第3話 空のイノセント
空はやはり今日も青かった。
リョウ、生きたカーペットに寝そべって、大きく伸びをした。
……気持ちがいい。本当に気持ちがいい。
実は彼が見上げている青天井の上、そこもまた戦場だ。
高空には高速偵察機と早期警戒機が飛び回っている。さらに上の宇宙空間には攻撃衛星と軍事用宇宙ステーションが何十という単位で浮遊している。いや、戦闘機や爆撃機が出撃しているかもしれない。
つまりこの瞬間にも、空で光がはじけ、多くの命が失われているかもしれないのだ。
などということは、リョウの意識にのぼらなかった。目の前に楽しいこと、おもしろいこと、気持ちいいことがあれば、それに没頭することができた。かつては日々の友としていたあの声、ふん、どうせ……という冷笑の声は、もう全く彼の耳に届かなくなっていた。
草は深い。生い茂っている。視界の五割ばかりが濃い緑に、残り半分が濃い青に塗られていた。
吸い込んだ息のなかに、たしかな命のにおい。
このままずっとこうしていたかった。
彼らは、軍の一員としては考えられないほど休暇にめぐまれている。よく休み、よく寝、よく遊ぶことが「天使の力」を発揮するには必要不可欠だからだ。
それはすでに研究段階で明らかになっていた。効率であるとか、機能性であるとか、客観的かつ論理的な判断であるとか、そういったものを押しつけようとすると、みるみるうちに天使たちの輝きは色あせていく。
そうであるが故に、戦場のまっただ中にいるリョウも、一週間の半分ほどを遊んで暮らしていた。もちろん、そのあいだエンジェルフォース基地を無防備なままにはできないので、交替で任務についているのだ。
もちろん、こうして草の上に横になっている彼は他人のことなど忘れていた。自分がこうしている間にも基地の上空をしかめっ面をして飛んでいるものがいること、その連中からの羨望の眼差しを浴びながらこの庭に飛び出してきたこと、それも忘れてしまっている。
……が、いいかげんこれも飽きてきた。
少し硬すぎる緑のマットレスの上に半身を起こす。草がざわめく。夕刻の風が彼を迎えた。
いまの彼はかなり軽装だ。半ズボンとシャツ一枚。びっちりと軍服を着込むのは、やはり嫌なのだ。自由時間に突入するたびに、彼はロッカールームで踊るように楽しげに野戦服を脱ぎ捨て、金属製の白いドアを蹴り破るようにして走っていく。
だから寒かった。ちょっと意識をこらせば彼はバリアで身体を包み、真冬のシベリアでもシャツ一枚で歩き回れるようになるのだが、こんな程度のことに「力」を使うのはもったいない。やはり、もっと楽しいことでないと。たんなる機能性のために「力」を使うのは「天使性」に反する。
もちろん歩くのもいやがりはしない。むしろ、じっとしているのが嫌だとすらいえた。特に教室で、別に「力」を使えるわけでもない、ただ年をくってるだけの教官の「授業」をえんえん聴くのは大いなる苦痛だ。机に落書きするか、教本の後ろに隠れて机につっぷし眠ってしまうか、そんなことばかりやっていた。さいわい、「授業」の回数は日を追うごとに少なくなり、まちがいなく敵と戦える出撃が増えているのだが。
若さにあふれた筋肉を躍動させながら、赤い空の下を歩いていくリョウ。
基地の建物はすぐ側だ。
その時リョウは、自分を見つめる何者かの視線に気づき、周囲を見回した。
……だれ? おい、だれだよ?
目のみならず、精神の手を四方に延ばし、探る。だが、見えざる手がとらえたものは植物や昆虫の、想いともいえないような原初的な生命の波動だけだった。
首をかしげる。
もともと彼は念動力に片寄った天使である。見えざるものを見る力は、それほど強くない。だから分からない。いや、ほんとうに錯覚かも。
気のせいかなあ。
そう思いつつ「校舎」へと歩く彼。
そしてもちろん、次の日にはそんなことすぐに忘れてしまったのだった。
「たいちょー。呼んだぁ?」
かん高い声がドアに弾けた。
ひとりの少年が、重厚な木材のドアの前に立って叫んでいるのだ。
返事はない。
少年、つまりリョウは、ノックした。
むろん、これが上官に対する正式な礼儀なのだが、てっとり早い方法をとらずに礼儀を守るなど、彼にとっては面倒くさいことこの上ない。そんなのインチキじゃないか、とすら思ってしまう。
不満を感じつつ、ノック。
だが不思議なことに、それでもドアは開かない。
「なんなんだよぉ」
はっきりと不満を声に出し、ノブに手をかけたリョウ。が、彼より先に向こう側でノブが回された。
無言でドアの向こうから現れたのは、金髪の少年ではなかった。グレーの制服に身を包んだ数人の男たちであった。そう、おとなの男だ。みな中年だが、太っているものは一人もいない。きびきびと動く。表情には緊張感がある。
エンジェルフォースの面々は普通の軍人とは違い、階級を与えられていない。機械のような規則正しいシステムに組み込んでしまうということ自体が、その「天使性」を損なうかもしれないからだ。だが軍の一員であることに変わりはなく、リョウはむすっとした顔で敬礼する。
答礼し、男たちは廊下を去って行った。
「トキタ君か。入ってくれよ」
隊長に招かれるがままに入室したリョウ。
回転椅子に座った隊長は、顔をあげて彼に軽く挨拶をした。軍人だという自覚はやはりないらしく、彼もリョウも敬礼はしない。大人がいない場所では、こういきたいものだ。
