5/31(水) 富嶽祭WeeK!
ワールドカップの最中ではあるが、我が某F高も学校祭である富嶽祭かはじまる。
6/1(土)・6/2(日)が文化の部 6/3日(月)が体育の部である。だから、
なんでこんなとき文化祭なのか? ワールドカップの方が大切ではないか?
しかも、この時期に近隣の高校が、ほとんど文化祭を行う。つまり他の高校の学校祭は見られない。(これが、教育現場の横並び気質)
まして、許せないの富士宮市である。
富士宮地区の学校も、この週末は学校祭なのだ! それなのに、市役所主催の、大イベントを商店街などで開催する。
ギネスに挑戦する焼そばをつくるらしい。 開運なんでも探偵団の中継(人気のお宝鑑定大会)も富士宮で行われる。(実は行きたかった)
ふざけるな! 君達には高校生を育てる気が無いのか!!!!!
これはまるで「我が家にはお金が無いから、国立大学しか受験させない」といいながら「パジェロの新車」を買った親と同じではないか!
ふざけるな!
学校祭は、今後、JAや商工会や、町内会や自治体と連携をとって、素晴らしい市民文化に育てていかなければ行けないイベントなのであ
もっと皆さん大切にして下さい。
商工会のみなさん。 母校富士高の文化祭感謝特別10%割り引きセール などを企画してみてはいかが。
駐車場の苦情だけが仕事ではないですよ。
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5/28(火) インターネットは世界を廻る
ということで、この頃の「Tommyの毒舌批評宣言」は大変なことになっている。
これは、事実だ。
その1、某K大学(6大学のW大に対抗する所)の野球部の現役学生が読者である。
その2、全く見ず知らずの方から「はじめてお便りします。高校生のことで相談があります・・・・・・・」という内容のメールが届いてしまった。
当然、返事を書いた。
その3、ニューヨーク在住の某N新聞関係者が、定期的読者になっている。これも、掲示板で発見した。
その4、現在、政治活動中の方がよく見ている(この際、どんな政治活動なのかは問題外)
その5、ニュージーランドで働いている日本の若者が読者になっている。
となると、今後の展開は(上の1から5に連動している)
その1、某K大学野球部で評判となり、K大学出身の高橋吉伸などから、メールが届く。そしたら、うちの息子を売り込もう。
その2、主婦の間で大ブレークし、我輩は、インターネットの「みのもんた」としてデヴューすることになる。返信が大変だ。
その3、そろそろ、英語バージョンを出さねばならない。今のネット仲間(K尾とかN勢など)では当てにならないので、もっと英語の出来る奴 を引っ張り込まなければ、例えば、A葉君やK岡君など
その4、さて、次の10月ころの衆議院解散総選挙の時には(と、さりげなく、日本政治の超極秘情報を教えてしまった)、車の上に載ってい るかもしれない。(おっと、これは、法律違反であった。我輩は公務員だ。)
その5、その彼は旅行好きらしい。という事は、現在3カ国でしかない、このマイHPのネット空間は、世界中を懸け回り、軌跡を残していくこ とになる。それこそ、インターネットは世界を廻る。
我輩も、うかうかしてられない。
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5/24(金) 生きる力?
どうやら、「北朝鮮亡命者受入、アメリカ&NGOやらせ映像事件」も、解決したらしい。亡命者達がフィリピンに一次移送されたことで、アメリカの関与が決定的になった。 東アジア地域の安全保障などこんなものだ。
どうやら、インドパキスタンの国境付近で、またもや武力衝突があったらしい。何かの本で読んだ話 アメリカで働くパキスタン人にパキスタンが核武装した直後にインタビューしたところ涙ぐんで、これでインドと対等に話しができると言ったそうだ。 安全保障ってこんなもんだ。
どうやら、日本が不況を脱出したみたいだ。自動車産業界が好調である。日本の株式も上昇している。しかし、この株式の上昇が曲者である。これは、外国人投資家によるもので、ここで、少し上昇しておいて、彼ら外国人投資家がいっぺんに売りを浴びせればまた日本はおかしくなる。今こそ、その売りをさせないために日本企業は頑張れ。
では、なぜ外国人投資家が日本株を買うのか。?アメリカのバブルがはじけたのである。世界では、アルゼンチン、トルコ、日本が三大経済危機国だと言われているが、アメリカの財政赤字はもっと凄い。ただし、アメリカは機軸通貨としてのドルを持っているので、24時間、フル回転でドルを摺まくればいいというから悔しいではないか。世界最大の不良債権はもちろんアメリカ国債である(これを売れないから日本は不景気なのだ)。アメリカはこの国債を発行しまくり、世界から金を集め、それでも足りないのである。
さて、この頃は、真面目に新教育課程についての研究という仕事もしている。
先だって、某F高の生徒総会で、新生徒会長が「週休二日というばかげた制度」と発言して、物議をかもした。その直後、「そんな発言(言葉使い)は生徒会長としてふさわしいか?」という質問が当然出た。生徒会長様、「T先生はいつも言ってますよ」と言わないでどうもありがとうございました。首が飛ぶところでした。
その私が、新教育課程の研究をするのである。ハハ、驚き!!
