私の毒舌日記・8号ということで、オピノオンリーダーとしての新たなる旅立ち 目指せ、読者100万人) 頑張れ富士市ペーパーズ

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9/5(木) 40000ヒットの記念企画に関して(その2)

ということで、要するに皆で某F高のニックネームとマスコットキャラクターを考えようということだ。形としては、
@読者からメールもしくは掲示板で某F高○○を募集する
Aそのニックネームを逐次公開し、応援投票を行う
Bやはり、この後の最終決定は、生徒会長にしてもらう!!!!!!!

の順番で行おうと思っています。
その後、
Cネット上でそのネックネームにふさわしいマスコットキャラクターを募集する。
Dそのキャラクターを公開し、応援投票を行う。
E何だかんだで某F高にふさわしいマスコットキャラクターが決まるでしょう。

その後、
F 運動部のTシャツを作成する。
Gユニフォームの袖には必ず、○○のロゴを入れる。
H玄関にマスコットキャラクターの肖像を作る。
I着ぐるみ人形を製作し、国体など各種イベントに参加する。
J某F高のすべての出版物に印刷される。

そして、最終的には、

K ○○ブランドとして商品化を計る。
L 某銀行の定期預金とタイアップ企画を出す。
  それは、「大学合格者数連動型定期預金」だ!!!!!!、現役国立大学合格者数×100分の1で利子をつけましょうではないか。今でも2.35パーセントになりますよ

 
Lは、ほとんど冗談。@からKは真剣(マジ)です。

9/4(水) 40000ヒットの記念企画に関して

実は、「某F高教育改革21」という組織がある。職員を地元の有識者や有力OBなどで構成されている。そこで、
某F高のSI(スクールアイデティティ)なるものが決められた。大々的に発表もされた。しかし、誰も覚えていない。それがSIなわけ?
SI(スクールアイデンティティ)とは、内部の人間から見ても、外部の人間から見ても共有できる「個性」でしょう。
共有できることが大切です。
例えば、早稲田・・・都の西北&えんじのジャージ 慶応・・・・・おぼっちゃん、陸の王者、タイガー軍団 日大・・・・桜&フェニックスなどなど
やはり、某F高にも共有すべきイメージが必要です。
ニューヨークヤンキース 、シアトルマリナーズ、 大阪はタイガースや、広島は赤ヘルじゃけん。というふうに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みんなで、某F高○○○ズを考えましょう。
例、某F高ガーパイクス&某F高ロケッツなど・・・・・・・

さて、続く

 
9/3(火) 田中康夫再当選
ということで、2学期も始まり、突然忙しくなった。今後はなかなか、長々とは更新できそうもない。気になったことだけ端的に書くことにする。
今日は表題通り田中氏の再選話。
このサイトから行く事の出来る日垣さんは長野県出身・長野県在住である。彼のルポに「長野県選挙前夜」というのがある。ここに田中康夫の1回目の出馬について詳しく書かれている。だいたい田中康夫は自分が知事になりたくて立候補したのではない。良識ある長野の人々(決して単純な市民運動家ではない)がオリンピック景気に乗っかり、箱物と道路の土建行政ばかりだった当時の知事に変わりを必死になって探した結果が田中康夫であるのだ。田中康夫は、エロ(失礼)作家でありながら神戸大震災のときボランティアとして活躍していた。この田中康夫は少年期に少しだけ長野の高校に在籍した事がある。この「少しだけ在籍した事がある」ことだけを頼りに田中氏を口説いたのだ。
この経緯を知っていれば、今度の選挙も「県議会VS田中知事」ではなく「県議会(土建屋の集まり)VS県民」の図式であらわされるもので、土建屋に関する抵抗勢力はかなり根強いことがわかる。簡単にいうと一般の国民は「もうダムや道路や箱物をつくっただけの政治は飽きた。」のだ。そして、田中康夫の手法で一番評価すべきは、1回目の知事就任にあたって県議会との妥協(何でも反対しますよという脅迫を恐れて取り引きする事)しなかったことだ。ここで妥協すると、たとえどんな立派なでも、静岡県知事のようになる。
8/30(金) 長尾さんのこと

<民主党>大阪14区で新人の長尾敬氏擁立 次期衆院選

 
民主党は29日の常任幹事会で、次期衆院選大阪14区で新人の長尾敬氏(39)の擁立を決めた。これにより、同党の衆院選公認候補は191人になった。(毎日新聞)
[8月30日0時31分更新]

