だから私は強く願う


いつからだろう
ここが私にとってかけがえの無い場所になったのは

いつからだろう
あの人が私にとってかけがえの無い人になったのは



私が事務所に独りで居る事はさほど珍しいことではない
所長を含めた従業員がたった二人しか居ないとは言え、
お互いの役割分担としては暗黙の了解のうちに決まっているようなものだから

面倒な書類仕事を押し付けて勝手に外に飛び出してしまう・・・と言われても反論はできないだろう
でも、私はそれで構わない
だいたいあの人が書類仕事みたいな細々とした作業を長時間続けられるとは思えないし、
適性の無い仕事をムリヤリ押し付けられても効果が見込めるわけじゃないもの
もっとも、絶対的な仕事の数が少ないから、私にしたところでそうそう忙殺されるなんてことは滅多に無いのだけど

「じゃあ、そういうことだ。氷室、後はヨロシク」
「ちょ・・・」

彼自慢の勘・・・というか、思いつきというか
とにかく調査の分担を綿密に決めたことはあまり経験した事が無い
張り込みや尾行と言った、いかにも探偵と言う調査は彼が行い、
身元調査や報告書の作成等の事務的な仕事は私が行う

「何だ?」

今にも事務所の扉を蹴破って外に飛び出そうとする彼のシャツを引っ張った
そのシャツも洗濯を繰り返したヨレヨレのシャツ
時折思うのだけど、服装にそれなりのお金をかけて拘ればかなりイイ線を行くんじゃないかしら
だけどその方面への感心が希薄なばっかりに見た目で損をしている・・・のかもしれない

「今からクライアントに会うんでしょ?」
「ああ。それから例の浮気相手の勤め先に直行だ」

さっき言っただろ、という表情と口調
気持ちは既に事務所の外にあるみたい

「だったら少しはきちんとした格好で会わなきゃ」
「・・・」

そんなの関係あるか、と普段なら切り返してくるところだけど、
流石に仮眠明けのボサボサ頭が気になるのか、口の中でもごもごと反論を繰り返している
そんな姿が可愛くて、思わずくすっと笑みがこぼれた

「折角の美貌ですものねー」
「むぅ・・・」

私のバッグからヘアブラシを取り出して彼の髪を整える
気恥ずかしいのと、見事なボサボサ頭のバツの悪さが同居した何とも言えない顔で所在無く我慢する姿
自称天才探偵と言うからには身形の方にも気をつけないと

「ハイ、これでいいわ」

彼の頭をぽん、と叩いた

「スマンな。またしてもオレサマの美貌のレベルアップに立ち合わせてしまったようだ・・・」
「はいはい」
「・・・何かつっこんでくれよう・・・」
「バカ言ってないで出掛けたら?そんなに時間に余裕があるわけでもないでしょ」
「なら髪くらいで呼び止めるなっつーの」
「何言ってんの。所長のイメージアップは事務所の宣伝にも繋がるんだから」
「わかったわかった・・・っと」

ドアノブに手をかけた所で彼は思い出したようにこちらを振り返る

「相手が動かなかったら遅くなるかもしれんが・・・なんなら先に上がっててもいいぞ」
「ううん、今日はここに泊まるわ」
「そっか。ベッド、温めとけよ」

私の額にキスを残して、彼は事務所から文字通り飛び出していった

「んもう・・・」

バタン!と大きな音を響かせた扉をじっと見つめる
整えた髪のおかげで依頼が一つでも増えればいいのにと考えながらも、
額に残った唇の感触が、何だかとても温かく感じられる気がする


◆ ◆ ◆


(雨・・・?)

