最愛の娘よ、願わくば・・・ |
(いい天気だ。) 世間はまだ梅雨真っ只中。 だが、連日の雨続きが嘘だったかのように今日は一輪の光が射す。 この時期の太陽が照らす強い日差しは 一部洗濯物を野外に干すことに狂喜乱舞する主婦を除けば 明らかに世の中の動きを鈍くさせてしまうものであり、 案の定、気だるい空間を生み出している。 久しぶりに顔を出すことができた太陽にとっては不本意極まりないことだろう。 今日は珍しく浮気調査の依頼が入ったこともあり鳴海探偵事務所内は朝から活気付いていた。 只今、真神と京香は調査対象人物の身辺調査のため外出中。 肝心の俺は事務所のソファに身体を委ね、この気だるさを満喫している最中だ。 なに、真神が優秀過ぎるからやることが無いんだ・・・と言い訳しておく。 どうせ京香が戻ってくればガミガミ言われるのは目に見えてるけど。 とは言え、このままだと気だるさに汚染されて脳味噌まで溶けてしまいそうだと思い 何か面白そうなものはないかと視線を彷徨わせてみる。 ふとその視界にカレンダーが入ってきた。 カレンダーの絵がつい先日まで見慣れていた風景画から 俺には全く意味の分からない抽象画に変わっている。 絵が変わったということは月も変わったということ。 (そうか、もう7月か・・・。) 1年の折り返しとなる月。 誰もが「1年は早いなあ」と実感する月である。 7月のカレンダーは1日の部分だけに×印が付いているので今日は2日なのだろう。 7月2日。 ユネスコ加盟記念日、たわしの日、救世軍創立記念日、 意味を理解し兼ねる取って付けたような記念日が世の中には氾濫しているが、 俺にとって今日ほど嬉しくて、そして大事にしたい記念日はない。 7月2日。 私の最愛の娘が生まれた日なのだから。 俺はソファから立ち上がり机の引出しから古い写真を取り出した。 写真には清香と幼い日の京香が一緒に写っている。 (こんなに小さかったのになあ・・・。) あどけない笑顔の少女と穏やかな笑みを浮かべる女性。 このあどけない笑顔の少女もやがて大人となり、 今は穏やかな笑みを浮かべる女性と似た顔付きになっている (清香、俺とお前の娘は立派に成長しているよ。) 母親を亡くしてから男手一つで育ててきた一人娘。 沢山心配させたし苦労もかけさせた。 京香が「親」としての俺をどう思っているかは分からない。 もしかすると親として失格の烙印を押されているかもな。 ただ、自分の娘が立派に成長している、それが何よりも嬉しい。 (願わくば・・・) ガチャリ 扉を開ける音がして俺は手に持った写真を反射的に引出しの中へ仕舞った。 死んだ奥さんの写真を眺めていた、なんてところを娘には見られたくない。 「もう、またサボってる!」 第一声から怒られた。 まあ、運良く京香が事務所に入ったときにこちらを見ていなかったのを良しとしよう。 「んー、人聞き悪いな京香。 俺は留守番だよ留守番。 事務所に誰もいないのは問題だろう。」 「それはそうだけど・・・」 予め用意していた言い訳を一閃。 一理ある回答なのでこれなら反論できん。 「ま、京香が帰って来たなら留守番代わってくれ。 俺は調査に行ってくる。」 「わかったわ。」 俺はテーブルに置いてあった煙草を取りポケットにねじ込む。 そして事務所を出ようとしたが一旦扉の前で止まり京香の方に振り返った。 「今日は早く帰る。」 「あら、お父さん珍しい。」 「んー、まあこういう日もあるさ。 暑いしな。」 そう告げると意気揚々と目的の全く無い調査へ飛び出した。 (さて、氷室のところで時間潰すかな。) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「ただいまー」 玄関の方から京香の声が聞こえた。 いつもより遅い帰りだ。 今日は依頼があったからだろう。 おかげ様で俺の方は色々と準備出来たんだが。 「お父さんただい・・・まって何やってるのよ」 ・・・キッチンへ入ってくるなり絶句&しやがった。 「見て分からないか、料理だよ料理。」 「どういう風の吹き回しよ。」 凄い言われようだな。 久しく料理なんてしたことないから仕方ないか。 「ま、梅雨時の晴れ間みたいなものさ。」 「要するに『気まぐれ』ってことね。」 「そういうこと。 