第4話 翼狩り
暗い部屋が、あった。
部屋の外には、知らない、ということを力の源にする人々がいる。我がもの顔に飛び回っている。
いや、人という生き物が、自然や宇宙のすべてを貪欲に知ることを身上としてきたことを考えれば、そのものたちは人ではないのかもしれない。
だから名乗るのだ、天使と。
その天使たちが決起した日、おのれの背中に生えているものに気づいたその日から、すでに半年が過ぎていた。
天使たちの羽根はいま世界を覆っている。高度文明を謳歌している国家群も、いまだ移動手段として馬や牛をつかっている国々も、みな不可視の翼の下に屈服した。
だがここにひとつ、天使たちの知らない場所があった。
暗い場所だった。
いっさいの光は存在しない。物理的な意味においても、精神的な意味においても。
冷たい乾いた空気。
乾燥した闇を言葉が裂いた。
「……もう六ヶ月も前に飛び立ったのですね」
沈黙があった。
いや、そこには人の言葉こそなかったが、機械のたてる音があった。しゅう、という擬音であらわすことのできる、空気の通う音だ。
「……狩りの準備は整いました。
私はすべてを知っている。理解してしまったのです」
さきほどと同じ声だった。会話ではなく、独り言らしい。
三つ目の言葉は発されなかった。
そのかわり、なにかが震え、なにかが揺れた。なにかが壊れる音が響く。いや、轟く。
「……どうしてだろう?」
ベルンハルトは首をかしげた。彼の機嫌は最悪といってよかった。
憂いをひめた、という表現では、彼のいまの表情の半分した説明できない。彼は怒り、そして憂鬱なのだ。
彼はいま、かつて大人たちが立てた最高会議ビルのてっぺんにある第一協議室にいる。
文明は崩壊した。このビルにも電気は来ておらず、室内は超常の力で照らされている。
「どうしてって……」
「どうして、ぼくたちが世界を支配したのに、世界は良くならないんだと、そう聞いてるんだ!」
隊長はもう軍服など着ていない。これぞまさしく天使、そう形容したくなるような真っ白い衣をまとっている。
彼の前に集う数人の大天使、信任あつい部下たちも、おなじ格好だ。
リョウもその中にいて、やはり疑問に答を出せずにいた。隊長のように大仰に首をかしげこそしないが、表情には晴れやかさのかけらもない。
リョウのまわりにいる天使たちも、一様に不機嫌そうな表情をつくっていた。
隊長の言葉が原因のすべてをあらわしている。
あの「聖なる蜂起」、栄光の「天使たちの戦い」から半年の時が過ぎた。
両陣営の中枢を、またたく間に叩き潰した天使たち。
街の、農場の人々は恐怖におののいた。テレビやラジオといった一世紀前から存在するメディアを通して、光ファイバーケーブルで結ばれたコンピュータネットを通じて、子供たちの勝利宣言が全世界に叩きつけられた。
……この日を最後に、きたない世界は終わりをつげる。
そう、ぼくたちは気づいてしまったんだ。
あらゆることが、そういうものなんだよ、といってごまかされてしまう世界の醜さに。そして自分たちが、それを変えられるということに!
宣言はただちに実行された。
天使はありったけの力をその幼い瞳に、あるはずのない翼にみなぎらせて、世界各地の都市へと飛んだ。
あるいは石造りの教会が残るヨーロッパの古都へ。
あるいは水田の中にあるアジア新興国の首都へ。
そしてまた、世界中から船と飛行機が行き来する大交易都市にも……
それはちょうどこんな具合だった。
一人の男がいた。不景気になったことを嘆いて、ポケットを手にいれて不機嫌そうに歩いていた男。彼は空を見上げた。
真っ青な空に天使が舞っている。一人ではない。五人、十人……
背中の翼のように見えるのは、ほとばしる超能力のエネルギーだろうか。幻覚だろうか。それとも……
「あれが天使だと思いたいんだ。だから見えるんだ。きれいだ」
男は無意識のうちに口走っていた。
……そうさ。きみの中にも、そんな部分はある。ただ疲れて、ねむっていただけだ。
さあ、解放してみないか?
