バースデーケーキ


『静寂』

言葉で表現できるとしたら、おそらく最も近い言葉はこれであろう

見渡す限りの闇。その中には命の瞬きすら感じられない
プリシアはこの砂漠を海に例えて、大地の息遣いを表現したけれど私にはそうは見えない
なるほど目を瞑れば海を見渡すかのような感覚は湧きあがってくる

だが砂漠には何も無い

確かに波も存在し、耳を済ませば音も聞こえる
生と死を受け入れる大きな母の存在・・・だが海はその胎内に数限りない生の存在を孕んでいるが、
砂漠には、この眼前に広がる漆黒のうねりには、生の存在など果たしてどれほどあるだろうか
容赦の無い灼熱地獄と氷結地獄の繰り返し
生命が生き抜くには余りにも過酷な世界
人類が海や山々に大いなる「生」の存在を見出し、それを神と呼んで崇めてきたのならば、
この砂漠にも神の存在を見出したに違いない

「死」の存在を

時にそれは神の怒りの象徴であり、神の持つ冷酷な一面の象徴でもあった
それでも我々はこの砂漠の広がる世界で生きてきた
大いなる「死」の存在と常に隣り合う事で、だからこそ我々は「生」に感謝をし、生き抜く意志を見出してきたのではなかったのか

だが・・・その「死」の存在を受け入れようとしない者がいた
自らを神と信じ、己の意志が永遠に生き続けることを望んだ者がいた
彼の目には、この砂漠がどのように映っていたのだろうか

一切の生命の存在を否定する漆黒のうねり
己の死を神に委ねる事すら出来なかった者の哀れな末路・・・
いや、もしかしたら「死」を超越することで神に近付こうとしたその意志は、
即ちこの砂漠と同化することだと考えたのかもしれない
常に我々を支配する冷徹で崇高なる存在。それが彼の目指した物であったならば・・・

(埒も無い・・・)

視線を窓の外の砂漠から逸らして室内に戻す
国王の死に伴う国民の喪失感は予想以上のものだった
彼の敷いた恐怖政治は、確実にこの国の発展を阻止し、国民を縛り付けてきた
誰もが彼の死を望んで止まなかった
ひとたびそれが実現した時、彼らは喜びに打ち震え、そして途方に暮れた
圧迫され、従属することで生を営んできた者達にとっては、もはやそれが至極当然の事となっていたのだ
目の前に広がる自由に喜びを見出せず、戸惑うのも仕方無いのかもしれない

『自らの足で大地に立つ事の尊さには厳しさが伴う』

それが「死」と隣り合う砂漠の民の生き方であったはずだ
長い恐怖政治の下で彼らは強い者に従う生き方を強いられてきた
その恐怖の中で国王の死を声にはならない声で望んできた・・・これは間違いない
が、国王の死の後に彼らが望んだものは必ずしも解放と自由ではなかったのかもしれない

『我々を今の苦痛と恐怖から救ってくれる者への従属』

彼らが本当に望んでいるものはこちらではないのか
未だ現れぬ次の国王に求めているのはそれではないのか

(違う。そうじゃない。そうであってはならない)

それが私とプリシアの、手を取り合うべき共通の考えだ
しかし・・・

(伏魔殿・・・か)

そのために肉親が肉親を殺す・・・もはや人間の為せる業ではない
ひょっとしたら国民が噂する、前国王の亡霊とやらの仕業なのかもしれない

(フフフ・・・そうだったらどんなに楽かしら・・・)



疲れとやるせなさの中で浮かんだ暗い自嘲。それを遮るかのようにブザーが鳴った

「はい?」
「首相。御堂大使が御見えですが・・・」
(御堂が?)
「首相に面会を、とおっしゃっています。お会いになりますか?」
「・・・わかりました。こちらに御通しして」
「かしこまりました」
「あ、それから・・・」
「はい?」
「コーヒーを二つ、お願いね」
「かしこまりました」

ふぅ、と重い溜息が思わず口から出る
出来うる事なら彼とは会いたくはない
が、大使が正式な要請で首相に面会を求めている以上、それを無下に断ることもできない

(相変わらずこれ以上無いタイミングで現れるわね・・・)