と、そこまで思ってリョウは気づいたのだが、隊長の顔は妙に沈んでいる。
「どうしたんですか、隊長」
「ああ……いまの連中、誰だかわかる?」
「誰でしょう」
軽く笑い、少年は声に明るさを少し取り戻す。
「安心したよ。きみはまだ、やはり、ぜんぜん関係ない世界にいるんだね。
あいつらは、うちの軍の高級将校だ。将軍だったか、なんとか参謀だったか……偉そうな肩書きのついた奴らだよ。
あ、まあ座ってよ。ほらさあ。別に怖い話しようってわけじゃないんだから。怒ったりしないよ」
リョウはすすめられた通り、椅子に腰をおろす。
「この間の、三日くらい前の戦い、くわしく知ってるよね」
うなずくリョウ。
ほかならぬリョウ自身が大活躍した戦いだったからだ。隊長じきじきの命令を受けて敵部隊に突入、ざっと四、五百両の車両を破壊し、ついでに司令部まで吹き飛ばした。あの一戦で、敵が受けた損害は計り知れない。
それ以来、隊長はおれをすごく信用してるんだ。
それで死んだ相手のことなど気にしないでいられる彼にとって、あの日の出来事はまちがいなく栄光の記憶。
「あのことについて文句があるんだってさ」
リョウ、大げさに首をかしげる。いや、本当に理不尽な話だと思ったのだ。
あれだけの完全勝利、一体なにがまずいというのだろう。ほめられるとばかり思っていたのに。
「あれは素晴らしい戦果だった。だが、それが気にいらないらしい。あのせいで、ほら、敵が後退したろ?
ぼくたちはいいけど、普通の戦車や 歩兵なんかの部隊は、移動させるのがたいへんなんだってさ。いまはまだ状況が整ってないから勝つべきではなかった、なんていうんだぜ」
隊長とリョウの眼は確かに合っていたが、実のところこのドイツ系の少年はリョウのことなど見ていなかった。
「でたらめだよ。あいつらは結局、ぼくたちが勝って勝ってかちまくるのが嫌なんだよ。政治的な問題とか、いろいろあるんだろうな。普通の部 隊の連中の士気がどうとか、権威がどうとか」
少年の拳は膝の上で握りしめられていた。口元にうっすらと笑みをうかべる。
「ばかだよ。きたないよ。そんな理屈、さ」
それと同じ眼を、いつかリョウは確かに見た。いつかどこかで。
「……うん」
同意の言葉が、ごく自然に口からあふれ出た。
どこまでが自分の本当の気持ちで、どこまでが隊長から刷り込まれたものなのか、それは判らない。後になって何度か考えてみたが、やはり判らないままだった。すべての発端となった重大な出来事などというのは、案外そんなものかも知れない。
「そうだろう。ばかげているだろう。戦えといって、それだけ言って、そのくせに。あいつらの心に『本当のこと』なんて何もないんだ。違うか」
白い壁に囲まれた隊長室。椅子にすわった二人の少年。十数秒間の沈黙。
「なにがいいたいんですか?」
隊長の顔に失望の影がよぎった。唇を歪めた。膝の上の拳に力が加えられた。細い腕が震えていることが、服の上からでもはっきり判る。
怒るのか?
だが、隊長は激発しなかった。長々と理屈を述べてリョウに説明しようともしない。彼が発したのは、ただ一言だ。
「忘れたのか?」
十分だった。その一言で十分だった。
リョウ、思わず胸に手をあてる。
肋骨の奥でゆっくりと脈打っていたものが、いまや劇的に跳ね回っていた。
……蒼い、蒼すぎる。
突如として胸中に脳裏によみがえった一つの言葉。まるで意味不明だが、その言葉は確かに胸を締め付けた。
半世紀近い時の流れは、確かに技術を進歩させた。脳と精神を操作する技術において、特に進歩が著しかった。完全に疲れきり、この世界を受け入れてしまったものを天使にもどす、などということすら可能になったのだ。その過程で、あの人工羊水の満たされたカプセルの中で、脳に多くのメスが入れられたことは当然だ。
今の彼は、あの無彩色の日々を思い出すことができない。夢に見ることはあっても、それは悪夢のひとつでしかない。ああ嫌な夢を見た、そう吐き捨てて終わりだ。
だが……隊長は超感覚で知っていたのだろうか、その処理にも限界があった。科学的魔術がなしとげた聖なる忘却の奇跡を、彼はたった一言で突き崩して見せたのだ。
「あ……」
「そうだ、思いだしたろう。忘れるはずなんかないんだ。忘れるはずなんかないだろう。心なんか、想いなんか、がんばることなんか、どうせこういう世界! そんな気持ちでいっぱいになったことを」
いつしか隊長はリョウにその顔を近づけていた。
見える。その蒼い瞳。灰色がかった眼の奥にゆれる光。長い前髪でその眼はごく一部が隠れていた。
しゃべっている時も、そうでないときも、口元には常にある種の歪みがある。
リョウを見つめたあと、悲しげに首を振る彼。細く白い首筋に、微かな陰影がうまれ、よじれて消えた。
「……わかってくれたかい?」
「わからないけど……なにもおもいだせないけど、すごく大切なことだったような気がする。いつか、それとおなじようなことを」
「そうだろう」
小さくうなずき、やっと隊長は笑った。唇の端を無理矢理吊り上げるような不自然な微笑みだった。首を縦に振ると、ほとんど膨らんでいない喉仏のあたりに、また淡い影が生まれた。
「だったら、わかってくれるはずだ。ああ、その言葉やめてよ、敬語なんかつかわないでよ」
リョウ、また鼓動がはやくなるのを感じた。なぜ、この人のこんな言葉は自分の胸に強く響くのだろう。
自分にとって、この言葉というのは大切な何かなのだろうか。