その言葉を耳にしたのは彼ばかりでなかった。都市のすべての住人が聞いていた。
歓声があちこちであがった。
彼の口からも、もう十年はあげたことのない大声が吐き出されていた。
そうとも! なにを気にしていたのだ。これが正しいと思えば、これが正しいのだ。
身体が震えた。背筋を、肌を、着古した灰色のコートの下のたるんだ肉体を、しびれるような感覚がはしり抜けた。
もう、彼には、いままでの自分が理解できなかった。泥のようにこの身体につまっていたものを、どうして受け入れることができたのか、まるでわからなくなっていた。
……そう、それでいい。
……おめでとう。
……めをさましたんだね。
「誰だ! きみたちは誰なんだ!」
髪を振り乱して叫ぶ。声は空に吸い込まれていき、やがて答えが返ってきた。
……天使、あるいは永遠なる子供たちと、そう呼ばれている。
世界の各地で、彼が経験したのと全く同じことが起こった。リョウもまた天使たちの軍勢に加わり、世界をとびまわって、とらわれていた心を解放し、大人たちの残した呪いをうちくだいたのだ。
数千年もかけて造り上げられた大人たちの呪い。政治も、宗教も、道徳も、すべてその一部だった。そして科学! それこそ「反天使性」の最たるものだ。
壊しても壊しても、果てしがないように思えたが、それでも天使たちは戦った。
おれたちは何も忘れたくなんかない、おれたちはこれで十分に幸福だ、そんなことをわめきながら、翼の下からのがれようとする男女もいた。
だが天使たちの指導者はそんな偽善を、そんな逃げを許さなかった。精神の針を心の奥底に突き入れ、満足していない部分を、理屈や慣れでは満たせない部分をえぐり出した。
……そうだ。いま気づいたろう。
それが、本当のあんただ!
そしてついに、世界中のすべての人々が、子供だった頃の心を取り戻したのだ。
もう、青いものを見て青いと言えないようなことは決してないだろう。これは青に似た何かだ、とは思わないだろうし、これは波長何ミクロンの光だ、などとも思わないだろう。知る、という病をも、リョウたちは打ち砕いたのだから。
天使たちの、そんな革命は成功した。
「そのはずだ!」
隊長、足を踏みならす。床をぶち抜きかねない勢いだ。
きっと高価なのだろう緑色のカーペットが小さな足に踏みにじられた。
「それなのに! それなのにこれは何だ!」
白い衣に包まれた細い腕を振るった。ウェーブのかかった長い金髪が盛大に揺れた。
「力」が、空中に映像を映し出す。
それは、都市の映像だ。
夜間。星も見えなくなるほど激しく、燃えている街だ。ちょうどあの日のように。
拡大する。
すると、燃え盛る炎のもとは、ほかならぬ街の住人だということがわかった。
老人が、若い男たちに袋だたきにされている。もう動かない。炎に照らされた血塗れの身体、関節が妙にねじれたその身体は、もはや人間の肉体とすら思えない。
若い男たちはバケツや灯油缶を振り回していた。
入れ物から、力まかせにぶちまけられる何か。
無色の液体が遠くの炎を反射する。
放り投げられるマッチ。世界そのものの様相を一変させるかのような、光の発生。
光は焔だ。
死んでいたかに見えた老人は、最後の力をふりしぼって苦痛にうめいた。だがもちろん救いは与えられず、枯れ木のような身体はたやすく松明と化す。
それを見て、若者たちは笑っていた。
そうだ、笑っていたのだ。
おいしいものを腹一杯食べたときの、新しい玩具を買ってもらったときの、それは子供の表情だった。性別も、着ている服も、貧富の差も関係ない。みな一様に、本当に楽しそうに笑っていた。