彼の行動は、その一つ一つが綿密に計算された結果の産物である
会話の言葉の端々は勿論、視線の行方、沈黙の使い方・・・果ては眼鏡のズレを直すあの仕草までもが彼の「戦術」なのだ
流石に情報部のトップだった男・・・戦略だけでなく戦術にも長けている
その彼の目の前で心を晒されるのが、私にとっては耐え難い苦痛だった

以前はそのことが彼への愛情と言えばそうであったかもしれない
血縁を求めての結婚だったとは言え、私は確かに彼を愛していた
その淡い笑顔と共に差し出された両手が血に塗れていることも知っていた
だけど彼の祖国への偽り無い愛情と忠誠心は本物だった
娘への愛情だって偽り無いものだった・・・

こんこん、とドアをノックする音が聞こえる

「どうぞ」
「失礼します」

ドアを開けて御堂が入ってくる

「おや・・・御休憩の最中でしたか」
「構いませんわ。とにかくこちらへ」

一画にあるソファーに私達が腰を降ろした時、もう一度ノックの音が聞こえた
近習の者がコーヒーを持ってきたのだろう。コーヒーを置いてもらった後は軽く促して退出してもらう
その微妙な間にミルクを入れながら考えを巡らした

(一体何の要件で来たのかしら)と

幾つか思い当たるフシはある
近々日本で行われるべき戴冠式の準備、それに伴っての大使の赴任、不在中の国内の事務等々・・・
しかしそんな「表」の要件でわざわざ訪れるとは思えない
だとしたら、やはりあの件だろうか・・・
思わず表情が曇った所を、さりげなく、しかし鋭く糾して来るのが彼のやり方だった

「随分とお疲れの御様子ですな」

この時点で会話の主導権はほぼ向こうに握られたと考えていい
先手を取られた以上は、後は受け身に回らざるを得ない
・・・もっともこの男相手に先手を取ろうとはハナから考えてもいなかった
このセリフすら予想通り。如何にさりげなく話を逸らすか、それが私の戦い方

日本にある将棋というボードゲームは何百手先を読んで、数え切れないほどの状況を想定しながらお互いに戦うという
今の私達の会話もそれに似通っていると言えばそうかもしれない

「ええ・・・仕事は山積みですから」

あくまでコーヒーに視線を落として、彼の方を見ずに呟く
きっと目の前の彼は穏やかな微笑を浮かべてこちらを見つめている事だろう
その涼やかな微笑みがいいと言う、若い女の子たちの声を以前聞いたことがあった
一見しただけでは、とてもこの男の指揮の下で何百と言う死体が量産される、とは思わないだろう

「たまには御自愛することも大切ですよ、首相」

(・・・?)

予想外の言葉に思わず視線が彼の方に向く

(何時にない言葉をかけた真意はどこにあるのか)

コーヒーから彼へと移った私の視線と表情には知らずのうちに不審の色が出ていたのかもしれない

「ははは・・・そう厳しい顔をなさらなくても。健康管理も大事な首相の義務ですからな」
「どうも・・・」

そう言うのがやっとだった

「私の娘も」

(・・・!)

