忘れ形見 |
「美味しそうに食べる貴方を見ているのが幸せなの」 と言っていつも食事中の俺を見つめていた清香。 テーブルに肘をついて両手を頬に当てるいつもと同じスタイル、そして優しい笑顔。 そんな清香に見守られながらの食事は格別に美味かった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「もう、お父さん!!」 事務所内に一際大きい声が響く。 「そんなに大きい声出さなくてもちゃんと聞こえてるよ、京香」 あー、何を言いたいかはわかる。 ここ鳴海探偵事務所では既に日常茶飯事となりつつあるやり取りになってしまったから。 「書類くらい・・・」 「いやぁ、こっちの方が分かりやすいもんで」 「きちんと片付けてって、もう先に答えないでよ!」 「はいはい」 京香にこんなこと何度言っても通用しないのは分かっているが、 元々は俺の城だったのになぁと考えるとせめてもの抵抗として何となく反論してしまう。 そもそも整理が面倒臭いというのもあるが。 昔はこれで良かったんだがなぁ。 優秀な社員達が位置を全部把握してくれていた。 だが、俺が訳あって失踪なんかしたもんだから 優秀な社員は全て事務所を出てしまい 京香がうちの探偵事務所で働くようになってしまった。 後は知らないうちに雇われていた真神恭介という好青年がいるだけ。 それからと言うもののどうも勝手が違う。 実の娘相手だというのに頭が上がらない毎日なのだ。 「お父さんが分かっても私達が分からないのよ!」 「うーん、分からない方がいい物も入ってるんだが・・・」 京香の通知表とか小さい頃の絵とか、そのまあ色々とだ。 「分からない方がいい物ってまさか・・・」 「いや、安心しろ。 流石に学生時代の通知表とかは入れとらんから」 適当に流したつもりだったのだがこの言葉は失敗した。 前の事件で青年が書類整理を行っていたことがすっかり頭から抜けていた。 「あ、家庭科が3だったやつですね。」 あ、言っちゃった。 京香の顔がみるみるうちに険しくなり 『ワナワナ』という擬音が似合いそうなほど力強く拳を握りだした。 うん、これは逃げるに限る。 「じゃあ青年、よろしく頼む」 俺は一秒の無駄もない動きで事務所を飛び出した。 「お、お父さんの馬鹿ーーーーー!!!」 と、本日一番大きな声が俺の背後に木霊した。 スマン、青年。 だが今回に限っては君も同罪だ。 さて、勢い良く事務所を飛び出した(逃げ出した)もののこれからどうしたものか。 今は真っ当な勤労者の間では「昼休み」と言う大事な時間帯だ。 スピリッツのランチタイムは近くのOL達で溢れているし、 サイバリアは・・・まだ死にたくない。 そもそもあまり腹は減っていない。 かと言って公園で鳩と戯れるにはまだ早い年頃だ。 「うーん、こういう時は如何に仕事っぽく振舞うかだよな。」 と呟いて遠羽警察署の方へ足を踏み出した。 困った時の氷室頼みというやつだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「警察署でサボるなんて相変わらずいい度胸ですね。」 「うーん、どうも事務所に居辛くてねえ」 氷室は穏やかな笑顔で迎えてくれた。 正直なところ毎度用も無くサボりに来る俺に呆れていないのが不思議なくらいだ。 「優秀な部下ができて何もやることが無い、ということですか」 「ま、そんなとこ」 氷室も一緒にサボっているではないかと言ってやろうかと思ったが、 俺の気紛れにつきあって貰っているのだから止めておいた。 今後の為にも敵に回したくない。 「その分、小僧の負担が増えてる訳ですね。 どうりでこの間道端で会ったときに疲れた顔をしていたはずだ。」 「ま、その分の給料はきっちり青年に与えてるつもりだがね」 実際にはちょっと少ないが。 「そうですかぁ。 ということは、ようやくお嬢さんのお人好し度合いに歯止めがかかりましたか」 「んー、訂正。 やっぱり少し少ない。」 氷室も京香のお人好し具合は知っているらしい。 困っている人、とりわけ若い女性が依頼人だったりすると 採算度外視で依頼を受けてしまうのは確実だ。 「はっはっは、でもそれを止めない鳴海さんも鳴海さんだ」 「・・・」 まったくもってその通りだ。 氷室も痛いところを突いてくる。 「この際、警察に戻ってきますか? 先の事件で人が減って猫の手も借りたいくらい忙しいので鳴海さんなら大歓迎です」 「よせやい」 大歓迎と言われて柄にも無く照れたので、照れ隠しに煙草を取り出した。 「私も失礼します」 と言うと、氷室も同じように煙草を取り出し 秋空の元で男2人煙草を吸い始めた。 まあ、特にこれといった話題があるわけでもなく、 煙草が終わるまでは御互いに無言、 そして煙草を吸い終わっても御互いに無言の時間が続いた。 ・ ・ ・ ・ どのくらいの時間が経ったのだろうか。 その沈黙を破ったのは氷室の方だった。 「・・・お嬢さん、最近清香さんに似てきましたね。」 「ん、そうか?」 「いや、てっきり事務所に居辛いのは お譲さんが清香さんに似てきたからかと。」 今の言葉で俺の表情が変わったのを氷室も見逃していないだろう。 この言葉は見事に核心を突いている。 断っておくが実の娘に恋愛感情が生まれた訳ではない。 ただ、清香の影がちらつくと昔の良い想い出や嫌な思い出が蘇って調子が狂ってしまい仕事に影響が出てしまうのは事実。 咄嗟の判断や間違えの許されない場面での判断が鈍ってしまうのだ。 