第1章 翼抱きしめて
……来たか。
男は口の中で呟いた。
もう、俺以外は全滅かもしれん。だが戦うしかない。
あの、「天使」という名の化け物たちと。
握りしめたレバーを押し込んで、ガスタービン・エンジンの回転を上げる。
歯車がきしむ。連続的な高音が操縦席に満ちた。キャタピラが地面をかきむしる。彼の乗った茶色の機械、小型の戦闘車両は、これまで隠れていた穴ぼこの中から上半分をのぞかせた。
地平線上に影があった。ひどく小さい。自分のワンマン・タンクよりも、はるかに。あの距離で、あれほど小さいということは……大きさは一メートル半ほどしかない。
間違いない。「エンジェル」だった。
その小さな物体に向かって、小型戦車の主砲が吼えた。発射したのは、対人間用の榴弾である。音速で飛び、炸裂。何千もの破片をマッハでまき散らす。たった一発で、一ダースの人間を赤黒い液体に変えてしまえるのだ。
だが小さな影は、左右にすばやく跳ねとぶ。砲弾をことごとくかわした。次に放たれた弾も同様だった。
戦車の高性能コンピュータと、男の戦いの経験が、まったく通用しなかった。
まるでこちらの動きを読んでいるかのようだった。
戦車を駆る男の額に汗がつたう。
次の瞬間、小さな影が姿を消した。さらに一瞬のち、男の視界の中に人間があらわれる。
すぐ目の前に、瞬間移動をしてきたのだ。
その人間は、小さな影は、迷彩服を着込んだ少年だった。やっと小学校を出るくらいの年齢だった。
だが、そんな子供が、時速百キロを超える速さで空中をとぶ。何の機械もつかわずに、少年は、黒髪を風にゆらして宙を舞った。
男は口元をゆがませてボタンを押した。ジュースの缶ほどの金属筒が発射された。近接防御用の対人てき弾だ。爆発し破片をばらまく。
だが、少年は挽き肉にはならなかった。
超音速で飛び散る破片は、少年の身体の手前で残らず進路をねじ曲げられ、むなしく地面に散らばるばかりだった。
笑みが、少年の顔にひろがる。
少年は戦車の上に立った。どんなに高速で走り回っても、黒い髪の少年を振り落とすことはできなかった。
男の戦慄は極限に達した。悲鳴をもらし、「エンジェル……フォース!」と意味不明なことばをわめく。
少年は小さな白い手を、戦車のザラザラした装甲板に当てた。その手が輝く。閃光が破壊の力を帯びてほとばしり、強靭な金属とセラミックの装甲をアメ細工のように溶かしてゆく。
少年は、音もなく草の上に降り立った。背後で、戦小型車が炎の塊になって転がっている。だが少年の表情は、とても人を殺したもののそれではない。ただニコニコと笑っていた。そしてこう叫んだ。
「任務完了!」
大きな軍用テントの中でボーイソプラノが響いた。
さきほど戦車を撃破した黒髪の少年に向かって、長い金髪をもつ少年が何事かいっている。
「すばらしい戦果だ。この戦域での敵兵力はほぼ一掃された。とくにトキタ・リョウ君、君の活躍がめざましかった」
「すごいでしょ、隊長」
黒髪の少年はそう答えた。軍用テントの中には二人以外にも多くの子供たちがいた。みな、サイズを小さくした野戦服を着ている。暑いのか、袖をまくっているものが大半だった。
十歳前後の、少年や少女ばかり。リョウや隊長は比較的年長だったが、それでも十二歳ほどだろう。
「だが、ここで一つ悪いニュースがある。『エターナルチルドレン』が再編成を終了し、この方面に投入された。今回、連中の兵力は強化されて、我々と同等になったという話だ」
「わあっ」
驚愕の叫びというより、歓声にちかい叫びがあがった。
「おれ超能力者とたたかったことねえよっ」
「おれはある。すごかったぜ」
「すっげえなあ!」
みんなの反応に満足したのか、隊長は白い顔に笑みをうかべる。
「そうか、みんな喜んでいるのか。それならいい。みんな、同じ能力者と戦えるのが嬉しいんだな」
「あたりまえです! あんな戦車なんか弱すぎて面白くありませんよ!