「どうして……」
隊長、椅子から立ち上がる。
リョウを見おろしつつ、彼は宣言した。いつしか微笑はその顔から消えていた。
「あの日の言葉を本当にするのさ」
ユーラシア条約機構軍はいくつかの司令組織によって指揮されている。
安全保障委員会、総司令部、参謀本部、軍令部、三軍協議会。いずれも微妙に異なる役目をもち、重要な組織だった。臨時の幕僚会議というのもある。
その中のひとつ、各国幕僚の会議。
条約機構に加盟する国々を代表する将官がその部屋には終結していた。
部屋は、二十世紀後半から当たり前の存在となった、極度にコンピュータ化されたものだった。壁面にはコンピュータパネルとスクリーンが埋め込まれている。
が、火がはいっているものはひとつもなかった。機密保持のため、もっとも原始的な方法にたよるつもりのようだった。
「で、その部隊の行動についてだが」
白いテーブルを囲んでいた老人たちの一人が言った。
「それについては私から。第一特殊戦中隊エンジェルフォースは、秘匿呼称S08の戦闘において、隊長の独断により攻撃を開始、破壊率一 千七百五十二パーセントという戦果を得た。敵数個師団をせん滅、戦線は八十キロばかり前進した」
骸骨のような老人が、薄明かりに照らされた顔を歪めつつ、言葉をついだ。
「まさに完璧、賞賛にあたいする戦果ですな。それだけ見れば」
「そう、それだけ見ればな」
「が、軍はひとつの組織だ。機械と呼んでもいい。他のものとかみ合わない歯車は、機械そのものを駄目にする。正直、大変な危機なのだよ。わかっているのかね」
「わかっておりますとも」
眼鏡をかけた男が答えた。この場ではもっとも階級の低い軍人であるらしかった。天使を象った紋章を軍服の胸に付けている。
「他兵科の皆さんは苦言を呈されているようですね。我々の存在意義が失われると」
「当然だ。特にわが国の陸軍元帥閣下のお怒りは激しい」
顔をなんとも苦しげに歪め、ミイラのような老人は言った。
「国民に対してもそうだ。もはや天使の強さは戦意高揚のレベルを超えている」
「宣伝部隊として使える、などという計画書を出したのはどこのどなたでしたかな」
「黙れ。G1号作戦のことを忘れたか。……とにかく、国民もまた深刻な疑問を抱きはじめている。そんなに天使とやらが強いのなら、普通の軍隊などいらないのではないかと。だから我々は、特殊戦中隊の強さを過小に発表せずにはいられん」
「が、統合宣伝戦本部からの報告書によりますと、例の疑問とやらはさらに高まっておりますな。まあ、たかが数人の子供が何百もの戦車を吹き飛ばす所を目前で見たわけですから、ばかばかしくなるのも当然でしょう」
「どうすればよいというのですか」
「ふん、わかっておらんではないか。君が、政治的影響などすべてを考慮し、エンジェルフォースを完全に統御するのだ。君が大局を見ることすらできれば、このような矛盾に苦しめられることもなかったのだ。以後、天使たちは、敵の同様な部隊のみに攻撃対象を絞ること。エターナルチルドレンの新規編成も近いという話ではないか。わかったかね」
「これはひとつの戦争の勝敗のみならず、軍の存在じたいをひっくり返しかねない大問題だ。君では少し役者不足かも知れんな」
「実例から見る限り、どうやらそのようですなあ。子守すらできんとは」
はっきりと面罵されても彼は不愉快そうな顔をしなかった。ただ、胸に縫いつけられた小さな天使の紋章を片手で触り、断言した。
「いいえ、閣下。十分です。もしそれをお望みなら、完全に天使たちを管理することも可能でしょう。ただし、我々のほうが早ければ、ですが。そして彼らが天使でなく、単なる兵器であれば、ですが」
「なんだと?」
「どういう事かね」
その時、薄暗かったその部屋が一気に明るくなった。
あらゆるコンピュータ、通信設備、壁面のスクリーンなどが一斉に作動したのだ。
会議の間ずっとしかめっ面で通してきた一人の男が、机と一体化した電話に向かって叫んだ。
「何事だ」
他の者たちも、それぞれ軍の要職につく身である。かたずを呑んで、この非常事態を見守っている。
卓上通話スクリーンの向こうで、中年の軍人がわめいた。
「反乱です!」
集った軍人たちが一人残らず蒼白となる。いや、一人だけ驚いていない者がいた。エンジェルフォースの大人側の司令であるらしい、あの眼鏡の男だ。
彼は、処置なし……といった風に、肩をすくめて小さく首を振った。
「いささか遅かったようですな」
早くもこの場所にまで、なにかが爆発し、砕け、崩れる音が響いてきた。床が細かく震動する。
吹き飛んだ。
翼がちぎれ飛び、白く細い煙の尾を引いて、その機体は落ちてゆく。
射出座席は発射されるより早く、機体は爆発する。確実にひとつの命が消えた。
加害者は、荒い息をした。
こんな、こんなに、こんなに簡単なことだったのか。
どうして気が付かなかったのだろう。
加害者、少年リョウ、その顔を歪める。
苦痛のためではない。
喜びだ。どこまでも、そう、強く果てしなくこみあげる、歓喜のためだ。
彼は超能力を全開状態にして、空を飛んでいた。「力」で流線型の壁を創り、あるいは流体力学の法則をねじ曲げることによって空気抵抗を無視し、おどろくべき速さでの飛行。彼のゆくところ、いかなる飛行機も鈍重な屑鉄にすぎなくなる。
戦いのための飛行だ。今もまた、この大都市の防空任務につく一機の戦闘機を、「天使の力」で叩きのめしたところだ。