私の・・・娘・・・
この言葉の意味する所を知る者はそう多くはいない

「私の娘も慣れない日本の地で色々と悩み事があるようでして・・・特にアレは糖尿病体質ですからな」

知らない者が聞けばついつい同情するような、親馬鹿とも取れるこの発言
だが、私には台本に書かれたセリフを迫真の演技で読み上げるようにしか聞こえない

「大変でしょうに・・・」

話を逸らしたいが為に適当に合わせたこの私の言葉ですら台本の一部なのだ
そのことに気付いた時にはもう遅かった

「ですから彼女に護衛を、と思いまして・・・」
「護衛を?」
「ええ。無論王位継承のことは向こうには伏せるつもりですが」
「ですが・・・流石にオーバーなのでは?学校に大勢の警官を配備するとなると・・・」
「子を思う心にオーバーはありませんよ。もっとも大勢配備するのはアレも嫌がるでしょうからな」
「・・・」
「しかも護衛となるとアレの身の回りも色々見る事になる。年頃の娘ですからな、見られると恥ずかしい事もあるでしょう」
「小人数の女性で、ということですか?」
「小人数も要りませんよ。一人で結構です
 それも国家間の面倒を避ける為に向こうの人材に護衛してもらう、ということで如何でしょうか?」
「日本の・・・?」
「そう。人選以外に関しては向こうに一任した方が面倒も無いでしょう。
 事が事だけに公にはできませんが、だからと言って後になって『あの時手を打っておけば』では困りますからな」
「それは構いませんが・・・」
「まあ何も起きないでしょうな。日本はこちらと違って治安の素晴らしい国ですから・・・
 この国もそうあって欲しいですがね」
「・・・」
「娘の護衛の件、親バカと思われるかもしれませんが首相に了承を、と思いまして」
「・・・分かりました。人選以外はあちらにお任せするということで宜しいのですね」
「ええ。御協力ありがとうございます。書類云々は出来あがり次第また持参しますよ」
「わかりました・・・」

空になったカップに視線を落として暫し考える
傍目には行き過ぎた過保護とも思われるこの提案。おそらくこの男はパフォーマンスを打つつもりだろう
自分の「娘」を、健気なヒロインにするためのパフォーマンス・・・もっとも脚本はヒロインの父親が手掛けているのだが・・・

「それともう一つ・・・」
「他に何か?」
「明日は娘の誕生日でしたな」

(!!)

「仕事が忙しくて祝ってやる事が出来ないようなので・・・私の分も宜しくお願いしますよ」
「あ、貴方は・・・」
「本当ならロウソクがそろそろ両手両足くらいは必要なはず」
「・・・プリシア様と同い年だったわ・・・」
「では18本ですか・・・今頃はオマエに似て美しい姿になっていたのかも・・・」
「貴方に『オマエ』だなんて言われる筋合いは無いわ!」
「折角美貌を褒めたのに怒られたのでは・・・少々へこみますな」
「だったら・・・自分でロウソクを立てればいいわ・・・」
「独り者の中年男がケーキを買うには少し抵抗がありましてね。女性の貴方なら違和感もないでしょう?」
「あの子が・・・どんなケーキが好きだったか覚えてるの?
 最後にあの子の目の前でロウソクを何本立てたか覚えているの?」
「・・・大好きなパパに吹いて欲しいってダダをこねていましたな・・・」
「自分で吹くんだよって貴方が教えてもあの子はイヤがっていた。だから三人でロウソクの火を消した・・・」

表現のしようの無い、あまりにも長い一瞬の沈黙
目の前の男はそれを拒むでもなく、不快の色の一つも見せずにごく自然に受け止める

「・・・護衛の件、了解を得られて感謝しておりますよ。子を持つ親として・・・では失礼」

知らずのうちに激昴した私とは違って、彼は相変わらずのポーカーフェイスのままで踵を返した
いつも通りに面会を終えて部屋から出ていく・・・背筋が凍るほどに「いつも通り」のその言動
かつ、かつと彼の鳴らす足音が私の心に響く

(娘の誕生日を祝ってくれ、ですって・・・?)

もはや涙は出ない。いや、彼に対する憎しみすら失われてしまったのかもしれない

自らの「崇高なる」計画の為に、部下の娘の命を奪った・・・
いいえ、そもそもその部下の娘が自分の孫であることを知らなかったはずがない
自らの肉親すらを捧げるに至った「崇高なる」意志に取り憑かれた者の狂気

そしてその為に我が子の死すら捧げた、あの男の非情なまでの忠誠心
それが欲に眩んでの行動であったならば、まだしも私は理解できたのかもしれない
だがそんな物は微塵も感じられなかった
恐らく彼は自らの生命を差し出せと言われたならば、進んでそうしたであろう
それが保身の結果では無いことを知っていたからこそ、彼はあそこまで重用されたのだから

彼の一途な忠誠心は勿論国家にも向けられている
だが、それはあくまで国王というレンズを通して以上の何物でも無い

(己の主の為に命すら投げ出せるのは、彼の奥底に眠る東洋の血が故なのか)