もっと楽しくなくちゃ」
リョウはあっさり認めた。戦いのかなしみ、命を奪うということの重さ、そんなものはリョウの表情のどこにもなかった。
「話はこれだけだ。解散」
この子供たちは、独立特殊戦小隊ISP−01、通称「エンジェルフォース」と呼ばれていた。
数十年も続く戦争の中で生まれてきた、強力な超能力者ばかりの部隊である。
ユーラシア条約機構軍の切り札だ。
超能力が軍事目的に研究されはじめて、すでに一世紀。だが、いまだに、超能力の原理はまったく理論化されていない。そんな代物を兵器として使うのは難しいことだった。
超能力戦士、エンジェルの養成は困難をきわめる。
超心理学テストによる優秀児の選別、何年にも及ぶ薬物投与と洗脳的訓練による能力の強化。それをくぐり抜けてきた「エンジェル」はたった四十名。しかしその戦闘能力は一個軍団にも匹敵するという。
エスパー集団であるという以外の、もうひとつの特徴、それは、全員が子供であるということ。
下は六才から、せいぜい十二才まで。
子供でなければいけない絶対的な理由があるのだった。
突然、基地にサイレンが響きわたった。眠っていた隊員も多かったが、すぐに飛びおきる。
リョウもまた、まどろみの中から追い立てられ、黒い頭をかきかき、ぶつぶつ呟きながらも戦闘服に着替えた。ベッドの上に浮かび、手を振ると、それだけで服が飛来し、もともとの服が脱げ、自然に着替えがおわった。
サイレンの音にまじって、何かが爆発する音が聞こえた。悲鳴が精神波に乗って響いてくる。いったい何が起こったのだろうか。自分に透視能力がないのが悔しかった。
テントの外に瞬間移動したリョウの目の前で、いきなり火の玉が炸裂した。その場所はすでに激戦のただ中にあったのだ。
かろうじて一瞬はやく察知し、手をかるく振ってバリアを造る。
火の玉の飛んできた方角を見る。
そこに自分と同じくらいの歳の少年が浮かんでいた。白い肌と、茶色い髪をもっている。少年の全身から精神エネルギーが放射されていた。 彼の着ている服は敵軍の野戦服。
間違いない、「エターナルチルドレン」だった。こちらのエンジェルフォースに相当する、敵軍が編成した超能力部隊である。
だが、まさか実際に攻撃を受けるまで探知できないとは。奴らの「力」は、こちらの予知能力を上回っているというのか。
リョウは驚いたが、恐怖は感じなかった。おもしろい、すごいじゃないか、と思った。それが天使というものだった。
エターナルチルドレンの隊員に向かって、リョウはありったけの念動力を叩きつける。戦車を爆砕できるほどのエネルギーだ。けれどコンマ数秒早く、茶色い髪の少年は空間にとけこんでいた。
十メートルほどの間合いを瞬間移動によって一気に詰め、その少年はリョウに飛びかかってきた。いつの間にか、彼の左拳は黄金の輝きを放っている。膨大な精神エネルギーをこめた拳。リョウの攻撃と大差ない破壊力があるだろう。
その動きはあまりに早い。よけられないかも知れない。これまで楽勝の戦いばかりを経験してきたリョウの心に、震えが走った。
「あぶない、リョウくん!」
リョウの声よりも高い叫び。警告とともに、第三の「力」が炸裂する。エターナルチルドレンの隊員は、リョウに必殺の鉄拳を叩き込む寸前で、とつぜん苦痛に目を剥き、のけぞって吹っ飛んだ。精神に、激烈な攻撃を受けたのだろう。
墜落した彼に、青く輝く精神エネルギーの弾丸が浴びせられた。とっさにバリアを張った彼だが、すべての衝撃を吸収することはできなかった。おもわず後ろに吹き飛びそうになり、倒れる寸前で姿を消す少年。
「ありがとう!」
いったい誰が助けてくれたのか確認することもなく、声の主の方にリョウはそう呼びかけた。
そこにいたのは女の子だった。リョウと同じくらい、やはり十二才ほどの、黒い髪を三つ編みにした女の子。エンジェルフォース隊員のリン・メイファだ。リョウとおなじ東洋人である。とはいっても彼は、自分がどういう人種であるか、ということなど意識したことがなかったが。
「リョウくん、また来るよ! 右の岩のかげ!
撃って!」
彼女が叫ぶとおりに、リョウは精神の力をを投げつける。「があっ」という呻きがあがった。そこに突然あらわれた少年が、現れた瞬間リョウの精神エネルギー弾を受けて吹っ飛んだ。
瞬間移動してくる者の先手を打ったのだ。
「すごい、予知能力あるんだ!」
「リョウくんのほうがすごいよ」
メイファはそう言って笑ってみせた。
なぜだろう? リョウはまばたいてその笑みを確認した。なんだか、笑ってもらえたことが嬉しかった。
「ほら! また来るよ!」
「うん!」
こうして、リョウはメイファとコンビを組むことで、命をとりとめ、戦い抜くことができた。
エンジェルフォースはキャンプの場所を移動させた。奇襲されてしまったことを、隊長は悔やんでいるらしい。新しくキャンプを設営したとき、広場に皆をあつめて隊長は言った。
「この間は残念だった。これまでと違い、エターナルチルドレンは予想以上に強力な相手になったらしい。死んだものも何人かいる」
リョウ、特に反応は示さない。
「人が死ぬ」ということの意味がよくわからなかった。
頭ではわかっているはずなのだが、「それって、ただいなくなるのと、どう違うの?」などと思ってしまう。
おとなになればわかるのかな?