そう、簡単なことだったのだ。
あのとき隊長はいった。ゆるくウェーブのかかった金色の髪に手をやり、射抜くような視線をリョウに浴びせながら。
……天使たちの世界をつくろう、と。
……そんな。だってぼくたちは。
……疑問だと思わないのか。きみたちはほんとうにそれでいいのか。ただの道具として使われて。あんな汚れてしまった奴らに。人間としての心を捨ててしまったような奴らに。
……でも、でも。
……わかっている。きみはやさしい。命について、そして約束の重みについて考えているのだろう?
安心してくれ。大人たちの命は命ではない。約束にも価値はない。それが大人の世界というものなんだって、あいつらが教えてくれたんじゃないか。
そう言って、隊長はまた笑みをつくった。
白い歯が見えた。
リョウ、唐突に気づく。歯というのは骨の一種なのだと。ガイコツの一部なのだと。
さあ、思い出すんだ。
眼から眼へ、不可視の力が流れる。
リョウ、その細い身体を震わす。
眼にはおびえがあった。
手にもまた震えが。
叫んでいた。
いや、叫ぼうとした。
だがかすれた声がしぼり出されただけだった。
ずっと昔、これと同じような思いをしたことがあったような気がした。
あれはなんだったのだろう。
「そう、お前は知っているはずだ。すべてが夢だということにされてしまう世界のことを。現実というのは機械じかけなのだとされてしまう世界を。嘘つきの世界を。それが現実だというのなら。君はそう思わなかったのか。そう知った瞬間が、君には存在しなかったのか」
もう一度、心臓が……
そう、自分は知っている。
隊長の説得を受けたのは自分ひとりではなかった。その日のうちに、百人の天使たちが天へと舞い上がった。
浴びせられる疑惑の声を無視し、叩きつけられる通信を一蹴し、守るべき国の奥深くへと侵入した。いや、侵攻だ。
立ちはだかるものには容赦しなかった。全身を覆う光のヴェールをますます強く輝かせ、天使の軍団は戦いを挑む。
みな、おなじだ。
その眼には全き決意の意志が宿り、その髪はいま神秘の力に燃え立ちゆらめく。
多くのものたちが、子供たちの背中から伸びる光の羽根を幻視した。
そう、天使は飛び立ったのだ。もう止めることはできない。
もはや天使たちは道具ではない。
自分たちを縛り付けるくびきの存在を知り、翼と輝きによってそれを打ち砕いたあとなのだ。
もう、つい昨日までの自分が理解できない。
どうして、大人に従うのが当たり前だと思っていたのか。
かつての自分なら、だって子供だから、それで納得してしまったはずだ。
だが、もう駄目だ。おれはダメだ。
眼下では街が燃えていた。
夜の闇の中に、うかびあがる赤い道、骸をさらすビル。
そこでもまた、天使たちが戦っているはずだ。純粋な心を光のヴェールと変え、想像力を破壊の力に転化して。
街の周りの高射砲群から、真っ赤な火の玉が撃ち出されてきた。なるほど、ユーラシア条約機構有数の大都市だけあって、この街の防空網は大したものだ。
だが、あらゆる兵器体系を超越した「天使」などという存在に、それが通用するはずもないのだ。
両腕を勢いよく広げる。光のあぶくが、輝きの強さを増しつつ膨張してゆく。
科学的には説明のできない力が、対空榴弾の破片を弾き返した。
また一発、さらにもう一発、リョウの近くで砲弾が爆発する。だがなんの効果ももたらさない。にらんだだけで、破片という破片がその軌道を変え、まるで怯えるようにリョウからそれていった。
そう、天使は眩しすぎるのだ、砲弾などという、「輝き」のない武器で傷つくには。
地上から放たれたのは砲弾ばかりではなかった。ミサイルもだ。全長十メートルほどの対空ミサイルが続々と飛来する。
レーダーに映らないもの相手に、防空隊は苦心して手動で迎撃戦を挑んでいた。
だがもちろん、リョウは相手の立場や決意の強さに感心などしなかった。
大人はきたないものじゃないか。みんなそうだ。おれは知っている。
天使としての自分に目覚め、それで本当にいいのだと確信した瞬間からずっと、その思いだけが彼の胸を満たしていた。ほかのことはなにも考えられなかった。もともと人間の心の容量には限度があるが、天使のそれはさらに小さいものだった。矛盾する複数の真実は、天使にふさわしくない。純粋であるが故に、たった一つの正解しか知らない存在、それは天使を天使たらしめる重要な要素なのだ。
だから、リョウは憎んだ。
ひたすらに。
あの、かつて自分も閉じこめられていた、あの汚い世界を。
心のこもった十円より、心なんかこもっていない百円のほうが価値がある、そんな世界を。
そんなの厭だってみんなほんとうは判っているのに、だれも言い出そうとしないそんな世界を。
そうだ、どうして我慢していたんだろう、すべての子供たちは。
力がなかったからだ。いままでは。
どんなにどんなに逆らいたくても、親が守ってくれなければ何もできなかった。たとえ親を殺したところで、なにも良くならない。大人たちの世界で、どうせ嘘にきまってる善意をすすらなければ生きていけないのだ。そうこうしているうちに、これが現実なんだ、という言葉が脳にこびりついてしまう。それでも、という言葉は力をなくす。ただ自分を苦しめるだけになるからだ。
かつての経験から、リョウはそう確信していた。
だが違う。いまは違う。
馬鹿なことをしたものだ!