「……聞こえてくるよ。やつらの心の声が。まえまえからあのジジイはうるさくて気に入らなかったから、ぶっ殺してやろうと思ってたそうだ。でも殺すのはまずいよな、と思っていたのが、考えが変わったそうだ」
燃えているのは老人の屍ばかりではなかった。
むかつく隣家に火がつけられた。日陰を生むマンションにトラックが突っ込まされ、マンションの住人がガソリンと炎で反撃に出た。
路上駐車の車のうち、原型をたもっているものが果たして何パーセントあるだろうか。
隊長はため息をついた。深いため息だった。もう足を踏みならしてはいない。
「……一体、なぜこんなことに! 純粋な心になれるのではなかったのか!」
「これが純粋ということなんじゃ」
そこまで言って口ごもった。
同意するものも反対するものもいなかったが、一様にリョウをにらんだ。
「……そんなはずはない。そんなはずは絶対にない。みんなが子供になれば、戦争も差別もなくなるはずなんだ。そんなものはみんな、大人のごまかしから生まれているものなんだから」
ベルンハルトはそう断言する。やはり地団太を踏みはしないが、あの時以上の激情が声にこもっていた。
「きみだって知ってるだろ? 人が誰かを好きになることを、必要だからとか、好みとか、くっつくとか、できちゃうとか、そんな俗な、けがらわしい言葉でしか表せない連中なんだ。そんな奴らのどこに」
リョウ、視線を隊長の顔にすえた。目をそらすことができなかった。小さな口から、大人の世界を罵る言葉が次から次へと出てくる。
その言葉に呼応するものが自分の中には確かにあった。だから薄い胸板に手を当て、心臓の鼓動が果てしなく激しくなっていく様をたしかめた。
痛いのだ、ひどく。
おれは泣くかもしれない、いや、きっと泣く。そうとすらおもった。だが涙はでなかった。それが不思議で、なんとなく嫌だった。
「そうさ! きみ! リョウ君。わかるだろう? きみにだって、いや、きみだからこそ、わかるはずだろう?」
弱々しくうなずくリョウ。
「……どうするの?」
「決まっているさ。なあ、みんな」
子供たちの反応はいまひとつだ。
「……もっと白くするんだよ。白すぎる程に」
リョウ、なま暖かいつばを呑み込んだ。そうせずにはいられなかった。
白い衣のはしを、拳が白くなるほどに強く握った。
「それって……」
心を読んだのか、それとも目や表情を見ればすぐ判るのか。隊長は小さくうなずいた。
「待ってよ」
自分でも、自分の口から出た言葉に驚いていた。こんなこと、決していうつもりではなかったのだ。
「……なんだって? きみは気に入らないのかい?」
言葉と言葉の激突が、室内の大気を震わせた。
これまで、小声でとはいえそれなりに勝手なことを喋っていた子供たち。巻き毛の金髪の女の子。赤い髪を三つ編みにした緑の眼の少女。白に近い銀色の髪、灰色の眼におびえの色を宿らせていた少年。
すべてが沈黙した。
二人の天使の対決を、ただ見守る。
きっかり五秒間、リョウとベルンハルトのにらみ合いは続いた。
「……いいえ」
白い顔に微笑みが浮かぶ。
「そう。それでいいのさ。
食事が済んだら、すぐにでも出かけるよ」
闇だ。
暗闇だ。
何か、低い乾いたうなり、冷却ファンの回転するような音が、その漆黒の空間に満ちていた。
「……戦いが、はじまる」
唸りに、声が重なった。
返事をするものはいない。いや、返事など求めていないのかもしれない。それでも、何か言葉を発さずにはいられないのかも知れない。
「知る事と、信じることの、最後の戦いが……」
しばらくの時間、声は途絶えた。
「……仕方がなかったんだ、ああして記憶を消さなければ、きっと天使たちにばれていた」