出来たら呼ぶから楽な格好に着替えてきなさい。」 「わかったわ」 京香は自分の部屋へと戻っていった。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「ごちそうさまでした。」 「御粗末さま。」 食事はつつがなく終了した。 久しぶりの料理だったんだが、まあ口に入れられるものは作れた。 京香が(多少無理をしたのではないかと思うが)美味しいと言って食べてくれたから良しとしよう。 「お父さんの料理なんて久しぶりね。 私が子供のとき以来かな。」 そんな昔になるのか・・・。 今は家事に関して京香におんぶに抱っこな俺からは想像つかないが 京香が小さい頃は四苦八苦しながら家事をやっていたものだ。 料理が不味くて文句言われたり泣かれたこともあったっけ。 そんな昔の苦労を懐かしんでいると 京香は少し含んだような顔をして俺に問い掛けてきた。 「そうそう、なんで今日は早く帰ってまでして料理作ってたの?」 「ん?単なる気まぐれ。」 「本当?」 珍しく食い下がる京香。 「ウソ言ったってしょうがないだろう。」 「そうか・・・ ふふふ、お父さんのそういうところカッコイイな。」 そう言うと何か企んでいるのではないかという表情を穏やかな笑顔に変え、 何故か俺が買ってきた筈であるケーキの箱を右手で差し出してきた。 「あ!どうしてそれを!」 「玄関の靴箱の上に置いてあったわよ。 お父さん、靴脱ぐときに置いてそのまんまだったんでしょう。」 「あちゃー、すっかり忘れてた。」 というか食事が終わるまでダンマリしてたのか京香は。 そもそも置きっ放しで全然思い出さなかった俺も悪いって言えば悪いんだが。 「小さい頃から私の好きだったケーキ屋の箱があったから『何かな』と思ったのよ。 そしたら誕生日になるとお父さんがいつも買ってくれたのを思い出して。 ・・・実は私も今日が自分の誕生日だってすっかり忘れてたの。 でもこの箱を見たおかげで思い出したわ。」 なんかこう、手品師が手品をやる前に観客から種明かしされたみたいな虚しさが残る。 「ねえ、開けていい?」 「あ、ああ。」 作戦が失敗して気の抜けた状態になっている俺を余所に 京香はケーキの箱を開けテーブルの上に並べ始めた。 「ねえねえお父さん、私モンブランでいい?」 「ああ、それはお前のだ。」 嬉しさがダイレクトに伝わってくる笑顔で準備する京香。 その姿は子供の頃とちっとも変わっていない。 成長したとは言えやっぱり娘は娘のままなんだと思う。 と、準備が出来たみたいだ。 俺の目の前にはレアチーズケーキ、京香の前にはモンブラン。 昔と変わらぬ御互いの好物が目の前に置かれている。 「ま、お前を驚かせる作戦がパーになっちまったが、 誕生日おめでとう、京香。」 「ありがとう、お父さん。」 簡単ではあるが祝福の言葉を送りケーキを食べ始めた。 「美味しいなあ。」 そう何度も言いながらモンブランを頬張る。 ま、味が保証されている食べ慣れたケーキだけあって胃にもスルリと入るようで、 京香は目の前のケーキを瞬く間に平らげてしまった。 「デザートは別腹」とは良く聞くが我が娘も例外ではないらしい。 一息つくとまだレアチーズケーキを食べている俺に話し掛けてきた。 「お父さん、もう一つ苺のショートケーキが入ってたんだけどこれって・・・」 「ああ、それはお母さんの分。 清香も一緒にお前の誕生日を祝ってあげなきゃな。」 やっぱり、という顔で京香こちらを見ている。 清香が苺のショートケーキを好きだったこと、まだ京香も憶えていてくれたみたいだ。 その目には薄っすらと涙が浮かんでいるように見えた。 「・・・うん、ありがとうお父さん。 そして、お母さんも。」 「さあ、お母さんの分は一緒に食べよう。」 そう言うと、京香は嬉しそうにケーキを取り出して頬張り始めた。 ショートケーキの生クリームを口元に付けながら嬉しそうに。 その姿は子供の頃の京香の姿と ショートケーキを食べている時の清香の姿がダブった。 「そういえば今年で何歳だっけ?」 「29よ。 もうオバサンと呼ばれる歳になっちゃったわね。」 29か・・・。 清香がこの世を去った年齢と同じ。 京香。 俺の最愛の娘。 俺と清香がこの世で生きていた証。 − せめてお前だけは清香よりも いや、俺よりも長生きしてくれ |