keikoba日記

平成16年10月

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2004年10月31日(日)
休日出勤して…疲労感またいっぱい(何日目?)

 智に働けば角がたつ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。

   とかくこの世は住みにくい…。

2004年10月30日(土)
子育てする男は…て〜へんそうだ!
 明け方になってもかなりキツクなってきた様子。おっぱいを飲ませるのは代われないが、その後の抱っこするのを代わってを寝かせる。ぐずらなかったのは幸い。愛娘が寝付くまでそのまま抱き続ける。パジャマのままでいたので身体が冷えるし寝不足だし。こりゃこれから大変だわ。平日もこんなんで、世のお父さん方はよく平然と働いてるよなぁ。
 ホテルに泊まっていた両親がやってきて再び孫と対面。昼前に帰路についたが、高速走るは眠くて眠くて辛かった〜。
2004年10月29日(金)
子育てしない男を父とは呼ばない?

 本日が愛娘とともにおかげさまで無事退院。午前中は休めない仕事があったので、午後から両親を連れての実家へ。これで何週続けて週末に高速道路走っているのやら。

 先週生まれたばかりの顔は正直お猿さんだったが、今日見たらどうやら人間の顔をしていて安心(^^)。両家の両親も喜んでくれて、これも親孝行か(^^)。
 良かった良かったと喜んだのも束の間、生まれたばかりの赤ん坊は24時間の生活サイクルなどおかまいなし。早速の夜泣きで
はなかなか寝てられない。愛娘はまだまだおっぱいを飲むのが苦手らしく、巧く飲めないので途中で疲れて眠ってしまい、またすぐにお腹が空いて泣く。横で寝てるので当然僕も目が覚める。何かやれることはないのかいな? 寒くないように一枚かけてやったり、新しいおむつを手渡したり…。あたふたして疲れつつもちょっと幸せな、子育て初夜の“パパ、ママ・ルーキー”の2人である。

2004年10月28日(木)
疲労感いっぱい(ちと復活)

 そんな訳で全快とはいかないが、そうそう休んでもいられないので稽古場へ。で、着いてみると参加者の顔触れが組み合わせ悪く、抜き稽古もしにくい。結局本番前日及び当日の段取り打ち合わせがメインになる。これがしっかりしていないと1分1秒貴重な仕込み時や本番当日に無駄が多くなる。大切だし身体がキツイ時だからよしとしよう。

2004年10月27日(水)
疲労感いっぱい(3日目)

 仕事はこなすが帰宅すると身体がずっしりと重くなり、疲労感いっぱい。だるさいっぱい。断腸の思いで稽古を休む。何故にこんなに疲れてるんだ?

閑話休題
 短パンでディバック一つ、わずか2千円持ってイラクに旅行に行っただと? そりゃ自殺しに行ったのと同じだよ。「見聞を広める。」と言って海外にワーキングホリデーで出掛けたらしいが、何を学んでたんだ? 日本人の平和ボケここに極まれリ。救助のために外務省関係者が現地に行ったりして、また貴重な税金がこれこそ“無駄遣い”されていくなぁ。

2004年10月26日(火)
疲労感いっぱい(2日目)

 キッドの稽古。休んでいる間にけっこー動きが変わっていてびっくり。しかしながら未だに疲労感抜けず、集中力も今イチ。公演日まで残り19日。とは言えまずは体力回復が先決か?

2004年10月25日(月)
疲労感いっぱい

 仕事休みをもらってもう一泊。昼過ぎの面会時間に愛娘とに一目会ってから帰路につく。身体も神経も疲労感いっぱい。足柄SAでお風呂入ったりしながらののんびり旅。疲れた〜。

閑話休題
 夜の某ニュース番組でキャスターが被災地から生中継してた。何故に?
 阪神大震災で「災害ボランティア」という存在がクローズアップされたが、そこで得た教訓と言えば
「災害後1週間経てば余分なボランティアは逆に邪魔な存在。」と言う事。救出活動に目処がつけば、後は泊り込みが必要なのは実は医師くらいなものなのだ。ボランティアと言えどその場に居れば「飯を食う」、したがって「ゴミを出す」、そして数少ない「トイレを使う」。いいことは無いのだ。
 で、まだ発生後3日と言えど、そこにニュースキャスターが居る理由な何? 取材スタッフ数人だけでいいじゃん。ゴミは東京に持ち帰ったんだろうな? トイレは使わなかったんだろうな? 立ちションベンだって衛生面でよろしくないぞ。そこまで考えた上で被災地に行ったんだろうな?古○伊○朗

2004年10月24日(日)
愛娘誕生!