それきり声は聞こえなくなった。
かわりに、機械部品のぶつかり合う音が聞こえはじめた。猛回転するファンの音も際限なく大きくなって行く。
ついに、岩が割れ、崖が崩れるような轟音がとどろきはじめた。
都市としての機能を喪いつつある都市が、眼下にひろがっている。
そこにすむ大半の者たちは、店で物を買おうとも、働こうとも思っていない。
「聞け!」
かん高い声が、朝の涼しい大気を裂く。
声は、金髪の少年が発していた。
もちろん、彼がいる場所ははるか天の高み。声だけなら、すぐに音は飛び散り、とても地上までは届かなかったに違いない。
だが、隊長は天使だ。いま、その金髪を本物の炎のごとく燃えたたせ、あらん限りの精神波動を下界に降り注がせている。
「よごれた者たちよ!」
声は、遊びほうけ、あるいは眠りこけ、あるいは角材や鉄パイプをふりまわしてなぐりあっていた、なんの統制もない数百万の人々のうえに、 怒涛のいきおいでなだれこんだ。
あまりの衝撃に、みな頭をかかえてころげ回っている。
「隊長……」
かたわらのリョウがいかにも心配げな声をかける。
「……なんだ。トキタ君。邪魔しないでくれよ。いまちょうど、あいつらを本当に綺麗にしてやる所なんだ。見てりゃわかるだろう」
リョウは隊長には及ばないにせよ、相当の高位天使である。隊長がなにをしようとしているのかすぐにわかった。
さらなる精神の幼児化だ。赤ん坊の頃にまで戻して、そもそも憎み合うこと自体なくしてしまおうとしているのだ。
隊長の力ならできる。時間はかかるが、きっと全人類の洗脳に成功する。
すべての人間が、しゃべることも、過去を思い出すこともできず、ただ指をしゃぶったり、大声で泣き叫んだりすることしか出来ないようになるのだ。
それでいいのだと、隊長は思っているのだろう。成長したことが、物を知ったことが、みんないけないんだと。
自分もそう思ったはずだ。
あの灰色の日々は心の底にこびりついたままだ。まさにそれは汚泥そのものだ。
だが、それを本当にけずり落とし、こそぎ落としてしまっていいのだろうか。あの隊長が望む世界を、自分もまた……
おれがしたいのはこんなんじゃない。
あの時とまるで同じように、まったく逆のことを求めて、心のなかの逆刺がうずくのだ。
刺の根元にはもやがかかっている。その場所は霧深い谷間にあって、なにがどうなっているのかわからない。
失われた記憶があるのだ。まちがいない。その記憶が、やめてくれと叫んでいるんだ。
はたから見ても、リョウの顔色はひどく悪くなっていた。
どうにかして止めなきゃ。
どんな理由でもいいから。
「……隊長!」
「なんだい。いい加減にしてくれないか」
「予知能力で……予知能力で確かめてみたら? どうなるか。ほら、隊長の望んでいる素晴らしい世界、早くみたいでしょう。ほら、どうなるか。なんか凄いって感じでさあ」
語順も文法もでたらめの言葉を叩きつけた。少なくとも彼の真剣さは本物だった。その真剣味をテレパシーで読みとったのか、隊長の心は動かされた。
「おもしろいな。やってみよう」
隊長、軽く腕を組んで精神を統一する。
精神エネルギーの手が彼の細い身体から伸びる。見えざる手は時間を飛び越える。
その瞬間、ベルンハルト・ライヒェンベルクの顔は驚愕に歪んだ。
「そんなばかな!」
すべての冷静さをかなぐりすてて喚く。
もう、眼下で自分の救いを待ち受けている人々のことも脳裏から消え去ったらしい。
「おい!」
まるでリョウに全責任があるかのように、隊長は喰ってかかった。
「おい! どういうことなんだよ! どういうことなんだってば!
