その1  僕は“アマチュア役者”です
 
〜 演劇に“アマチュア”は存在するか? 〜

 僕が自己紹介などをする場で「趣味は何ですか?」と聞かれれば「芝居やっています。“アマチュア”ですけど。」と答えます。すると時々「芝居に“プロ”も“アマ”もない!」と言う方がいらっしゃいます。大別すると、芝居にあまり興味がない方は「お金(入場料)を取る以上“プロ”と同じなのでは?」という感じ。逆に詳しい方は「他人の前で表現する以上“プロ”も“アマ”も関係ない!」とまるで「寝ぼけたことを言うな!」とでも言いたげに突き刺すような言葉を浴びせてきます。

 でも「お金を取るなら“プロ”」となると、高校野球の甲子園大会は“プロ”になっちゃいますよね。あ、高校演劇の大会も小額だけど入場料を取っているな。サッカーの天皇杯やゴルフのオープン大会だって入場料を取っています。その参加者やチームが全て“プロ”じゃないですよね。そもそも「入場料を取る=もうけている」という考え方に無理があるのではないでしょうか?


 浜松の多くの“アマチュア”劇団では入場料は1,0001,500円程度。劇団によって集客に差はありますが、いずれにしても公演の制作費には遠く及びません。そこで役者、スタッフが「会費」とか「制作費」とかの名目で不足分を負担しています。公演で多少の黒字になっても“出演料”どころか、「会費」や「制作費」が返金されることはまずありえない。良くて打ち上げの飲み代が安くなるくらいです。つまりは公演やったって「もうけてる」わけじゃない。あ、それ言っちゃうと“プロ”劇団のほとんども同じか…。

 いずれにしても、お金(入場料)を取る=“プロ”というのは、かなり乱暴な意見だと思います。

 「じゃあ何をもって“プロ”と言う? 何処までが“アマチュア”なんだ?」と言われそうですね。もっともそんな線引きがどうしても必要かどうかは疑問ですけど。

 僕個人の考えとしては生活の中での比重が、芝居が中心であれば“プロ”、本業(と表現するのが妥当かは分からないけれど)が中心であれば“アマチュア”じゃないかと。それから意識の問題で、自分が“プロ”と思えば“プロ”だし、“アマチュア”だと思えばそうなるかなとも思います。誤解を恐れずに言えば、「職業は?」と聞かれて「役者です。」と答えれば例え芝居だけでは食べていけなくてアルバイトをしていたって立派な“プロ”だと思うし、「会社員です。」と答え、プライベートな時間に芝居をやっていれば“アマチュア”と言っていいんじゃないですかね?

 「他人の前で表現する以上“プロ”も“アマ”もない」というのは半分賛成半分「?」です。やはり“プロ”は“アマチュア”より全てのレベルが上のものを創ることができる人たちのはず、なんせ“プロ”なんだから。それに“プロ”ならば自分はどうあれお客さんを楽しませるのは義務ですよね。でもお客さんと同じくらい「自分自身も芝居をすることを楽しみたい!」ってのもありじゃないですか。確かに自分が楽しむことに一生懸命でお客さんのことを考えてない“アマチュア”劇団もあって、そんな舞台を観せられると閉口してしまうけど、それは“プロ”の劇団でも多々あることだからねぇ。例え“アマチュア”でも他人に観せるに堪えうるものを創り上げることは心する必要だと思いますが、それと同じくらいに自分たちも芝居を楽しむ芝居創りもあっていいと思うんですが。
 つまりお客さんはもちろん、役者、スタッフ問わず、係わった人全てが楽しめるように努めるのが“アマチュア”、お客さんが楽しめるように努めるのが“プロ”。結果として“プロ”ではお客さんが楽しめれば、公演終わって「こんな辛いのは2度とゴメンだ。」と役者が辞めちゃっても構わないと思うんです。ちなみに自分達だけ楽しんでいるのは“アマチュア”以下の自己満足です。

 まぁ“プロ”も“アマチュア”もピンキリだけど、逆に“プロ”の劇団には、どんな“アマチュア”劇団よりレベルが上の芝居を創ってもらわないとね。「“アマチュア”なんかに負けてたまるか!」ってなくらいのプライドを持って欲しいものです。

 そんなわけで僕は“アマチュア”役者です。プライベートな時間と多少の仕事の調整をして生み出した時間、少ない小遣いを使って、より良い舞台を創るべく稽古をし、お客さんに喜んでいただくことを楽しみにしている、自他ともに認める“アマチュア”役者です。是非、僕と僕の仲間たちが悪戦苦闘して創り上げた“アマチュア”芝居を楽しんでください!

(平成18年8月12日 一部訂正)