彼に出会った私が一番最初に惹かれ、そして一番最初に恐れたのはその「血」だった

・・・

靴の音は何時しか聞こえなくなっていた
だが尚響くあの男の声・・・

(子を持つ親として・・・)

彼は、許されざる法でこの世に生を受けた「彼女」の親を引き受けた
それが演技であればすぐに「彼女」に知られたはずだが、それと知られる事無く親子として過ごしてきた

「彼女」の親として接するほどに、彼の忠誠心は揺るぎ無いものなのか

(それとも・・・)

いや、例えそうであったとしても何が変るわけでもない
私は、私に残された道であの子に応えなくてはならない
それが今まで私に言い聞かせてきた言葉

許されようなんて思っていない
許して欲しいなんて思っていない

何時か私の犯した罪に相応しい罰が下されるのであれば、それを甘んじて受けねばならない
だがその前に・・・私はせめて道を示しておきたい

人々が自らの足で大地に立てる、その道を・・・

そうでないとあの子に会わせる顔がないわ・・・

「そうでしょ?真弥子・・・」


◆ ◆ ◆


18にもなってケーキにロウソクを立てられるのは流石に恥ずかしいのかしら
まさかまだ「パパに吹いて欲しい」とは言わないでしょうね
でもあの子は・・・あの人にべったりだったから・・・

少し大きめのケーキには18本のロウソクが立てられている
その一つ一つに火を燈す・・・とてもじゃないが、喜びを見出せるような行為ではない
死者の墓前に花を手向けるような・・・或いはそれよりももっと悲しい行為

それでも私は18本全てに火を燈した

だって・・・誕生日ですもの・・・

暗い部屋を照らし出す18本の灯火
娘の死を受け入れられない哀れな親の、常軌を逸した祝福・・・かもしれない
でもこの日は貴方が産まれた記念すべき日
この場にはいないあの男も、この日がどれだけ特別な日か、それを知っている
だからケーキを・・・

(・・・)

ロウソクの薄明かりで照らされた暗い部屋に嗚咽が響く

独り夜中に、死んだ娘へのバースデーケーキに火を燈す自分がみじめだから・・・そうじゃない
娘を奪った者への憎悪と、娘の死を捧げた者への怨嗟・・・そうじゃない
「こんなこと」のために命を奪われ、そして許されざる法で再び偽りの生を受けた娘への憐憫
灯りの向こうに垣間見たあの時の私達・・・失われた物はあまりにも大きく、今尚私の胸をかきむしる

(・・・!)

風が吹いた

涙で濡れた頬にひんやりとした感触が伝わると同時に、灯りが消えて部屋は闇に包まれる

(・・・真弥子・・・)

ロウソクの火を吹き消したのは砂漠特有の突発的な強風
でも、もしそれ以外の何かがあるのだとしたら・・・

・・・お誕生日おめでとう・・・

今度はちゃんと自分で吹き消したのね・・・



星と月明かりに照らされた広大な砂漠
何処までも広がる漆黒のうねりは、死の存在を司り、時に死者の魂の居場所として例えられた
一切の生の存在を否定すると同時に一切の死の存在を受け入れる

生は神と共に在り
死は神と共に在り
我々は神と共に在り

 



四方山話(言い訳)
毎度どうも。氷室バカのtalkでございます。
今回意識して初の「弥生や氷室以外の小説」を作成してみました。
中身は私が大好きな御堂夫婦モノ。
なんせ参考になるシーンや設定が絶対的に少なかったので苦労もありましたが、
そのぶん勝手気侭に書くことも出来たのでは、とも思っております。
徹頭徹尾いちゃいちゃしているいつもの氷室-小次郎夫婦モノとはかなり雰囲気が違いますが、
こういう火曜●スペンスみたいなのも大好きなのよ〜ということで。
またネタが湧き次第、誰も書かないような人物にスポットを当てて書いてみようとも思っております。

読んで下さった皆様、「アクアと御堂で書けるなんてバカじゃない?」とか思ってくだされば幸いです。