第85号:2004年3月24日日(水)

2月議会定例会が終わりました

最近の小池市政は質が変わってきました。
議会では長々と答弁し時間切れによりまともな論議ができません。
考え方の違いは当然のことです。それを論議するのが民主主義の筈。
小池市政はそういう論議ができるリベラルな市政だと受け止めていましたが残念です。

て、2月議会定例会が19日で終了しました。この議会は2004年度の予算案を審議する重要な定例会でした。私は以下の理由で予算案には反対しました。その趣旨と反対討論の全文を掲載しましたが、読んでいただけたら有難いです。

関連するデータなどを、追ってUPしていきたいと思います。他にも国民健康保険税の値上げ問題(これは反対)、高齢者の敬老祝い金の交付対象年齢の引き上げ(これは賛成)など大きなテーマもあり報告しなければなりません。






これはどういう予算案かと言うと・・
新年度予算案は単に緊縮財政を反映したものに過ぎない。
旧態然とする市の姿が目立つ。
 去る2月26日、本義会の初日、小池市長の施政方針とともに提案されましたこの予算案でありますが、各会派による代表質問、また、予算審査、そして一般質問などを通じ、多くのことが問われてまいりましたが、そのいくつかの点に触れながら討論をさせていただきます。
 この予算案、予算規模は325億9500万円。前年度の当初予算と比較をしますと、約22億2千万円の増額の予算となっておりますが、その中身は、減税補填債の借り換え分約24億円を含み、したがって実態は約302億円の規模ということになります。
 景気の上向きが言われつつも、しかし依然として低迷する経済状況の中で伸び悩む市税収入。三位一体改革による地方交付税の源額、国庫補助金のカットとそれに見合う税源委譲が8割に留まってしまうことの影響、など、ますます緊縮財政が強いられております。
 一方、市民生活における「公的なサービス」への必要性はさまざまな分野で高まり、広がってきております。小さな予算で大きな必要性を満たす・・ということがますます求められております。こうした必要性を満たしていくためには、市政も大きな転換がなされなければなりません。
 いま「公」とは何か・・ということが問われております。いうならば、市役所だけが「公」を担っているのではない。市民が、地域が、企業が、それぞれ自己責任のもとに、この「公」というものを担いあっていく・・という新たな「公」を形成していくことが求められているのであります。もちろん、安易にこうした方向性に向かうことは単に行政責任の放棄にもつながりかねません。理念の成熟や共有が必要であることは言うまでもありません。
 今回、この小さな規模の予算案は、「課題重点配分型予算案」との説明がなされております。しかし、これは単に、強いられた緊縮財政を反映したものにすぎず、物件費などの経常経費の一律の削減、市単独運営費補助金の一律的な削減などにより、経費をカットし「重点課題」とされる分を優先したということに他ならないのであります。
 本来、小さな予算であっても必要性を満たしていける方向性が強く意図されるべきでありますが、単に「財政が厳しいからこれだけしかできない」ということに過ぎなく、一方では旧態然としたあり方が横行しております。
 たとえば、その大きな支出が強く財源を拘束する職員のみなさんの退職金。なぜか、退職時に2号奉昇級するという問題。市民に対しどのように説明責任が履行できるでしょうか。また、退職された方が、市の関連機関や社会福祉法人などに再就職している実態も、その自由はあるとは言え、このように雇用情勢の不安定が続く中で市退職者が指定席を得られるということであれば、市民からすれば必ずしも納得できるものではありません。これらは総務委員会の予算審査の中で指摘がなされたところでありますが、是正、再考を求めたいと思います。
合併問題は・・
「合併対策室」ではなく「自律対策室」を!
合併すれば財政は良くなる・・と思ったとしたらそれは幻想だ
さて、「公」をみんなで担い会う地域社会の形成ということは、実は三島市が三島市としてより自律をしていく、自律度を高めていくことへの方向に他なりません。今議会で、小池市長は「合併対策室」を設置する旨を明らかにしておりますが、「合併対策室」ではなく、「自律対策室」であるべきだと考えます。
 小池市長は、ここで、4市7町1村による政令市合併以外の合併をも視野に入れたものと受け止められます。今後、明らかにしていきたいと思いますが、どちらにしても、こと「財政」という見地からすれば合併すれば財政が豊かになると考えるのは幻想にすぎないということをここで敢えて主張しておきたいと思います。