そういえば……大人っていえば。どうしてエンジェルフォースには子供しかいないんだろうか。大人になったら、エンジェルフォースをやめさせられるのだろうか。
自分が大人になることなど実感できなかった。だいたいリョウは、自分がエンジェルフォースに何年いるのか、それさえもよくわからない。気にしたこともない。
そんなことより気になるのは、斜め後ろにいるメイファのことだった。
命をすくわれ、一緒に戦ったあの時からずっと、メイファのことが気になって仕方がない。どうしてだろう。
「リョウくん、どうしたの?」
「あっ」
笑顔をつくって振り向く。よほど元気なさそうに見えたのだろう、メイファが心配げな表情をつくっていた。
「なんでもない。ちょっとかんがえごと」
「隊長の話きかなくっちゃダメだよリョウくん」
「うん……」
その時メイファの目が大きくまばたいて、「もしかして……」というおどろきの言葉が小さな口からもれた。
「なに?」
「ううん、べつに」
そう言って愛想笑いするメイファの顔さえも、いまのリョウにとってはひどく印象深いものだった。
メイファには、わかっちゃったのだろうか?
ぼくがメイファのこと変に気にしてるってことが。この変な気持ちが何なのか、知ってるんだろうか。
なんとなく眼を合わせられなくなって、そのおさげのついた頭に視線がかすめただけでなんとなく恥ずかしくて、リョウは眼を空へ向けた。
蒼くて白い広大なスクリーンが、そこにはあった。
きれいだよな。
すっごく蒼いよな。
なんか、こんなふうに空を見たこと、なかったと思うけど。
見るのははじめてじゃないのに、もっと高いところから、視界いっぱいの空を見た事もあるのに……どうしてだろう。
すぐそばにいるはずの少女の顔をその銀幕に投映していることを、彼は自覚していなかった。
自分の想いの正体にまるで気づかないまま、リョウは次なる戦いの日を迎えた。
草原をリョウはゆく。地上数十センチを浮きながら飛ぶ。
心をとぎすまして、敵の存在を感知する。
敵はいなかった。そのかわり別のものを、彼の超能力はキャッチした。メイファの悲鳴だった。
いけない。行っちゃいけない。隊長に、自分ひとりで任務を遂行するようにって……でも。
……どうして、隊長のいうことに、したがわなきゃいけないんだろう?
いままで考えたこともなかった。
どうしてだろう?
首をはげしく振って、リョウは空間を跳躍した。
まっさきに目に飛び込んできたのは、輝く弾丸を身体に受け、泣き声に近い叫びをあげるメイファの姿だ。
森の中。太陽もめったにさしこまない。
メイファは複数のエターナルチルドレン隊員たちに囲まれていた。
彼女の予知能力も、五人を超える隊員に囲まれては大した効果を発揮できないらしい。木から木へ飛びうつり、必死に逃げはするが、目の見えない精神エネルギーの刃がメイファのおさげを切りおとす。ついで透明な掌が彼女を叩き、地面に落下させる。
小さな悲鳴をあげたメイファを見おろして、リョウの目に怒りの色がやどった。メイファはひどい怪我をしていたのだ。戦闘服をぬらす赤黒い液体、裂けた生地の奥に見える、あわい桃色の肉と……
「なにするんだっ!」
森の中に潜んでいるのだろうエターナルチルドレン隊員たちに向かってリョウは絶叫した。まぎれもない憎しみの声だった。
あるいは戦いの中で、本当にリョウが敵を憎んだのはこれがはじめてかもしれなかった。いままでは殺しても仲間を殺されても、すべて遊びのような感覚でケラケラと笑っていたからだ。
リョウの「力」が解放された。数人のエターナルチルドレンも「力」を結集し、木の葉をとび散らせながら光る弾丸を撃ち込んできた。だがしかし、リョウの「力」は荒れ狂い、全身からたち登る純白の輝きが、すべての攻撃を軽々とはじき返す。
逃げようとしたエターナルチルドレンは、黒髪の少年が涙をながしながら放つ渾身の一撃を浴びることになった。
視界を漂白する閃光、すべての聴覚を無意味にする爆発音。
数十もの木が吹き飛び、土が吹き上がる。
周囲の樹という樹が燃え盛る。
「大丈夫、リンさん!」
駆け寄ったリョウはメイファの傷に精神エネルギーを注ぎ込んで治癒させる。
弱々しく笑ってメイファはこたえた。
「ありがと、だいじょうぶ」
「でも、どうしてやられちゃったの? あいつら、たいして強くないのに……リンさんの力だったら負けるわけないのに」
「ちょっとね……あたし、力が弱くなってるんだ」
「え?」
「それより、あたしたすけにきたの? どうして?