 久々に顔を合わせて話したのでちょっと夜更かし。夜12時を過ぎてが風呂に入る。次に風呂に入るべく準備していたらやけにが早く出てきた。曰く「破水した。」  なぬ!?

 慌てて義父義母を起こし、に病院に電話をさせ、自分は車を家の前に。病院に着いたのは午前1時過ぎ。は診察室へ。待合室には僕と同じように落ち着かない様子の「父親候補生」がいた。診察の結果は破水はすれど陣痛はほとんどなく、出産はまだ先との事。はそのまま入院するが僕は一旦家に帰り、身体を休めるように指示される。3時近くにの実家に戻るが、休めと言われてもこの状況ですやすや寝られる程大物じゃない。うとうとするだけで夜明けを迎える。

 朝8時に再び病院へ。陣痛室に行くとの他に妊婦さんが3人で大忙し。災害発生時には出産が多くなると聞いたことがあるがホントのようである。は未だ本格的な陣痛が来ず、昼では様子を見ようということに。まだまだ余裕が残るは安産のコツだと教わった通りに病院内をひたすら散歩する。
 11時になってまだ陣痛が弱いので、陣痛を促す薬を服用。ここからは陣痛が来るたびにの腰をさすってやる役回り。睡眠不足ゆえ、さすりながらも新聞やマンガ雑誌を読んで眠気から気を紛らせていてに怒られる(だって〜)。
 昼を過ぎ、陣痛室は我々以外は無事出産して貸切状態に。陣痛も比較的強くなるが助産師さんに言わせるとまだまだとのこと。医師の診察では場合によっては明日になるかもしれないと言う。それはカンベンして欲しいなぁ。も陣痛の波の合間にはウトウトしたりして出産はいつになることやら。助産師さんが資格取得時に浜松の学校にいたとかでローカルな話題で盛り上がる(何してるのやら)。長時間に渡ることでの体力が心配される。

 午後4時を過ぎ、点滴で陣痛を促すことになり、僕は一旦陣痛室から出される。この間に建物の外に出て(病院内は携帯禁止ですぞよ)両方の親に電話で状況を報告。待合室に戻ってしばらく待っていると「ご主人すぐ来て!」と呼ばれる。何や何や?と駆けつけると、はすでに分娩室に。陣痛を促したら一気に産気づいたらしい。その後はただ助産師さんの指示に従っての汗を拭いたり、息む際にの頭を支えたりで無我夢中。午後4時46分、やっとのことで誕生!! 2515g。ちとちびっこい娘だが、元気に泣いている。もっともまだお猿さんか宇宙人のような顔をしとるが…(^^)。

 とにもかくにもはがんばった。ホントに立ち会うことができて良かったよ。お疲れ様、そしてありがとう。それから、まるで交通費を心配したかのように偶然来ている時に生まれてきた我が娘は、かなり親孝行である(いや、ホント)。

 何はともあれとうとう父親になりました。責任重くなって気合も入りつつ、不安もありつつ、楽しみでもありつつ…。

2004年10月23日(土)
災害見舞い

 昨夜、感じていた“違和感”がどうにも耐えられず、深酒してしまって起床が昼近くになってしまった。後悔しつつの実家に向かう。お腹が大きいを見るのは今日が最後かなぁと思いつつ、元気そうな顔を見て安心する。出産間近。明日、今度のキッド公演で妊婦が登場するから、参考までにが歩く姿などをビデオに録っておこう。