この新教育課程のキーワードが表題の「生きる力」なのだが、もし、生徒が授業を全然せず、何も勉強せず、「日本の学問には絶望した。田舎に帰って、農業をやる」といったら、それこそ「生きる力」ではないのか。アルバイトに精を出し、日夜金勘定をしている生徒がいても、それこそ「生きる力」ではないのか。とにかく、この具体性に欠けるチャッチコピーをまず何とかして欲しい。素直にここは「国際社会で日本人が生き残るための力」と読み替えよう。
そのためには、小室直樹先生の著作を、どんどん読むべきだ!10年前にはあまり注目されなくなった大先生なのだが、今や大ベストセラー作家である。真実の「生きる力(日本人が世界で残るための)」が理解できる。
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5/23(木) 日本代表が優勝する日(その2)
ということで、前回の毒舌日記に関しては中間テスト中にもかかわらず(某F高以外には関係ないが)多くのリアクションをいただいた。下の投稿は、我が掲示板に載ったねこさんのものである。
サッカーファンは何故に貪欲なのか? 投稿者:ねこ 投稿日: 5月22日(水)11時18分10秒
世間を騒がすサッカーフィーバーの報道を見るたびに、不思議になることがあります。 ファン、そしてマスコミは何故に日本が勝って当然という主張をするんでしょうか? FIFAランキングから単純に考えれば、日本はかなり下の方にいます。 予選グループ中でも最下位かその次ぐらいだったと思います。
それなのに、何故予選を突破して当然、という主張が生まれるのか。 選手がリップサービスで言うのはわかります。自分を鼓舞するのもわかります。
どうしてファンやマスコミ、そして冷静な判断ができるはずの解説者まで 一緒になって現実を正しく把握しようとしないのか、理解できません。
お馬鹿なタレント解説者が番組を盛り上げて出番を増やすため? サッカーフィーバーに乗った景気回復を期待するから? それとも、冷静な目を持ったら試合に勝てなくなるから?
さらに、結果が出なければ選手達の努力も何も無視して罵倒する。 一体何様のつもりなのか。最低です。
最近では、偏った解説を聞くのが嫌なので、日本代表関連の番組は見なくなりました。
貼りつけ終わり。
いいところを感じております。全くその通りです。現在の新聞報道を見ても、一般誌には、○○市で警備体制の練習が行われた、とか、○○市でキャンプが行われ、子供たちとの交流があったとか、
もちろん、藤枝氏の担当職員の自殺に関しては、大変痛ましく悲劇的であり、謹んでお悔やみ申し上げたいと思うが、結局はサッカー以外のことしか話題がなくなっているのである。
これを、日本の言霊信仰と言うのです。もし、ここである報道機間が「このままでは日本は負ける」「冷静に判断したら日本は弱い」「予選突破は危ない」などと報道し、もし、その通りの結果が出たとする。この場合、必ず報道機間は批判の矢面に立たされるのだ。いわく、「お前らが、負けるといったから負けたのだ」「皆が負けるといったから負けたのだ」と
したがって、現在のジャーナリズムは、日本代表の戦力分析をやろうとしていません。加えて、ジャーナリズムにはスポーツ蔑視の風習が敢然と残っていますので、真剣にスポーツ文化を勉強していません。したがって、いつも軽薄な、くだらない、御笑いタレントと馬鹿女子アナでしか番組を作れないのです。
そもそも、サッカーに関しては完全な後進国なのです。日本は。
今回のワールドカップ開催は、日本国民に「日本が後進国である」ことをしっかりと認識させるための大会です。警備がどうの、
輸送計画がどうの、チケットがどうの、などで騒ぐことが後進国なのです。
単純にあるスタジアムで、すばらしい試合があれば観客はきます。それだけです、そこで混雑して帰れないことがあろうと、