天使たちに、天使にふさわしい光の力を与えるなど!
その天使が、人間こそ罰されるべきだと言い出さない理由がどこにあったろう?
リョウ、怒りと嘲りを視線にこめ、眼下にせまった対空ミサイルを凝視する。
視線に沿って空間を進む「力」。見えない蝿叩きでぴしゃり……ミサイル群はいとも簡単に全滅した。
「力」は、それだけで四散してしまうほど弱いものではなかった。ミサイルの打ち上げられた軌道を逆行し、地上に展開する対空弾幕部隊に襲いかかる。
射撃ののち、痛々しいキャタピラの跡を路面に刻印しつつ道路を走っていたミサイル車両。
その数はざっと五十台。大隊規模といったところか。
見えない巨人の手が、そんな車両群を軽々とつかみあげた。キャタピラの必死の回転は、虚しく宙をかく。ある車両はべきべきと音を立てて潰され、また別の車両は燃料に火をつけられて炎上した。
「さあ!」
リョウ、勝ちほこる。
「もっと強い相手はいないのか!」
歓喜が自然に、表情と声にあらわれた。ずっと昔から、これだけを望んでいたような気がした。
そうだ、ただ抑え込んでいただけだったんだ。
都市の中心部のあたりで、ひときわ大きく強い閃光が生じた。
国防本部だか議会だかを、天使が攻撃しているのだろう。あるいは都庁舎かも知れない。
あの、大人たちの中でも最も醜悪な連中が、軍人とか政治家とか言われる偽善者たちが炎のなかで悶え苦しんでいるさまを想像すると、リョウはひとり笑みを浮かべた。
さいわい、すでにこのあたりは制圧したも同然だ。リョウの心に飛び込んでくる精神波動も、すでに猛々しい戦意のそれはなく、恐怖と混乱のものばかりだ。
では、見にいってやろう。
この国が滅ぶ瞬間を。いや、大人たちの造った嘘の世界に、本当のことなど何も書かれていない歴史にピリオドが打たれる、その瞬間を。
燃えていた。
世界を二分する勢力のひとつ、ユーラシア条約機構を構成するアジア諸国とヨーロッパ諸国。その中でも有数の国力を誇る、この国の首都は。
そして首都の外れに位置する国防省、統合作戦本部。地上数十階に及ぶ大建築、最大動員兵力五百万の軍事力を掌握する鉄と硝煙の牙城のつらなり……すべて燃えていた。
堅牢無比とよばれた防御システムも、人類史上最高と呼ばれた警戒網も、あの翼をもった子供たちが光る羽根で大きく羽ばたくや、せっけんの泡で造られているかのように脆く崩れ、吹き飛んでいったのだ。
天使たちの攻撃は執拗で、そして容赦がなかった。
心を読み、少しでも子供を馬鹿にしているものに白熱の念動力を叩き込んだ。この世界がこのままでもいい、汚れていてもいい、それが現実というものだ、という考えを少しでも持っているものがいれば、それは攻撃の対象となった。
街はいまや、生けるものの住む場所ではなくなっていた。
死せるものと、死に逝くものと、精神の死によって肉体の死をまぬがれたものたちだけが存在していた。
首都を貫く片側四車線の道路は、もはや動くことのなくなった雑多な自動車に埋めつくされている。混乱ゆえか、中央分離帯に突っ込んだり車同士激突した状態で止まっている車も眼についた。
歩道は屍と、屍への苦痛に満ちた道を進んでいく人間であふれていた。つい五分前までは、家族や友人や同僚を踏みにじってでも生き延びようとする男女が、泣き叫びながら逃げまどっていたのだが……
天から舞い降りた、光をまとう子供たちが、懸命に生きようとするそんな人々を「汚い!」の一言で一掃したのだ。ある者は白熱の炎に焼かれ、またある者は精神を破壊されて道端に転がった。
それらを隊長は見ていた。自分たちのやったことの結果を見おろしていた。彼はひとり、はるか雲の上から、少しずつ降下してゆく。廃虚と化しつつあるものが瞳のなかで拡大した。
エンジェルフォース隊長、ベルンハルト・ライヒェンベルクは上機嫌だった。
いや、愉悦にわなないていた、という表現こそが適切であったかも知れない。
彼の眼は吊り上がり、灰色がかった青い眼は燃えさかる街の輝きを映していた。いまこそ知る本当の勝利の味にその唇は震えていた。
本当の勝利? そう! いままでも彼は何度となく敵軍を破ってきたが、それらは皆、駒として使われた結果にすぎなかった。自分が勝ったのではない、自分が属する軍が勝ったにすぎない。
これが初めての勝ちだ。
そうだ、こんな簡単なことだったのだ。
とある地下室では、緊急会議が開かれていた。
なにをいまさら、と責めることはできまい。予知能力をもたない者としては、彼らはこの上なく素早く行動したのだ。ただ、しょせん現実世界の住人である彼らは奇跡をおこせなかった、それだけの事だ。