 これは、本日のヤフーからの貼り付けである。僕は公立高校教諭であるから、政治活動はできない。僕に出来るのは、友人である長尾さんを紹介することだけだ。
 いま、友人という言葉を使ったが、まったく不思議な縁である。みなさんは友人を分類したことがあるかね?僕の場合、@かるた関係の先輩後輩A仕事上の仲の良い同僚(過去の職場を含む)B出身大学・高校の仲間、以外は存在しなかった。つまり、わりと友達が少ないってことだ。
しかし、ここにインターネットなるものが出現し、新しい出会いが始まった。だいたい「インターネット&出会い」なる言葉から思い浮かぶのかどうみてもいやらしい場面しかないだろう。99%は危険な香りのするアブナイ話になる。でも、この世の中には、それ以外の「出会い」もあるのだ。告白する。
 思い起こせば、昨年の10月頃(だと思う)。某F高の社会科主任のK先生から声をかけられた。「今度、県教育委員会の指導主事が僕と同期採用の先生を引き連れて、某F高に授業見学に来るのだけれど、先生の授業を見せるってことでいい?」と、相談というより半ば哀願された。「しかたがない」というところで引きうけたが、元来目立つことは嫌いではない。せっかく先生方が見るのだから「あっ」と驚く授業をみせてあげましょうと決意した。
 まず、授業の単元を決めなければならない。このような研究授業の場合、教育委員会にあらかじめ授業案を提出することになっているのだ。僕は自分の勉強の意味も含めて「国際関係・日米貿易摩擦」の分野を選んだ。そして、こそこそ勉強した。この「研究授業」なるものの捉え方は本当に人それぞれである。まずは、普段の授業を見ていただいて批評をうけようというタイプ。先生の一斉講義形式にとらわれず生徒の動きをダイナミックにして活動的な授業にしようとするタイプ。理解のしやすさを追求して研究するタイプ。僕は、どちらかというと「ある事象の捉え方に新解釈をつけるタイプ」である。つまり、見ている皆様(生徒を含む)の固定観念をひっくりかえして印象付けさせようとするタイプだ。
そこで、どうやったら新解釈的授業ができるかをずっと研究し、最終的に「プラザ合意」を軸に日米関係を考えてみようということにした。そこで、ヤフーの検索エンジンで「プラザ合意」やら「日米貿易摩擦」やらをキーワードに検索しまくった。。もちろんデータ等は官公庁のHPで取り寄せた。しかし、官公庁の発する文章や、大学の講義録に書かれていた文などを読んでもどうも理解できない。あのような文章からすぐ真実を理解してしまう人こそ秀才と言うのだろうと変な敬意をはらいながらも何かもやもやした気分であった。そんな時に検索に引っかかったのが長尾氏のHP「グローバルネット」である。やけに濃い文を書く人だなと最初の印象をもったのだが、このことをすべてパクってしまえば絶対面白い授業ができるとピンときた。言葉に力があったのだと思う(最終的にはすべてに力のある人であることが判明する)。是非みなさんも検索エンジンで遊んでみて欲しい。例えば「アフガンの真実」なんて言葉で検索すると1ページ目に僕のサイトがでてくるぞ。
 そして、このグローバルネットの主催者の長尾さんには正直なメールを出した。「実のところ、僕は高校教師です。今回、プラザ合意に関して研究授業をやることになり、長尾さんの文章を大いに参考にさせてもらいます」と。するとご丁寧な返信がありその中で自分も教育実習の研究授業で悲惨なめにあったことなどが書かれてあった。
 とりあへず、研究授業は無事終了した。そして僕はこのグローバルネットを「お気に入りに追加」し毎日見るようになる。しかも自分のHPにリンクまでいれてしまった。現在、MYホームページの超お勧めサイトのページには4件のリンクを貼りつけてある。副島隆彦先生、長尾氏、日垣隆先生、玉木正之先生 の4人であるが、現在のところこの4人を先生と呼ぶ。(副島先生の言葉の中に「私は先生を自分で選ぶ」というのがありそれに従っている)
 その後、何度かメールのやりとりがあり、長尾氏のサイトのコラムでも「T教師」として取り上げていただいた。また、このグローバルネットのメーリングリストにも参加した。 
 このメーリングリストに参加したことが、また一つの転機となるのである。実はこのメーリングリストも僕と同じようにネットで知り合った長尾氏を中心と憂国の志の集まりであった。したがって、職業も多種多彩であり、思想的にも左翼から右翼までいる。遠く広島や愛媛にも仲間が居るらしい(本当に一番遠いのはインドネシアだそうだ)。この憂国の志達は時々集まっては酒を酌み交わしているらしいことも判明した。このような集まりのことをオフ会というのだそうだ。これも初めて知った。そして、このメーリングリスト仲間の誰かの発案で史上初の「言論合宿」をやろうということに相成った。史上初と言ったが、今から140年前には頻繁にあった(何のことだかわかる?)。しかし、あと140年後には本当に史上初になるかもしれない。
 さて、その合宿先がなんと大泉村というではないか!!!。憂国の志の幹事長K氏の関係の別荘で行うというではありませんか。なんだ大泉村ならば昔、何回もデートでいったことがある。(本当は2回、すべて今の奥さん)割りと近いではないか。ならば行って見よう。
 そして、このフルベッキ言論合宿(この意味は調べて)に遅刻して現れた長尾氏は「民主党の大阪14区の公認候補として内定した」という信じられない発表をする。実はこの時に初対面である。
 だいたい、一介のサラリーマンが仕事以外にこんな活動をしていることにびっくりした!!!!(長尾氏はやり手の生命保険のセールスマンだった)。その職を辞めてまで政治活動をすることにもびっくりした!!!!!(公務員こそが、終身雇用制にしがみついている度第一位である)選挙権の行使ではなく被選挙権の行使を生で見た瞬間だ。

 この長尾氏とご存知副島隆彦先生がネット上で対決したことがある。(この合宿の前だ)僕のHPのリンク先の隣同士であり僕は毎朝お2人のHPを見てから学校に行くのを日課にしていた。なんと副島先生のコラムの見だしに「長尾敬なる人物」とあるではないか!!!!。なぜだ、
 ようするに長尾氏の文章のなかに副島先生の盗作部分があったのである。そして、僕はすぐにメールをうった。相当な量のメールが来たらしい。長尾氏は即座に謝罪メールをだし、謝罪文をネット上にアップした。逆に副島先生は長尾氏の筆力を評価したみたいだ。
 長尾氏は立候補が内定したことを副島先生に報告した。副島先生はたいそうお喜びになられて長尾氏を食事に誘われた(なんか昔話の偉人伝みたいな記述になってしまった)。この食事会が8/27のことである。長尾氏は僕が副島先生の本を良く読んでいることに気を使ってくれて、この食事会に誘っていただいたのだ。その後は加藤氏のマンションで寝かせてもらった(加藤氏に関しても2回しかあったことがない。それなのに加藤氏の2箇所の住居に宿泊した事になる。不思議な縁だ)

さて、この話、今後どうなることだろう。長尾氏は大阪14区に引っ越した。インターネットのサイトは選挙用の公式サイトになるらしい。応援しようにも何も出来ない。せいぜいアジの干物でも差し入れするくらいだ(必ず送ります。)
 今後の長尾氏の動きは報告されるかもしれないので、差し障りのない話は皆様にできるだろう。

実に不思議な縁だ(長尾氏の口癖)

8/29(木) 高校野球を斬る。第4話(完)

ところで、高校野球の最初と最後に両チームがホームプレート前に整列して挨拶をするというルール(規則?習慣?)は誰が創り出したがご存知か?
これも、下に紹介した玉木先生の記事で理解できる。大阪朝日新聞社である。
 甲子園大会が出来るまで、新聞社達はこぞって、「野球害悪論」を展開していた。要するに近頃の学生は野球ばかりに夢中になり勉強を何もしないという理論だ。歳をとった大人達が自分の若い頃を棚に上げてその時の子供達が全く勉強しないのを嘆くのは古今東西どこでも変わらない。単に勉強の分野が変わったことに気づいていないだけである。

 ところが、この朝日新聞が大転回を敢行し、この日本人が熱中する(している)野球なるものを自分の会社の利益に使おうと考えたのだ。急旋回である。そして、野球にどんどん教育的な考え方が導入される。最初の2列になって挨拶をする儀式などもそうである。この朝日新聞社の判断は、会社的には正しかった。高校野球は朝日新聞とその朝日新聞の教育の為の高校野球というキャンペーンとともに大発展をとげた。したがって、甲子園大会の原点は朝日新聞の紙面を飾ることなのである。決して高校野球の原点がスポーツであるとはいえない。
 スポーツとは「する」側も「見る」側も魂を解放し、、自分の肉体を非日常世界に置くことである。