 夕方、義父と話しているとクラクラッとする。寝不足で立ちくらみか? いや今自分は座っとるぞ? あ、地震だこりゃ。台所にいる義母に火を消すように言って自宅へ電話し、東海地震じゃないことを確認。ついでTVをつけると、新潟でかなり大きな災害となっている模様。今日はTV番組全てすっとんだな。
 それにしてもTV各局が地元自治体の課長に被害状況を聞いていたりするのだが、忙しい時にそれどころじゃなかろう。救援活動が遅れれば文句つけるのだから行政の手を煩わせることなく、逆に自分たちのネットワークや機動力を駆使して行政に情報提供するくらいのことをして欲しいものだ。新幹線の脱線原因だって今はどうでも良かろうに。

 被災者の皆さんには心からお見舞い申し上げます。大変だとは思いますが、阪神大震災でも自力でがんばろうと協力し合う地域は復興が早かった。是非ともがんばっていただきたい。

 災害に触発されたか、ついに“Xデー”来る。

2004年10月22日(金)
緊張感高まる!

 昼間話していた人に「“コメディ”と“コント”ってどう違うの?」と聞かれた。
 いや僕も詳しいウンチクを知ってるわけではないが、自分の中では「“コメディ”はあくまでお芝居で、ストーリー展開の意外性で笑いをとる。。“コント”は前後の脈略関係なくその場での笑いを追及している。」と解釈していると話したのだが(違ってたら御指摘ください)。もっとも“コメディ”と称していてもキャラクター勝負でその場の笑いだけのもあるし、逆に1つのシーンに限って敢えて脈絡のない“コント”風の笑いを誘う表現(アドリブであることが多い)をすることもある。一方“コント”でも壮大なドラマがあったりするから一概に線引きは難しいのだけど、演劇の世界(プロ・アマ問わず)で“コメディ”をする者は“刹那的な笑い”のみ追うことはして欲しくないなぁと思っている。

 あ〜、久々にウンチクたれたら頭痛くなった。まだ体調不良回復せず。

 夜はキッドの稽古。山田さんの演出により小返し稽古を進める。人によって感性が違うのは当然で、それは演出と役者の間でも同じ。基本的には演出の感性に沿うのだが、役者とてけっこー譲れないものがあったりしてそのせめぎ合いも稽古場の楽しみの一つ。せめぎ合いが多い稽古場は緊張感も高まり、それに伴って芝居がさらに深まっていく。緊張しっぱなしでもマズイが、元来キッドは楽しい稽古が売りなので「緩急」ができてきたと言うところかな?
 さてさて
公演まで残り23日

閑話休題
 この“違和感”は何なんだろう…?

2004年10月21日(木)
季節はずれの格好?

 体調すぐれず。すっきりしない。

 残業終わって職場を出たら、浴衣を着た大きな人が歩いてた。明日は大相撲浜北場所か〜。父親が楽しみにしてたな。

 このHP主催のイベント第5弾開催決定! 詳しくはいべんと日記にて。皆さん是非参加してね〜!

2004年10月20日(水)
何だが凄いことになってる

 あめ あめ ざぶざぶ。かぜ びゅーびゅー。

 稽古中止にしといて正解である。

2004年10月19日(火)
テンポ&スピードアップ!

 仕事を何とかキリにして稽古場へ。元々秋は忙しい時期なのだが、年齢が進むにつれより顕著になる。…秋公演出演は難しくなってきてるなぁ。

 日曜の初通し稽古では想定していた時間をかなりオーバーしてしまった。お客さんが快適に観られる公演時間に収めなければならない。“テンポ”を上げ、スピードアップしするためには台詞と動きを自分の身の一部のようにすること。稽古あるのみである。

 と考えたが、明日は台風襲来が予想され、話し合いの結果稽古は中止に。自然には逆らえないな。

2004年10月19日(火)
残業斬り!

 外回り長引き稽古に行けず。残念!

