keikoba日記

平成16年8月

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2004年8月31日(火)
立ち稽古

 キッドの稽古。今日から台本を持ちながらでの立ち稽古である。
 実際のセットを想定しての稽古であるゆえ、台詞だけでなく立ち位置や動きを考える必要がある。役者が重ならない、お尻を向けない、ただ突っ立っていない等々気をつけなければならないことは山ほどある(意図的にそういう演技をする場合もあるが)。難しいのは立ち位置や動きを決める根拠といううのが役者自身ではなく、客席からの「お客さんの視点」だということだ。舞台上にいながら、ある一方向からの視線を意識する。例えば幽体離脱して客席から観ているように、常に頭に客席から観た舞台上の様子を思い描きながら稽古を進めていく。
 てなことやってると台本上の自分の台詞を見失ったりする。早く台詞覚えにゃ。

2004年8月30日(月)
時間が欲しい!

 9月から浜松キッドの稽古が遅まきながら本格化する。基本的に火・金を中心に週3日ペース。稽古によって芝居を深めていくことはもちろんだが、まずは役者の気持ちを強制的に“芝居モード”にする必要がある。特に僕がだけど(おいおいっ)。
 稽古が本格化すると当然多くの時間が稽古によって割かれる。アマチュアゆえ仕事の時間を割くわけにはいかないので、必然的にプライベートが減っていくわけだ。9月11・12日に公演を予定している『プリペイドペイン』の稽古を見学に行きたかったのだが、どうやら無理そう。さらには家にいる時間も減るわけで、家庭サービスとのやりくりも大変そうだ。その辺家庭を持っている諸先輩方はどないしてるんやろ?ぜひともお教え願いたいなぁ。

 自分がやりたい芝居と限りのある時間との調整。無駄はできない。

2004年8月29日(日)
『DEEP BLUE』(ちとネタバレ有り)

 YYアドベンチャースタッフの打ち上げバーベキュー大会の予定が天候が読み取れず中止に。最後までバタバタしているYYである。

 夜はたっての希望により『ディープ・ブルー』を観に行く。地球の表面積の70%を占める割にはなぞが多い「海」を7年間に渡って撮影したドキュメント映画である。前編に渡って「えっ!どうやって撮影したのっ!?」って映像が目白押し。イワシの大群に突入するイルカ、サメ、カツオドリ。それがカメラとかを全く警戒していない感じ、かと言って遠目から撮影している感じでもない。まるで群れの中に自ら紛れ込んでいるようである。シャチがアザラシの子供や鯨の親子を襲う映像などは思わず息を飲んでしまった。「深海5000mを超える水域に入った人間は、宇宙を旅した者より少ない。」と言うナレーションが印象的。正直あまり期待していなかったのだが、1時間30分飽きることの無い映画。わりとお勧めです。
 ただし、ラストの「かつて30万頭いたシロナガスクジラが今はわずか1%しかいない。人間は彼らの住処を奪い、生命に満ちた海を今日も傷つけている。」というナレーションはちと引っかかったな。広い意味での海洋汚染を指すのではなく、もし日本の捕鯨に対する批判のみで取り上げたのならば、最後の最後で共感できない作品になってしまうなと考えてしまう、「捕鯨反対派」反対派のなべである。

2004年8月28日(土)
夢の島稽古

 あれやこれやと野暮用を片付ける。人間年食うほど“野暮用”が増えていく。そういうもんかのぉ。

 夜は夢の島プロジェクトの稽古。林田さん島田さんK藤さんが出席してくれた。いつものようにストレッチから発声練習。続いてレクリエーションのネタをアレンジした基礎練習をする。
 2人1組でジャンケンをして、勝ったら相手を指差して「お前は私の弟子!」、負けたら自分を指差して「私はあなたの弟子!」と叫ぶ。ジャンケンで勝負がついたらすぐに適切に台詞(?)を叫び、すぐに次のジャンケンに移る。相手と息を合わせつつ、ジャンケンの結果から適切な台詞を叫べるかが鍵である。
 その後台本を読み稽古。何とか持ち立ち稽古まで行けると楽しさが増えるんだけどな。次はちょっと立ってみようか?
 稽古終了後11時過ぎまでしゃべくりまくってた(無論施設の外で。近所迷惑?)。夢の島のこれからだとか、浜松キッドのことだとか、良かった芝居のこととか。いくつになってもアホな学生の気分になれる場があるのは嬉しい。大切にしたいな。