さて、高校野球の原点を新聞の紙面を飾ることと解釈すれば、なぜ、リーグ戦ではなくトーナメントで争そうのか?なぜ、甲子園1箇所でしか開催しないのか?など、よく理解できる。

 そして、この高校野球に学校宣伝の価値を重ねてきたのが「高校野球の名門校」である。中学生を売買し、大学野球とのコネをつけ、プロの干渉を拒み、無駄なアマチュアイズムを謳って清純さを演出した。したがって、甲子園大会が終われば野球部員の使命は終わる。もし、将来有望な選手が3年の夏から卒業まで、本当にキチンとトレーニングしていたら、その選手の生涯は全く違うものになっていくだろう。高校生がドラフトされてプロ野球に入り春のキャンプですぐ故障し、その後使いものにならなくて捨てられるケースは枚挙に暇がない。

 また、この朝日新聞人気に対抗してできたのが、読売新聞を中心とするプロ野球機構である。もちろんプロ野球の新聞社の部数拡張の為に使われた。新聞社以外にプロ野球チームを持った会社を分類すれば、今度はプロ野球の原点がわかる。実は、プロ野球を所有する親会社の変遷をたどれば、日本の近代史の一部が理解できるのである。

 プロ野球の親会社は大きく4つに分類できる。まずはメディア系。読売・中日・産経(現ヤクルト)毎日(現ロッテ)である。別にメディアが球団を所有したところですべてうまくいくとは限らないのだ。この系統は今のテレビ中継を見れば大体わかる。次に鉄道系、阪神・西部・近鉄・阪急・南海・西鉄・東急、これら企業はプロ野球&路線拡張&球場及びアミューズメント&土地開発というミックス政策を打ち出してきた。観客動員よりも鉄道のお客の方が大切な人々だ。ところが、総路線距離の一番短い阪神が一番観客で設けているは面白い。そして、エンターテイメント系の映画会社、松竹・大映。これらは自分の主要産業つまり映画が衰退するにつれて球団経営から足を洗った(経営できなくなった)そして最後が今はやりの食品小売系である。ヤクルト・ダイエー・日本ハム・そして昔の大洋。ダイエーと日本ハムが今危ないのも、歴史の運命かも。食品小売はイメージ戦略の代表だ。
 ということは、日本の野球事情というのは、新聞社をはじめとする企業の戦略によって成り立ってきたのである。本当に大雑把に言えば、読売VS朝日の新聞競争だ。

 その中で、プロ野球連盟は独占的閉鎖社会を作り上げた。ヨーロッパ中世のギルドに近い。そして、たった一つの勘違いからますますおかしな方向に進んでいく。そのたった一つの勘違いとは、野球帽である。当時も人気抜群のNEW YORK YANKEES(ニューヨークヤンキース)の帽子にHYのアルファベットが組合されたロゴが刺繍されている。これはもちろんNEWとYORKの頭文字を組合せたもので、ヤンキースがニューヨークっ子の代表であるという意味なのだが、当時の東京ジャイアンツはこれをNEWとYANKEESの組合せだと理解してしまった、あの野球帽こそ、プロ野球が市民の象徴であり、思うように自分がスポーツを楽しめない都市の住民がせめて「見て楽しみたい」との思いを具体化しているものであるのに・・・・・・・・・、何と巨人はYG(よみうりジャイアンツ)を組合せてしまったのだ。まるで男物の下着だろ。
 結局、プロ野球の団体は、親会社の宣伝機関でしかなく、市民の為のプロ野球、抑圧された都市生活者のアイデンティティを満足させるスポーツにはなり得なかった。

 さて、高校野球はどうかというと、朝日新聞社が自分の高校野球興行の為に見習ったのが大相撲の興行である。
「日本の全国から力自慢を集め、彼等にタニマチ(後援会)を与え、適当にその出身地を宣伝し(アイデンティティを満足させ)やがてスターを作り天下を取らせる」という図式を高校野球の世界に全く同じように当てはめたのだ。甲子園という本場所。都道府県代表という形式。トーナメント制(戦国時代の天下取りをゲーム化したもの)、部屋制度(広島・松山・PL・報徳・などが名門部屋、現在は智弁や明徳義塾など)
そして、この大相撲興行の形式は見事に日本人の心を捕らえた。高校野球が定着してしまったのである。

では、このプロ野球と高校野球にまんまと踊らされた我々日本人は、どうなったのか
 @野球のファンは、朝、新聞のスポーツ欄をみることから始まり、夜テレビで応援することで終わる。つまりは野球が好きなのかテレビが好きなのかわからない
 Aプロ球団とは企業の持ち物であると勘違いしている。(本当は都市生活者のものだ)
 B逆に高校野球チームを自分のものだと勘違いしている。(高校生のものだ)
 Cそして、近くに名門高校野球チームがあると、それで、その土地に住むというアイデンティティを満足させてしまう(そこの野球部員がどこの出身であろうと関係ない)
 Dつまりは、アメリカでいえばメジャーリーグの下部組織のマイナー球団(AAAをスリーAと読むなバカ、これはトリプルAだ、)などの役割を
ヨーロッパで言えば、2部や3部のサッカーチームの役割を高校野球が果たしてきたのだ。

長くなったが、これが結論。
高校野球は、高校生をだしに、大人達が、自分の住んでいるところに関しての帰属意識(アイデンティティ)を満足したいが為に創り出した見世物としてのスポーツなのだ。

これを、本音を隠したいがために、「教育的なるもの」を強制しているに過ぎない。

いち高校教師としてみても、この高校野球事情は異常である。この異常さは、住民と朝日新聞社が創り出した、単に大人を楽しませるための虚構である。

人間はスポーツを楽しみたいのだ。「見る」にしても「する」にしても。
日本を変えるためにはプロ野球と高校野球を変えなくてはいけない。プロの2軍は地方に進出せよ。それだけで日本が変わる。(完)