野宿があろうと、交通渋滞があろうと、全く気にしません。サッカーを本当に愛している人ならば、すべて許してしまいます。
なぜ、日本は後進国なのでしょうか、それは、完全にスポーツ蔑視の考え方から抜け出せないでいるからです。古くから日本で注目されたのは相撲であり、力道山のプロレスであり、プロ野球でした。ここれらは依然として「興行」とよばれています。一種の見世物です。縁日のいかがわしいお化け屋敷と何にもかわりません。スポーツ文化とは、興行成績ではなく、人々の魂の解放を求めたエネルギーを正しく受け入れていく文化のことです。プロスポーツ選手とはこのエネルギーを極限まで高めて、人々を代表して試合をする、我々の代理人です。
日本代表だけが代表ではないのです。エスパルスもジュビロもジャイアンツもタイガースも、すべて、僕達の代表であり、我々の魂の代弁者なのです。
精神も身体も僕達の「生存」の一部であり、人間の共同体にとっては、学校も労働も、そしてスポーツも「生存」の一部であるのです。
しかし、ワールドカップ開催まであと十数日と迫ったこの日本で、日本代表が我々共同体の一部であると認識している人がどれくらいいるのでしょうか、スポーツの祭典(ちなみに祭典ということが出来るのはスポーツ以外にはない)と認識している人がどれくらいいるのでしょうか
、祭典とは魂の解放のことであり、浜松祭りや浅草の三社祭や博多のドンタクなど、まさに魂の解放を示しているのである。
だんだん、話しが理解されなくなりましたね
では、このワールドカップが終わった時、我々は、何をもって成功と失敗を判断するのでしょうか?日本代表が予選リーグを突破したらそれで成功なのですか?それこそ「興行的に成功」という商業イズムでしかありません。
日本代表が優勝したら成功ですか?それは世界全体では失敗です。
無事に試合が行われフーリガンがおとなしく帰ったら成功ですか?それこそ御役所的でしょう。
ゼネコン的には、土建屋的には、スタジアムの完成をもって営業的に成功しました。彼らにとってはワールドカップはすでに終わっています。
では、どうなれば成功なのか? これが下のコラムで僕がいいたいことなのです。そして、日本とスポーツを結びつける接点として、芝生があるのです。
いま、サッカーの日本代表はそれなりに強くなりました。すべての日本人が気づいているように、これはトルシエのおかげではありません。Jリーグが発足し10年がたち、選手が普通に芝生の上でサッカーを練習することができたからです。サッカー選手がスライヂィングしても足を擦り剥かなくなりました。キーパーはいくら転がっても泥がつかなくなりました。それだけです。
そういえば、昔読売クラブが強い時期がありましたが、多くのサッカーチームの中で彼らだけが毎日芝生の上で練習していたことを考えれば当然です。
サッカーに比べて日本のラグビーの凋落は悲しいものがあります。しかし、あれほど肉弾的なスポーツを堅いグラウンドでやるほうが無茶です。日本のラグビー界も芝生化されたら強くなります。というより人口が断然に増えます。
そういえばなぜ、日本の野球スタジアムは内野に芝生を入れないのでしょう。内野手は動きが激しいから芝生がすぐハゲると思っているのでしょうか、もちろん選手が良く使うところは芝生化されていませんよ、よく見てください。
もう、地方の自治体も借金ばかりの箱物行政をやめて、小学校や中学校の敷地を広げ、芝生化しなさい。いつでも、誰でも、格安に使える芝生のサッカー場、野球場を整備しなさい。小学生の息子を家族はすぐにでも引っ越してきます。絶対の過疎化対策です。今、苦しんでいる地方自治体の多くは、地方の中核都市から車で1時間ほどの距離なのですから、都市に愛想をつかした住民たちに喜んで住んでもらえるような街を作るべきです。そのキーワードは芝生です。