2004年8月27日(金)
攻めの姿勢

 “攻めによる難問”は「よっしゃ!解決しちゃろ!」と挑戦する意欲も沸いてくるが、“逃げによる難問”はただあたふたするのみ。
 やはり人間攻めの姿勢を忘れちゃいかん。

閑話休題
 ドーピングで金メダルが取り消しになって以下順位繰上げになった場合って、もう一回表彰式するんやろか?

2004年8月26日(木)
はっはっはっはっは!

 へそで茶が沸くぜい!

2004年8月25日(水)
制作のお仕事

 制作の仕事に没頭。雑誌等に公演情報掲載依頼文や稽古日程表を作る。公演に向けての準備は稽古だけじゃない。でもそろそろ劇団の主だった仕事を20代の若手にバトンタッチしてもええ頃じゃの。浜松キッドの5年10年先のために。後継者が定まらぬ集団は衰退する。これ間違いない。

2004年8月24日(火)
んでもって稽古

 浜松キッドの稽古。少し遅れ気味か、今日も役を追いかける読み稽古である。僕も含めてまだ緊張感が足らないかな? 資格取得試験に挑んでいた演出山田さんと先輩白柳さんが今日から復帰。遅まきながら本格的な稽古に入っていきそうだ。
 稽古終了後デニーズで制作会議。9月の稽古予定を組む。遅れを取り戻すべく一気に週3回ペースへ。公演まで残り82日。濃密な日々にしていきたいな。

2004年8月23日(月)
あ〜芝居したい

 ってやってるじゃん、と言われそうだが、不思議なもので公演に向けて稽古をしている時の方が「芝居したい!」っていう欲求が高まる。僕だけ? 稽古をして芝居を深めていく作業がとても心地よい。公演すること自体はある意味どうでもいいな、「目標」であって「目的」でない。

 あ〜ホンマに「芝居したい!」

2004年8月22日(日)
腹でとるよ!

 祭り会場で若連の先輩たち曰く、「奥さん8ヶ月。で、お前は何ヶ月?」と人の腹をなでてくる。

    …ほっとけ。

 陸上女子マラソンで野口選手が金メダル獲得! 屋台引き回しでふだん使わない筋肉を使って、散々酒飲んでも観てしまった(^^;)。明日朝どないなことになるのやら? 

2004年8月21日(土)
燐光群公演『だるまさんがころんだ』

 ほんの一部の国家体制や宗教的かつ集団的異常(敢えて表現)心理状態で無い限り、市民レベルで戦争を望むことはありえない。何処の国だって静かに家族に囲まれて幸福に暮らしたいと思っているはずである。
 しかし残念ながら人類は「戦争」という、争いを治める解決手段としては最悪な方法を捨て去ることはできない。自分以外の者、家族以外の者、地域以外の者、都道府県市区町村以外の者、そして自国以外の者を100%信じることができないのだ。そこで自己防衛能力が働く。これは食欲や性欲と同じ、人間が理性では制することが難しい本能である。
 今回の作品のテーマである「地雷」は、自己防衛をする上でこれまた最悪な物である。「地雷廃絶」というのは故
ダイアナ妃が取り組んだように世界規模で廃絶が叫ばれている(思うように進んでいないが)。それを公演テーマとする以上まさか「地雷賛美」ではあるまい。「地雷」について「演劇」という創作活動を通じてどのように語るのか? クソ真面目に語れば観る側は飽きてしまう。どう表現していくのか。大いに期待して観に行ったのだが…。
 このHPを観てくださっている方はご存知のとおり、役者のくせに僕は難しい表現が苦手である。もちろん自分が演じる際に敢えて難しい表現にチャレンジすることもあるが、それはストーリーの本筋とは関係の少ない部分でのものだ。ストーリーの本筋で難しい表現をして、それが観る側に十分伝わらなかったらと思うと怖いのである。そこら辺がアマチュアの中でも一端の役者になれない理由かもしれないが。
 