8/29(木) 副島隆彦先生に会う
 ということで、高校野球ネタを中断して。帰郷報告をします。
8/27(火)に東京の某場所で、副島先生とそのお弟子さん(副島先生のもとでネットサイトを運営し且つ政治を勉強している若い人々)、民主党から出馬予定の長尾さん(長尾さんのページからその時の写真が見られる)、SOHO(意味が判る?)の熊田さん、そして出版社の若い編集者(我輩も!!!!!!!!!とうとう論壇にデヴューか?)とお会いする。
 本物の副島先生に会ってしまったのだ。サインも頂いた。名刺も交換した。
僕の政治評論家としてのデヴューも近い。
じつは昨日(28日)の午前中に帰ってきたのだが、前日は自分も興奮していたらしく疲れがドッとでて、午後から寝てしまった。
では、ますます、グレードアップしたTOMMY先生を見せなければ。
ちなみに、高校野球話は、ついでに、ここの玉木正之先生の評論を読むとよっぽど意味が判る(当たり前か)
8/27(火) 高校野球を斬る。第三話

ということで、前回は何を言いたかったのかというと。潜在的に、ある程度の数だけ、スポーツを見ようとする層は、どこの地域&どの年齢層にも確実に存在している、という事実である。しかも、このスポーツを見る(する)という庶民の行為は、経済的にも博大な効果をはっきするのではないか?ということであるが、この各地域のスポーツの自立に関しては、今のところJリーグしか実験をしていない。この実験をまともにやってこなかったことはが明治以降の日本のスポーツの歴史なのである。
 ベースボールが大学のスポーツとして発展すたことは皆さん承知しているだろう。ここには、するスポーツと見るスポーツの両方の文化が存在していた。そして、大学野球を中心として一つの流れが高校野球に、もう一方がプロ野球に分派していく。この2大潮流が日本のスポーツ文化を作り出した。
8/22(木) 高校野球を斬る。第ニ話(スポーツとは何か)  

 それは、8/18に愛鷹球場にいったときのことである。夏休みの真っ最中の日曜日、暑い!、しかもグラウンドでは秋季高校野球2回戦、某F高VS修善寺工業、それほど重要な試合でもない。僕は観客など、いないだろうと思い込んでいた。観客席にいるのは学校関係者だけだろう。(このごろは目が肥えてきて、球場にくると関係者か単なるおっさんかすぐわかる)ところが違うんですね。いるのです高校野球ファンが
バックネット裏でぶつぶつ言っているおっさんがいるんです。もう仕事もリタイアして他にこれといった趣味もなく、なんとなく高校野球のある日を嗅ぎつけてはバックネット裏にやってくる高校野球おじさん達。
 しかし、このおじさん達を「高校野球のファン」として片付けていいのでしょうか?
今から1500年以上も前、ローマ帝国では、皇帝達の仕事の第一はローマ市民達に憩いの場を提供する事でした。一言でいえば「パンと見世物」なのですが、見世物と公共設備はセットです。皇帝はローマ市民のために巨大なコロシアムを建造しました。ついでに浴場を建造しました。(中世社会は禁欲第一主義のキリスト教のためこれら、見世物と浴場はすべて消える)すべては、支配者たるものが被支配者(民衆)
の人気とりのために作り出されたのです。ローマが帝政になる前は、市民の人気を得たい大金持ちの貴族は、競って自費でこのコロシアムと浴場をつくりました。一種の選挙活動です。人間は豊かな社会になればなるほど娯楽が必要なのです。
 娯楽には、2種類あります。「見る娯楽」と「する娯楽」です。両方とも生きる人間にとって不可欠なのです。ところが、この日本では、為政者が大衆のために「娯楽」を提供するという発想がほとんどありませんでした。これは日本が武士社会という、一見強固な階級支配的社会でありながらも実は町民・農民が幅を利かせている社会を長い間形成してきたので、「娯楽」は消費者社会の中から自然発生的に生まれ育ちました(見る娯楽としての歌舞伎・する娯楽としての祭りなど)。
 そして、明治になり突然、欧米の近代社会と対峙するようになり、日本には存在しない文化が濁流のごとく押し寄せました。、日本人がこの濁流に無防備なまま流されたらきっと植民地になっていたでしょう。しかし、ここで見事に押しとどまり、この外来種をひとつひとつ日本語に翻訳し、日本人にふさわしい意味をつけていきました。日本語が欧米文化の防波堤になったのです。
 この翻訳作業の結果が今日の日本を育てたのです。これを欧米第一主義者からみれば「ゆがんだ社会」と見ることも出来ますし、国粋的に見れば「これが日本だ文句あるか」になるでしょう。
 そしてこの少しだけズレた翻訳作業の例が「スポーツ」なのです。まさしく「スポーツ」とは「娯楽」という意味です。ご承知のとおり、日本人はこれを「運動」と訳してしまった。「運動」にふさわしい英語は「エクササイズ」であって「スポーツ」ではない。したがって娯楽に「見る娯楽」と「する娯楽」があるようにスポーツにも「見るスポーツ」と「するスポーツ」があるわけです。でなければ、「競馬」がスポーツなのかという問いに答えられません。「スポーツカー」とはどういう車なのかに答えられません。競馬は見る娯楽であり、スポーツカーとは運転を楽しむ車であるのです。したがって運転が楽しい車をスポーティと表すが、排気量だけで大きくて鈍重な車をスポーティとは言いません。
 スポーツを運動と訳したため、日本では体育なる「単なる学校の科目」で行うものがスポーツであるとの誤解も生まれました。
 したがって、スポーツ=娯楽=「見ても楽しめる」という発想はほとんどメジャーになりませんでした。
この盲点をついたのが朝日新聞&NHK軍団による高校野球の見世物化だったのです。
高校野球のバックネットおじさん達は、高校野球ファンではありません。スポーツをしていたのです。
 以下続く。(御楽しみに)
8/22(木) 高校野球を斬る。第一話