我々日本人は、小学校や中学校や高校で、必ず上履きや上靴を履きました。これを、日本文化論を得意とする大学教授たちは
「靴を履き替えること」は「内と外」を完全に区別することにつながり、「日本の住居が靴を脱いで生活する風習と同じであり、学校とはある意味で家庭的である」などと、もったいぶって発言していましたが、そんな大きな意味は何もありません。
靴で校舎にあがると廊下や教室の床が泥で汚れるからです。昔は道が舗装されていなかったので当然でした。しかし、今は未舗装の道をあるいて通学する生徒は誰一人いません。でも、泥で校舎が汚れるのです。校庭が泥だらけですから当たり前です。
このワールドカップは興行ではありません。祭典です。そして祭典こそ、人間に一番必要なものです。祭典とは魂の解放であり、魂の解放とはスポーツそのものなのです。日本がワールドカップで優勝するためには、真にスポーツを理解する人を増やさなくてはなりません。
以上。
しかし、ここまで書くと、本当に富士市長になりたくなってきた。芝生化のために・・・・・・・・
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5/21(火) 日本代表が優勝する日
200X年のワールドカップ、とうとう日本代表が決勝までやってきた。1998の初出場から○○年、
1億2千万の日本国民の悲願が達成されようとしている。
それは、長い道のりだった。
2002の地元開催で史上初めて開催国なのに決勝トーナメントに進む事ができず、まったくシラケタ大会の後、
日本は、真のスポーツ王国を目指し改革を続けた。
まず、小学校の校庭を芝にした。
スポーツ少年団をNPO法人化した。
中学校の校庭を芝にした。
中学生の部活は廃止され、スポーツ少年団中学部が組織された。
高校の校庭が芝生になった。
甲子園大会が中止された(朝日新聞と毎日新聞に良心が戻った)
インターハイは持ちまわり開催をやめ、各競技がぞれぞれの「甲子園」を目指した。
高校日本一は、毎年聖地藤枝で決まるようになった。
企業は税金対策のため、各種スポーツクラブを地元と協力して運営し、かえって利益をあげている。
すでに、J1からJ3までのカテゴリーに増え、我が富士市にもJのチームができた。
日本代表は、監督にロイキーン トレーニングコーチにイチロー、メンタルコーチに貴乃花&やわらちゃんが加わっている。
NHKは相撲中継をやめ、すべてのスポーツを公平に放映する事になった(そうすれば俺も受信料をはらってやる)
日本人は休日に思い思いのスタイルで学校の芝生の校庭や芝生の公園にあつまってスポーツに汗をながす。
そうだ、スポーツとは魂の解放なのだ。
ボールは地球の象徴なのだ。神の象徴なのだ。
と1憶2千万の日本人が気づいたとき
日本代表は優勝する
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5/13(月) 憲法&日本&軍事(その2)
さて、下の続き、
では、人はなぜ戦争をするのか?心底、人が憎いのか? 違う!!! ここで、私の戦争論を披露しよう。しかし、私的見解と捉えてもらっては困る。これは事実である。(最初の部分は渡辺昇一先生が発表した事である)
激動の20世紀、戦争の世紀と呼ばれた20世紀,、人類(世界中の誰も)が熱狂し、且つ、恐怖に震撼したのは、他でもない共産主義である。世界の為政者は「共産主義」から国を守ることが第一優先化課題だったのだ。(第一次大戦中に、ロシア革命が起きると、大戦はすぐに終わった。それどころではなかった)
アメリカでは共産主義から守るために「ニューデール政策」が行われ、ドイツでは共産主義から守るためにナチスが台頭し、日本では共産主義から守るために軍部がちからをつけた。
ではその共産主義となどんなイデオロギーであったのか? なぜ、人類は熱狂したのか?