で、今回の芝居のテーマが僕に伝わったかと言うと「?????」である。何度と無く細切れのように表される様々な場面とそれを繋いでいくこれでもかと何度となく繰り返される暗転。途中で疲労感まで感じてしまった僕には結局「地雷」をどうしたいのかは伝わらなかった。アレレ?と終演後にパンフレットに記載された作家のコメントを読んで愕然とした。曰く、自分たちが作っているものは演劇であってプロパガンダ(思想などの宣伝)ではない。創造行為とは自分たちが生きている世界と関係を持つことだ、ということだ。
 何だ、じゃ僕が懸命に追っかけていたことの答えは無かったのか。でも「世界と関係を持つ」ために用いるテーマにしては重すぎるよな。そう思うと舞台上で展開されたエピソードの中のいくつかは、「地雷」という人類共通の問題をいたずらに茶化しただけだと言ったら言いすぎだろうか。問題提起をするだけなら10代茶髪のネーチャンにだってできる。プロパガンダとまで行かなくとも、問題提起した以上自分なりの解決方法を示して欲しいと思ったのは僕だけだろうか? 例えそれが「無くすことは無理。命の危険を感じながら共存するしかない。」なんてことでもだ。
 それでもそれなりに舞台に集中できたのは役者の巧さだ。動きにキレがあるよなぁ。

 今日明日は地元の祭り。小規模町内会で若い連中が少ないとは言え、それはそれで楽しいものである。

閑話休題
 なでしこジャパン散る。しかしアメリカの2点目はオフサイドじゃないの? いや、トラップかけたのは微妙として、ゴール前でアメリカ選手3人に日本のGKが1人で立ち向かった際に、右側の選手が中央のゴールを決めた選手にパスしたのはオフサイドじゃないの????? 誰かおせ〜て!!
 その試合を観ていたおかげで競泳女子800m自由形決勝を観ることができた。目がテン。

2004年8月20日(金)
意外???

 強さを発揮する柔道,もといJUDO日本代表。おかげで審判まで敵に回したと言うわけではなかろうが、日本に不利なジャッジが増えてきた。それを乗り越えていかなければいけないのだろうが、何か釈然としない。
 「メダル有力!」と国民とマスコミが持ち上げた選手が敗退する一方で、失礼にも全く注目されていなかった選手がメダルを獲得するのもオリンピックの醍醐味。別の意味で注目されていた男子アーチェリーの山本先生(敢えて呼ぶ。別に僕の恩師ではないが)の銀メダルは夜の夜中に拍手! ロス五輪での銅メダルから20年。「次の20年で金メダルを目指します。」と言う言葉が良かった。山本先生! おめでとう!

2004年8月19日(木)
自業自得

 う〜、眠い〜。

2004年8月18日(水)
日本代表 VS アルゼンチン代表

 家族揃って静岡スタジアムエコパへ。「キリンチャレンジカップ2004 日本代表アルゼンチン代表」を観戦しに行くのだ。両親も行くということで事前に身障者席を申し込む。一般席と異なり、身障者席の申し込みは静岡県サッカー協会。チケット入手方法を電話で問い合わせるととても丁寧に教えてくれた。会場での受付時もボランティアの方が親切に応対してくれ、席まで(受付とは反対側のバックスタンドまで!)案内してくれた。おまけに去り際にはに向かって「楽しんでいってくださいね。」と一声。ありがたいことだ。世代的に母は他人に迷惑をかけることを避けたい人だから、快く応対してくれるのは嬉しい限りだ。
 両親を身障者席に残し、は2階席へ。は介添えとして同席できるがそれも一人まで。同じ席種で行き来できるチケットが手に入っただけでもいい方だが、家族で出かけても近くの席で観戦できないのは寂しい。運営する側にしてみれば難しい希望だろうけど。