ろくに照明もないその部屋では、国防相やら総司令官やらといったそうそうたる顔ぶれがそろい、白く四角いテーブルを囲んでいた。
「どういうことなのかね!」
広い額に汗を浮かびあがらせた男がどなった。雷鳴のような大声だった。
漆黒の軍服を着込み、肩には金モール。胸には勲章の山。階級章を見ると、元帥であった。元帥閣下ここにあり、と全身で主張しているようなこの男のすさまじい剣幕は、しかし誰の精神も刺激しなかった。
虚勢を張っていることは明白だったからだ。彼が半生をかけて造り上げた首都防衛軍団は、たった百人、一個中隊規模の「天使」なる分類不能兵器群によって叩きつぶされてしまったのだ。彼の顔はまさに灰色、身体は悲しみと怒りに震えている。
「閣下、怒ったところで」
やせてメガネをかけた男が弱々しく抗議した。
「貴様も貴様だ! ええ、技術少将!」
元帥の怒りは静まらなかった。
「制御は完璧ではなかったのか! 『プロジェクト・ヘヴンズドア』はわが軍に勝利をもたらすのではなかったのか!」
テーブルの上に身をのりだし、やせ細ったこの技術少将を絞め殺しそうな勢いの元帥。
「矛盾だったんですよ」
「なんだと」
「支配されているということ、計算できるということ、ルールの中の存在であるということ、その事実と、天使であるということは根本的に矛盾します。その矛盾を、ごまかし、とりつくろい、覆いかくし、なだめすかして許容範囲内におさえるのが、天使の制御技術でした。
ですが……一線を超えたんですよ。一度、矛盾を知ってしまった彼らを天使に戻してしまった時点で。もう、どうにも隠せないくらい、自明のものになっていたんですよ。つまり天使というのは、存在じたいが」
何かに憑かれたように、すさまじい早口で彼は言った。常々思っていた事なのだろう。
天使というのは存在自体が何なのか、その続きを聞く事はできなかった。将軍が、いつのまにか抜き放っていた大型拳銃をぶっ放したからだ。
0.44インチの弾丸が彼の頭蓋骨を不格好な破れ風船に変えた。室内に、頭蓋骨の奥まで伝わってくる轟音が反響した。
「黙れ。言い訳を」
惨劇に驚くものは誰もいなかった。だが、元帥のこの言葉に納得したものもまた一人もいなかった。
銃声がもう一度轟き、加害者は被害者になった。
「あなたの責任です、元帥閣下」
ウイングマークをつけた、空軍の将官らしい男が震える声で言う。拳銃を握りしめたままの手は汗でにじんでいる。彼は敬語をつかった分だけまだ礼儀を心得ていた。彼の所行に勢いを得たのか、みなそろって不満をぶちまけれる。
「そうだ、結局やつが許可したんじゃないか」
「奴のせいで俺達の空軍が」
「そうだ。私の機甲師団も」
将軍の死を悼むものはおらず、死者はむしろ罵られた。だが責任のなすりつけあいは終わらなかった。これはきっかけ、最後の抑制がちぎれとぶ、そのきっかけでしかなかったのだ。
この地下壕にも大地の震動が、爆発が伝わってきた。物質のそれではなかったが、震動と爆発はこの部屋の中でもおこった。刃の上の緊張とも言えるものが、さらに高まった。
白い肌の少将が、黄い肌の中将を罵った。
上流階級出身の陸軍大将が、才能で身分の不利を克服した陸軍少将を罵倒した。
厳格なクリスチャンの老元帥が、日頃から無神論者だと公言していた若い空軍准将に非難を浴びせた。
「しかし! ……いえ、そんなことを言っている場合ではないでしょう。我々の為すべきは対処です」
反撃しようとして、かろうじて理性のブレーキが作動した若い将官が、建設的意見をもとめた。
「そう、機械的手段で操れないなら、力でも駄目なら、話してみるしかないでしょう。あのライヒェンベルクとかいう隊長と話すのです」
「いまさら、いまさらそんな事ができるか」
日頃から彼のことを、苦労知らずのボンボンだと軽蔑していた白髪の老提督が反駁した。
若い将官は歯ぎしりする。なんてことだ。団結するどころか。共通の敵を前にしても、いや前にしたからこそ、足をひっぱり合うというのか。なにか信じていたものが壊れていくのがわかった。
軍人とは。戦士とは……こんな。
痛みにちかいものが胸に生じた。
「……ぼくのことを呼んだかい?」
その瞬間、その場にいる高級将校たち全員の脳裏に声が響いた。かん高い声だった。
それが誰の声であるかは判っているはずなのに、みな恐怖にかられた表情で周囲を見回した。
声に、はじけるような笑い声がまじった。
「そんなに出てきてほしいなら行ってあげるよ」