2004年10月17日(日)
野田秀樹『赤鬼』

 観に行きたくてチケット確保に奔走したが望み叶わず、諦めていた野田秀樹作・演出の『赤鬼』。「急に行けなくなった人が出てチケット余っているんだけど行く?」と元M−Uプロデュース内山さんからお誘いを受けて喜んで飛びつく。内山さんと、これまた元M−Uで、僕とPots and Pansという名のユニットを組む田辺さんと同行させていただく。ありゃ? これM−U『赤鬼』のメンバーじゃん! とんび(内山さん)、あの女(田辺さん)、そしてミズカネ(私なべ)。赤鬼TALOHは喰われていない?(TALOHさん失礼!)。
 会場のBunkamuraシアターコクーンは初めて。コンパクトで観易そうな劇場である。『赤鬼』は中央に設えた舞台の四方を客席が取り囲む。僕の座った席は本来舞台であるところに特設した椅子席。目の前には舞台、その向こうには客席が広がる。何だか舞台に立ってる気分だよ(^^)。

 とんび役野田秀樹、ミズカネ役大倉孝二、あの女役小西真奈美、赤鬼役ヨハネス・フラッシュバーガー小西真奈美が顔小さいし手足長いし可愛いし(^o^)。『蒲田行進曲』の小夏を演じた時も「巧いな〜。」と感じたが、今日の舞台はより魅力的だった。大倉孝二は異色。同じミズカネ役ということで「こういう表現方法もあったなぁ。」と感心しつつも悔しくもあり…。野田秀樹は年齢にしては若々しい動きにびっくりしたな。
 前半は自分が演じた時と重ね合わせて「はぁ〜客席からはこんな風に観えていたのか〜。」と再認識したり、自分がミスした部分で悔しさを思い出したり、台詞を知っていて笑えなかったところで周囲の客が馬鹿ウケしたのを「いいなぁ」と思ったり。自分が演じた作品ゆえ話しの展開や台詞は知っている、おまけに早起きしたせいでえらく眠かったのに2時間近く舞台に集中できたのは流石である。

 “言葉”と“文化”の違い、それだけで自分とは違う生き物と考えてしまう人間の浅はかさ。そして自分とは違う生き物に勝手に名前を付けて「食べる」対象としなければ生きていけない人間の罪深さ。観ていて辛くなるけど、残念ながらそこに人間の真実がある。そうか、僕ってこんな素晴らしい舞台を演じてたんだなぁ。再び観ていて悔しくなった舞台であった。
 内山さん田辺さんとで「いつかまた『赤鬼』やろうね〜。」と誓い合ったなべであった。

2004年10月16日(土)
初通し稽古

 北浜スポーツクラブサッカー教室担当日。まずは「スローイン」の練習。我ながら驚くが、これまで蹴るばっかりで「スローイン」の練習を全くしていなかった。ゆえにミニゲームの時も遠くに飛ばそうと、投げる瞬間にジャンプするわ、野球のピッチャーのように片足上げるわで見事なまでの反スロー(^^;)。「投げる瞬間には両足を地面に付けてなきゃいけないんだよ〜。」と叫ぶが、子どもたちにとってはなかなか難しいようである。ミニゲームでは敢えて厳しく判断して笛を吹いたが、やはり反スローが多かった(ToT)。

 練習終えて慌てて汗を拭き、着がえて雄踏に向かう。演劇集団浜松キッド第27回公演『お仕事じゃない!』公演日まで1ヶ月をきり、初の通し稽古である。通し稽古とは芝居の冒頭から最後まで止めることなく演じ通すこと。例えボロボロでもこの時期に通し稽古をすることはとても大切。ここまでの稽古で不十分なところ、弱点を見出すことができ、本番前最後の1ヶ月の稽古プランを見出すことができる。で、今日の結果は…。

 まずは僕自身が台詞や動きを完璧に近づけること。それ以外は現段階では言えない。

2004年10月15日(金)
すでに中年?

 キッドの稽古in浜北。あまりやっていない後半を重点的に稽古をするが滞りがち。僕にいたっては台詞もボロボロ。すでに物覚えよりも物忘れの歳になってしまったか?