 選手入場からセレモニー。アルゼンチン国歌斉唱で独唱する歌手(名前知らない)の紹介と独唱後の拍手の大きさにびっくり。親善試合と言うこともあろうが、あのアジア杯の直後だけに嬉しくてハッピーになったな。是非次回の対中国戦の際にはこれと同じくらいの拍手で中国人選手とサポーターを迎えてやりたいものだ。

 日本代表のスタメンはアジア杯とほぼ同じ。海外組のMF俊介GK川口の代わりにMF小笠原GK楢崎が入った程度。ジーコ監督は今後も両サイドのMFサントスMF加地を使い続けるらしい。何で?と聞きたくなるほど理由が分からん。MFサントスは相変わらず周りと息が合ってなかったし。MF小笠原MF俊介とはタイプが違うからね。もっともアジア杯の時と同様鹿島贔屓のジーコ監督らしい起用だが。
 そんな訳で前半終わって2対0でアルゼンチンリード。日本はシュートゼロ。アジア杯疲れもあろうが、主力不在で“1軍半”のアルゼンチンに完全に遊ばれてる。後半になりMF俊哉が入って少し試合が引き締まる(身贔屓かな?)。しかしながら得点はCKからFW鈴木が決めた1点のみ。その時のスタジアムの盛り上がりは凄かったが、日本の見せ場はそこだけ。2対1で敗戦。得点以上の実力差があった一戦でした。

 日本代表戦が見られた喜びもあったが、何より世界の実力の一端を見ることができたのが嬉しい。まだまだ「アジア・チャンピオン」あたりで慢心してる場合じゃないな。スケジュール的には疑問があった強化試合だったが、ちょっと伸びた鼻を引っ込ませるにはいいタイミングだったかも。さて9月にはW杯予選タイ戦だ。

2004年8月17日(火)
キッド稽古

 公演日まで残り89日になった浜松キッド。未だに読み稽古をしてるのだが、果たして大丈夫か? 僕も含めて緊張感ないぞ〜。

 今回の『お仕事じゃない!』はとある文学雑誌の編集部が舞台。入稿締切日に原稿が紛失してしまい、何とか無事雑誌を発行させようとする中で繰り広げられるドタバタコメディである。僕が演じるはただただ編集部を混乱させる男。他のキャラクターと違って、とにかくおもしろく、かつ浮いた(?)演技が求められる。これまで演じてきた役には無かった役どころだ。全体に調和しつつどう“浮く”か、大いなる課題だ。
 しかしながら相変わらず台詞の入りが悪いなぁ…。

2004年8月16日(月)
泣く泣く

 別に何しとるわけじゃないが、婿さんは疲れるもので…。連れて運転して帰宅して明日も仕事なので、オリンピック観ずに泣く泣く就寝。あ〜体操観たい。

2004年8月15日(日)
ウィー!!!

 結局大幅に寝坊し、家を出るのが遅れる。実家に返っているを迎えにいくのだが、おかげで正午には東名上を疾走中。やぬなく心の中で全戦争被害者の冥福と恒久平和を願う(こればっか)。平和の祭典開催中に迎えた終戦記念日=第2次世界大戦終結の日。59年前の今日を最後に世界から戦争が無くなるはず(?)が、未だに至る所に戦渦がある。人間の如何に愚かなことか。
 まずは政治的な思想や過去の遺恨をスポーツの世界に持ち込まないことから始めよう。旧敵国の国家吹奏にブーイングしたり、組み合わせで自国が未承認の国の選手と対戦するからと棄権したりなどもってのほか。そんな国はいっそ次回五輪の出場権を剥奪してもいいかも。

