ここが君の帰る場所



 「こんにちわ。」

突然の来客で目を覚ました。
俺一人で事務所の留守番している最中だったのだが
少し考え事をしたくて目を瞑ったらすっかり眠ってしまったらしい。
テーブルの上に足を投げ出した御行儀の良くない姿勢で眠っていたので
京香が帰ってきたんだったら大目玉どころでは済まされない話だろう。

俺は慌てて身体を起こし、入り口まで出て客人を迎える。
そこには手に白い杖を持った可愛らしい娘が立っていた。

 「いらっしゃい。」

 「所長さんこんにちわ。
  あの、真神さんは・・・」

顔をほのかに赤らめながら遠慮がちに真神のことを聞いてきた。
彼女は確か・・・『嘉納潤』といったな。
盲目のピアニストとして世間を騒がせているピアノのお嬢ちゃんだ。
そんなワールドワイドで有名なお嬢ちゃんと真神はどうやらいい関係らしい。

 「ああ、今はちょっと外に出てるよ。
  もうすぐ戻ると思うからここで待ってな。」

 「でも、所長さんの御仕事の邪魔になりますから。」

 「そんな気を使わなくていいんだよ。」

そもそも仕事してないし・・・。
このまま俺を一人で放っておくと再び寝てしまう確率が高い。
それなら京香が帰ってきたときにお咎めのないようお嬢ちゃんの相手をしているのが一番だ。

 「今日は仕事もあってないようなものだ。」

 「・・・それでは、お言葉に甘えさせていただきます。」

そう言ってお嬢ちゃんは小さくペコリと御辞儀をした。

 「じゃあ、こっちに座ってな。」

そのまま立たせておくのは悪いからソファへ誘導して座らせた。
見ればソファへの座り方も埃を立てないように静かに腰を下ろす上品な座り方。
ドスンと腰を落とす俺には真似のできない世界だ。

 「茶とコーヒーしかないんだが、どっちがいい?」

 「いえ、そんな、お構いなく。」

可愛らしく両手を小さく左右に振りながら遠慮するアクション。

 「うちの社員の大事なお客さんだ。
  しっかりお持て成ししないと真神に怒られちまうよ。」

 「・・・」

手を口元に当て少し悩んでいるような表情を見せる。
どうやら日本人の美学である形式的な「遠慮」をした訳ではなく、
お嬢ちゃんは本当に「遠慮」をしている様子だ。

 「それにどうせ俺も飲むんだから1人分だろうが2人分だろうが一緒。
  だから遠慮しなくていいんだよ。」

 「では・・・お茶を頂けますか。」

と言ってようやく笑顔を見せてくれた。
たかが茶を出すのに本気で遠慮されるのは正直なところ性に合わないのだが、
彼女の場合は「今までそうやって生きてきた」という
生き様を見せているような感じがして不思議と悪い気はしない。

 「了解。」

俺も笑顔を返して給湯室へと向かった。

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彼女の一つ一つの動きは『神聖な御嬢様』を髣髴とさせ調子狂ってしまう。
丁重に扱わないと壊れてしまいそうなガラス細工のようなイメージ。
もしかすると彼女と普通に付き合っている真神恭介はとんでもない大物なのではないだろうか。

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お茶を煎れて給湯室から出てくる。
お嬢ちゃんは背筋をシャキっと伸ばした姿勢で静かに座っていた。
ずっとあんな格好してたら疲れちゃうだろうに・・・。

 「どうぞ召し上がれ。
  俺が入れたから味の保証はできないけど。」

俺は彼女の前にお茶を置いた。

 「ありがとうございます。」

そう言うと彼女は湯飲み茶碗を手に取ろうとゆっくり探るように手を前に出した。
そして置いてある位置が分かると湯飲み茶碗の形と熱さを指先で確認してから手に取りお茶を口に含んだ。
・・・直接渡してあげればよかったな。

 「美味しいです。」

 「ありがとう。」

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しばらくはお茶を飲みながら当り障りの無い話で盛り上がった。
見た目は大人しそうだが話してみるとそうでもない。
こっちの質問にはてきぱき答えるし、その答えも自分の言葉をしっかり紡ぎ出している。