隊長はダメっていってたじゃない」
「だって助けたかったんだもん! リンさん死んじゃうのイヤだもん」
そのときメイファの顔がひどく悲しそうになったのは、一体なぜなのだろうか。
「やっぱりそうなんだ。また、やっちゃうんだ」
また? どういうことだろう。自分が誰かを好きになったのは初めてのことだ。それなのに。
だが、そう言われてみれば、ずっと遠い昔にも、こんな気持ちになったような気がした。どうしてなのだろう。
「……あたしのこと、すきなんでしょ」
突然心の中を言い当てられて、狼狽した。息がとまった。
「うん、……うん」
やっと、ありったけの意志力をふりしぼって言葉を吐き出すリョウ。大きなため息をついた。これでいいんだ、という想いがあった。これは遠い昔から、なにかによって決められていたような気がした。ずっと前にも、おぼえていないけど、こんなことがあったような……
「リンさん、ふしぎなんだ。リンさんのことぜんぜん知らなくて、どうして好きになったのかもぜんぜん判らないのに、なんだか、ずっと前から。ずっと前にも」
メイファの丸みをおびた愛らしい顔が、いっとき、凄惨なまでの苦痛の色を浮かべた。それはもちろん傷の痛みではなくて、なにか、そう……
いまにも消え入りそうな声で、メイファはいった。
「あたしも好きだよ。でもね、そんな事おもっちゃいけないんだ。かんがえちゃいけなんだよ」
「どうして!」
リョウは、半身をおこしたメイファに詰め寄った。メイファの答えは意味不明なものだった。
「そのとき人はもう天使でも子供でもいられないから」
メイファの言葉が頭から離れなかった。生まれてはじめて好きになった女の子から言われた言葉が、リョウの頭の中をぐるぐるとまわりつづけていた。
こんなに、なにかを深く考えたのははじめてだった。いままでは、ちょっと不機嫌になっても、おいしいものを食べたり誰かに優しくされたりすれば納まってしまった。「苦悩する」なんてことはなかった。
次の戦闘にも、その悩みを抱えたままリョウはのぞんだ。山岳地帯で、テレポートを続けてエターナルチルドレンの姿を追い、一人一人うちたおしていく。
そのはずだった。だが、うまくいかなかった。いつものリョウなら簡単にできるはずのテレパシー感知が難しくなっていた。瞬間移動できる距離が半分以下にまで短くなっていた。
「どうして……?」
目の前に現れ、精神エネルギーの光線剣を振るって襲いかかってくるエターナルチルドレン隊員に、光の弾丸を放った。その弾丸も、かつてより威力が格段に弱くなっていた。
「なんでなんだぁ!」
やっとの思いで任務を達成したリョウは、自分がいつになく疲れきっているのを感じた。いままで、どんなに暴れても笑っていられたのに。
リョウは首をかしげた。どうしてだろう。
ああ、よく考えたら、こんなふうに困って、誰にも答えを教えてもらえずにいるのって、はじめてだ。
……超能力の軍事利用に関する研究が、ふたつの陣営で進められてきた。長い研究の結果、実戦に使用しうるエスパー兵士を生み出すことに成功した両国。あいかわらず原理は謎に包まれていたが。
原理は不明でも、ひとつだけ判ったことがあった。
超能力を発揮するには、「子供の心」がどうしても必要らしい、ということ。良くも悪くも無垢な心、自制も苦悩も知らず、大人の諦観とも常識とも無縁な、すべてを遊びにしてしまう心。業浅い魂。それが、強力なエスパーの条件だということ。
それこそ子供だけが隊員に選ばれた理由である。その子供たちも、いつまでも子供ではいられない。誰かを好きになれば、そのことについて悩めば、少しずつ「力」が失われていくのは当然であった。
「隊長、おしえて」
「なんだい?」
相談におとずれた隊長のテントで、クッションの上に座ってリョウは言った。
「ぼく、だんだん力がなくなっていくんだ」
それだけきいて隊長はすべてを了解したらしい。
「ああ。わかった。それを止めるのは簡単だ。『ぼくは大人なんかになりたくない』、そう思えばいいんだ」
訳の判らない返答に、リョウが呆然としていると、十二才の隊長はにこにこ笑いながら説明した。