 柔道(JUDO?)で金1と銀1。“負けて受け取る”銀を得た女子52Kg級の横沢選手の心境如何ばかりか。一方北島康介選手が出場した、水泳男子100m平泳ぎ決勝は大いにエキサイト。スポーツ(物の芝居&ドラマもしかり)において「好敵手」の存在が如何にドラマチックに盛り上げるかの典型例。「北島VSハンセン」なんて一昔前のプロレスカードのよう。全盛期のウエスタンラリアートは凄かったなぁ(話しが反れた)。
 “北島劣勢”ムードの中、「持ちタイムが勝負を決める訳ではない。」と言う水泳の鉄則を改めて思い出した快挙であった。北島選手、金メダルおめでとう!

 んでもって、男子サッカーは…こんなこともあるさね。ドイツW杯(含む予選)でなくて良かった。この経験を糧にドイツで結果をだして欲しいな。

閑話休題
 「オーナー辞任」ばかりがクローズアップされているが、就任した途端ろくろく野球を知らんとベンチワークに文句をつけて原監督を辞任させ、なべ巨人ファンを卒業する決心をさせた球団社長も辞任している。今回の不祥事も含め、結局このおっさんは巨人を貶めるために社長に就任したんか?

2004年8月14日(土)
凄ぇーーー!!!

 台本片手に台詞の暗記。努力あるのみ。

 「ソフトボール」はオーストラリア、「女子バレー」と「女子バスケ」はブラジル、「女子ホッケー」は中国(国歌吹奏は厳粛に?)に惨敗。日本、出足大丈夫か?と不安視される中、柔道で谷亮子選手が2連覇、野村選手が3連覇の偉業達成!素晴らしい。メダル、しかも一番上を日本中から期待されるプレッシャーの中でしっかり結果が出せるのは凄いの一言。僕は漢字で書く日本古来の「柔道」と、ローマ字で国際ルールの「JUDO」は全く別の競技だと思っているのだが、限りなくレスリングに近くポイントを稼いでいく「JUDO」をする外国人選手相手に、1本勝ちを基本とする「柔道」を実践しての偉業だけにまことに意義深い。表彰式では2人とも充実したいい顔してた。君が代が流れる中、日の丸が掲揚されていくのは、見ていてとてもドキドキして嬉しくなる。明日は朝早いのにやっぱり丑三つ時まで寝られず騒いでしまった。

閑話休題
 開会式の日本選手団の衣装ってやっぱり変。旗手の浜口京子や主将の井上康生が着ていた真っ白のスーツは良かったが、花柄のものは「何じゃありゃ?」。どうもシドニー以降選手団のユニフォームは外し続けてるぞ。

2004年8月13日(金)
合掌

 夕べ帰宅してすぐ就寝。午前2時過ぎに起き出す。アテネ五輪男子サッカー予選リーグ初戦日本パラグアイをTV観戦。丑三つ時にレプリカ着込んで大騒ぎで応援するが、3対4で敗戦。点差からは「惜敗」と言う解説者もおるが、内容は完敗。あれだけミスが出ちゃあね〜。日本が得たPK2つもその原因となった相手のファウルも「エッ?ホンマ?」とかなり怪しげだったし。次はイタリア戦。死のグループを勝ち抜けるか? “36年ぶりのメダル”を女子が取ったらシャレになるまい。

 午後、友人の葬儀へ。暑い中大勢の人が弔問に訪れている。レクリエーション活動やバレーボール少年団の指導者をしていた故人の人徳だ。
 しかし、焼香をしながら敢えて心の中で叫んでいた。「馬鹿タレ!早過ぎるよ!」 気丈に喪主を務める奥さんと幼い子供たちの姿が痛々しかった。

 合掌

 死の病から生還した若和尚と、交通事故死した友人。いろいろと考えさせられる今週であった。

2004年8月12日(木)
アテネの奇跡?