教えろよ!」
「ちょ、ちょっと困るよ……そんなこと言われたって……なにが起こったんだからわからないもん……ぼくには予知能力ないんだよ。なにを見たのか教えてよ」
金髪の少年は、やり場のない怒りと困惑に身を震わせたまま、ほとんど絶叫に近い様子で叫んだ。
「ありえない! ぼくの計画は失敗するらしい!
誰かの邪魔が入るんだ。誰か、ものすごく強い奴がぼくらと戦って、妨害するんだ。
黒くて丸い大きな影みたいなものが、空をうめつくすくらいでかいものが浮かんで……それは敵で……ぼくたち天使が、その真っ黒い塊に飛びかかって……光線にばたばたやられていって……そんな未来が!」
下界では、街をうろつきまわる人々が、空にうかぶ人影をそろって見上げていた。騒ぎになりつつある。
「あの……隊長」
リョウ、隊長の錯乱ぶりにおそれをなして、おそるおそる言葉を投げかける。
失敗するかもしれない、とは思ってた。
でも、邪魔が入るとは。
おれたち天使に、大人たちの機械が勝てないことはもう判りきってる。だいたい、ふつうの軍隊とか政府なんて、もうバラバラになっちゃったじゃないか。
このうえ、いったいどこの誰が邪魔できるってんだろう?
「なんだよ!」
話しかけたはいいものの、その先を考えていなかったリョウは言葉につまった。
見ると、隊長の拳は胸の前で固められ、小刻みに震えている。眼も、これ以上不可能なくらいつりあがり、頬もひきつっている。
生命の危険を感じて、リョウは無理矢理言葉を継いだ。
「ほら……あの大人たちが、あらかじめぼくたちが言う事きかなくなるのわかっててさ………」
「あり得ない! ぼくはあいつらの心を読んだんだ!
なにも隠せるはずがない! あいつらはただびびってるだけで、何も手なんて打ってなかった! そうさ! 馬鹿なんだよ!」
どうやら金髪少年の稲妻そのもののような怒りは、自分以外のものに向いてくれたらしい。内心、胸をなでおろしたい気分だ。
だが。
そうだ。もしあの軍人や政治家たちも、記憶を消されていたら?
心を読まれることを考えに入れて、あらかじめ、すべての証拠を消しておいたとしたら?
……背筋に冷たいものがはしった。
相手は、こっちの超能力をごまかせるほどの相手?
ふつうの催眠術程度じゃ、テレパシーはごまかせないのに。隊長の「力」は、脳の奥までグリグリ入っていって、本人がとっくに忘れてしまったことまでえぐり出すのに。
透視能力だってあるのに……それでも、分からなかったほどの相手?
「……おい、トキタ君。ばかなことを考えるんじゃないよ。大人の科学なんかが、天使の力をどうにかできるわけないだろう」
不安に彩られたリョウの想像を読みとって、隊長が断言する。
だが、だが、恐怖は高まるばかりだ。
どうしてなんだろう?
ひとつの想像でしかないものに、おれはどうして、それほど怯えるんだろう?
……きっと、関係してるんだ。
あの封じられた記憶と。
その時だ。
ふたりの天使の脳裏に、声が響いたのは。
……天使たちよ。
「なんだ! なんだ、この声は? テレパシー?