まずは、大衆を貧乏から脱出させる方法を教えた事である。簡単に言えば「資本家がいなくなれば労働者と農民は貧乏でなくなる」ということだ。そして、この当時は資本主義では独占段階を迎えて貧富の差が大きくなってきた、この貧しい大衆に熱狂的に迎えられたのが共産主義理論である。もちろん、この理論では資本家を追放する必要があるので、労働者は武装しなければならない。
そして、為政者達は、このイデオロギーに本能的な恐怖を感じ、国を守ろうとした。
各国で、共産主義思想の弾圧が行われていく。今から見れば、完全な思想統制といえなくない。しかし、為政者が本能で感じた「共産主義のおかしさ」は今になってみれば証明されている。
しかし、共産主義への熱風はいくら弾圧されても冷めない。あたりえだろう。当時、民衆を貧乏から救う道はこれしかなかったのだから。
そこで、世界中、ほぼ同時に「貧乏から脱出できれば、大衆は静かになる」という単純な理論に気づく。これが1920年代から1930年代にかけてである.。もちろん、日本は大陸進出を目指した。ナチスドイツは、第一次大戦で背負った膨大な借金とインフレの中で出来あがったシステムだ。そして、今イタリアのムッソリーニを研究中であるが、そのムッソリーニも若者時代も共産主義に傾いていたと聞く。
これは、現在で正義の国とされるところでも同じである、イギリス・アメリカ・フランスと植民地からの搾取を続けていた。日本を占領していたマッカーサーの親父は、フィリッピン総督であった。青年期にそのフィリピンの王(すなはち提督)である親父をそばで見ていたダグラス君が、何にあこがれたのかはこれで良くわかるだろう。フィリッピンを自由にあやつる父の姿である。息子、ダグラスも1945年以降全く同じ道をたどった。そういえば、当時のフィリピンを支配した法律集と日本国憲法は良く似ていると言われている。
このダグラスマッカーサーを映画化したのが地獄の黙示録なのだ。
この1930年代、アメリカを支配していたのがルーズベルト大統領である。このルーズベルトの化けの皮がだんだん剥がされてる。ルーズベルトが真珠湾攻撃をあらかじめ知っていたのはそろそろ確定された事実となるだろう。彼は、もう2度と若者を戦場には送らないと選挙公約をして選挙に勝利したのだが、本当は戦争がしたくてしたくてたまらなかった。イギリスへの支援だけでは、有権者は納得しない。そんな時、真珠湾がはじまるのだ。当然、正義の味方となったルーズベルトはヨーロッパ大陸へ、太平洋へと進んでいく。
このルーズベルトを、我々は「ニューディール政策の立案実行者として教わる。
ところが, ニューデールでは、アメリカの不況は脱出できないのである。ここを教科書では教えない。アメリカの不況は大戦への参加、軍軍需産業の活性化によってこそ救われたのである。ルーズベルトをそのことを一番良く知っていた、このルーズベルトとその一派(つまり元祖グローバリスト)によって戦後の日本の枠組みが出来るのだ。
要するに、近代戦争とは貧乏に対する恐怖から起きるものである。この一言で、日本は戦争を望まないことがわかるだろう。逆に、今の中国がこの恐怖の真っ只中にいるともいえる。中国の為政者は、常にクーデターの恐怖と戦っているのだ。少し同情する。
では、日本国憲法講義はまたのちほど
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5/12(日) 憲法&日本&軍事
中国で起きた「北朝鮮家族日本亡命やらせ映像事件」が波紋を呼んでいる。しかし、賢明な人間なら、あの写真はどこから写されたのか?