 なでしこジャパン、五輪初勝利! 世界ランク2位のスェーデン相手に凄い! 女子選手の人数が男子選手を上回った大会でこれは勢いが出るよ。ベルリン五輪で男子サッカーが初勝利を上げた相手と同じスェーデンというのも何かの因縁か? その時の戦いは「ベルリンの奇跡」と呼ばれ、スェーデンのある年代以上のサッカーファンは、日本の怒涛の攻めを表現したラジオアナウンサーの「ヤパン!ヤパン!ヤパン!」というフレーズが未だに語り草だという。
 さぁて、寝不足に悩むアテネ五輪が始まるよ!!

 夜、友人の通夜に行く。

2004年8月11日(水)
ぼやき

 次から次へと仕事上で難問発生。長い間問題先送りにしていたせいだが、何も僕が担当になった途端に発生せんでもええのになぁ。

2004年8月10日(火)
キッド稽古

 残業でキッドの稽古に遅刻。理想や希望、夢というものと現実との間には大きな溝があるようで。
 今日も今日とて読み稽古。役柄をつかもうとみんな必死である。

 稽古終了後、友人の訃報が入る。まだ31歳。交通事故だという。同年代や年下が死ぬのはやり切れない。

2004年8月9日(月)
ふつふつと…

 仕事でバタバタしているうちに午前11時2分が過ぎたことを、昼のNHKニュース(ラジオ)で知る。原爆犠牲者の冥福と恒久平和を願う。以下6日の日記と同じ。

閑話休題
 胸の中にふつふつと沸いてくるものがある。自由なことが少なくなるからこそ沸いてくるものがある。一つの区切りを迎えた今沸いてくるものがある。この衝動はどうにも抑えきれない。後に悔いを残さぬために、どう具現化していくか…。

2004年8月8日(日)
快気を祝う

 祖母3回忌。寺の若和尚(遠州弁では若「おっさま」と言う)、大病から2年ぶりの復活。結婚したのを知らなかったらしくかなりビックリされる(何故?)。何はともあれ良かった良かった。

 親戚揃って飯食いながら酒飲まされる。昼間の酒は効く。ひさびさに轟沈。

2004年8月7日(土)
アジア制覇!!

 家から歩いて行ける距離で行われる花火大会。明日に備えてやってきた親戚一同楽しみにしていたが、途中ですっげぇ雨降ってきて残念無念。

 いろいろな意味で注目を集めるサッカーアジア杯決勝戦中日日本。相手が間違いなく“ホームチーム”だから試合中の野次やブーイングは仕方が無いというか当たり前なのだが、問題は国歌吹奏や表彰式などのセレモニーでの雰囲気づくりや、スタジアム外での日本人選手やサポーターの安全確保。決勝戦ということでAFCの役員がスタンドに居並び、ヨーロッパにも生中継される。大会ホスト国としての力量がアジアだけでなく、世界に問われている。
 で、選手入場から国歌吹奏。残念ながら予選リーグほどではないが、日本に対して激しいブーイングが飛ぶ。残念ながら国際的なスポーツの場での常識は通用しないらしい。
 続いてキックオフ。出場停止のMF遠藤の代わりにMF中田浩が入っただけで、日本のスタメンの顔触れ変わらず。ジーコ監督は「試合に出たい!」ストレス爆発寸前の控え陣よりも疲労困憊のレギュラー陣の方が信用できるらしい。試合開始直後から、準々決勝、準決勝で感じた緊張感や心臓に悪いハラハラドキドキ感は無い。つまりは“負ける気”がしないわけで、これってけっこー当たるんだな。おかげで前半22分にセットプレーからMF福西がヘッドで決めて先制したが、拍手はしても「よっしゃ!」というガッツポーズは無し。9分後に同点に追いつかれても「ほ〜っ(意外と)やるじゃん。」という感想が出てくる。
 後半に入ってレフェリングはますます露骨に中国寄りに。中国人サポーターのブーイングも激しさを増す。完全アウェーだから仕方無し。この辺りから心配になってきたのが「日本が勝ったら選手やサポーターは無事に帰ることができるのか?」である。その心配が頂点に達したのが後半20分のCKからMF中田浩の身体で押し込んでの日本の追加点。あれは間違いなくハンド。中国にとっては不運にも主審も副審も見ておらず得点が認められてしまったが、この点の取り方は日本にとっても幸運とは言えないぞ。ますます無事帰れんぞ! でも日本がズルいのではなく、審判が見落としただけなので頼むから怒りの矛先を間違えないよーに。
 別のことでハラハラしながらのTV観戦。中国は必死に攻めるが、逆にロスタイムFW玉田が抜け出し、GKもかわして無人のゴールに決定的な3点目! このゴールは文句ないやろ! 途端にスタンドでは中国人サポーターがぞろぞろと帰り始める。オイオイまだ試合やってんだぞ!中国チームはまだ戦ってんだぞ!