 ということで、夏の高校野球が全日程を終了した。しかし県レベルではご承知のように秋の高校野球地区大会が始まっている。どんどん勝ち残っていく強豪高はともかく、一般の弱小チームは一夏で2つの公式戦が終了する。もともと、高校野球の公式戦は年に3回しかない。そのうち3年生最後の公式戦が7月に終わり、新チーム最初の公式戦が8月に終わるというのは、あまりにも異常だと思わないか?
 今回の夏の高校野球は、いかにも夏の高校野球らしい明徳義塾の優勝によって幕を閉じた。明徳義塾という高校は、地元高知では全く人気がない高校で、それでも学校の宣伝のために野球部だけは強いのである。野球部は全寮制であるが大部屋で25人が一緒に寝起きしているとも聞いたことがある(これは、明らかに人権侵害だと思う)。
 現在の高校野球勢力地図は、結局、スカウトの能力にかかっている。全国からどれだけの選手を集めてくるかがポイントだ。今回、それが露骨だったのが石川県の遊なんとか高校ということなのだろう。野球で飯を食っていこうと思う中学生はバットとグローブを持って全国を行脚する。そしてセレクションをうけまくって高校を決める。関西地区の中学生で、一番上手な子は大阪に残り(PL・上宮・大阪桐蔭など)、次に四国に渡り(尽誠学園など)次に北陸や東北に足を伸ばしていた。関東地区では、横浜や帝京などを頂点にこのハイエラルキーが作り上げられている。この勢力地図を塗り替え、いい生徒を横取りしようとする新興高は様々な手段を用いる。まずは、ビックネームの監督の獲得である。
公立高で実績を上げた監督が私学に移る(常総の木内監督などがいい例)、もしくは大学野球でのコネクションが活用できる監督を引っ張ってる。(そのまま。大学を紹介してもらえるので)そして最後は露骨なスカウトなのだ、授業料免除・栄養費○万円(お小遣いの意味である)
で生徒を引きぬく。
 もちろん、これは高校野球だけにあてはまらない。サッカーもそうだ。ただし、サッカーは高校ごとプレースタイルが違うので、一流サッカー選手が自分にあった高校を選ぶ事ができる。しかも、高校を選ばずにJリーグのユースに入る選択肢もある。そして、このプレースタイルによってジュニア世代のチームを選べばよいという発想はサッカー界のトップでも容認されている。
 さて、この夏の甲子園大会であるが、常識的に全く異常な大会であることは間違いない。第一にこの炎天下で連続して試合を組む異常さ、
一つの球場ですべて行うのだから仕方がないという反論もあるが、決勝戦は一日1試合である。ではなぜ、すずしい夜にやらない!!!!!。オリンピックに野球、加えてソフトボールが加盟したことで理解しやすくなったと思うが、すべてのボールゲームが偶然性に左右されるスポーツなのであるから真に強いチームを決めるならば予選リーグを実行するべきであるのに、すべてトーナメントで決める異常さ。すべてをトーナメントで決めるので、一夏に2つの公式戦が終わってしまうのである。つまり、異常さの第一は、「実は生徒のことを第一に考えているのではない」というものだ。
 そして、次に異常なのはこのテレビ中継である。もちろん朝日新聞社とNHKは結託しているのだから、高校野球をとりまくマスコミすべてといいたいところだ。高校生にとっては、高校野球の全国大会でもその他(ここがその他というのもおかしい)の運動部で全国大会にでるのも全く同じ価値のはずだか、インターハイなどはほとんど放映されない。昔はこそこそと教育テレビで放映されていたのだがこの頃は無視されている。よほど視聴率が取れないのだろう。(その視聴率の相手が高校野球というのもおかしい)なぜ、NHKは高校野球の放映にこだわるのか?
これがNHKの地方振興策であったからなのだ。高校野球(と大相撲)は、あきらかにテレビの普及の牽引車であった。テレビのアンテナを全国各地に建設するための高校野球なのだ。したがって、高校野球の中継では伝統的に地方色を濃くしようとしている。ここまで、民放が発達した今、NHKが全試合を放映する義務はほとんどない。全試合を放映するから、高校野球が奇怪な発展をしたともいえる。高校野球が私学の宣伝につかわれるのも放映があるからであり、選手のスカウト合戦が繰り広げられるのも、放映があるからである。
余談ではあるが、大相撲の人気が凋落したことと、BSで午後いっぱい大相撲中継が放映されていることとは関連性がある。あれはなんか楽屋を見せられているようで、大相撲の祭祀性、祝祭性を無視した行為だ。
 では、そもそも、この高校野球が、学校の事情や放送局の事情で「使われる」ようになったのか?
次回で、結論を出す。


8/21(水) 教職員企業体験実習(追記)
ということで、昨日めでたく企業体験が終了した。総務課長に、我がHPで社名を公表して良いかと質問したところ、快くOKをもらったので、正々堂々と社名をだす。「日本食品加工」である。
 ちなみに、この会社の主力取引先は麒麟麦酒なので、愛用しよう。コーンスターチメーカーとしては発泡酒の方が利幅が高いそうだ、したがって早速、端麗生を1リットルいただいた。
8/19(月) 教職員企業体験実習(力作)