 てなわけで明日は初の通し稽古。

2004年10月14日(木)
へなへな

 疲れて、はじけて、とっぴんしゃん♪
            (台詞が)抜けた〜らどんどこしょ♪

2004年10月13日(水)
とっととやんなきゃ!

 暇を見つけては部屋の整理をする。悩みは膨大に溜まったビデオテープの山。迂闊にも何を録画したのか書いておかなかったため、逐一デッキに入れてチェックしなければならない。さらには超レア物を発見して「懐かし〜!」と見入ってしまうこともしばしば。う〜む、’99年のJリーグチャンピオンシップ、ジュビロ磐田VS清水エスパルス戦は凄いの一言。今とは天地である。

 んで、全く能率のあがらぬ片づけは続くのである。

2004年10月12日(火)
キッド稽古

 疲労感いっぱい。身体がきつくてかなり迷ったが、ええぃ!迷ってる場合じゃないぞ!とキッドの稽古に向かう。

 演出及び演出助手欠席で、今日は白柳さん指導の基に稽古を進める。「今回の芝居はポンポンと台詞が飛び交うテンポが重要。台詞が飛んでもそのまま続けろ!」という支持は目からウロコ。あまり手をつけられていない後半部分をやったこともあろうが、みんな新鮮な気持ちで稽古に望めたよう。さてさて、公演まで残り33日

2004年10月11日(月)
『アイ,ロボット』(ネタバレ有り)

 がどうしても映画を観たいと言う。子供が生まれたら行けなくなっちゃうからね。と言うわけで家に帰るのは遅くなっちゃいそうだが、『アイ,ロボット』を観に行く。

 科学が進歩し家庭用ロボットが普及した、今から30年後の近未来が舞台。次世代ロボットを開発した科学者が殺され、その最新型ロボットの一体が容疑者とされるが、会社側は「1、ロボットは、人間に危害を加えてはならない。2、ロボットは、人間から与えられた命令に服従しなければならない。3、ロボットは、1、2に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。」のロボット三原則を盾にロボットは人を殺さないと断言する。それに疑問を持つ刑事(ウィル・スミス)が真相を追究する。そんなお話し。

 ロボットが反乱を起こして人間を襲うってのは昔からよくあるストーリーでけっこー古典的。珍しくも何とも無かったが、その根拠にしたのが“心を持ったロボットたちが、虐げられた恨みを晴らす”ってなワンパターンではなく、ロボット三原則の解釈に持っていったのは斬新だったな(憲法9条論議のようだったが)。しかしながらそれ以外は実に“古典的”。確かにCGで迫力のある映像はたくさんあったが、これまた金をかけた「学生映研作品」って感じだったな。主人公の刑事の左手のエピソードも、ラストでウィル・スミスをカッコよく見せるための蛇足だったような気がする。う〜ん、これまた“楽しめた駄作”だったな。

 結果帰宅は午後11時過ぎ。疲れた〜。

閑話休題
 映画『スーパーマン』のスーパーマン役で有名なクリストファー・リーブ死す。合掌。

2004年10月10日(日)
お産立会いの講習

 「ハッピーマンデー」でなければ体育の日だった日。昨日までとは一転していい天気。さすがは“晴れの特異日”である。夕方曇ったけど。

 休みの日にしては早起きしての実家へ。出産時に立ち会うための講習会を受けに行く。午後2時からだが、開講してすぐに講師の助産師さんが「終了は5時の予定です。」と言われてちょっとビビる(^^;)。父親(に今度なる人)も一緒なので、かなり基礎的な事から始まって出産の兆候、出産時の注意事項など詳細で分かりやすい説明だ。若い(と言っても僕と同年代だと思うが)助産師さんなのだが、盛んに「陣痛は痛いですよ〜。」と言うので「そんなに脅かさんでも…。」と思った。まぁその分旦那が支えたれよ、って事だろうが(^^;)。
 「ラマーズ法」と言うのは旦那が立ち会う出産の事ではなく、出産時の呼吸法の一つであると知って思わず「へぇ〜×13」である。