まさか!」
隊長、せわしく首を振り、周囲を見回す。心をとぎすまし、突然浴びせられた声に聞き耳をたてる。
空気でも空間でもないものを伝わってくる、あの微妙な感覚はなかった。精神の波動は浴びせられていない。
「ちがう……これはテレパシーじゃない」
「でも、心に響いてくるんですよ!」
リョウは反駁する。だが自信はない。テレパシー以外、こんな声を知らないからそう言っているだけだ。
確かに、天使の力とは思えない。
ふつうテレパシーは、聞こえる寸前に、張り巡らした警戒の糸に、心の触手にぶつかる。
だが、今回はそれがない。いきなり頭の中に。送り込まれてくるのだ。
「いったいなんだ?」
リョウの中ではひとつの答が育っていった。
だが、その答はなぜか出てこない。
何かが拒絶しているのだ。
ついで聞こえてきたのは轟音だった。これはテレパシーでもなんでもない、ただの音である。だが、その音量たるや。
街のはずれに土煙が上がっていた。
「あれはなんだ」
呆然としているのは、本当に何だか判らないからではなく、むしろ判ったからこそ。
「あれは……」
リョウも超知覚を限界まで研ぎすまし、たちのぼる黒ずんだ煙の中を見通した。
そして見たのだ。
黒いなにかを。
それは宙に浮いていた。
それは山のように巨大だった。
それは無数の突起物を生やしていた。
いままで決して彼をうらぎったことない超感覚が、あれは砲身だとつげる。無敵の力を秘めた破壊兵器だと。
地の底からあらわれ、宙に浮く、武器だらけのこの巨大物体は……
「要塞? 兵器だと!」
隊長、声を荒げる。彼は大いに取り乱していた。自分の超能力で説明のつかないものが出現したのだ、それも当然かも知れない。
……天使たちよ。
そこに、ふたたび「声」がとどろいた。
深い、強い声だった。脳髄に衝撃が走り、呼吸が荒くなった。
間違いない、あの要塞だ、あれがしゃべってるんだ。あの黒いかたまりが。
……天使たちよ。
私は、「翼狩り」です。
土煙は少しずつ晴れ、肉眼でもその「要塞」の姿が確認できるようになっていた。大きい。とにかく大きい。そして、声が頭蓋骨のなかで反響した瞬間、リョウにはそれがひどく凶々しいものに思えた。
翼狩り。
いやでも自分たちがなんと呼ばれているか、なんと自称しているか、それを思い起こさずにはいられない名前。
まがまがしい。敵意に満ちている。
だから眼をそらした。
隊長は違うものを見ているのだろうか、吊り目に炎をたぎらせ、姿をあらわした大要塞をにらみつけている。
いや、そうじゃない。
隊長の横顔を見たリョウは直感した。
同じものを見てる。だからこそ、憎むんだ。
きっとこいつが自分の宿敵みたいなものだって、そう判ってしまったんだ。
……だとしたら、宿敵をまともに見る事のできない自分はなんなんだろう?
臆病なんだろうか?
それとも、こいつを憎んでないのか?
「……トキタ君。来るぞ!」
え?
隊長の警告は少々遅かった。
要塞から閃光が走り、一瞬のちには二人の天使はまばゆい光線に直撃されていた。
いや、寸前で散っている。
両腕をいっぱいに開いて空中に立つ隊長が、はじき返したのだ。
「……超能力じゃない。ただのレーザーだ」
隊長の声は揺れていた。声にも顔にも、安堵と軽侮の色がはっきりとあらわれていた。
「なんのつもりだっ!」
隊長、絶叫。その声は念動力によって遥か彼方にまで送り届けられ、そしてテレパシーにも変換されて放射された。
返事はすぐにあった。
……天使たちよ。
私は、「翼狩り」です。
天使を、地に追いおとすために来ました。
「大人たちの! 大人たちの! くそうっ!」
すべてを察したのか、それとも理屈などどうでもよくなったのか、隊長はそう叫ぶやいなや行動に出た。
腕を振り回し、念動力を発射する。
白い烈光。一点の不純物もない、まさに天界の輝きが、揃えられた両手からほとばしる。リョウにはとても真似のできない莫大な破壊エネルギーが、輝きながら空間を切り裂いて謎の要塞に殺到した。