 やがて試合終了! アジア杯2連覇!! ピッチ内外で厳しい状況の中よくぞ頂点に立った。日本を追い詰めるブーイングが逆に日本を成長させた。鍛えられた逞しさを、ドイツ杯予選、そして本大会。さらにはこの優勝で出場権を勝ち取ったコンフェデレーションズ杯での戦いが楽しみだな〜。

 残念ながらスタンドからは次々と物が投げ込まれる。表彰式でも準優勝の
中国には「拍手」は無く、優勝の日本には「ブーイング」。なんてこったい。深夜の本道番組を観るとスタジアム外では中国人サポーターによる暴動が起こっているらしい。愛国教育を進めるために抗日(反日)思想を教え込んでいるらしいが、がんばっている仲間を見捨てて行き、挙句に暴動とは、結局“抗日”ばかりで“愛国心”は育たなかったか?
 一部のサポーターの行動で中国人全てがこうだとは思わない(思ってはいけない)が、一部の馬鹿ども(敢えて言う)のおかげで全体が悪く見られてしまう。日本人全体も、例えば各Jリーグクラブのサポーターも「他人のふり見て我がふり直せ」ということわざを改めて肝に銘じたい。

 でもホンマに北京五輪は大丈夫か?

2004年8月6日(金)
できるものならやってみな!

 朝8時15分。通勤途中の車中で黙祷できず、やむなく心の中で世界初の核兵器被害者の冥福と恒久平和を願う。現在の核兵器を保有する全ての国の元首と、原爆投下を正当化する元軍人たちは是非この日に広島に訪れて欲しい。自分たちの主張に自身があるならばできるはずだ。そして慰霊碑や記念館の展示品の前で核保有や原爆投下を正当化できたのなら、それはそれで意見として認めてやる。

2004年8月5日(木)
残念!

 「仕事が終わったら先週見逃した芝居を観に行こう!」と考えていたが、朝出勤して予定表を見たら、しっかり埋まっていた。忘れてたぜよ〜。

2004年8月4日(水)
イメージばんばん!?

 昨日稽古に行けなかった分、台本を読み込んでイメージを膨らませる。ふ〜む、なるほど、あれこれアイディアが浮かんでくる。ストーリーを引っ掻き回す役なので比較的好き勝手にやれそう。さてさて何やってやろうかな(^o^)。

2004年8月3日(火)
場所を問わず

 キッドの稽古日。仕事から帰宅後準備してたらも帰宅。体調が悪いと言ってへたり込む。ありゃこりゃ見捨てて行けないぞ。てな訳で稽古を休ませていただく。稽古が佳境に入ったらこうもいかないだろうけど、子供が生まれたら「行くべきか、それともやめるべきか」と悩むことも増えるんだろうなぁ。