少年の言葉はすぐに実現された。
湿っぽい空気が充満する地下室は、その瞬間まるで違う場所へと変化した。大量の光が発生したのだ。
部屋の中には光の柱が突き立っていた。
天井の上にある分厚い岩盤、核兵器以外のいかなる攻撃をも受け付けないという触れ込みの重装甲。そういったものすべてを霞のようにすり抜けて、光の柱は垂直に立っていた。
光が消えたとき、そこには少年がいた。
非常燈の弱い光の下ですら無彩色となりえない、豪奢な金色の髪。薄い青の瞳。ゲルマン人の常として鼻は高いが、目につくことなく、むしろ繊細さを感じさせる。少しばかり吊り目ぎみの眼にも、薄い唇にも、どこか同質の要素があった。
天使たちの長、ベルンハルト・ライヒェンベルク。
光の柱はもう消えたのに、なぜか、大人たちはその少年をまぶしいものと感じた。なにも変わっていないはずの室内の光景さえもが、強烈なスポットライトを浴びせられたように見えた。
この少年は、黄昏の中のものを陽光の下に引きずり出すような力をもっているのだ。
美少年は一同を見回した。身体には、よく見なければ分からないほどの燐光をまとっている。
「さあ、来てあげたよ」
これを予期していなかったわけではない。「天使」の超能力をもってすればこの地下壕に侵入するのが容易であることは知っていた。いや、知っていたつもりだった。
しかし現実にそれが起こるとなると。
年配の将官たちが、あるいは呆然とし、あるいは脱力感と屈辱にうちひしがれ、よろめいた。もっとも若い空軍の将官も額に手をあてた。汗の 気味悪い感触がそこにあった。
誰もが、沈黙を余儀なくされていた。
発されるべき怒りと憎しみの言葉は、かわいた吐息となって喉をこするだけ。
なぜしゃべれよう。自分が信じ、命をかけてきた科学、軍事、国家というものが、大人の論理の終着点が、このあどけない子供ひとりに軽く蹴り捨てられてしまったのだ。
自分たちは、あの男の言葉をほんとうに理解していなかった。だがいまこそ知った。天使とは……
「どうした? みんな? だまっちゃってさあ」
自暴自棄になったのか、それとも武器の感触に最後の現実感を見いだしたのか、何人かの者達が少年に拳銃を向けた。
銃声は響かなかった。かちり、という金属のぶつかり合う音がしただけだ。
少年は片手を広げて見せる。そこには拳銃弾がきれいに並べられていた。
「ほんとうはね、銃口から花を出してあげようかと思ったんだ。でも、そんなことしたら、先生にしかられちゃうからね」
冗談のつもりなのだろうか、それとも最大級の皮肉なのだろうか。少年は軽い声で笑ってみせた。
すべての自信を小さな靴の下で粉砕された歴戦の軍人たち。彼らはおびえた。この白い肌の少年に、悪魔的なものを感じずにはいられなかった。
軍人たちは震え、純粋すぎる存在への怖れと拒絶の念を少年に投映した。白い肌と金色のくせ毛をもつ美少年は銀幕としてうってつけだった。
敗者が、それも完膚なきまでに叩きのめされた者が抱くことできる最後の幻想がある。特権といってもいい。軍人たちはその特権を行使した。もうそれ以外、なにも残されていなかった。
自分は負けた。だがそれは運と実力がほんの少し足りなかっただけで、間違っていたからではないのだ、という思いがそれだ。我々は行為の正誤においては間違っていたかもしれないが、存在の善悪においては決して……
たとえ殺されても、そう思っている限りは負けはしない。
それに気づいたらしく、少年は細い首を軽く振った。細い髪が揺れる音すらもが、この異様なまでに静かな部屋にひびく。
「逃がしはしないよ。すべて教えてあげるからね。きみたちが、かつてそうしたように。
……ああ、わかってるんだ。こう思ってるんだろう?
その力は自分達が与えたものだ。それなのに威張りおって、この裏切り者め……そう思ってるんだろう?
違うよ。この力は人間が本来もつべきもの。純粋なら誰だって持てる。それを封じているのは、君達が大人の常識と呼んでいるものだ。
裏切ったのも、ぼくじゃなくて君達のほうだ。知ってるはずだ。本当は君達だって、胸の奥に帰るべき場所を持ってることを。
ずっとごまかしてきたんだろう? 違うかい?」
青い眼が、年老いてひからびた心のおくそこにメッセージを叩きつけた。
たじろぎ、息をのむ面々。
誰かが、また歯ぎしりをした。
「おや……今度はこう考えているのか。けっきょくお前たちは現実から逃げている癖にって? 違うよ。逃げているのは君達のほうじゃないか。誰が決めたわけでもない現実の中に、逃げてるんだろう?
