イメージ 文学と歴史の道 伊豆の踊り子歩道を歩く

伊豆の踊り子像
└ 町営駐車場横の踊り子像(湯ヶ野温泉)
“文豪川端康成の愛した自然豊かな天城路”
美しい自然と文化の香り漂う、踊り子歩道を
今回は歩いて見ることにしました。

踊り子歩道は、河津町湯ヶ野と伊豆市湯ヶ島
浄蓮の滝を結ぶ全長20キロにも及ぶコース。
健脚の人は1日で歩くことも可能ですが、
2日かけてゆっくり歩くほうが、このコースの
自然や文化を楽しむには良いでしょう。
また宿泊には、バスの便などを考慮すると
河津七滝温泉や天城湯ヶ島温泉などが
良いと思います。

浄蓮の滝と湯ヶ野温泉、どちらから出発しても
かまわないのですが、今回は湯ヶ野温泉から
歩き始めることにしました。
湯ヶ野温泉までは、伊豆急線河津駅より
修善寺行きのバスで約15分、湯ヶ野バス停
下車。

そこから徒歩5分で福田屋に到着します。
道標もあるので間違えることはないでしょう。
駐車場は町営のものが停留所脇にあります。
普通乗用車で25台ほど駐車可能。
福田屋
└ 川端康成が滞在した「福田屋」
川端康成の名作「伊豆の踊り子」。
学生時代、伊豆の旅をした康成が天城峠の
茶屋で旅芸人一行と知り合い、清らかな
踊り子に引かれていく姿を、美しい天城の
自然と共に描いている代表作です。
旅の途中、2日から4日福田屋に宿泊した
時のことが、物語の中心になっています。
大正7年11月のことでした。

福田屋は、当時の姿が今も残されていて、
その重厚な佇まいは過ぎ去った長い時間を
感じさせてくれます。
また、周辺は昔の面影を残す静かな温泉街で、
野良猫が日差しを浴びながら、のんびりと
過ごしている姿がとても印象的でした。
しばらく時間を費やしたのち、次の目的地
小鍋神社に向かうことにしました。

川端康成
明治32年6月 大阪生まれ
昭和47年4月 他界
「伊豆の踊り子」でノーベル文学賞受賞
代表作: 伊豆の踊り子・雪国・輝く雲など
湯ヶ野温泉街
└ 当時の面影を残す湯ヶ野温泉街

福田屋から小鍋神社までは徒歩約10分。
国民宿舎かわづの前を通り、川沿いに
歩けば到着します。

この小さな神社には、伊豆に流された
文覚上人と源氏再興にまつわる話が
残っています。
神社南側にある樫の巨木の根元には、
文覚上人が源氏再興を願い、源頼朝の父
義朝の骸を埋めたと伝えられています。
小鍋神社
└ 源氏伝説の残る「小鍋神社」
小鍋集落の収穫祭
└ 小鍋地区で行われていた秋の収穫祭
後に頼朝は、父義朝の霊を弔うために
20人ほどの家来を連れてこの地を訪れ
ました。

その際、部落では大勢の人の料理を作る
鍋が無く、探し求めた結果大小2つの鍋を
入手することができ、その時に使用された
鍋の大きさにより、現在の大鍋や小鍋の
部落名が誕生したと伝えられています。
また、宿泊した農家には、いつまでも繁栄
するようにと、「千萬歳」という屋号を命名し、
その屋号は今も残っているそうです。

文覚上人
もんがくしょうにんは1173年に後白河法皇
に寄付を強請して伊豆に流されました。
その時期に頼朝に近づき、鎌倉幕府創建に
貢献した人物とされています。
【源頼朝と伊豆の関係】

平治元年(1157年)、藤原信頼と院の権臣信西が争う「平治の乱」が起きた際、
当時13歳だった頼朝は、父である義朝と共に藤原側で参戦した。
しかし敵方の平清盛軍に破れ、伊豆の蛭ヶ小島(現在の韮山駅近く)に流される。
ここで頼朝は20年余り過ごすことになるが、後に地元豪族の北条時政と知り合い、
娘である政子と結婚した。
北条家の後援を受けた頼朝は、源平合戦を経て1192年に鎌倉幕府を創建する。