耳に届く低い唸りに気付いてキーを打つ手を止める
こんな分厚い壁の事務所に居ると外の雰囲気はなかなか伝わってこない
私は私でパソコン仕事に集中しているものだから、軽く小雨が降る程度では雨が降ったことに気付かないことも多い
言い返せば、その私が気付くのだから外は余程の土砂降りということにもなる

(小次郎、傘なんか持って行って無いわよね)

今の私達の目下の依頼は、いつもの通りの浮気調査
ターゲットに気付かれないように尾行してレストランやホテルでの件の相手との密会の場面を抑える
そんな折の雨は時に都合良く、時に都合が悪い
傘を差すことで相手に気付かれない時もあれば、人通りの少ない所では逆に傘の所為で相手に気付かれやすくもなる
そして何より尾行や張り込みは根気の必要な長時間体制の仕事なのだ
これだけの土砂降りに遭遇すると身体も冷え、決して楽ではない作業が更に厳しいものになるだろう

(・・・)

私はパソコンの前から立ちあがり、キッチンの方へと移動した
コーヒーの豆を切らしていなかったかどうかを確認するために
冷え切った身体で帰ってきた彼を温める為に差し出すコーヒーも用意できないようでは助手としては失格だろう
立ちあがったついでにバスルームに向かって湯船を張ろうとしたが、流石にこれは思いとどまった
いつ彼が帰ってくるともわからないのに湯船を張ってしまったのでは意味が無い
バスルームのカーテンに手をかけたままで暫くぼーっと立ち尽くす自分に気付いて軽く自嘲気味に微笑んだ

(早く帰ってきなさいよ)

倉庫の壁越しに聞こえる雨の音がやけに冷たく、重く聞こえる
とりあえずバスタオルを手にとってソファの上に置くことにした
これでずぶ濡れで帰ってきてもすぐに身体を拭いてあげる事が出来るだろう

どんなに晩くなろうとも今日は休む気にはなれなかった

『所長が外で雨に濡れて仕事をしているのに助手だけ先に寝るなんて出来ない』

と言えばいいのかしら
それとも素直な気持ちの方を言えばいいのかしら

雨の音はますます重く、冷たい音を増して私の耳に届いてくる


・・・


時計の針は2時を回ろうとしていた
この分だとおそらく徹夜での張り込みになるだろう
それを十分見越しての用意はしていったけれども、流石にこの雨までは予想していなかったに違いない
近くのコンビニで傘を買えばそれなりに雨は凌げるだろうけど・・・

(まだこの時期じゃあ温かい缶ジュースも出てないし・・・
 この季節でも冷える時は冷えるんだから・・・気が利かないわね)

わけもわからず缶ジュース会社に不満を持っている自分が居る
その事に気付いても、それを今更撤回しようとも思わなかった
もし今日の雨で小次郎が風邪でも引いてそれをこじらせるような事があったら、
いっそのこと缶ジュース会社を訴えようかしら、とすら思い浮かんだ

(流石にそれはムリ、よね)

取りとめも無い思いつきに関してはすぐに否定できたけれども、
とにかく夜が更けるに連れて不安はますます募っていくのが自分でもわかる

いっそ携帯に電話を、と何度か思い浮かんだが、
張り込みしている彼に携帯を入れるなんて余程の用事じゃ無いとしていい行為ではない
もっとも向こうが電源を切っているだろうから伝えたくても伝わらないのだけど

(今度からは張り込みの際の定時連絡を提案しようかしら)

組織的な意味での必要性は皆無に近いが、
いざと言うときの連絡手段の確立としてはやっておいて損のある行為ではない
おそらく他の所なら当然やっていると思うけれども、
ウチの場合は実働隊が所長自身で、しかもその性格が天上天下唯我独尊と来ているものだから・・・

低く唸る雨脚の響く事務所に私の溜息が響く

(もう・・・身体壊しても知らないから・・・)

とりあえずの作業も終えた私は、彼が使っているベッドに腰を下ろした
もう一度溜息を吐いてベッドに横たわる
顔を埋めるといつもの彼の香りが私を包む
目を瞑ってしまえば心地よい感覚の中で眠りにつけるだろう

(だけど、寝ちゃダメよ)

そう自分に言い聞かせて枕を引き寄せた
少しきついくらいに枕を抱き締めてみる
こんな大雨の中連絡の一つもよこさない所を見ると、仕事に集中しているんだろう
それがどれくらい心配をかけているのか絶対わかってないんだから・・・