現に京香のお人好し加減も程々にしなければうちの事務所にとっては死活問題なのだが 毎回俺はそれを止めることを躊躇ってしまっている。 京香の優しさは清香の優しさを思い出してしまうから。 (清香のことは吹っ切れたと思ったんだが) 俺が自嘲的な苦笑いをしながら 「氷室も鋭くなったなぁ」 と言うと、 氷室は口元を綻ばせ、 「鳴海さんの元部下ですから、このくらい」 と自信満々に答えた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 玄関に入った直後に漂ってくるカレーの匂い。 こりゃまた数日はカレーだけの生活になるな、と内心舌打ちしながらも 作ってもらえるだけ有難いと自分に言い聞かせながら靴を脱ぎ、 おそらく京香のいるであろうキッチンへと入った。 「ただいまー」 「お帰りなさい、お父さん」 京香は食卓の椅子に座っていた。 私の姿を確認すると私の分のカレーを用意する為に立ち上がる。 もう昼間のことは怒ってないみたいだ。 おそらく青年が上手く取り繕ってくれたのだろう。 「おい、今度は何日分なんだ?」 「3日分くらい・・・かな」 3日分か・・・ギリギリ許容範囲だな。 「あー、いい加減分量くらい覚えなさい。 将来の夫が苦労するぞー。」 「お、夫って!? もう!食べたくないならもう作りません!」 膨れっ面をして文句を言いながらよそったカレーを俺の前に置いた。 まあ、味の方は問題無い訳で有難く頂戴することにしよう。 俺はカレーを口の中に入れた。 「・・・どう?」 「ああ、味の方は問題無い」 「良かった」 京香の顔が笑顔に変わった。 「これで味に問題があったら最悪だ」 「そうね」 その後、部屋の中に響く音は俺の動かすスプーンの音だけだった。 京香はただ食事中の俺を黙ってずっと見つめていた。 『お嬢さんが最近清香さんに似てきましたね』 その姿を見て昼間の氷室の言葉が脳裏によみがえった。 テーブルに肘をついて両手を頬に当てるスタイル、そして優しい笑顔。 油断するとそこに本当に清香がいるような感覚に陥ってしまいそうだ。 まさにそれは、食事が格別に美味いと思えた頃の再現だった。 実の娘に向かって最愛の妻の名を口にしてしまうかもしれない。 そんな現実と非現実の境目が分からなくなりそうな俺に京香が追い打ちをかけた。 「お母さんがお父さんを好きになった訳が分かるな。 美味しそうに食べるんだもん。 自分の作った料理を美味しそうに食べてくれるの幸せ。」 「!」 遥か昔に聞いた言葉を聞いた。 もう2度と聞くことは無いと思っていた言葉を聞いた。 テーブルに肘をついて、両手を頬に当て、優しい笑顔で、清香が目の前に居る。 清香が京香の身体に乗り移ったのだ、間違いではない。 こんなことを本気で思っている俺は周りから見ればただの危ない人だろう。 怪しい宗教を熱心に信仰するかのように、盲目的に清香を求めている。 今だけはそんな馬鹿げた奇跡を信じてみようと思う。 清香に何か声を掛けなければ。 言いたいこと伝えたいこと感謝したいこと謝りたいこと沢山ある。 しかし金縛りにあったように何も出来ない。 柄にもなく緊張してスプーンを握る手は一瞬で汗ばんでいる。 「・・・」 「どうしたのお父さん?」 と清香に何を伝えようか考えているところへ京香の声。 口を半開きにして京香を見つめながら スプーンを持って固まっている俺の姿を見ればそりゃ声を掛けるだろう。 俺は現実へ引き戻された。 「あ、ああ、何でもない。」 どう見ても目の前にいるのは京香だ。 清香な筈が無い。 だが、さっきの奇跡だけは信じたい。 不思議そうな表情で俺の顔を見つめている京香。 しかし、よくよく考えてみると唐突に愛の告白のような言葉をかけられた訳で、 実の娘とは言え急に恥ずかしくなってしまった。 「おいおい、俺は食ってるときしか魅力が無いのか?」 恥ずかしさを紛わすために悪態をつく。 「ううん、そんなことないわよ。 私にとってはカッコイイ自慢のお父さんよ。 もう少し書類の整理はして欲しいけどね。」 負けじと実の父に愛の告白を続ける娘。 その言葉を他の男性に掛けてやらなきゃいかんだろう、という言葉が喉元まで出たが抑えた。 奇跡が起きた今日くらいは昔に戻らせてもらうことにしよう。 「そりゃありがとう」 いつも清香に返していた言葉を返してやった。 その言葉に京香はただ笑顔を返してくれた。 在りし日の清香と同じように。 |
コメント(言い訳) |
どうもZac.です。 今回は誠司所長の話、言うなれば誠司×京香(清香)です。 どうしても清香さんを絡めて話を書きたかったもので。 内容的には平凡な話というか、特に盛り上がりも無くオチも無く ノッペリとした感じでどうもいかんなあと思いました。 既にこの世にいない妻をいつまでも愛し続けるだろう誠司所長なら 清香の面影を見せるようになった娘の扱いに困るのではないかと妄想したらこんな話が出来上がりました。 最後は展開が強引ですけど、一途に妻を想う誠司所長なら個人的にはちょっとアリかなと思います。 まあ、読む人によっては「女々しい」で片付けられてしまったかもしれませんね。 もっと堂々としている方が誠司所長っぽいという感じもしますし。 ましてや「奇跡」を信じるなんてねえ。 前回の恭介もそうでしたが、誠司所長の視点も難しかったです。 誠司所長っぽくない表現もあると思いますがお許しください。 しかし、清香さんは美しいです。 初めて写真を見たときドキドキしました。 享年29歳ですか・・・惜しい人を亡くしてしまいましたなぁ。 |