それを変えることもあきらめてしまってるんだろう? ほんとは疑問を持ってるのにさ。それを逃げとか甘えとかって言うんじゃないのかい。違うの?」
問いかけは繰りかえされた。高い声でつむがれる少年の言葉に、反駁するものは誰もいなかった。
「こんどはこうか。大人には大人の守るべきものがあるって? 家族とか、妻とか、国とか」
そのとき少年はわらった。今度は声をあげて笑ったのだ。
「嘘だよ……そんなものありはしないよ。みんな気づいているはずなのにな。ほんとは気づいているはずなのにな。金とか、外見とか、身体とか、テクニックとか、まわりの眼とか、そんなものが入ってくるなら、それはもう本当のそういう気持ちじゃないって。ただ道具として使ってるだけなんだって」
少年が、ベルンハルトが超能力を使ったのかどうかは判らない。だがそんな力はそもそも不要だったろう。心のなかの綻びをつかれ、老いたものも若いものも、一様に血の気をうしなっていった。
最後にひとつだけ、現実からの弱々しい抗議、いや指摘。
「こんなことをして……こんなことをして……奴らにやられるぞ。隙をつかれるぞ。敵国の……エターナルチルドレン。けっきょく現実を忘れたおまえたちの」
「……忘れてないかい? あいつらは子供なんだよ?」
少年のとなりに、もうひとりの少年が出現した。やはり白人だ。髪の毛は褐色で、鋭い眼つきをしている。
胸には、敵軍の……特殊戦部隊エターナルチルドレンの部隊章があった。
驚愕する暇すら与えず、金髪の少年は友人を紹介した。
「紹介するよ。ついこのあいだ再編成されたばかりのエターナルチルドレンの、隊長。ぼくの言葉をすぐにわかってくれたんだよ」
むきだしのコンクリートの上に、いくつもの拳銃が落ちた。
完璧だった。
エンジェルフォース。エターナルチルドレン。対立しているはずの国家が抱え込んだ子供の軍隊は、真の敵をみつけ、それぞれ背後の大人たちに刃をつきつけた。
そう、ユーラシアの政治・経済の中心である都市が炎上しているのと同じころ、アメリカ連合の首都も、輝きをまとった子供たちの急襲を受けていたのだ。
大人たちの反応は同じだった。それらすべてが一蹴されたことも同じだった。
すべてが終わるまでに要した時間は、たった数時間。
ユーラシア大陸の外れにあるこの大都市。
天使たちの反乱がはじまったその時、ここは朝焼けが照らす場所だった。それが夕焼けにかわったいま、もう倒すべき敵はいない。
「まったく、こんな簡単なこと、どうしてもっと早くやらなかったんだろうね。大人に逆らうのは変なことだなんて、どうして思いこんでたんだろう。ぼくたちのほうが正しいのは、どんな子供だって知ってることなのに」
ライヒェンベルク隊長が、冷えつつある大気にボーイソプラノを響かせてそうつぶやく。
彼はいま摩天楼のてっぺんに座っていた。白いタイルの貼られた斜面に腰掛ける十二才の少年。かつてこの巨塔は最高会議ビルといわれ、事実上この世界の半分を支配する勢力の牙城だったが、いまはただの、天使がその先にとまるスプーンでしかない。
「ねえ、そう思わないかい? ふしぎだよね」
隊長はそういって振り向いた。視線の先には東洋人の天使がいた。リョウだ。
「うん……」
リョウの答えには熱がない。
「どうしたんだ? ぼくが計画を話したら、あんなに喜んでいたじゃないか。嘘ばっかりなんだって教えてやろうって、そう君もいってたじゃないか。戦ってるときも、楽しかっただろ?」
「そうだけどさ」
風が吹いた。風は涼しいというより冷たかった。
空はなかば赤くそまっている。東のほうにだけ、まだ青い空がのこされている。
青いそら。雲はない。
地上数百メートルの高みからは、この大都会を構成するビルの連なりばかりでなく、その向こうにつながっている別の都市、さらに別の街、それら全てを包む郊外の丘や田園すらも見えた。
少し残されたむきだしの地面と、少し残っている青い空が、地平線でつながり、融け合っていた。
青い空。
そうだ、答はここにある。
リョウ、さきほどから自分をとらえてはなさないものの在処に気づく。
黒髪の天使はかえるべき天をあおいだ。アダムの林檎がまだろくに発達していない喉が動いた。
唾をのみこんだのだ。
それと同時に、さきほどから脳裏で何度となくリフレインされているひとつの言葉をも。
いや、結局呑みこめなかった。
……蒼い。蒼すぎる。
……そして白い……
その言葉の意味はわからない。いつ、どんな気持ちで口にした言葉なのかもおぼえていない。だが少なくとも。
「大事なことばのような気がするんだ。おれがここにいる理由のような」
「え?」
わけのわからない言葉に、かたわらの金髪少年は小首をかしげた。彼の金髪は微妙に赤みがかって見えた。
リョウ、天使たちの長を直視できず、わずかに視線をそらした。
まぶしい。
あらゆる意味で、このひとが。
そして世界もまぶしい場所になる。
それでも、ほんとうに気になるんだ。
青い、青すぎる……
白い、白すぎる……
青くて白すぎる世界って、本当にこの空と、空の下のことなのだろうか。