 で、ビデオ録画で観るはずだったアジアカップ準決勝を生TV観戦。前の試合で延長も含めて120分で体力を消耗し、PK戦で神経をすり減らした選手を、スタメン変えることなくまんま使うとはどういうことだ?ジーコ監督。そないに控え選手は信用できないか? それとも「選手」ではなく、「練習相手」と考えているのか?
 しかして目の下にクマ作っているスタメンは、当然のごとく動きが鈍い。シーソーゲームで観ている側はハラハラドキドキ心臓に悪い試合を楽しめる(?)が、もう少し楽に勝てることはできなかったか? 延長後半開始早々にFW玉田の気迫のゴールで決勝点を奪って勝利、決勝進出を決める。今日の“神”はGK川口ではなく、延長後半終了間際にゴール前絶好のチャンスを逃した相手選手の右足に降臨していた?

 決勝の相手は中国。どんな試合になるか、ピッチ上だけではなく、スタンドやスタジアム外も含め、場所を問わずいろんな意味を込めて楽しみな試合だ。

2004年8月2日(月)
激闘?

 4月に異動してきた係長が前職場から抱えてきた仕事が〆切間近。まるで「頂上の見えない山」に登ってるよう。膨大なデータを数えるたびに答えが違ったりして(^^;)。パソコンにデータを入力も、プログラムを作ったのが僕自身なのでイマイチ当てにならない(ってコラコラ)。入力シートと結果表を見比べて頭を抱える。

 おまけに家のパソコンも調子悪い。丸一日画面に立ち向かうなべである。

2004年8月1日(日)
負けるんじゃない 走り続けろ

 午後2時集合。集まったのは僕の他、鉄兵ちゃんと高校生の大澤クン。最後まで責任を全うする覚悟を持ち、同時に最後までYYアドベンチャーに関わっていたいと思っているスタッフ3人だ。向かうは三ケ日青年の家。YYを開催すべく予約をし、そのため同じ日程で利用を希望する団体は断念または日程を変更していた。この時期にキャンセルすることは施設にとっても利用を希望していた団体にとっても迷惑至極な話なのだ。事業中止直後に電話でその旨連絡してはあったが、それだけでは礼を失すると考え、みんなで謝罪に赴くのだ。忙しい中応対してくれたのは副所長と担当所員の先生。頭を下げる3人に「大変でしたね。」と反対にねぎらいの言葉をくれた。恐縮しきり。悔しさと申し訳なさからか、帰りの車中は言葉が少なかった。

 浜北に帰り、ライブの準備をする。今日行われる予定だった「初めての出会いの会」で、講師として歌っていただくはずだった高橋忠史さんのライブ。“1000日連続ライブ”を継続中の高橋さんのスケジュールに穴をあけるわけにはいかない。スタッフ自力でライブを開催するのだ。スタッフ総力を挙げてPRをしたが、なにせ準備期間が短くて何人きてくれるか不安だった。詳細は『いべんと日記』(現在執筆中)にて。
 今年のYYのカラーだったオレンジ色の紙に『高橋忠史1000日連続ライブin浜北』を書いた看板を設え、高橋さん持参の布に書かれた書を掲げる。「負けるんじゃい 走り続けろ」 まるで僕たちを叱咤、激励しているような言葉だった。PRに応えてくれた演劇仲間と高橋さんのHPを見て来てくれたご夫婦2組。決して多い人数ではなかったが、来てくれたことに心から感謝したい。おかげで今年も“YYスタッフ”の足跡を残すことができました、ありがとう。そして高橋忠史さん、素敵な時間をありがとうございました。

 打ち上げは予定されているが、YYスタッフとしての公式な活動はこれで一区切りとなる。オレンジ色の看板の片隅に目立たぬように書いた「Thanks & Good−bye YYadv.」と言う文字が僕たちスタッフの素直な気持ちである。心から感謝。