にすぐに疑問を持たなければいけない。日本総領事館の反対側の高い建物、それはアメリカの領事館ではないかい!そもそも亡命を求めた家族があそこまでだどりついたのは韓国のNGOの援助らしい。すべてグルだ。
したがって、あの事件を「北朝鮮家族日本亡命やらせ映像事件」と称す。
目的は何だ?、アメリカによる「東アジア諸国の分断し、紛争を起こし、いがみあいをさせ、ケンカさせて、決して仲良くさせない作戦」の一部である。
アメリカにとっては東アジアが一致団結し、独自の経済圏をつくるのが一番恐ろしい。だから、分断統治政策を実施するのである。また、現在のアメリカは軍需産業が経済を支えている。今のアメリカにとって平和が一番恐ろしいのだ。
あんなやらせ事件で、日中関係がおかしくさせるな。
さて、有事立法、中東の紛争、北朝鮮不審船など、きな臭い話題が多く。ここの読者の中にもはたして、Tommy先生は、憲法&軍事についてどのように考えているのだろうかと思っている諸君が多いだろう。そこで、時間がゆるす限り、この真面目な事柄について書く。これは僕の思想遍歴であると考えもいい。
その1 そもそも日本は戦争が嫌いである。
日本という国はだいたい1600年くらいの歴史がある。その中ではたして何回の対外戦争をしたことがあるのか?「白村江の戦」 「元寇」
「秀吉の朝鮮出兵」 「日清戦争」 「日露戦争」 「第一次大戦」 「日中戦争から太平洋戦争」とたった7回だけだ。1600年間で7回、この中で純粋に侵略目的で戦いに行ったのは秀吉くらいだろう。この事実を世界の国と比べてみよ、1年間に7回も戦争を起こす国もあるでしょ。「日本は島国だから戦争をする機会がなく恵まれていた」というかもしれない。その通り。日本は島国だからこそ平和なのである。ごめんね
大陸系の国の皆さん、理解できないでしょ。
しかし、同じ島国でもイギリスのような国もある。日本でも少し情勢が狂えばイギリスのような国にもなりかねなかった(つまりはフランス語を話す王様に支配される国)、その脅威は「白村江の戦い」での敗北後のことだ。あのとき天智天皇はびびりまくっていた。いつ唐に侵略されてもおかしくないと、、、、、、、しかし、その脅威が去った後、日本は本当に平和になった。
その2 そもそも日本人は殺生が嫌いである
日本ほど人を殺さない国も珍しい。この証拠はいくらでもある。平安時代以後、国家反逆罪に問われても死刑にされない優雅な国となった。外国なら死刑になってもおかしくない罪でも「島流し」で済まされてしまうのである。後鳥羽上皇、頼朝などなど。江戸時代の武士は、馬鹿みたいに重たい身分証明書を常に持っていた。それは刀である、あれば武器ではない。「切り捨て御免」という言葉もあったが、江戸200年間の歴史で「切り捨て御免」になった例がどれくらいあるか調べたことがあるのか?わずか数回らしい。
その3 そもそも日本人は軍隊が嫌いである
日本の国防軍の始まりは何か?もちろん防人である。 上記の白村江の戦いに破れた後、あわてて作った国防軍を防人とよぶ。しかし、平安時代までにこの国防軍はまったく消滅した。その後、正式な軍を明治維新までもっていない。
太平洋戦争の時代、学徒出陣が行われた。この学徒出陣を悲しき戦争の象徴ととらえる輩がいる。しかし、学生を軍隊に送ることを最後まで拒み続けたのは日本である。アメリカなどは、戦争が始まると大學はもぬけの殻になった。
ここまでの結論 「日本は平和が好きなお人好し国家である」
したがって、「二度と戦争を起こさないように・・・・・・・」とか「いつかきた道(このままでは軍国主義に逆もどりだ)」とか「2度と戦場へ子供を送るな」とかの左翼的スローガンを僕は、心底軽蔑している。これらは、日本人は好戦的な国民であると洗脳するためのスローガンにすぎず、この平和的な国民を全く理解しようとしない諸外国のプロパガンダなのだ。
さて、戦争とは
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5/11(土) 小学4年国語
言葉のいずみ1
いろいろな意味を表す言葉
@次の言葉の意味の違いを考えましょう。
あの人と手を結ぼう
その手には乗らないぞ
きれいにあらう
きれいに書く
きれいになくなる
明るい電灯
明るい人柄
明るい選挙
明るい未来
この辺の地理に明るい
さて、大人のみなさん、出来ますかなこの問題。我が息子の教科書をみて、実は困ってしまった。最後の明るい 明るい電灯の明るいは
光度の意味 明るい人柄は明朗の意味 明るい未来は前途洋洋の意味 では明るい選挙の意味は?
うるさい選挙? 演説が楽しい選挙? 候補者が朗らかな選挙? 候補者の人となりが良くわかる選挙? 明るい話題ばかりの選挙?
なんなのだ明るい選挙とは、 いままで、平然と使ってきたこの言葉、実はさっぱり意味が判らない!