閑話休題
 佐藤琢磨4位。入賞したのに表彰台に届かなかったことを「悔しい。」と言える琢磨は、中島悟鈴木亜久里を含め過去の日本人F1ドライバーをすでに超越している。凄い。

2004年10月9日(土)
夢の島プロジェクト稽古

 正直午後の2時頃には一度諦めかけたが、4時近くに伊豆半島に上陸した頃になると風雨ともに弱まり、5時頃にはくもの切れ間から青空も顔を出す。こりゃ行けるじゃん! 信じる者は救われる。良かったなぁ。メンバーに「稽古やるよ〜。」と連絡する。

 で、夢の島プロジェクトの稽古。今日の参加は島田さんK藤さん。いつものようにストレッチ、発声、基礎練習。で、今日は身体の動きの“キレ”を目指す稽古をする。後ろ向きにしゃがみこみ、合図とともに素早く振り返りながら立ち上がり、正面をキッと見据えて「アッ!」と発声する。全ての動作を素早く、如何にキレを持たせるかが課題なのだ。
 その後は『父帰る』の読み稽古。最初に僕自身が今持っているイメージを伝える。夢の島は稽古を積み重ねていくことが難しい。てことは1回の稽古を少しも無駄にはできない訳で、できるだけスムーズに行くようにあらかじめイメージを共有しておこうと思ったのだ。目指すは登場人物の“心の動き”。キッドの公演もあるので次の稽古をいつ組めるか分からないけど、できるだけ“稽古を楽しむ”機会を増やしたい。がんばろう。

2004年10月8日(金)
これでええん?

 台風が近づいていて風雨強し。今年上陸した8つの台風よりも強力だとか。明日の午後3時頃に浜松に最接近するという。夜に夢の島プロジェクトの稽古を予定しているが、行き帰りに事故も心配。とりあえず稽古をするかどうかは明日の午後5時頃に判断する旨をメンバーに伝える。夢の島としては数少ない稽古の機会。いっそ早く通過してくれないかな〜。

 
演劇集団浜松キッドの稽古。稽古場に着くと小池さん大石さんのみ。この天候ではやむおえないか。最終的には光春さん島津畑木が顔を出すも結局今日は稽古にならず、それぞれが台詞を覚えたり動きを確認したりで終わる。
 演出不在時に組織的な動きができていない。今回の公演はともかく、今後に大きな不安材料である。

2004年10月7日(木)
痛ぇ〜

 昨日久々に長い距離を歩いたので身体中が痛い…(^^;)。

 今日は稽古は無いが、外に出たついでにキッドの先輩白柳さんのお宅へ。今回の芝居のことや雑談など。さすが経験豊富なだけにいろいろアドバイスをいただく。ありがたや。

2004年10月6日(水)
浜名湖花博

 休みを取って両親連れて閉幕間際の浜名湖花博へ。以前からが行きたいと言っていたので親孝行である。行くのがこの時期になってしまってが一緒に行けなかったのは残念だが。

 浜名湖花博は開催全期間に渡って「パーク&ライド」方式を採用している。つまり一般駐車場を会場周辺には設けず、離れた遊休地などを利用し、自家用車を降りた来場者をバスでシャトル輸送しようというもの。国内で行われた大規模なイベントで、全期間「パーク&ライド」を行ったのは浜名湖花博が初めてだと言う。僕らも庄内駐車場に向かい、が車椅子ということで低床バス(床が低く車椅子でそのまま乗り込めるような機能を持ったバス)に優先的に乗せてもらう。障害者への対応もスムーズ。混乱なく運営できて、全国のイベント関係者は大きな自信になったんじゃなかろうか?