「人間は堕落するんだ。純粋な気持ちなんか忘れちゃって、みんなと同じでもいいやというあきらめとか、自分の責任とか、他人の立場とか、そんなつまらないことが心の中にわいてくるんだ。みんな、それを『成長』なんて呼んでるけど。
誰か女の子のことが気になる、というのも、いっしょだよ。
それを否定するんだ。ぼくは今のままでいい、何も難しいことは知りたくない、責任をとったり悩んだりするのはイヤだ、毎日ただ楽しいことだけして暮らしたい、あいつら大人たちといっしょになるのはイヤだ、そう思えばいいんだ。それだけで『力』がもどってくる」
一気に言い終えて、隊長はクッションの上に無防備に横たわった。
隊長の言うことは難しい言葉が多かった。よく理解できない部分も多かった。しばらく間をおいて、リョウはたどたどしい調子で問いかける。
「……つまり、そのためには、誰か気になる人のこと、わすれなきゃいけないのかな」
「ああ、もちろんだ」
「ぼく、できないよ。できません」
「……すぐに、きみもぼくと同じように考えるはずだよ。ここにもどってきて、忘れさせてください、って言うはずだよ」
隊長はそれだけ言って会話をうちきった。隊長の目は揺るぎのない光に充ちていた。
つぎの戦場は砂漠だった。彼は能力の低下を心配され、数人の仲間と一緒に行動することになった。
だが、すぐにいつもと同じ状況になった。エターナルチルドレンが、強力な幻惑攻撃をかけてきたのだ。
砂漠の景色がぐちゃぐちゃにゆらめき、いくつもの幻が見えた。テレパシーも千里眼も妨害された。
そんな混乱の中で、リョウの所属するチームは散りぢりになってしまっていた。
超感覚が敵の接近をつたえた。背後に気配が炸裂し、振り向くと、リョウと同じくらいの年齢の少年がちょうど出現したところだった。輝く精神エネルギーの剣で切りかかってくる。
あっ、こいつ前に戦ったことあるぞ。
そんな事を考えつつ、反射的に身体が動いて、リョウも精神エネルギーの剣をつくって敵の剣を受けとめた。
幾度か剣をまじえる。閃光が散る。まったく互角の勝負だった。
おかしいなあ。こいつ、前に戦ったときはもっとずっと強かったぞ。まるで、ぼくに合わせて弱くなっているみたいだ。
相手の顔にも不審げな色があった。同じ戸惑いがあるのだろう。
まさか、こいつも……
リョウがテレパシーの触手を相手の心にのばし、原因を知ろうとした。それと同時に相手もリョウの心に探りを入れてきた。
次の瞬間ふたりは、彫像となってその場に硬直した。
同じだったのだ。このエターナルチルドレン隊員の心の中心を占めていたのは、憧れの女の子の笑顔だった。それが、能力低下の原因だったのだ。
「うそだろ!」
「お前もか!」
ふたりは同時に叫んだ。あどけない顔の中の瞳が、膨大な感情をやどして向かい合った。
「おまえは……どうするんだよ」
攻撃を続けず、相手の少年は問いかけてきた。何を言いたいのかすぐに理解できた。お前はその気持ちを断ち切れるのか、そう言っているのだ。きっと敵の少年も、エターナルチルドレンの隊長に「忘れろ」と言われているのだろう。
「うん、たぶん。だって……だって」
隊長のことばを言うつもりだった。こんな感情はまちがってるんだと。そうおもえば幸せにくらせるんだと。だが、何かが引っかかる。「だって」だけで言葉はとまった。
「そんなものなのかい?」
「え?」
「そんなものなのかい、きみ、そのくらいしか気にしてないの?
ぼくは嫌だ。毎日なやんでもいい。この気持ちがなんなのか知りたい。わすれるのはいやだ」
「でも……」
リョウ、圧倒されるものを感じて、小さな声をもらした。
まさに自分が言いたいことを代弁してくれたわけだが、だからこそ逆にとまどいがあった。
どうして、そんなにはっきり言えるんだろう。どうして、そんなに強いんだろう。
まだ、ふたりの心はつながったままだった。お互いに、相手の考えることがわかった。たしかに、リョウの方が迷いがあるようだった。性格の違いだろう。
「わすれて、前みたいに戻って、毎日たのしく殺してまわって、それでも君は満足できるの。そんなものなの。そんなもんなの?
