その7 なべ的“組織”論 レクリエーションその他
 
〜 組織に“寿命”は存在するか? 〜

  これまで様々な活動に関わらせてもらってきたが、その経験から言うと“組織”というものには自ずと“寿命”があると断言することができる。その“組織”の目的や規模、構成員の顔触れにより長短はあろうが、おおよそ10年と言っていいだろう。

 ちなみにここでいう
“組織”とは基本的に営利を目的とする企業、事業所ではなく、例えば青年団とか婦人会、レクリエーション団体、そして劇団等の集団、所謂「任意団体」を指す。

 “組織”が誕生した時、どんな“組織”でもその活動には勢いがある。「こんな活動をしたい!」という希望を胸に集まり、その欲求を満たす場を持った初期メンバーの意気は当然高い。この頃の活動は本当に楽しくて楽しくて仕方がないもの。自分たちが自らの手でその“組織”を創っているという充実感に満ち、次に集まる機会が待ち遠しく、活動の場に向かうのに胸弾ませている。

 その幸せな時間がどれくらいかは組織によって異なるだろうけど、やがて少しずつ活動するにあたっての問題が表れてくる。活動自体がメンバーの非日常から日常に変化する頃から表れてくることが多いのが、

@ 「初期メンバー元来の意識の相違」
 活動が軌道に乗ってくると、さらなる発展を望む気持ちがメンバーの中に出てくるのは当然。その中でメンバーそれぞれの思いの違い、わずかなベクトルの違いが表面化してくる。もちろん方向性は同じなんだろうけど、目標達成するための手法が違ったりとか。
 そうしたわずかな思いの違いを埋められるか、メンバーがお互いを尊重しながら埋める努力ができるが鍵となる。

A 「初期とその後に加入したメンバーとの相違」
 初期メンバーは“組織”誕生時の苦労を知っていて、大袈裟に言えば「同じ釜の飯を分かち合った」仲間だ。その結びつきも強いし思い入れも生じる。そこに新しいメンバーが入ってくるとなかなか難しいことが起こる。新しいメンバーは当然“組織”が誕生した時のことを知らない、少なくとも体感をしていない。その“組織”への憧れはあるかもしれないが、それは初期メンバーの思いとは異なる。
 さらに問題をややこしくするのが「初期メンバーの団結」だ。「組織」誕生時の特別な時間を共にした仲間だから仲がいい。ところが場合によっては初期メンバーがお互いを特別視しがちになる。悪く言えば新参者を排他する田舎の集落だ。新メンバーを実際に排他するわけではないが、何か問題が起こると初期メンバーにしか相談しないとか、見えない壁のようなものを作ってしまう。
 これも@と同じだが、初期メンバーが見えない壁を作らず門戸を開く努力ができるか、新メンバーも溶け込む努力ができるかが、新しい人材を得て“組織”をさらに発展させるかどうかの分かれ道だ。

B 「停滞期に目標を見出せるか」
 “組織”に限らずどんな物事でも同じだが、常に成長し続けることは難しい。必ず停滞期、場合によっては後退する時期もある。“組織”誕生時の勢いが失われ、決まったイベントを変わらずにこなしていくだけの、変化がまるで無い活動を毎年繰り返すだけになると、目標を見失い、メンバーのモチベーションも同様に停滞、或いは後退する。当然活動していて面白味も停滞、或いは後退してしまう。
 こんな時に活動を継続させうるモチベーションを保てる目標を如何に見出すか、ということが課題となる。その目標は新しいものを見出してもいいし、それまでのものを心新たに設定してもいい。

C 「運営に携わる者とそれ以外の者との相違」
 “組織”規模の大小問わず、「運営に携わる者」とそれ以外の所謂「構成員」がいる。「運営に携わる者」と言うと偉く感じるが、実際に偉いというか「組織」を代表する場合と、書類作成や会計処理を行う事務担当の場合があり、“組織”規模が小さくなるほど両者を兼ねることが多くなる。ここでは主に後者の問題を論じるが、「運営に携わる者」と一「構成員」とは、活動に要する労力に差が存在するのはある程度避けられないことだ。一人のメンバーが「運営に携わる者」になった理由は様々であろうが、自薦他薦問わず多くの場合は「自分がやらねば。」という責任感だ。
 ところが「運営に携わる者」のモチベーションが下がってしまい、「何で自分だけがこんな苦労を…。」と考え始めるとかなりまずくなる。元々「構成員」とは避けられない違いがあるから、何かの問題、悩みを提起してもその受け取り方に相違が生じる。自分の悩みを十分に理解してもらえないとなると「運営に携わる者」は“組織”の中で孤独感を増していく。やがて限界に達せば、「運営に携わる者」の立場を降りる、最悪「組織」から脱退ということも起こりうる。もし一人のメンバーに運営を頼っていた場合は即「組織」の存続を問われる事態となってしまう。
 これは「構成員」であるメンバーが「お客さん」にならないようにすることでかなりの確率で回避できると思う。「運営に携わる者」に対して感謝の念を忘れず、協力する姿勢を持ち続ける。役割なんだからやるのが当然、というような考えは厳禁。その役割はメンバーであれば誰が担当してもいいのだから。「運営に携わる者」が孤独を感じないように、常に気にかけることだ。

 他にもいろいろあるだろうが、代表的なものを書いてみた。上記の問題はどんな“組織”でも多かれ少なかれ必ず起きてくるはずだ。それらの問題が大きくなって限界に達し解決不能になる。“組織”によって長短はあるだろうが、誕生から10年程度で起こる確率が大きい。ゆえに「組織」の“寿命”は10年と言えると思う。




 何故こんなことを書いたか。特にCで悩んでいる、「活動に携わる者」に言いたいのだ。

 やめちまえー!!  と。

 あなた一人が悩む必要はない。そもそもあなたが所属する“組織”には「お客さん」は不要だ。今抱えている問題の原因の多くは「お客さん」化している他の構成員にある。運営の苦労をあなた一人に押し付け、自分は楽しいことだけ享受しようなどと甘い考えを持っていることが間違いなのだ。あなたの“組織”は既に寿命が尽きている。あなたの努力でいくら延命しても、あなたの“組織”に、例えば社会に還元する有益な何かを生み出す力は残っていない。ならばあなたのその労力を新しい何かに費やした方が有意義だ。頑張ってきた分思い入れも大きいことは痛いほど分かるが、あなたのその有能な力を無駄に浪費して欲しくない。

 あなたの“組織”が社会にも構成員自身にも、まだ必要とされるのであれば必ず協力者が現れるはず。それが現れないということは、もう必要とはされていない、寿命がつきているということなのだ。

(平成22年2月19日)