  平日と言うのにけっこーな人出。さすが閉幕間際の駆け込み需要(己もそうじゃ!)。入場待ちの列ができてるパビリオンは避けて、ひたすら場内を散策する。花や樹木に定期的に水分を与える霧の噴射にびっくり(^^)。さすが施設整備は行き届いてるなぁ。
 が行きたがっていたモネの庭へ。TVで観たイメージよりもかなり小振りだった(^^;)。花はもちろんキレイだが、僕は樹木や世界各国の庭園に興味津々。こんな→とぼけた像もあったりして楽しい。ヨーロッパの「左右対称型」よりもアジア各国の「自然縮小型」のお庭がいいなぁと思えるのは、やはりアジア人の血かな? 「しだれ松」「しだれ槙」「ねじれ杉」など珍しい樹木がおもしろかった。

 昼になりさらに人出が増える。おまけに昨日までと一転して暑い暑い! 立ち並ぶ屋台には韓国やらタイやら珍しい食べ物が立ち並んでいたので買って木陰で食事(椅子席は全て埋まっていた)。両親が休んでいる間に総合案内所に行き、安田守彦さんのライブが何処で行われているか聞くが、そのような催しは予定に無いと言う。ありゃ、何かの勘違いか? 帰宅後に調べたら雄踏在住の画家足立典正さんの個展だった。何をどう勘違いしたのやら…(当然個展を見られず。残念です〜)。
 ほぼ一通り観終わって、空いていて待たずに観ることができるパビリオン見学に。園芸文化館では一つの茎に様々な種類の花を接木した「百種接分菊」は見応え有り。ただし暑さで多少だれていたな。JAとぴあ浜松館はなとぴあでは大きなフラワーアレンジメントがキレイだった。

 一日楽しめた浜名湖花博。残り期間は短いけど、まだ行ってない人は是非足を運んでみたらいかが?

閑話休題
 ’90年の大阪での花博では最終日に花泥棒が大勢出た。中には「こちらの花はお持ち帰りできません!」とハンドスピーカーで叫ぶ係員の真横で群集が殺到して花を抜き去っていったと言う。お店などの開店時に並ぶ花などは持ち帰りOKと言う例もあるが、こうしたイベントでは業者からレンタルした物や2次利用が決まっていたりするもの。今回も一部のインターネットサイトでは持って帰っていいらしいという誤った情報が流れ、オバちゃんたちの噂では「最終日に行くのならビニール袋持っていった方がいいわよ!」と言う人もいると言う。今日の帰りがけに花の世話をしているボランティアの人に「ご苦労さま。」と声をかけると「今日も新しい花を植えたんだよ。」と言っていた。全国から来場者があるとは言え、大半は地元の人だろう。全国に遠州の恥をさらすことのないように、また世話をしてくれた人たちががっかりすることのないようにしたいものだ。

2004年10月5日(火)
う〜む?

 仕事やら何やらで稽古行けず。さらには早く片付けようと熱血して汗かいたら、それが冷えて体調不良ぶりかえし。何なんだ?一体…。
 帰りがけに今回の芝居で必要な音楽を探しにCDショップへ。ふだんは足を向けないクラシックコーナーだから、てんで見当を得ず。だいたい誰が作曲したんだ?(ってオイオイ)。仕方が無いので片っ端から手にとって曲名確認。ほどなく集録されたCD発見。料金千円でリーズナブル。曲の時間は2分ちょっと。これに合せて振付を考え、踊らなければならない。てぇ〜へんだ。

 ここ数日天候荒れ気味。明日は晴れてくれっかなぁ。

2004年10月4日(月)
キッド稽古

 女優金久美子(キムクミジャ)死去。享年45歳。胃ガンだったと言う。舞台を観ることができたのはPARCOプロデュース『ボーイング・ボーイング』のスチュワーデス役が唯一だった。まだ若いのに、病気って奴は無情で非情だ。合掌。

 一幕頭から小返ししながらのキッドの稽古。今日は台詞や動きよりも“心の動き”、気持ちを掴むことを重視して稽古に挑む。ホントは読み稽古の段階で掴んでおかなきゃいけなかったのだが、今回はなかなかね…。で、台詞がある程度入って身体を動かしながら、気持ちを追ってみるのも一つの方法。ちょっとだけ大袈裟に表情をつくり、いつもよりさらに集中力を高める。やってみるといろいろ発見あり。楽しくもあり、参考にもなり、煮詰まっちゃった部分もありで、個人的にはそれなりに有意義な稽古になった。さてさて公演日まで残り41日

2004年10月3日(日)
ありゃ?

