追悼 ラザール・ベルマン

 巨匠 ラザール・ベルマンが2005年2月6日、イタリアのフィレンツェの自宅で74歳の生涯を終えた。

 ベルマンと私との出会いは27年前に遡る。私20歳の時、当時ロシア在住のベルマンは、日本で初めての公演をすることになり、その第一歩が札幌公演であった。忘れもしない厚生年金会館。当時読んでいたレコード芸術での前評判に心躍らせ、学生の身分にしてはとても高価なチケットを手に入れ、アルバイトを途中で帰してもらい、駆けつけたのであった。

 その時の感動は今でもはっきり想い出されるが、頭の中で鳴り続けるベルマンのピアノの音が消えてしまいそうで、自動二輪のエンジンを掛けられず、1km以上押して歩いたのだった。上のLPジャケットがその時に会場で購入したものだ。

 そのベルマンが常葉学園の招きで1999年2月静岡にいらっしゃったのである。この情報をAOIのチラシで見たのだが、まさかあのベルマンが静岡になんか来る訳がない、きっと人違いだろうと思ったが、その時見えていた常葉会の会長Eさんに「ベルマンって巨匠のベルマンじゃないですよね」って聞いてみたのだが、さっぱり誰の事やら分からないEさん。すぐ常葉の木宮岳志さんに電話して下さり、巨匠のベルマンだという事が判明、すぐチケットとパーティーの招待状を手配して下さり、感動の再会となったのである。

 ベルマンがAOIのステージに現れ、ピアノの前に座り、数秒の沈黙の間にF・リストがベルマンに乗り移るのが見えた。27年前と同じ位高い位置から振り下ろされる腕、昔と同じだ。枯れた音を想像していたのだが、枯れるどころか青年の様な躍動感、それでいて深く、甘美極まりない音色。もうその後は涙が止めどなく流れるばかりで、感動感激で身体は打ち震え、一緒に出かけた十数人の友人もあきれる程であった。まったく涙腺が緩くて恥ずかしいが仕方がない。

 その後の歓迎パーティーでは、木宮岳志さんのご配慮で、パーティー開始前にベルマン先生に逢わせて下さり、先のLPジャケットにサインをして下さったのだった。私もその時にベルマン先生に札幌公演の時のCDをプレゼントして、大変喜んで下さった。そのパーティーのスナップ写真も宜しかったら見て頂きたい。フラッシュを焚かなかったのでブレているが、お許しを。

 そのパーティーの時、私の話や想い出をベルマン先生に通訳して下さった、常葉短大の桑原先生の新聞記事も掲載させて頂きます。

心よりラザールベルマンのご冥福をお祈り致します。門間和彦

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桑原先生のラザールベルマン追悼記事

 

ラザール・ベルマンについて

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