このお嬢ちゃんがどんな環境で育ったのかは知らないが、
少なくとも正しい教育を受けながら育ってきたのは間違いないだろう。
何より、一つ一つの言葉から強い意志を感じずにいられない。
自分の言葉に魂を込めているような、そんな感覚である。

ある程度会話を交わして御互いに慣れてきたので
一つ核心に触れる部分について聞いてみることにした。

 「お嬢ちゃん。」

 「はい。」

 「真神のことどう思ってる?」

 「え!?
  あ、あの、その、優しくてカッコ良くて、その・・・好きです。」

お嬢ちゃんはそう言うと真っ赤になって俯いてしまった。
最後の一言は耳を澄まさなければ聞こえないくらいの小さい声だったが「好きです」と言っていた。
・・・いきなりノロケ聞かされちまったよ。

 「真神が『ついてこい』と言ったら?」

 「ついていきます。」

真っ直ぐな目をして即答した。
その言葉に嘘偽りが無いことが伝わってくる目だ。

 「奴が『探偵』という職業でもか?」

 「あ・・・」

聡明なお嬢ちゃんだ。
俺が何を言いたいのかはすぐに分かったらしい。

 「探偵には少なくとも他の職業よりも『危険』がつきまとう。
  そりゃ人の秘密を暴けば、恨みや妬みを買いやすくもなるってもんだ。」

 「・・・」

真剣な眼差しを俺に向ける。

 「だが、その矛先が真神本人に向けられない場合もある。
  真神の身内や大切な人に向けることで、間接的に警告や復讐を促すというケースも少なくない。」

そう、清香のように。
いつぞやの事件で白石の友人が殺されたように。

 「真神の横にいる為にはそこまでの覚悟が必要なんだ。
  その覚悟・・・お嬢ちゃんにあるかな?」

 「あります。」

迷う素振りもせず、きっぱりと言い切った。
・・・そう言えば清香に聞いたときも同じような反応だったな。

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 −刑事と結婚する以上、その家族には常に『危険』がつきまとう
  それでも清香、俺についてきてくれるのか?

 −ええ、もちろんよ
  私は『鳴海清香』として生き、『鳴海清香』として死にたいから
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あのときの清香は一切の迷いが無い覚悟を決めたような視線で俺を見つめていた。
今、俺の目の前にいるお嬢ちゃんの姿が在りし日の清香と被る。

 「そうか、そこまで本気なら大丈夫だろう。

  清香・・・亡くなった妻に同じような質問をしたときも
  今のお嬢ちゃんのような迷いの無い返答だったよ。」

 「私は全ての覚悟が出来ています。
  この先、どんな運命が待っていようと真神さんについていきたい。

  でも・・・」

と、先程までの真剣な眼差しが一瞬で曇ってしまった。
続けて自分の胸の内を打ち明ける。

 「真神さんに迷惑をかけてしまうかもしれませんね。
  本当は真神さんのために洗濯も掃除も料理も何の不自由も無くしてあげたいのに。
  そういう意味で『迷い』はあります。」

なるほど。
確かに盲目というハンデを持っている以上、
他の女性が普通にしてあげられることもお嬢ちゃんには出来なかったりする。
それ故に生じる迷い、真神の事を想うからこそ余計に気にしてしまうんだろうな。

だが、本当に必要なのはそんなものではない。

 「・・・傍にいてあげるだけでいい。
  お嬢ちゃんが真神の帰る場所になるんだ。
  真神が家を出るときには『いってらっしゃい』と送り出し、
  真神が家に帰ったときには『おかえりなさい』と迎えてあげる、
  これだけで十分なんだよ。」

 「所長さんもそうなのですか?」

 「ああ。
  ただ、生憎俺が気付いたのは清香がこの世を去った後だったがな。
  そんな簡単な挨拶一つを交わせることがどれだけ幸せなことだったのか・・・気付くのが遅すぎた。」

 「・・・」

 「世の中には失って初めてわかることって多いんだよ。
  何気ない平凡な日常を過ごすことこそかみ締めなければいけない幸せなんだ、そう思う。」

そして、真神もそれが一番大事だということが分かっている筈だ。
奴も目の前で大切な人を亡くしたことがあるのだから。

 「わかりました。
  私、真神さんの帰ってくる場所になれるよう頑張ります。」

本当はそんな気合入れなくてもいいんだけど、
お嬢ちゃんの真神を想う気持ちが純粋に伝わってくるのが可愛い。
彼女の真剣な眼差しを見る限り大丈夫だろう。
真神もまんざらではなさそうだしな。