その女の子ってさ」
少年は問いつめる。知らず知らずのうちにリョウに顔を近づけていた。
嘲るつもりは、その少年にはなかった。それはリョウにも伝わっていた。それでもリョウには許せなかった。
「やめろ!」
喚くリョウ。それだけは許せなかった。はじめて見つけた自分より大切なもの、このまま生きていていいのかと思ってしまえるもの。そのものへの思いのために、リョウは逆上した。怒っているというより、なかば泣きそうな顔になる。
相手の少年は、精神結合を通じて、自分がいかに深くリョウを傷つけてしまったかを知った。だが、もう遅い。
芽生えたばかりの感情が、またしても、抑制されることなくほとばしった。リョウの髪が逆立つ。ありったけの「力」が解放された。「力」は、無防備な肉体を粉砕する。
少年はいっさい抵抗しなかった。
ただ、わずかに、唇の端を歪ませた。歪んだままの唇は、ほかの顔の部品と同じように、赤いものにまみれてちぎれとんだ。
リョウは、目の前で、ひとりの少年が肉体を四散させるのを見た。
もちろん、人間を吹き飛ばすのは初めてではなかった。いままでは、ふつうの子どもが蟻や蛙をつぶして遊ぶように、人形の首をもいで遊ぶように、ただ「おもしろい」としか感じなかった。
だが今回、リョウは顔をゆがませる。
それだけではなかった。まだ二人の心はつながっていた。テレパシー回線によるつながり、「おれたちは同類なんだ」というつながり。
なにか熱く、鋭く、痛いものが、リョウのなかに突き刺さった。
つながりを通して、少年の断末魔の叫びが、その魂が生涯最後にはなつ濃縮された想いが、押し寄せてきたのだ。
リョウへの、心からの謝罪の念。
自分がどんなにあの子を。
こんな気持ちになったのは。
きみもおなじなんだね。おなじなんだね。
錯綜する想いは、十二年間の記憶をともなって、リョウの心に吸収されていった。そして、唐突にとぎれた。
リョウは知った。知りたくはなかった。だが。
めのまえでひとがしんだ。
じぶんがころした。心のすべてを知った相手を。
殺したことを自覚したのはこれが初めてだった。人間を殺したことなどいままで一度もなかった。敵を破壊しただけだった。
ぼくが……ぼくが。
その場にすわりこみ、口の中でリョウは何度もその言葉を繰り返した。十回、二十回。まだ、くりかえした。
涙はでなかった。絶叫することもなかった。ただ虚脱しきった表情で、ぼくが、ぼくが、そう呟き続けた。
苦しかった。
それでも自分が殺されるのはこわい、そう思ってしまうのが自分の限界なんだと、思い知った。
自分とは一体なんなのか、自分をなにか支えてくれるものはないのか、そう震えながら考えた。考えに考えた。
たったひとつだけ、それでも自分のために笑ってくれる人がいるような気がした。
それでもあの人は本当に。
ふと我にかえると、自分の服や身体にこびりついた血は乾ききっていた。それももう、気にならなかった。
どこか遠く、だれも知らない場所へとんでゆきたい。そう思って、リョウはいつものように、精神を集中する。
なにもおこらなかった。
もう一度「力」を集中した。だが、結果はおなじだった。草の葉いちまい、舞い散らなかった。
耳をすます。だが、聞こえてくるのは音だけ。心の声はきこえず、空間のかなたも見えない。
翼は折れ、目はくもり、耳はただの聴覚器官と化して。
「そうか……そうなんだ」
リョウは知った。自分がもう残酷な天使ではなくなったことを。
すべての超能力を失ったリョウは、他のエンジェルフォース隊員の手で救出され、抱えられて空を運ばれた。
キャンプでは隊長が待っていた。
隊長は少しも驚いていなかった。笑みすら浮かべて、リョウに問いかける。
「トキタ君、どうだい。天使の力をなくした感想は」
リョウはこたえるべき言葉を見つけられなかった。
「いやだろう。こわいだろう。そこらを歩いている人たちと自分がおなじになるのかと思うと、いやで仕方がないだろう。……そうだ、それでいい」
リョウの心を読んで、隊長はつづけた。
「ぼくが君の記憶をとってあげるよ。そうすればまた、幸せに生きることができる。他人のことを考えたり、そんな必要はなにもないんだ。きたない大人の世界とは関係なくいきられるんだよ。毎日楽しく。きれいに。もう何も気にしなくていいんだ」
隊長の目に宿っている光の正体を知って、リョウは戦慄した。
こいつは憎んでいる。おとなの世界のことを、心の底から。なぜだろう。
「メイファはどうしたんだよ」
「あいつもきみと一緒で、能力をうしなったよ。入れ、メイファ」
沈痛なおももちで、十二才の少女がはいってきた。彼女のあまりに悲しげな表情に、リョウの胸は痛んだ。
「メイファ、君の心の『けがれ』を洗いおとしてあげよう。目をつぶってくれればいい」
「いやです」
「またか、またそう言うのか」
隊長とメイファの会話の意味が全くわからなかった。
「またって、どういうこと?」
隊長、鼻を鳴らして笑う。
「君は、一年前のことを思い出せるか? 二年前のことを思い出せるかい? 自分がエンジェルフォースに入って何年たっているか、思い出せる?」
はっとした。思い出せなかった。いったいなぜだろう?
