は今も昔も、インディーズもメジャーも変わらないことだろう。しかし、そこにはイメー
ジの壁のようなものがあって、受け手の感性を惑わす。               
      
 まっすぐなラブソングも、誰かがギター1本でストリートで歌ったら、人に伝わるのに
有名アーティストが歌ってミリオンセラーになると、それが違った心根に感じたりするの
は寂しいことではないだろうか。逆もまた、しかり。アーティストのOOはいい曲創るか
ら今度もまた、泣かせるラブソングね、などと受け取られるのは悲しい話である。   
 
 それが21世紀、これからは違ったことになりそうである。インディーズはエスタブリ
ッシュトされたメジャーに隠れて、受け手を選ぶという暗い文化ではなく、またメジャー
がメディアや大衆に媚びを売るだけではなく、共にある意味本来の姿に『帰る』のではな
いだろうか。                                  
 情報化、ネットによる伝達技術の進歩などがもたらす新しい文化への大きな力は、ただ
単に誰でも簡単に表現が可能になることを示唆するわけじゃなく、コミュニケーションと
素朴な創作への意欲が見直される機会を得ることではないか。            
 そのためには、創り手も受け手も、もっと軽いフットワークも必要なようである。流行
り廃りに気を取られず、純粋な喜び、悲しみが互いに感じられれば、自然と文化は紡がれ
てゆくものだろう。                               
 地下道のインディーズ達がプレミアを身にまとって、きらびやかな舞台でくすんだパフ
ォーマンスを披露するのは見たくないものである。                 
  
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