったです」

夏が過ぎた海は人影もまばらで、波の音が心地いい。
砂浜で時々上がる子供達の笑い声が、ここに2人きりだという思いをうち消すかのように響く。

隣に座る理得は顔色も良く龍が言うような重病だとは思えないが、それでも自分はこの先何ヶ月も理得を見る事が無いわけだから、安心してはいけない。
もしも、もしも自分がいない間に理得が死んでしまったら・・。
龍に話を聞いてからフッと頭に浮かぶこのフレ−ズを佐伯は何度もうち消した。
そうしなければ何も手に着かなくなる自分がいる。

「お話って何ですか?」
理得が無邪気な顔で尋ねる。
「もう一度僕に会って下さい」
「えっ?」
「僕はクリスマスの頃に休暇で戻ります、その時にまた会って下さい」
佐伯の真剣な眼差しに理得は何かを感じたようだった。
「きっとその頃は寒くてこの場所では会えないですね、風邪ひいちゃいます。でも、私の家でだったらお会い出来ると思います」
「赤ちゃんにも会いたいですし・・」
「じゃやっぱり家でなきゃ・・」
理得は冗談を言いって笑いながら佐伯を見た。
「約束ですよ」
佐伯は真剣な表情のままだ。

『出来るなら私も会いたいです、佐伯さん、出来るなら・・』

理得は笑顔のまま、佐伯の差し出した小指に指を絡めた。
「少し子供っぽいですね・・」
佐伯はすんなりと指を絡めた理得に戸惑ったまま、理得を見つめている。
『僕たちの間にはいつもユ−リ・マロエフがいる、それは彼が死んだ今でも変わらない、きっと永遠に・・、それでもいいんだ、僕は何も望むまい、あなたの存在だけでいい』

「さあ、そろそろ車に戻りましょうか」
佐伯に促されて立ち上がった理得は車のある方向に歩き出した。
その佐伯の目の前で急に理得の体がバランスを崩してよろめいた。
「危ない!」
理得をとっさに抱きかかえる佐伯。
「気をつけなきゃダメじゃないですか!」
そう言った佐伯を見上げた理得の瞳が一瞬潤んだのを見て、佐伯は腕に力を込めた。

「あなたはもう自分一人の体じゃないんだから・・・」
静かに体を離したその手を理得が握った。
「足元が見えなくて危なっかしいから、佐伯さん引っ張ってって下さい」
「分かりました、護衛しますね」
「そうだ、今度は赤色灯回してゆっくり走りましょうか・・、それならクラクション鳴らされないでしょ」
「佐伯さん、それは止めて下さい」
「やっぱり」
2人の笑い声が波間に聞こえる。
佐伯の目に映った理得は最後まで笑顔のままだった。

佐伯は翌日ニュ−ヨ−クへ旅だった。
理得との再会を胸に秘めたまま・・。