 政令市合併の場合、地方交付税の一本算定により現状よりも多くの金額を得られるという論があります。人口規模と委譲事務による態様補正の補正係数がより大きくなるからであります。しかしこれとても地方交付税の交付額全体が縮小していく中での話でありますし、しかも、委譲事務を行うについてはそれ相当の支出が伴うことからすれば、これは国道の維持管理などが典型でありますが、政令市合併が財政的な豊かさをもたらすというのは間違っていると思われます。また、政令市に向かう静岡市でも新たな論議を読んでいる市街化区域内農地の宅地並み課税の問題。こうした問題も当地域において発生することが総務委員会での予算審査の中で取り上げられております。
 一方、今議会「1市3町論」あるいは「2市3町論」も浮上しておりますが、さきほど述べた政令市合併による交付税の増額ということを借りに「メリット」と捉えるとしても、実はこれは先ほど述べたように「メリット」とは言えない訳でありますが、それを借りに「メリット」と捉えるのであれば、その「メリット」は理論上、ありません。無い。交付税の不交付団体を含む場合、財政力指数「1.0」を上回る部分と「下回る」部分が相殺され、結果として交付額を少なくさせる。このうえまた、段階補正によるマイナスが作用し交付税の交付額はいまよりもむしろ少なくことが予想されるのであります。(以後、検証していきたいが)
 ですので、合併を志向することよりも、より自律へ向かい、地に足をつけて、腰を据えて、市民ニーズに即して広域行政を具体的に進めていくべきであります。三島駅北口の整備などの都市計画分野やこれから建設が困難になるであろう特養ホームの建設などの福祉分野、湧水の復活やバイオマス活用などの環境分野、さまざまな分野で、その余地は大いにあるのであります。
学校2学期制へ移行というけど・・
学校2学期制の導入は「試行」であるべき。充分な検討が必要。
教育委員会が形骸化してはいまいか。
引き続いて、予算案などをめぐり今議会で大きな議論になったことについて触れておきたいと思います。
 ひとつは学校2学期制に向かう動きについてであります。
 この新年度から、小学校については4校、中学校については2校が「試行」され17年度から全校で実施に向かうということであります。この「試行」ということでありますが、
「試行」とは広辞苑をもちだすまでもなく、「試しに行うこと」とあり、文字通り「試しに行う」と書きます。しかし、17年度から全校の導入が既に予定されている。国語的に言っても意味合いのうえから言ってもこれは誤りであり、こどもたちや保護者のみなさんにとっては「誤り」を教育行政によって教えられるようなものではないでしょうか。したがって、その本来の意味に沿って、本格導入に向けては一定の検討期間と検討の形を設けるべきだと考えます。
 今回、この議論に際し、5人の合議制機関たる教育委員会ではどのような論点が出され、どのような整理がなされているのかと思い、その会議録を求めてみたところ、これと言った論議の形跡がありませんでした。会議録の記述のあり方の問題なのか、否かは判然と致しませんが、どのように論点整理がなされているのかよくわかりません。「教育委員会の形骸化」が一般的に言われておりますが、そういうことでなければよいと考えるところですが、17年度全校実施以前に必要な論点が整理され、実施か否かの判断が適切になされるように求めておきたいと思います。
まちなかの活性化は大きな課題だけど・・
「本町タワー」の「公共公益床」(4F)の取得の3億円余は問題だ。
いま民間再開発への公的支援のあり方が大きく問われているのだ。
最後になりますが、本町タワーにおける公共公益床の取得ついて触れておきます。このことのための約3億円の支出についてはやはり見直されるべきだと考えます。繰り返し述べることになりますが、中心市街地の活性化については大きな課題であることには相違ありません。が、そのために、三島市は既に補助金約12億円のうち、3億円の補助金交付を決定しております。言うまでもなく、補助金は、地方自治法上、「公益上必要と認められる限りにおいて支出することができる」のでありますから、この「公益上の必要性」は既に十二分に満たしていることであります。
 そのうえ、この公益床の取得ということについては、事業に対する財政的援助という色彩が強いのでありまして、本来、民間の事業者の自己責任に基づいて収支が図られるべき問題であります。いかに活性化のためとは言え、もとより事業者の自己責任、そして市の財政状況からすればこうした大きな支出についての妥当性はありませんし、状況如何によっては今後、際限なく市による助成・援助が求められることもあり得ます。もちろんあってはなりませんが。
 そうしたことからすれば、慎重のうえに慎重をかさねた論議が本来は必要であったにもかかわらず、残念ながら、その経過上、そのような機会はありませんでした。もう少し正確にいうのであれば、言わば事後承認的な、そして「説明をした」というアリバイづくり的な説明会がもたれたのみでありました。しかも、それも議員サイドからの求めに応じてのものであります。こういうあり方は絶対に間違っていると指摘をしておきたいと思います。