私の毒舌日記(1)(目指せ、読者100万人)
8/15(水)☆もう少し、英語の誤解について
ということで、今回は、昨日の続きをやる。その前に一言、今はお盆休みだからできるけど、HPを毎日更新するって大変なことだ。このページもいつかはネタがなくなる。そうなったらどうしよう。僕の教師としての資質を問われることになる。でも、がんばるぞ、まあ、本当にネタがなくなったら、色恋ネタや楽屋ネタでいこう
ということで、僕は授業の教材で英語を使う。これが本当に嫌われている、様々な理由で嫌われている。中には「思い上がるな」と思っている人もいるだろう。
でも、英語でやらねばならない理由もあるのだ。昨日(つまりは、下の日記で)グローバリズムという言葉を説明した。これと同じように、日本語で〜主義と訳される場合、英語では〜イズムとさせる。ニヒリズムとかストイシズムとかスターリニズムとかトレビノイズムとかだ。しかし、日本人はこれがわからない。全ての人間には主義・主張があり政治的思想があり、偏っているのが当たり前だ、という発想がない。なぜだ、その理由の一つが「民主主義」という言葉ではないかい?、これ世紀の誤訳ではないかい?「民主主義」も〜主義というならば〜イズムだろう。なんでここで「主義」という言葉が使われたんだ?ここが解らん。民主主義の英語は「デモクラシー」ではなかったかこれはデモ(民衆)クラシア(政治体制)なのだから「デモクラシア」は「大衆政治体制」とか訳されるべきでないか。
そしてこの意味は絶対王政と対照されて、階級としての「大衆」が歴史的に見てやっとのことで「政治を動かすことが少しでもできる」ことを表した言葉だろう。
どうも、この民主主義という言葉が政治経済の誤解の大きな原因だと思う。こんなところは英語と日本語の完全対訳で考えないと理解できないし、発見できない。あと、これはみんなが良く知っている意図的な誤訳だが「ユナイテッド・ネーション」を国連と言い換えている、素直に連合国といえよ。そういえば、10年くらい前に多国籍軍というのがあった。あれは「アライドパワーズ」だから本当は「同盟軍」のはずだ。こんなことを平気でやっているんだから日本人の英語が馬鹿にされるわけだよ。まあこれらは、日本人の意図的な誤訳。もう一つ、意図的な省略というのもある。広島だ。広島市に行くと「繰り返しません、2度と過ちは」という標語がそこいらじゅうに貼ってあるが、これは意図的な主語の省略ではないかい。「連合国の皆さん、忘れません、この過ちを」と素直に考えよう。
8/14(火)☆グローバルな思い込み
というこで、本日の御題は「グローバリゼーション」、たしか、4月の授業でやった。政経の授業では英和辞典が必携である。それでは、皆さん「グローバリゼーション」と英和辞典で引いてみよう。といっても、今この場でスペリングがわからないところがなさけない。さて、手元にある辞書には載っているかな?ほうら載っていないでしょ。そもそも、グロ-バリゼーションという言葉は世界中で使われてない。もし使われていたとしても「地球の一体化」という意味ではない。この事実は真に英和辞典が証明している。これは、日本人が勝手につくった言葉らしい。ということは、「地球の一体化」という200%くらい不可能なことを能天気に考えているのは日本人だけとなる。世界には大陸があり、海があり、国境がある。これらは、絶対な事実だ。こういう絶対な事実は正直に受け止めて素直に考えるのが保守派の思想である。(このへんはほとんど副島隆彦先生のパクリ) そういえば、中国は自分の世界には国境がないと考えている。チベットをはやく独立させろ、「地球市民」と吼えている人と親中国派は似ている。
では、「グローバル」(これは「地球上の」を表す形容詞。)の派生語として一番出てくるのは何か、それは、「グローバリズム」という言葉である.これも辞書が証明している。「グローバリズム」とな何か「世界的干渉主義」と出ているだろう。そうこの「グローバリズム」、決して誉め言葉ではない。「自分の考えを世界中の奴らに押し付けて自分の言うことをきかせよう」という意味である。そして、このイズムを実践しているのがグローバリスト。つまりは世界征服主義者である。