自分が何年前にここに来たのか、どうしても思い出せないのはどうしてだろう? 子どもらしく、過去のことを考えずに生きてきたのだが。
「君がこの部隊に入ってきたのは、もう二十年も前のことだ。
毎年、君は誰かのことを好きになって、悩んで、その結果『力』を失う。そのたびに、ぼくに記憶を消してもらう。それを、何十回も繰り返してきたんだよ。メイファも同じだ。少しでも成長した子供は、記憶を消して、身体も元にもどして、子供に戻ってもらうんだ。
君たちだけじゃない。覚えてないだろうが、ここにいる子供たちはみな、それを延々と繰り返し続けているんだ」
そんな!
だからメイファは「また」といったのだ。
「もういや。あたし、もう嫌だよ」
メイファも、毎年毎年、恋心を抱いて力をうしなうたびに、記憶を消されていたのだろう。だがメイファは予知能力があるので、記憶をわずかに取り戻すことができたのだ。だから、あんなに辛そうにしていたのだ。きっと毎回こうだったのだろう。
メイファの嘆きをしりぞけ、隊長は断言する。
「それでいいんだよ。忘れれば楽になれるよ。子供のままでいれば、大人たちのように働いたり、苦労したり、他人のことを考えたり、自分のこころにウソついたり、自分がちっぽけな存在だってことを思いしったり、そんな苦しい目にあわなくていいんだ。だから、だからこそ子どもだけが『力』を使えるんだよ。それが『天使』という言葉の意味なんだ」
リョウは、たじろいだ。そうなのか。
たしかに、自分がただの大人になることは怖かった。
自分は特別な存在だと信じていたかった。そこらを歩いている人間ひとりひとりに、自分と同じだけの重みがあるなんて、信じたくなかった。それに、きっと大人になれば、耐えられないほど汚いこと、つらいこと、納得できないことがたくさん出てくるのだろう。自分の良心も、自分にとって何よりも大切なものも、たくさんある真実の中のひとつでしかなくなるのだろう。
いやだった。隊長の言いたいことが、よくわかった。
けれど自分は確かにそこに近づいていっている。いずれ、そこにたどりついてしまうのだろう。
どちらが正しいんだろう、どちらが。
「もう何十回も繰り返してきたように、君達はまた、この一年をやり直すんだ。さあ、思ってよ。このままずっと子供時代をつづけて遊びたいって。
なにが正しいのか判らない、辛いことばかりある毎日、それを乗り越えても、昔みたいな喜びはない……みんな言葉で表せるだけのものになってしまう……そんな生活がしたいのかい?」
隊長は手をかざした。きっと超能力を放射するのだろう。力を失ったリョウとメイファが、抵抗できるはずがなかった。
「リョウくん」
メイファはリョウのそばに寄ってきた。
そうだ、子供にもどったら嫌なことは考えなくていいけど、この人がどうして大切なのか、それがわからなくなるんだ。わからなく……
そんなのは嫌だった。
「やめてよ! ぼくは楽しくなんかなくてもいいから」
「もう遅い!」
リョウの叫びは、隊長の叫びにかき消された。隊長の小さな手から「力」が発射され……
二人は、また、その心から成長のあとを消される。
だが、その一瞬まえに、邪魔が入った。
テントの中に、エンジェルフォース隊員ではない、大人の軍人たちが踏み込んできたのだ。
「なんだよ!」
隊長は超能力の行使をやめ、大人たちに向き直って叫んだ。
「エンジェルフォースの全活動を停止せよ」
大人たちは子供たちに向かってそう言った。
「なんだって。そんな!」
隊長の顔から余裕が消えていた。
「たった今、わが国と敵国の間に、休戦条約が成立した。戦争が終わったんだ。
休戦の条件は、最強部隊エンジェルフォースとエターナルチルドレンを放棄すること。解散だ、どちらも」
「うそだ、うそだ、そんなことって!」
誰よりも強いはずの隊長は、恐怖におののいていた。彼はいま知ったのだ。どんなに強くても、たとえ本当に純粋なのは自分達のほうであったとしても、自分たちは大人の庇護のもとで生きている存在にすぎなかったのだ、ということを。
「君達は子供であり続けることから解放され、普通の人間になってもらうことになる。祭りはおわったんだよ」
「うそだ、嘘だ。ぼくは信じないぞ。いつかお前達もみんな思うだろう。あの頃に戻りたいって。人間は子供の頃がいちばん綺麗で、あとは腐っていくだけなんだって。その時が、その時が僕たちの勝利の日だ」
隊長はわめきつづけた。だが、どんなに声高にさけんでも、その顔のひきつりが消えることはなかった。
隊長の顔、絶望感にみちたその顔を、きっと僕たちは生涯わすれないだろうと、リョウとメイファは思った。
それは、綺麗な世界にいつづけようとした者が、いつか必ず浮かべることになる表情だろうから。
灰色の空。
イルミネーションが夜の街に冷たい光をばらまいている。
戦争の影はもう街に残っていない。
四十才になったリョウは雑踏にまぎれて街を歩きながら、遠い子供の日のことを思い出していた。
あれは本当に現実だったのだろうか?