田園風景
└ のどかな田園風景
つり橋
└ 河津川を渡るつり橋
小鍋神社から、約10分で「ふれあい広場」に
到着します。
ここは地元のお年寄りなどが使用している
ゲートボール場で、トイレや水道などもあり、
水の補給なども可能です。
ここから河津七滝までは、トイレや水道などは
ないので、ここで済ませておくと良いでしょう。

ふれあい広場から少し歩くと、河津川を渡る
つり橋に差し掛かります。
つり橋を渡り、静かな田園風景を抜けると
そこは川合野という集落です。
瓦屋根に高い石垣など、趣のある家並みが
どこか懐かしさを感じさせてくれます。

川合野の風景を堪能しながら、さらに10分
ほど歩くと、道の片隅に「関戸吉信の墓」が
見えて来ました。
川合野集落
└ 思わず懐かしさを感じる優しい風景

関戸吉信の墓
└ ひっそりと佇む「関戸吉信の墓」
この墓は、室町時代末期に作られたもので
高さ70センチほどの小さな塔です。
隅飾突起が外側に反っている笠の部分に
特徴があり、基礎・塔身・笠・相輪は当時の
まま残されていて、完全な宝篋印塔としては
貴重なものだそうです。

関戸吉信
下田市堀ノ内にあった深根城二代目城主。
延徳三年(1491年)10月に、伊豆攻略を
始めた北条早雲によって城は落とされる。
その場を切り抜けた関戸吉信は、この地で
自刃をしたと伝えられています。
関戸吉信の墓を過ぎると、正面に巨大な
ループ橋が見えてきます。
河津七滝ループ橋は、総延長1.1km、
高さ45m、直径80mの二重ループ橋で、
下か見上げるとその大きさに圧倒されて
しまいます。

このループ橋の下を抜ければ、河津七滝は
もうすぐそこです。
関戸吉信の墓から河津七滝までの行程は、
時間にして約15分といったところでしょう。

湯ヶ野温泉から河津七滝までの間は、
田畑や民家の間を抜けて歩く田舎道です。
道標なども要所にはありますが、脇道も多く
道に迷ったら迷わず地元のお年寄りなどに
尋ねてみましょう。

お年寄りの方は、皆さん優しいですから・・・
河津七滝ループ橋
└ 河津七滝ループ橋

釜滝茶屋
└ 初景滝近くにある「釜滝茶屋」
五平餅
└ 釜滝茶屋で売られていた五平餅
七滝めぐりをしていると、途中でたくさんの茶屋を通り過ぎます。
香ばしい匂いに誘われて、初景滝近くの釜滝茶屋へ寄ってみることにしました。

五平餅はその場で焼いてくれ、香ばしい醤油の匂いがなんともいえない逸品です。
その他、手作りの竹篭細工なども売られていて、見ているだけでも楽しく時間を
過ごせそうです。
それにしても、五平餅は美味しかった〜!

初景滝と伊豆の踊り子ブロンズ像
└ 初景滝と伊豆の踊り子ブロンズ像
河津七滝は、天城山系を水源とする河津川の
大小七つの滝を総称したものです。
柱状節理玄武岩の上を落ちる七つ滝は、
それぞれに異なった趣があり四季折々に
叙情をかもしだしています。

下流側から、「大滝」「出合い滝」「蟹滝」
「初景滝」「蛇滝」「蝦滝」「釜滝」の順で、
町営駐車場から最奥にある釜滝までを
往復すると、時間にして約1時間30分は
見ておいたほうが無難です。
また、水垂(みずたれ)のバス停から
下り道を利用して釜滝側から降りてくる
コースは、一般的によく利用されています。

毎年11月1日から30日の1ヶ月間は、
天城路もみじ祭りが開催されます。
旧天城トンネルでの提灯ウォークや
初景滝での甘酒や瀧酒サービスなど、
自然を楽しみむためのイベントです。

また、毎年7月7日までの10日間程は
初景滝付近で、提灯を持っての夜の散歩
「七夕祭り」も七滝温泉宿泊客を対象に
行われています。
大滝
└ 七滝中最大の「大滝」

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