小学校では何と教えるのかしらん。
ということで、辞書を引くと、明るい選挙とは=清潔な選挙 とある。しかし、明るいを[清潔な]という意味で使うその他の用法を思い出せない。明るいトイレとは清潔なトイレのことなのかい。
たぶんこの「明るい選挙」という言葉、1970年代頃の新語ではないのか
何かのキャッチフレーズで使われた言葉が、教科書に載ったのだろうね、しかし「選挙は清潔でなければならぬ」などということを選挙権取得まであと10年もかかる小学生に教えているのですか日本は!
恐ろしい国ですね。「清潔な選挙」=「明るい選挙」この関係がどうも気になる。
むしろ、気に入らない。
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5/7(火) 女子のグレーのスーツは何なのか
ということで、単純にノーテンキに制服を着ている皆さん。いかがかな下の考察は。
では、今日は某F高の女子のグレーのスーツに関してである。
どうも日本人は(特に女子)はチェック柄がお好きなようだ。チェック柄とはもちろん、ヨーロッパ大陸をゲルマンによって追い出され、最終的にはイギリス諸島のにしか住めなくなったあのケルト族のアイデンティティーともいえる模様である。そのチェック柄はキリスト教の十字架(クロス)のデザインと重なって、世界中に普及するに至る。制服に関しては、日本も当初はキリスト系ミッションスクールにしかこのチェック柄は導入されなかった。誰がどうみてもキリスト教を連想するのが当たり前である。しかし、生徒急増期に作られた公立高校で、このチェック柄はどんどん採用されてしまう。ここに歴史的意義などお構いなしの浅はかな大衆の姿が浮かび上がる「かわいければいいのだ」、この精神が高校生を退廃させているのはいうまでもない。
さて、某F高のグレーの上下のスーツのルーツはどこか?どうも1940年代から1950年代にかけてのアメリカの働く女性の制服からの頂いたデザインに見える。いつからあのスーツになったのかは資料を調べないと判らないが、目立たない控えめな色合いと作りが働く女性を象徴している。 しかも、あの制服にの袖にはボタンがない。袖ボタンがないということは、腕をまくり仕事をすることを意味する。ここでも働く女性を示している。が、1940年代という所に注目して欲しい。これは大雑把に戦時中の時代である。フェミニスト達は、耳を塞ぎたくなるかもしれないが、戦争が雇用を拡大し、女性の社会進出を促進させたのは事実である。それも、女性が知的なデスクワークに従事し始めたのはもちろん戦争中の人材難からであり、これはついつい見逃しがちな視点だ。
しかし、これは一考察であって、真実ではないかも知れない。服飾学を希望する若者に今後研究してもらいたいテーマである。
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5/5(日) そもそも制服とは何か
玉木正之氏のコラムで「そもそもサッカーとは何か」が論じられている。サッカーを教えている、もしくはサッカーで何やら飯の種を得ている人々の中で、「そもそもサッカーとは何か」が理解できている人はどれくらいいるのだろうか?
詳しくはここをクリックされたし。
なぜ、足しか使ってはならないのか。
なぜ、オフサイドがあるのか
なぜ、フーリガンが発生するのか
すべて解かる。
では、そもそも学生服とは何なのか?
日本に学校制度が導入された頃、当然のごとく制服という概念はなかった。もちろん世界にもなかった。制服があったのは士官学校、つまり軍隊だけである。当時、学校制度を導入する立場としても、その学校へ通う立場であっても、その統一された格好に大きな憧れを感じていたのだ。しかし、それは当時は軍国主義だったとか、国の体制が学校に軍服まがいの服装を強制させたなどと短絡的な結論にならない。
もちろん、男子の詰襟の学生服は海軍士官の制服であり、女子のセーラー服は、海軍の水兵の制服であり、そこには完全な身分差が存在する。海軍が設立された頃は海軍士官には貴族しかなることは出来なかった。農民あがりは全て水兵である。 むしろ、士官学校に身分に関係なく、勉強さえできれば誰でも入学できることを制度として創めたのは日本である。
したがって、男子が詰襟、女子がセーラー服という身分差は、決して女子を差別しているのではなく、男子の詰襟こそが身分を逸脱した、不釣合いで不相応な制服なのである。
なぜに、学校はこの士官&水兵の制服に、生徒を当てはめたのか?そして一般人もそれを良しとしたのか?