 ということで、学校教育の危機が叫ばれだし、その中でも教員が槍玉にあげられて久しい。社会全体からの、教員よもっと真っ当になれというメッセージなのだ。その「もっと真っ当になれ」という気持ちの中には「お前達は一般企業の切実さ、大変さを知らないだろう。つまりは非常識なのだ」という思いが必ずある。これに関しては「もっともです。私達は知りません」と答えるほかない。弁解の余地もない。でも、学校に親を送る皆さんだって、学校のことを何もしらないでしょう。たまには、学校の様子を見に来てくださいな。「学校にまかせてあります」なんて言ってくださいますな。
 とにかく教職員は一般企業のことを何も知らない。これは正しい。ので、ここ2年で静岡県の全教職員は2日間の一般企業体験実習を行うことになった。体験実習といっても正味一日だけなのでほとんどは職場見学に等しいものだ。本当の体験実習というのは半年や一年がかりでやるものである。静岡の教員の中では毎年何人かは<選ばれて>企業に派遣される。我輩の職場にもホテルに半年配属された方がいる。
 今日は、その企業体験実習に半日(なぜ、はんにちとタイプすると反日と最初にでるの?)行って来た。場所は、日本SK加工という会社。
富士市の田子浦港に隣接する大規模コンビナートだ。初日なので、工場長のお話と会社紹介ビデオ、総務課長のお話、工場見学と進んだ
。「このごろは不況で・・・・・・不況で・・・・・・」と本当に景気の悪い話であった。でも、大丈夫、この日本SK加工社がなければ私達はビールが飲めなくなっしまう。特に発泡酒はお得意様なのだ。さて、日本SK加工が作っている製品とは?
 それは、コーンスターチ。澱粉である。この会社の業界を「コーンインダストリー」という。製品のすべての原料はとうもろこしである。このとうもろこしを使って澱粉や糖類(果糖やオリゴ糖ブドウ糖)や食物油を製造している。したがってほとんどの原料はアメリカからの輸入である。このアメリカのとうもろこし産業というのはアメリカの穀物世界戦略上大変重要であることが初めて実感できた。だいたい日本人はとうもろこしというと茹でて食べるか、缶詰を開いてサラダやラーメンの上に乗せるしかしらない。だから、アメリカの巨大とうもろこし業の何であるかか理解できなかった。
 とうもろこしは工業原料なのである。ならば、石油や鉄と同じだ。重要な資源だ。昨今、アメリカのとうもろこしの遺伝子組換え製品が安全性を疑問視されている。この会社でも、輸入先をアメリカコーンベルト(本当にこのように表現していた)から、ブラジル・アルゼンチン・チャイナとシフトしつつあるようだ。しかしながら、この遺伝子組換えの危険性を問題視する人々の中には、とうもりこしをただ茹でて食べる食物と短絡的に考えている人々が多いのではないか?、僕が見た限りとうもろこしはこのインダストリーの中では跡形もなく精製されている。とうもろこしは分子レベルまで粉砕されて製品化されているのだから、まずは問題なかろう。会社でも「遺伝子組換え食品問題」は単なる風評であるとf断言しておられた。輸入も先をシフトしたのはあくまでも世論対策で、逆にコストが高くついて困るそうだ。
 では、この工業製品であるコーンスターチの最大の用途は何か?
何と、製紙原料なのである。とうもろこしの30%は製紙工場に運ばれ「糊」という用途で使われる。糊なのだ。パンフレットなど光沢を出すために使われ、ダンボールなどの接着剤として使われる。あはは、コースターチは本当に工業製品として生産されている。
とうもろこしは工業原料であり、コーンスターチは工業製品であり、製紙業の主用中間生産物である。
 その他がビールなどのに使われる酵母の発酵地となり、ジュースの甘味料となり、コーンオイルとなる。ただし、コーン油がとれるのはとうもろこしの中でも胚芽の部分だけなんだそうだ。
 この会社のプラントではだいたい一日一千トンのとうもろこしがコーンスターチに作りかえられる。この巨大プラントで働いている人は120人(直接プラントにたずさわらない人は150人)である、しかも24時間操業なので、120割る3交代制であるからある時点での従業者は40人ということになる。これぞオートメーションだ。工場といっても電子制御パネル以外で人影をみることはほとんどない。しかも、現在は、この電子制御フロアパネルの4プラントを1箇所に集中させて管理しようという計画の最中である。この涙ぐましい人員削減の努力!!!!!、これこそ現在の製造業なのだろう。
 この日本SK加工社の製品の主な卸先は、富士市の製紙工場各社。Kリンビール。Kリンビヴァレッジ。コカコーラ社。糖類の医薬品としての用途のために、各種医薬品メーカーなど。経済に詳しい人はこれですぐに「あっ、M菱グループだ」ときづくでしょう。小売用に細々とコーン油などを作ってはいるがほとんど我々にはなじみのない日本SK加工。しかし、富士市の工業の主要な地位をしめる会社なのである。しかし今、全然業績が上がらないらしい。理由は、一つ目に、円安。そうだ君達、日本のマスメヂィアはなぜか、円高を悪者扱い(時には敵視している)しているが円高になると楽になる業界もあるのだ。単に円高になると苦しむのが、マスメチィアの大スポンサーである企業(輸出がおもな協業製品業界)であるだけというのが判るだろう。二つ目が、製造業のアジア進出。つまりは包装や梱包用のダンボール需要が減るから。
そして最後に、この頃の日本人のニアーウォーター嗜好であるという。そういえば、僕もほとんど甘味料入りのいわゆるジュースってやつを飲まなくなった。諸君、あのジュースって中には砂糖そのものは入っていない。入っているのは富士市の工業製品である果糖類だけなのだ。どしどし飲もう。
 ということで、企業体験実習の一日目は様々な発見をして終了した。こんな有意義なのなら社会科や理科の教員は週に1回は外に出るべきだ。これぞ教材研究である。
 本当に先生は授業だけをしていればよいというなら、僕だってどんどん企業見学をする。絶対授業に役立つはずだ。過去に外国人労働者(特に日系ブラジル人)仕事状況の取材をするためにある大手企業の下請けプレスメーカーに一日取材をしたことがある。この取材だけで、その学校の「国際社会」という教科の教科書の一章分を記述した。しかし、許されないのだな!!!!これが、僕等教員は市役所の職員が空き時間に授業をやるようなものだからな。
 今、副島隆彦先生と山口宏氏の共著である。「法律学の正体」(洋泉社)を読んでいる。この本は社会科の先生必見の本であると断言する
。この中で、日本という国家はつくづく個人を管理したいという嗜好を持っている国なのだということが書かれている。家族法しかり、土地建物の登記の件しかり、源泉徴収しかり・・・・・・・・。結局、教育もそうなのだ。「教育をすべてを学校という機関で一元管理しよう」という思想なのだ。したがって、僕達教員には膨大な管理業務が生じる。この管理業務に忙殺されて外が見えなくなったと言っても過言ではない。だいたい子供達の旅行まで管理業務にしようというのだから・・・・・・(僕は修学旅行がなくなれば教育は変わると思う)
 ということで夏休みの有意義な一日でした。今日の毒舌はほとんど、教育委員会のヨイショ記事で終わった。時々こんなことも書かないと出世に響くからね。シャンシャン

さて、次回の毒舌日記は「高校野球の表と裏・複眼的思考で高校野球を斬る」です。御楽しみに
次次回は、「富友会の今後・・・某F高応援団OB会の発足にについて」を予定しています。御楽しみに


8/17(土) 毒舌日記1週間中断の言い訳

ということで、かるたの方にやや長文を書いていたために中断しておりました。甘口日記や子育てにも忙しいのでした。
がこの1週間では言論系の大変な出来事(私的な)もあった。
 8/27以降の私に注目
8/27に何かが起きる。といってもある尊敬しているある人物と会うことになったのだ。

8/10(土) なぜ、富士市の祭りは面白くないのか?(パート2)