クリントンなんかまさしくそうだった。語弊を招くかもしれないが、たかだかヨーロッパのド田舎の小さな盆地でイスラム教徒とキリスト教徒がケンかをしているだけなのに、なんでそこにF何とかという世界最高性能の爆撃機を飛ばす必要があるのだ。「自分の意にそぐわないやつは全てヒレフクさせる」というグローバリストそのものではないか。こんな感じで金融の世界でも世界制覇は続々と行われている。まあ、クリントンもバックに戦争にならないと兵器産業の雇用が大変という事情があるから仕方ないけど。
したがって、本日の結論は「グローバル」という言葉は、よい言葉ではない、むしろ危険な言葉であるというこだ。そういえば、静岡の某F高校の1年生の間で「グローバリストのT先生」という戯言が聞かれた。もちろん、僕は思想的にはグローバリストではない。むしろ、地域密着主義者だ。サッカーはエスパルス、好きな選手は川口。富士市が大好き。日本中の人々よ、トイレットペーパーを使うときは富士市民に感謝しなさい。僕達がくさい臭いを我慢しているからこそ。ふかふかした柔らかい紙でお尻がふけるのだよ。新幹線が富士川鉄橋を通過する直前のあの臭い。あの臭いをかいたら富士山に向かって感謝の礼をしなさい。
なんちゃって。
8/11(土)☆HP開設記念日にあたって。
ということで、今日は初公開記念日。であるから、靖国神社問題について書く。この問題に関しては「産経新聞」や小学館の隔週誌「サピオ」や漫画家であり言論人である、小林よしのり氏らが主張していることに全く同感である。そもそも、昭和60年ころまでは歴代総理は皆公式参拝していたんだ。それが故大平首相の時ににわかに政治問題化した。それは、故大平首相がクリスチャンであったからだ。そして、そのことで日本の新聞(どうせ朝日だろうよ)がぶつくさ言っている間に中国がいちゃもんをつけてきたのだ。今では、さも小泉総理の独断で公式参拝が初めてなされるように感じていないか?
井沢元彦氏も言っておられるのだが、そもそも日本と大陸(儒教思想を根本とする国々)では、文化が違う。中国は悪人と決めたら墓まで暴く国、韓国は恨(ハン)の国。それに比べて日本は、一言で言うと、原始宗教が純粋なままで残ってる先祖崇拝の国である。たとえ死んだ人間が悪人であろうと一旦、霊となればそれを篤く弔うのを美徳としているのだ。日本人の特徴を表す有名な例え話として「仏教徒が1億2千万、神道が1億2千万、」というのがある。これを日本人は自嘲気味に使う、しかし、これが大間違え。日本人の宗教は純粋な先祖崇拝でしかない、たまたまつい最近死んだ人を仏式で奉り、ずっと遠い昔に死んだ人を神式で奉っているに過ぎない。僕達は子ども頃、お盆のお墓参りで「死んだおばあちゃんにナムナムして、どうか頭の良くなるようにとお願いしなさい」と母親に言われ、正月になると初詣で「パンパンとやってどうか頭の良くなるようにとお願いしなさい」と言われた筈だ。そもそも、それほど区別をしていないのだ。
日本人にとって死んだ人は皆、自分を守ってくれる霊なのである。
加えて、日本には非業な死を遂げた人ほど手厚く弔うという図式がある。そうしないと怨霊に化けてしまうからだ。こんな話は、平安時代からいくらでもある。なんで、藤原氏の女である紫式部が書いた恋愛小説を「源氏物語」と呼ぶのだ、六歌仙と後にうたわれた歌人はなぜ、寂しい人生を送ったのか。源氏が非業だからこそ「源氏物語」ではヒーローにさせ、寂しい歌人だからこそ六歌仙としたのだろう。
「戦争で死んだ」。これこそ日本で一番の非業の死ではないか、だからすぐ神様になって魂は靖国さんでお奉りするんだろう。
もっと付け加えれば、この問題(いたって日本独自の文化である死者の概念について)文句を言うのは明らかに「内政干渉」である。なんで、中国や韓国に素直にそう言わない。「世界は一つ」、日本人は地球市民だからか、こんな甘い考えを持っているのはお前らだけだぞ、朝日の読者諸君、
この続きは、「地球市民なんて言葉はない」という御題でやろう。