 「でも、嬢ちゃんの場合はピアノ弾く時間が無くなっちゃうな。」

 「私はピアノより真神さんの方が大事ですから。」

ある程度の予想はしていたがやっぱりピアノより大事ときた。
彼女は今まで自分が積み上げてきたことを放棄する勇気を持ち合わせているのだろうか。

 「ピアノに未練は?」

 「それよりも真神さんを失ってしまう方が未練が残ります。」

 「そ、そうか。」

正直参った。
ここまで芯の強いお嬢さんだとは。
彼女に「真神の為に死んでくれ」と言ったらもしかすると本当に身を投げ出すかもしれん。
これじゃあ未練が残るのは今やワールドワイドに展開されたお嬢ちゃんのファン連中だ。

 「・・・真神も幸せ者だな。」

 「いいえ。
  一番幸せなのは・・・所長さんの亡き奥様だと思います。
  いつまでも所長さんに愛されているのですから。
  私も真神さんにとってそんな存在になれればいいなって・・・。」

 「・・・」

・・・こいつは最後で一本取られたな。
不思議なことにお嬢ちゃんに言われると嬉しくなってしまう。
言葉一つ一つに決して嘘偽り御世辞ではない純粋な気持ちが表れているからだろう。

 ガチャ

 「お疲れ様です。」

おっと、丁度良いタイミングで真神が外回りから帰ってきた。
俺としたことが上手く一本取られて困っちまいそうだったんで助かった。

 「ご苦労さん。」

 「所長、今日の調査・・・あれ、潤ちゃん来てたの?」

ソファに座っているお嬢ちゃんを見つけると少し驚いた顔を見せた。
その顔を見る限り予め事務所で待ち合わせていた訳ではないらしい。

 「はい。
  真神さん、おかえりなさい。」

 「ただいま。」

御互いに相手を待ちわびていたような、喜びがひしひしと伝わってくる笑顔で言葉を交わす。
真神の帰る場所、立派に勤めてるじゃねえか。
お嬢ちゃん、いや、この2人にはいらぬ心配だったのかもしれないな。

 「真神、おかえり。」

 「え?あ、ただいま帰りました。」

お嬢ちゃんの時とは打って変わり、俺の声に対して素っ頓狂な声を挙げやがった。
いつもはそんな声を掛けてないので驚くのも無理はないか。

正面に座ってそのやり取りを聞いていたお嬢ちゃんは俺に笑顔を向けた。
『真神の帰る場所になる』その意気込みが伝わってくる最高の笑顔だった。



 

コメント(言い訳)
どうもZac.です。
今回は所長と潤ちゃんという珍しい組み合わせで書いてみました。

話的には私の5作目「光を」とセットになります。
あっちは恭介の背中を押す作品、こっちは潤ちゃんの背中を押す作品。
とは言え、潤ちゃんの場合は「押す」という感じではないですけどね。
彼女の持っているハンデの部分での悩みを克服してあげること、
そして『探偵』である恭介と一緒に歩くことへの覚悟を証明すること
この2つがポイントではないかと思います。
と考えると、このケースで一番説得力あるのは
刑事時代に清香さんを失っている誠司所長でしょう。
誠司所長と清香さんも一緒に歩いていくことへの覚悟が御互いに必要だったに違いありませんから。

ちなみに誠司所長って潤ちゃんのようなタイプと話すのは苦手なような気がします。
基本的に掴み所のない会話で自分のペースを握っていくのが所長の話術ですが
潤ちゃんは所長の言葉に疑いの目も向けず真剣に真正面から受け止めてしまうので
所長は「こいつは下手なこと言えないなあ」とペース乱されてしまうのではないかと。
おそらく潤ちゃんには冗談や茶化しが通用しないですからね。
そんな御互いの「会話」を上手く表現したかったのですが・・・ちと失敗気味な予感。

これでとりあえず恭介と潤ちゃんの背中を押したことになりまして
順番からすると次はいよいよゴールインかなあという感じがしますが
私の脳内にはまだまだネタがありますのでもうしばらく御預けになる・・・・かな?
ま、乞う御期待ということで。
(そもそも私の「恭介×潤」で期待してる人がいるのかは疑問)