ということで、下のコラムの続きを書く。
 つまり、この「祭り」なるもの、全く自治体とは関係ないところで、勝手にそこの住人が楽しむものであるべきなのだ。御祭りの多くは、そこに住んでいる人達の「氏神さん」を奉って、その地域の安全と、豊作と、商売繁盛を祈るものなのである。もし、この氏神さんの区画と、近代の人工的な行政区画が一致しているのならば、行政団体が祭りに参加しても問題はない。しかしこれはあくまでも「参加」にとどめるべきで、決して「主催」してしてはいけない。祭りの主催は、「氏神さんの護る土地に住む氏子」であるべきなのだ。したがって、吉原の祇園さんの御祭りや富士の甲子さんの御祭りの主催がその神社を囲む商店街であるのは必然なのである。
 静岡県の祭りで一番有名なのは、やはり浜松祭りであろう。いつも、ゴールデンウイークの観光客集めのランキングで全国3位くらいになっている。凧上げがとにかく壮大で、楽しい。この浜松まつりの主催は、この凧上げの巨大凧を作成・保存・実行する町内会の連合会である。
したがって、この浜松祭りに参加したいとなれば、新しく町内会を組織し、一定の活動を行い、凧を作り、この連合会への参加を認められなければならない。この町内会の区割りは行政が行ったとしても祭りへの参加までは、大きな障害があるのである。それこそ、「その町内のアイデンティティーの育成」「その町内への帰属意識の育成」なのだ。この帰属意識が上手に熟成されなければ真の浜松っ子になりえないわけで、このシステムは非常に上手くいっていると感じる。
 今度、静岡市と清水市が合併する。我が富士市西隣に人口70万の巨大都市が出現するのである。合併に関しては、地方公共団体の削減が行政の経費削減につながるので大賛成なのだが、(地方議員の数が減るだけでもよし)そこで、住民のアイデンティティーだけは失わないで欲しい。静岡は江戸幕府の創設期以来、政治の中心であったというある種の気高さがあるだろうし、清水には港町特有の活力がある。
この2つの町はの雰囲気は決して同じではない。今後は、是非福岡市を目指して欲しい。あそこも、福岡と博多では意識が違うと聞いている、福岡っ子と博多っ子は対立しているという。それでよいではないか。
 エスパルスは永遠にエスパルスである。もし、静岡でサッカーチームが欲しければ静岡で育てればよろしい。現にあのキングカズの叔父さんさしき人物が静岡FCを創設し、順調に育っている。最終的には「フラメンゴ」と「パルメイラス」の関係になればよいのだ。
 全国の諸君、祭りにおける「富士市の失敗」を教訓にして欲しい。市民と住民とは違うのだ。副島隆彦氏のサイトや本で勉強した人には理解できるでしょう。「ピープル」と「シチズン」と「シビリアン」は違うのである。

8/10(土) なぜ、富士市の祭りは面白くないのか?

 ということで、やっと学校に行かなくて済む。やっと夏休みだ。小売業種の皆さんすみません。製造業のみなさんすみません。教育公務員はたっぷり休みをとらせていただきます。
 さて、数日前に読者から「富士市の祭りはみんなどれも面白くない」という書き込みがあった。昨日もある先生と四方山話になり、富士市の御祭りの話題になった。結局は面白くないということになった。その先生は西部地区の出身なので、あの浜松祭りの勇壮さ・壮大さをよく知っていらしゃる。
 少し、解説しておこう。
私は現在39歳、実は4歳くらいまで富士宮で暮らしていた。その後鷹岡に一時期住み、小学校1年生からは富士に住むことになった。その後
高校2年の時に引越しをして吉原地区の伝法という所に住んで、大学のときには静岡に4年間・先生となって下田に3年間。親が新築した富士宮の家に10ケ月ほど、その後は富士地区にもどって現在にいたるっていうわけだ。この私の住所遍歴にの中に「富士」・「鷹岡」・「吉原」の地名がでてくるが、実は富士市というのは、昭和41年(1966年)11月1日、隣接する2市1町(吉原市、富士市、鷹岡町)の合併により誕生した街なのである。昭和41年というと私が3歳のころなので、富士宮から富士の鷹岡に移り住むころというのはちょうど合併直後のころだったのだ。
 其の頃から私が小学校・中学校の時代というのが、日本では高度経済成長期にあたる。富士市では、この3地区のちょうど中間に10階だてくらいのモダンな市庁舎が建てられ、この市庁舎を中心にした道路整備計画が始まった。
 しかし、その当時はまだまだ、富士・吉原・鷹岡の街の区分は十分残っていて、我々旧富士市の人間にとって吉原に行くというのはやはり別の街に出かける感じがしたものだった。行政の区分は合併で一緒になったものの、社会文化的な区分はそのままであり、商業圏も富士本町商店街、吉原商店街、入山瀬商店街(鷹岡)とおのおの独立していた。
その中では、旧東海道吉原宿からそのまま発展した吉原商店街が一番大きく、東西に伸びる約1.5Kの商店街、その商店街の東の端には岳南鉄道吉原本町駅西の端には吉原のバスターミナルと、人々の生活の拠点として随分と賑わってた。
 この次に続くのが富士本町商店街である。富士駅からほぼ真っ直ぐに北に伸びる商店街であった。そして、この富士商店街に大型デパートが忽然と登場する。それが「パピー」である。
 そして、この2つの商店街にはそれぞれを代表する御祭りがもちろんあった。今でも「ある」のだが、ここでは「あった」としておきたい。吉原本町で行われるのは通称「祇園さん」である。6月の第一週の日曜日がメインで山車がでて盛大に行われる。
富士本町での御祭りが通称「甲子さん」である。富士本町の中心に凄い小さな神社がありそこが甲子神社で、ここの祭りなのだが、いつの頃から商店街の七夕祭りのようになった。商店街のメインストリートは屋台で溢れ、七夕飾りが商店街の空を埋めた。何だかしらないが、この頃(昭和50年代)、東海道の各駅周辺では七夕飾りが名物であったように思われる。僕が覚えているだけでも、平塚の七夕(仙台の七夕と並び賞されており、親父に「仙台は行けないが平塚なら行けるかな」といわれた思い出がある)、熱海、沼津、富士、清水と七夕飾りが有名だった。現在でも清水の七夕はよくテレビに放映される。
僕が子供の頃は、この「祇園さん」も「甲子さん」もどちらも面白かった。
ところが、ある年(昭和60年ころだと思う)からこの「甲子さん」が突然「富士祭り」に名前が変わる。七夕飾りがなくなり、歩行者天国には、「富士踊り」や「富士ばやし」などの官製民謡が流れ、婦人会&労働組合有志&小学校の団体、子供会、銀行の行員の有志など、組織化された団体がつまらなそうに踊る、どうにも格好の悪いお祭りに変わってしまった。そして、この「富士祭り」の中の、官製民謡&動員系組織化団体踊りはその後富士市の行政と交通の中心となりつつあった富士市役所前の大通りに場所を移した。
 つまり、「甲子さん」は富士市のお祭り行政指導に乗っ取られ、捨てられた。当然この「富士祭り」は全く面白くない。富士市役所の連中が「富士祭り実行委員会」なるものを組織して運営するわけだから面白くないのは当たり前である。伝統のないお祭りが盛り上がるわけがないだろう。
 このコラム続く。