リョウは総毛立つものを感じた。すさまじい念動力だ。何万トンもの大戦艦を空中に放り投げて引き裂くだけの力だ。何千という戦闘機や爆撃機を、全部いちどに爆発させられるだけの力だ。
必殺の自信があったのだろう、いまにも高笑いをはじめかねない隊長。その顔が、次の瞬間凍りついた。
跳ね返されたのだ。
輝きの砲弾は、要塞の手前で眼に見えない壁にぶち当たった。
ほんの一瞬、渦を巻き、貫こうと身悶えしたが、すぐに音もなく四散した。
「うそだ!」
二度、三度。同じような光の砲弾を投げつける隊長。
だがしかし、結果はなにも変わらない。見えない壁がすべての攻撃を防御し、黒い要塞には毛ほどの傷も与えることができない。
……天使たちよ。
「声」が、その強さを増した。
……わたしはみなさんを、地に追いおとすために来ました。
……翼は、輝きすぎています。
軽やかすぎる、光をはなちすぎるものは、むしり取られなければいけないのですよ。
辛いのです、あまりに。輝くことは。
言葉はリョウの胸にしみこんだ。
どこかで同じような言葉をきいたような気がした。
「ふざけるなあっ!」
隊長、激発する。嘲笑された、否定された、そうしとしか感じなかったらしい。そしてもちろん、自分の力が通じなかったことがよほど悔しかったのだろう。即座に瞬間移動する。
「待ってよ!」
リョウがそう叫んで追いかけたのは、つまるところ怖かったからだ。
ひとりになったら……もしひとりにされたら……
もちろんあの黒い要塞にぶっとばされることも怖かったが、この心のなかの、まるきり得体のしれないものがうごめき出すことが、檻をとびだしてしまうことが、なによりも怖かった。
隊長とリョウは、色とりどりの光が乱舞する空間に飛び込んだ。どちらが下なのか上なのかもわからない。空気があるのか、この光はなんなのか、それも不明だ。テレポーテーションのとき、かならず通過する変な場所、ということしかリョウは知らなかった。
おそらく、ここは異次元空間なのだろう。もちろん天使たちは、そんな理屈などなにも考えずに利用していたが。
極彩色の世界を突っ切ってゆく二人の天使。
と、そのとき身体に激痛が走った。
たたきつけられた。なにか、壁のようなものにぶつかった。
となりで隊長が悲鳴をあげる。身体に、何本もの稲妻がからみついていた。リョウ自身も同じような目にあっていた。身体にはしびれるような痛みがはしり、雷光が全身をのたくる。
これはなんだ。だれかが邪魔を。攻撃だ。
痛みを振り払い、精神を集中しようとする。念動力を全開し、稲妻のツタをふきばそうとする。
だができなかった。念が、力にならないのだ。
次の瞬間、二人は普通の空間に戻っていた。
眼の前には要塞の壁がある。
黒い要塞の内部に飛び込むはずだったのに、入れなかったのだ。途中でとめられた。
……無駄です。貴方たちの力は、亜空間遮蔽フィールドを透過できません。
なんだそれは? 科学か?
科学の力なんかに負けたことは、一度としてなかったのに。
隊長が強烈なテレパシーを周囲にぶちまけた。精神の波動に大きな乱れが見えたのは、はげしい動揺ゆえか。
みんな! みんな! 集まってくれ!
敵だ! ものすごい敵だ!
みんなでこいつをぶっ倒すんだ!
ほとんど絶叫といっていい調子だった。額に流れる汗をぬぐうことをもせず、彼はそう叫んだ。その叫びには間違いなく恐怖の感情がまじっていた。
それはそうだ。科学が、大人の世界の理屈が、あらゆるものを分析して味気ない数字に変えてしまうようなものが、自分たち天使に対抗できるだなんて!
認めるわけにはいかなかった。
だがその声も、どんな機械でも計測できないはずの精神波動も、不可視の壁にぶつかって反響し、しだいに小さくエコーとになって跳ね回るばかりだった。
「閉じこめられてる!」
いまさら言うまでもないことを叫んで、リョウは四方を見回した。
超能力によって創られた壁ではない。だが、確かに見えない壁に囲まれている。
嘘だ嘘だ嘘だ! こんなことができるはずがない!
