その6 惚れられた者の義務 
 
〜 ガラになく“恋愛”を語っちゃいました 〜

 その昔静岡県スポーツ少年団リーダー部会の会長という大役を務めたことがあります。当時発足して間もなく、ほとんどが中高生の中で唯一の大学生ということで選ばれただけの話ですが。
 そんな若い奴らが集まる組織に付き物なのが“恋愛”。運営に携わる者はともかく、県レベルの組織なんて日常的に活動できるわけがないので、集まる時は非日常の世界、お祭りと言うか「ハレの場」に近いものがあります。真面目な講義もあったけど、基本的にはレクリエーションの実技体験。楽しいのでみんな顔がキラキラと輝いています。そりゃもう“恋愛”と言う病が発病しやすい環境なんですわ。んで、共に活動しているとは言え、ちと年が離れていてみんなの前でエラソーに話したりしていると頼れる人と思われるのか、相談をされたりします(この時点で深層心理では実は自分と同じ立場の「仲間」だとは思われてない)。
 「あの娘(あの男)が好きなんだけど、どうしたらいい?」なんてのは年長者としては実はアドバイスが楽。例え失恋してもそれがいい思い出や経験になるということは、失恋率9割超(当時)の僕は体験していることですから「結果を恐れるなー! いけいけー!」とアドバイス(?)するわけです。問題なのはその逆のパターン。「あの人と別れたい。」なんてのは、シチュエーションとその理由がケース・バイ・ケースなのでとても悩みます。簡単に別れていいとは言えないし、でも付き合い続けることで本人が悩んでいるのであれば開放してあげたいし…。

 さて、ここからが本題なのですが、「あの人と別れたい。」って場合で別れることを決断して、その方法は?となった時に、特に相談者が女の子の場合にこういう台詞を聞いたことがあります

 「はっきり言うのは嫌だから、相手が嫌いな言動をして、相手から別れの言葉を言わせる。」

 これ初めて聞いたときにはかなり驚いたんだけど、同じようなことを言う女の子はけっこー大勢いたことにも驚いたんですよね。実はその後僕自身も同じような(だと思われる)経験をしています。女の子の中では割とポピュラーな別れ方なようですが、これってズルいやり方だと思いませんか? 「自分から別れたことになれば相手は傷つかない。」なんてもっともらしいことを言う子もいましたが、僕は「それって本当は自分自身が傷つきたくないだけだし、悪者になりたくないだけでしょ?」って思ってしまうんですがね。

 ストーカー被害が増えているようです。被害者の方の困惑は察してあまりあるんですが、付き合っていた2人が加害者、被害者になってしまったストーカー事件のニュースを観ると「別れるときにちゃんと話し合ったのかなぁ。」って思うんですよね。相手のことが嫌いになってしまって別れる場合に、ただ「嫌いになった。別れたい。」だけでは相手は納得できませんよね。本気で愛していたりすれば「理由を聞かせてくれ。」となるのは当然。ところが悪者になりたくないし面倒なことはゴメンだとばかりに執拗に避けたり、ワザと嫌われるような言動をしたり、メールなどで一方的に別れを伝えたりするだけでは相手はますます混乱する。で、電話をかけまくったり、家や職場(学校)に押しかけたりしちゃうと、気がつけばストーカー犯罪者にされていたりする。相手は溜まりませんよね。

 “恋愛”って人間関係の形の一つ。ちゃんと別れることができないってのは、人間関係が希薄になったり、構築するのが苦手な人が増えたりという、現代社会を表す現象の一つなのかもしれません。でも話し合ってお互い理解を深め、納得し合うってのは、人と人とのコミュニケーションの基本ですよね。それをしないというのは、大袈裟に言えば人間社会で生きていくときの基本ルールを守っていないと言うことじゃないですか? そもそも“別れる”という2人にとって大きな転機のシーンを、特別な理由もなしに電話やメールで済ませるってのも相手を馬鹿にした態度だと思うんです。ちゃんと会って堂々と言えないほど何かやましいことがあるのか、そもそもその程度でいい加減に付き合っていたのか、ってね。
 スポ少リーダー部会の時に「別れたい。」と言った相談者、特に女の子(ゆえに相手は男)の場合には、僕はこうアドバイスをしました。

 「ちゃんとフッてやれ。」


 嫌いになった、別れたい理由を直接会ってしっかり相手に伝えて、できれば相手に納得してもらえ。男だったら、しばらくは落ち込むけどそれを糧にして男として成長するよ、とも言いました。そして最後にこうも言いました。

 「ちゃんとフるのは“惚れられた者の義務”だ。」と。

(平成18年8月12日 一部訂正)