8/6(火) ということで、更新が間に合わない(今後の更新宣言)

とりあへず、夏休みらしくなったので、HPの更新もまめにやろうと思ったが、・・・・・・・やはり怠け者には出来ない相談ですわ。
きのう、三井師匠が、家のパソコンを治してくれた。でも、パソコンはもう買い替え時だ。20万位は投資しよう。
さて、今日からはHPのまめな更新を宣言しよう。プライオリティーをしっかりつけて、
 その@ プロフィールを更新、最新写真化 これは8/6(火)7:30に実行
 そのA 甘口日記「下田南伊豆旅行記」8/6の夜に予定
 そのB かるた日記「かるたとテニスの王子様の関連を考察する」8/7の朝に予定
 そのC 毒舌日記「ダブルスタンダードは上手に使え」
 そのD お勧め本の整理、このお勧め本のことであるが、このお勧め本のページにクリックすると「Eー本」とやらのネットショップにジャンプして外山先生のお勧め本ということで商売が出来るらしいのですが、誰かノウハウを教えて(お願い)
 そのE アクセス解析に兆戦
8/2(金) 教員よ、もっと外を見なさい2(グラウンドデザイン)。

 さて、グラウンドデザインの話である。これは、本当はグランドデザインなのかもしれない。たぶん、グラウンドデザインでよいと思う。
日本語でいうと、大戦略とでも訳せばよいのだろう。
 この前お会いした中小企業の経営者の方が政治に期待するものとしてよく口にしておられた。「政府は今後の日本経済の(つまりは日本の)グラウンドデザインをキチンと描いて国民に示すべきだ」と
 しかし、私はすぐ、「そんなもの今の日本政府は持っていないよ、政府が無策になると、勝ち組みと負け組みの差がはっきりし、貧富の差が大きくなるだけさ、日本は今後ますます階級社会になってくだろう」
と、つい思ってしまう。もしかしたら口に出してしまう。
 しかし、この発想こそが、地方自治体の教育公務員として終身雇用を保証された人間だからこそ出来る発想なのだと気づかないわけにはいかない。地方公務員にとって、その政府(および自治体)が無策であろうとなかろうと実は何も関係ないのである。自分は完全に雇用が保障されているのである。私達は、いつ倒産するかもわからない明日の仕事があるかどうかもわからない労働者とかけ離れた人間なのである
。失業保険の割合がいくらであっても、自分がもらうわけではない。不況だ不況だとさわいでも、自分の給料がそれほど下がるわけでもない。とにかく、終身で雇用が保障された世の中でも珍しい存在なのだ。
 そして、自分の人生のグラウンドデザインに関しては、ほとんど22才で思考を停止している。我々は、この職に就いたことで、その後の40年間の自分の生き方に関しての思考を停止してしまった。つまりは貧相な人間なのだ。
 したがって、ビジネスの世界で逞しく生きる人の真の感情や考えを正確には理解できない。40年間、自分の人生に関しての思考を停止した人間と、明日も2年後も5年後も、景気や政府の政策や外国の製品と戦っている人間の温度差は本当に大きい。
 不況が続くと、公務員って相対的に裕福になるのだよね。このごろの新築住宅って公務員が建てる率が大きいらしい。
そういえば、公務員および教員に積極的転職がほとんどないのはなぜだ? 上に書いた理由からだろう。


8/1(木) 教員よ、もっと外を見なさい。

さて、下の合宿で身につけたことは、やはり読者にフィードバックしなければなるまい。
「行動する事は、先に知ってしまった者の義務である」という言葉が連発されていた。表現する事も、先に知ってしまった者の義務でもあろう
 まず、一般企業、特に情報系の人々は、ほほ3年サイクルで転職を繰り返している事実である。もはや、終身雇用など歴史的用語に過ぎなくなった。まあ、いろいろな事情もあろうが、自分を高めるためには自分を認めてくれる(高給をはらってくれる)所に移るのである。したがって自分以外の会社のこともよく勉強している。
 に比べて、我々教員は、あまりにもエクスキューズが多すぎませんか、「我々は教員のことしかしらないので・・・・・・・・・・・・・・」。勉強する機会や身に着けさせる機会もないのだろうけれど、「家」⇒「学校」⇒「家」という生活サイクルになんとなくアクセントをつけよう。というと必ず、「家」⇒「学校」⇒「パチンコ」⇒「家」と言い返されるだろうな。そうじゃないんだ。
 やはり、異業種のことをもっと知らないといけない。
実は、三者面談や保護者会などで高校生の親と話す機械があると、この頃はこのように話をしている
「もう子供たちも高校生なのです。いつまでも小学生ではないのです。しかし、親の感覚は変化していません。 きっと、家に帰ると○○ちゃん、学校どう?、勉強してる? 判らないところある? 部活どう?と、子供の話を根堀り葉堀り聞き出そうとします。 でも、子供たちにとってそんな日常生活を話したりすることがどんなに苦痛であるか知っていますか? つまらないのです。話すことが・・・・・・・・・」
「でも、高校生が興味を持って聞いていることがあります。それが大人同士の会話なのです。はっきり言うと夫婦の会話なのです、さりげない会社での人間関係の話や、会社の製品の話や、会社の財務の話の方がよほど興味があるのです。子供はこのごろ何も親に話をしてくれないとグチをこぼす親も多いのですが、その子供は、うちの親は、肝心なことを何も話してくれないとグチをこぼしています」
 おっと、ここは教員へのメッセージで書くつもりであったのに、ついつい親に対するメッセージになってしまった。このへんも、教員特別論の所以ですね、済みません。
もういちど言います、教員よもっと外を見なさい。

7/29(月) 新たなる旅立ち

 
ということで、7/27.28と、さる言論系のネット仲間の合宿に行ってきた。山梨県大泉村の別荘で行った。長野の軽井沢あたりは、左翼系言論人のアジトという感じが強いが、大泉村は明らかに右翼系である。この日も黒塗りではなく、何と!!!!!!白塗りの街頭宣伝車が、うろうろしていた。
 さて、この合宿で、我輩は、またグレードアップした。現時点では内緒で言えないこともあるので、ほとぼりがさめてから少しずつご披露していこう。
では、今後大人っぽくなるTOMMY先生の、最後の子供っぽい勇姿を、K−nose君の写真サイトでご覧にいれよう。

 では、高原教室写真館は ここ (1号館から4号館まであるよ)