それは、学校は誰のものか?という問いに行きつく。
市民革命が始まった当初、その革命の指導者達は、いざ国王を殺してみたものの(アメリカ独立戦争では国王から独立したものの)、今まで
国王の財産であったものを、はたして誰が相続するのかを決めていなかった。したがって、フランス革命は国王処刑の後のほうが、この国王の財産相続を巡って血なまぐさい殺し合いが行われる。アメリカの場合は比較的穏やかに、決まってしまった。
そこではじめて「市民の共有財産」(コモンウエルス)という概念にいきつく。アメリカはこの市民という言葉が簡単に使えた。だって、アメリカ大陸に住むアメリカインディアンを除いた白人を「市民」と規定すればよいことだからだ。がフランスやヨーロッパではそうはいかないそもそも「国境」がなく各貴族の領土が展開していたヨーロッパ大陸では、「市民」といえば都市住民を表し、彼らはその都市内では自治をしていたが、それ以外の領土(農地)に関する権利とは無関係であった。したがってヨーロッパでは「市民」を「国民」に変える努力がいらいずっとなされている。現在の東欧の紛争ももとをださせば「国民を規定する」ところから始まっている。
さて、この市民に継承された「国王の財産」の中で、最大のものは軍隊である。国王が国の君主(ソヴリン)であった頃、当然、国防は国王の義務であった。その国王が殺されたり追放されたりすれば国防の義務と軍隊の帰属は、当然、正当なるこの後継者が引き継ぐ。
この正当性を市民の代表者に求めたのが民主政体である。
次にこの国王の財産の中で重要なのが「警察」と「学校」である。この二つも公共な物として国王から引き継いだ。
したがって、「軍隊」「警察」「学校」に関しては国民の財産であるという意味では、全くおなじであり、公共のものである。その人間が「制服」をもって市民に認識されるのもまた、当然のことである。もちろん、軍隊と警察は一目で識別されなければ困るので、制服は絶対必要であり
学校の制服と意味が違うという議論もあるが、市民として、自分達の財産を誇り、自慢するのは当たり前で、むしろ、学校の制服を見る一般の市井人が、「自分たちの財産である学校の生徒」をめでる気持ちにさせるのである。
諸君、君達の学校と君達自身が、公共の財産である。ということの証が制服なのである。
続きはあす。 |
5/4(土) 5月号スタート
新規5月号はここからスタートする、
@ 某F高のスポーツニュースを俺が作る。!!!!
新聞部顧問の私としては、スポーツニュースをはやく軌道に乗せたい。
そのために、各運動部のメル友(マネージャーが最適)はとにかく試合直後にここのアドレスまでメールを送って欲しい。
それを直ちに貼りつける。これで、某F高スポーツの出来あがりだ!
これを、軌道に乗せずにインターネット革命はありえない。今まで、いくら3年間、運動部で頑張ってきても、全くメヂィアに取り上げられなかった一般の正当な高校生よ。このサイトは全国ネットだ!。
露出度100%だ。
どんどん投稿してくれたまえ、君達の投稿がすべてスポーツニュースとして扱われるのだ!
A 制服について深く考える。
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)4/29(月) 芝川町 窪A遺跡訪問
ということで、新聞部の3年生と一緒に、27日に芝川町窪A遺跡の見学に行った。さすがに富士高だけあって教育委員会の方がほとんどOBの方であったので、便宜を計っていただき、その場で「富士高新聞部のための現地説明会」となった。もちろん主任学芸員の先生の解説付きである。
詳しくは、次回発行の富士高新聞を読んで欲しい、結論だけ言うと、日本最古の遺跡である。日本最古の、縄文草創期の住居跡だというのだ。そこでは、火柱を上げ、活発に活動する富士山を仰ぎ見ながら、せっせと狩をし、木の実を粉にして食べ、魚をとる、古代芝川町民の姿が合った。
その27日は午前中はかるた部・午後は新聞部と掛け持ち、29日はかるた部の遠征なので、間の28日は完全子育て日、
いつものように野球で遊んでいたのだが、兄がピッチャー、弟がバッター、我輩がキャッチャーの時になんとファウルチップが顔面を直撃した。
凄い顔になってしまった。笑わないで。
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