そう思えるほど、思い出は希薄なものになっていた。
自分たちはあれから、一人一人ばらばらに、普通の子供として世に出され、普通の家庭に預けられて少年時代を過ごした。もちろん、そのまま大人になっていった。
自分がエンジェルフォースという特殊部隊で、超能力をつかって戦っていた、などという証拠は、どこにも残っていなかった。あの部隊は最高機密だったから、誰も知っているものはいない。記録は書き換えられ、自分は普通の家庭に生まれ、事故で両親をなくして今の親の元に来たことになっていた。
いや、ひょっとすると、本当はそっちが現実なのかも知れなかった。超能力戦士として戦った日々は夢だったのかも知れない。
昔、いちど友人に話してみたら、こう言われた。
「子供のころの、よくある妄想だ」
自分が実はエスパーだとか、宇宙人だとか、ロボットだとか。自分は特別なものだと思いこみたい時期があるんだよ、人間ってね。その友人は、はるか遠くを見つめるような目をして、そう言ったものだった。
そう言われて納得してしまう部分が、たしかに心のどこかにあった。たしかに夢だといわれても仕方がない。
いまのリョウには妻がいて、養わなければいけない子供がいて、通わなければいけない会社があった。自分が、どこにでもいる人間のひとりでしかないことをリョウはよく知っていたし、それがなぜいけないのか、判らなくなっていたから。
堕落と呼びたければ呼べばいいさ。
ビルに取りつけられた巨大テレビ画面に、ひとりのロックシンガーが映った。ロックシンガーは長い髪を振り乱して歌っていた。大人の社会の汚さを訴えるメッセージソング。
どことなく、あの隊長の面影が残っているように思え、リョウはしばらく立ち止まった。
いや、歳があわない。だいたい隊長は外国人だ。
そういえば、この間駅で出くわした浮浪者が隊長の面影を残していたような気もする。最近逮捕された連続殺人事件の犯人が、どことなく似ていたような気もする……
だが、なんにせよ、もう俺には関係のない話だ。そう悟ったリョウは首を振って、また家へと歩きだした。
明日もまた朝六時に起きて、足をふまれながら毎員電車にゆられて会社にゆき、一年前も十年前もそうであったように、単調な仕事をする。子供はあざ笑い、妻は毎月の給料のことしか気にしていないだろう。
純粋なものは、子供時代の空想の中にしか有り得なかった。
理想はない。夢はない。そんなものをまだ持ってる奴は、現実を見てない奴ばかりだ。
空はもう青くなんかない。たとえこの雲が裂け、いわゆる青空が顔を見せても、自分にとって空は青空ではない。
ただの空気の層だ。白い雲は、ただの水滴の集まりだ。
だが、それが当然なのだ。
そう思ってリョウは雑踏の一部となり、歩きつづけた。
突然リョウは、白髪のまじりはじめた頭をあげる。雑踏の中を振り向く。
いますれ違ったひとりの中年女性。誰かに似ていた。とてもよく似ていた。たとえ何年たとうとも、自分がまちがえるはずが……
メイファ……メイファじゃないか?
振り向いたとき、もう、その女の姿はなかった。
リョウは口の中で小さな小さな声で呟いた。
いまだ、思い返すたびにある種の痛みをおぼえずにはいられない言葉。
「エンジェルフォース、エターナルチルドレン……」
いつかこの言葉の意味さえ思い出せなくなる時がくるのだろう。
かつて天使だった灰色の男は、どこにでもいる数万人の人間たちの群れの中にまぎれていった。
もう夢も見ずに。