「・・・ばか」

抱き締めた枕に向かって拳を突き出す
枕には悪いけど、ちょっとだけ彼の代わりになってもらった

ぽふっ、という音は枕が発した私を糾弾する声かもしない
だけど私にだってそれなりの理由があるんだから

もう一度思いっきり枕を抱き締める
形を変えてぎゅうぎゅうに押しつけられる枕からは彼の髪の香りがした
以前このベッドでうたた寝をした時、彼に抱かれる夢を見た
だったら、枕を抱き締める私の思いが通じているのなら、張り込み中の彼はわけのわからない圧迫感を感じてもいいかもしれない

少しだけいい気味、と思ったけれども、濡れ細った彼の姿を思い浮かべて慌てて枕を抱くのを止める

それは自分勝手な思い込みかもしれない
私も、彼も
だけど・・・だから彼を愛しく感じる
彼に愛されたいと強く感じる

本当は枕じゃなくて、彼の胸を・・・

「くしゅん!」

予想外の大雨で冷え込んでいるのか、くしゃみが2、3回ほど続けて出た
それとももしかして彼が・・・

「くしゅん!・・・そんなわけないわね」

一旦仕事に集中すると周りが見えなくなるのが彼だもの
室内に居る私ですら肌寒さを感じる
きっと彼は季節外れの冷え込みに身体を晒しているのだろう

(早く帰ってきなさいよ)

もう一度枕を引き寄せて抱き締めた
今度は優しく、包み込むように
枕からはさっきと同じように彼の髪の香りを感じる


・・・


誰かが私を抱いている
触れるよりも優しく、だけどとても温かい
いつからか、私にとって最も心地の良い温もり
それが今私を包んでいる

離れたくない

温もりと幸せの中で私が一途に願う事。それはいつも同じだった
今この幸せを抱けることへの悦び
この人に抱かれる悦び
だけどそれ以上に私の心を支配するのは、満たされても叶わない小さな願い

離れたくない

思えば思うほど不安に駆られ、だからまた温もりを求める
その度にそっと私に触れる手の感触
何よりも安堵を感じるあの瞬間
いつまでも続いて欲しいと願うひととき

離れたくない

ずっと抱いていたい
ずっと抱かれていたい
私はその手を離さないから・・・


・・・


っ!

目が醒めた
少しの間だけ横になるつもりだったのに・・・
慌てて時計の針を見つめる
ぼやけた視界が次第にはっきりしていくうちに今の時刻と、まだ彼が戻っていない事がわかった

「ふぅ」

安堵にも似た溜息が漏れる
本当は彼に戻っていて欲しいはずなのに、今だけ・・・今だけはそうじゃない
彼に言われたわけじゃない。オレが戻るまで起きとけよ、なんて
私が勝手にそう決めているだけ。だから尚更少しまどろんだ自分が恥ずかしい

(ゴメン!小次郎)

今までしがみ付いていた枕に向かって手を合わせた
勝手に叩かれ、勝手に抱き付かれ、勝手に謝られて・・・枕にすればいい迷惑よね

(だけど、そう思うなら早く帰って来なさいよ)