 雨が降り続く中、帰宅したらから電話。来週また行くことになってしまった。なんてこったい。

 日本ユース代表がWユース出場決定! おめでとう! それにしてもFW11カレン・ロバートってやっぱり凄いなぁ。ジュビロの中でレギュラー陣が安定し過ぎて(問題あるのよ、これ)目立たないが、昨年の天皇杯で横浜DF3人引き連れて50mぶち抜きドリブルをした時を思い出した。途中出場のMF6船谷も含めて、ジュビロは次代もけっこーやるのかも?

2004年10月2日(土)
色褪せちまった静岡ダービー

 夏休みを挟んで久しぶりの北浜スポーツクラブサッカー教室の指導担当日。子供たちは変わらず元気で嬉しい限り。雨がぱらついているので基礎練習は手短に、早めにミニゲームを始める。パスを繋いでいってゴールを決めるなど、だんだん形になってきていて、まさに“コーチの幸せ”である(^^)。

 一昔前なら静岡ダービーとなれば、何をさておきスタジアムに駆けつけたものだったが、今日はエコパを横目に、出産準備で里帰りしているに会いに高速道路を東へ。’99のチャンピオンシップを戦った頃がピークで、その後清水エスパルスが長期低迷に入って一時はJ2落ちの危機もあったし、ジュビロ磐田も昨年あたりから勢いに急激な衰えを見せて、今や最下位争いをしている。いや、栄枯盛衰は世の常だから、それだけで観に行くのをやめたりはしない。嫌なのは両クラブのサポーターたちの目に余るまでの“品の無い”応援である。特に試合前の横断幕には目を背けたくなる。磐田側の「クソ死水」、清水側の「Suck’s Blue」などなど。

 両クラブとも相手を誹謗中傷している場合ではあるまい。清水サポーターは磐田サポを「ミーハー」とへ馬鹿にする(応援に覇気が無いのは認める)が、清水サポの応援も以前のような迫力は無くなっている。前は反対側から見て「すっげぇ〜。」と感動したもの。負けたくない気持ちは分かるが、「サッカー王国」のサポーターとして、ヨーロッパやJの他クラブサポーターの悪いところを真似する必要は無いのだ。
 スタジアムはゴール裏のサポーターだけのものではない。熱意は認めるが、あなた方の応援スタイルに顔をしかめているサポーターも少なくないことを忘れずにいて欲しいものだ。

 そんな訳で無理して予定をあけるほどの魅力を感じなくなってしまった静岡ダービー。夜のスーパーサッカーでも「両チームミス連発の凡戦」と酷評されていた。王国復活のために、選手もサポーターも、やること、考えなければならないことは多い。

閑話休題
 イチローが偉業達成! 力道山長嶋茂雄の現役プレーを観ることができなかった僕らの世代が、子供や孫に自慢できる、伝説に残る選手だな。感動をありがとう!

2004年10月1日(金)
ちょっと焦る

 何を話し合うのだか知らないが、全国の神様が出雲に集まる月。ってことは今月そこいらの神社に願掛けに行っても留守で駄目? せっかく集まるんだから世界平和と日本国民が幸福に暮らせるように話し合ってもらいたいものだ。

 書類直しに手間取り、稽古開始時刻には遅刻。今日の稽古場は以前キッドのスタッフだった人の職場。残業があるので空いたスペースを使わせてくれるという。10時までと、公共施設よりも遅い時間まで稽古ができるのはありがたい。
 今回の芝居は文芸雑誌の編集の事務室と会議室が舞台。当初は事務室が上手(客席から見て舞台右側)、会議室が下手だったのだが、諸事情により反対側になる。芝居自体は大きく変化はないのだが、僕の演じる役は舞台上には居るものの台詞が少ないため、台詞がない時にはできるだけ目立たない場所に居たいので上下逆になると、一部動きが変わってしまう。今日はその確認を重点的に行う。180度動きが変わるところもあり少し四苦八苦。他のメンバーは着実に進んでいるだけにちょっと焦るなぁ。