何時の間にか「もう一人の彼」となった枕を指でつん、と弾いた
ずずずっとゆっくり形を崩して行く枕
思わず笑みが浮かぶ

「ねえ」

ベッドに横たわりながら崩れた枕に話しかける

「・・・寒くない?」

無論返事が返って来るわけでもない
だけど言いたかった
誰も居ないからこそ貴方に言いたかった

「ごめんね、ちょっとだけ寝ちゃった」

雨の音はもう聞こえない

「・・・ねえ」

額を枕に軽く当てて目を瞑る
さっき見た夢を思い出す・・・それはいつも見る夢、そしていつか見た夢

「私、待ってるんだから」

だから

「早く帰って来て・・・」

ガチャガチャっとドアの方で音がした
鍵の開いたカチっという音に続いて、勢い良く蹴破るようにドアを開ける音が事務所に響く
そして疲れたような声で呻く彼の声がした

「うーーー・・・」
「小次郎!」

ベッドから飛び起きて彼の元に駆け寄る

「おう、ただいま・・・」
「大丈夫?濡れなかった?」

近付いた彼の姿は全身濡れ鼠のようで、ぽとぽとと雫さえ落ちている

「見ての通りだ」
「はい、タオル」
「すまんな・・・」

ずぶ濡れの上着を脱いで全身をタオルで拭く姿は、シャワーを浴びた後の姿に似ていた

「まさかここまで大雨になるとはな・・・」

私は急いでコーヒーの準備をする
このために起きていたようなものだもの
雨の中ずぶ濡れになった彼を、こんな形でだけど迎えてあげないと

「はい、コーヒー」
「サンクス・・・ふ〜〜〜〜、暖まる・・・」
「お風呂、入れましょうか?」
「助かるな。何なら一緒に入るか?」
「・・・」

わざと聞こえないフリをして浴室に向かう
蛇口を捻って暫くすると熱い湯気で浴室が霞んで見えた

「おつかれさま」

浴室から戻って、ソファの上でコーヒーをさも有り難そうにすする彼に声をかけた
そして彼の隣に寄り添うように座りこむ
思った以上にひんやりとした彼の身体に多少の驚きを感じた

「わ、冷たい」
「そりゃ、まあ、あんだけ雨の中居ればな」
「コーヒー美味しい?」
「格別」
「よかった」

まだ所々濡れている彼の体をタオルで拭いてあげる
タオル越しに私の手に伝わる冷たさ・・・なぜだかそれすら愛おしい

「しっかし、ホント冷たいわねぇ」
「んーー・・・今はそれなりに暖かいが、な」
「ふふ」
「さ〜て、風呂入って屁ぇこいて寝るか」
「私も」

まだ冷たさの残る肩に手を置いて、彼の目を見つめた

「私もそうしようかしら」
「あ?」
「一緒に入ろうかなぁって・・・」
「何だ?氷室も一緒に屁ぇこくか?」
「バカ!」

立ち上がった小次郎はからかうような大声をあげて笑い声を事務所に響かせた
だけど・・・ちゃんと私の手を握ってくれている・・・

重なり合う手は、いつもと同じ温かさだった


◆ ◆ ◆


「さて、と。今日もしがない浮気調査の現場を抑えて来るか」

昼食を終えた小次郎がソファから立ち上がった
「しがない」と言いながらも、外で探偵らしい仕事をする事が嬉しいことは間違いない

「行ってらっしゃ〜い」
「・・・ヤケに張り切るな」
「そりゃ、じゃんじゃん稼いでもらわないと!」
「へいへい」

面倒そうに頭をかきながらドアの方へと足を向ける
ノブに手をかけて、扉を少し明けた所で氷室の方を振り返った

「じゃ、行って来るぞ。遅くなるようだったら・・・」
「大丈夫。遅くならないように御願いしとくから」
「あ?御願い?」
「そそ」
「誰に?まさかオレサマの居ない間に変な宗教とかに入ったんじゃないだろうな?」
「そんなのしないわよ。でもヘタな神様よりは効果あるわよぉ?」
「・・・?」
「はいはい、所長はとにかく頑張る頑張る!」
「お、おう・・・」
「行ってらっしゃ〜い」

怪訝な顔つきのまま、?マークを顔に浮かべて小次郎は事務所を後にする
その事務所では嬉しそうな表情で、けれどそれなりに真剣な顔つきでマクラに手を合わせる氷室の姿があった

「今日『も』小次郎が速く帰って来ますように」

手を合わせながら氷室は呟いた
それを終えてパソコンの方へ向かう間に彼女はもう一度呟く

「次の依頼が入りますようにって御願いする方がいいのかしら、ね」




四方山話(言い訳)
毎度どうも。氷室バカのtalkです。
今回は「TFAでのラブラブおめでとう記念」がコンセプトになってまして、思いっきりやってしまいました。
ま、いつも通りと言えばそうかもしれないですけどね。

TFA内で氷室が「ベッドで寝たら小次郎の香りがして、貴方に抱かれる夢を見た」
というシーンがありましたね。ココが私的に大興奮!むはー!むはー!(バカ)
ただでさえラブラブなその会話を更にバカの妄想を交えて強烈にしたのが今回のヤツです。
ま、今更だとは思いますが、私の中であの二人がどんな風に見えているのかが分かるのではないかと。

読んでくださった皆様、「もうコイツって病気だよね」と思ってくだされば幸いです。