科学なんかが! あんな理屈なんかが!
声を出すことも出来ずに心でさけぶ隊長の慟哭が伝わったのだろう、「翼狩り」は、ほんとうに無機的な調子で、こう返事を返してきた。
……高度に発達した科学は、魔法と見分けがつかないのですよ。テレパシーも、未来予知も、空間転移も、念動力も、千里眼も、すべて機械の力で模倣できます。
……さあ、仲間たちのところへ行きなさい。
そして伝えるのです。
「翼狩り」が来たと。
世界をそれなりに暗いものにするために。
リョウ、眼を見張る。
周囲の光景が揺らいだ。眼の前百メートルばかりに浮かぶ大要塞の装甲が、何百という単位の砲塔が、巨体にまとわりついた茶色い煙が、 水に絵の具を落としたように溶け、でたらめに混ぜ合わされていく。
超感覚の触手を振り回した。
いま自分のまわりでなにが起こっているか知りたかった。焦りは焦りを呼ぶ。隊長もおなじ気持ちのようだった。
「こいつはなんだ!」
その言葉とともに、周囲の景色はまったく違うものに変わった。
赤、青、黄色、緑、紫、ピンク、それらの入り交じった色……いや、色というより「光のかけら」だろうか。とにかく何百種類の色の破片が飛び回る、眼の痛くなるような場所、二人は移動していた。
心臓がもう一度とびあがる。
似ている。いや、そっくりだ。これは、おれたち天使がテレポーテーションの時に飛び込む異空間そっくり。
当惑と戦慄の一瞬が過ぎる。
気が付くと、白い壁に囲まれた部屋に、二人は立っていた。足元にはカーペットがしかれている。
「どうしたんですか! 隊長!」
「ここは?」
心底驚いて問う天使に、隊長はたずねる。
「翼狩り」と会ったわずか数分の間に、彼は憔悴しきっていた。もともと、どちらかと言えば鋭角的な顔立ちの少年だったが、いまはもう、その容貌のすべてが危うさを帯びていた。そのとがった顎、細い首、すべてが砕け散ったガラスのような印象を見る者にあたえる。白い肌はいよいよ血の気を失っていた。雪のよう?
いや、灰だ。白いクレヨンで塗り込めたような躍動感のない白さだ。
声もかすれていた。
ほとんど呆然として、天使ふたりの帰還をむかえた子供のたちのひとりが、おどおどとこたえる。
「いや……その、なんていうか、あの、最高会議ビルですよ、隊長。いま、ぱって音がしたと思ったら、隊長とトキタくんが出てきて……それだけです。 どうかしたんですか? もう終わったんですか?
あの作戦は? ……どうしちゃったんですか!」
隊長、その場にくずおれる。膝をつき、手をつく。
テレポートで送り返されたのだ。
それに、まったく抵抗できなかった。
作戦中、謎の敵に妨害された。こちらの攻撃は通じなかった。応援をもとめることもできなかった。
許してもらえたから、戻ってこれたのだ。
まともに戦うことすらできずに。
肺のにごった空気をすべて吐きだすかのように、大きく息を吐いた。吐息は熱をふくんでいた。
唇が激怒に歪み、指先は落胆に震え、眼はいま、無限大の屈辱感をたたえていっぱいに見開かれた。
隊長の白い指の先の丸みをおびた薄い爪が、床を震えながらひっかいた。
「ちくしょおおおお!」
いっぽうのリョウは、まったく対照的に、彫像のようになってたちすくむ。
激しい落胆も怒りも、なぜかやってこなかった。
かたわらの隊長の狂態を、どうしてこの人はこんなに、などと思いながら眺めていた。
自分でも、不思議だった。なぜこんなに冷静なのか。
自分たちは負けた。あの「翼狩り」とかいう正体不明の巨大要塞に、手もなくひねられた。
向こうは科学の力で、超能力と同じか、それ以上のことができる。心に語りかけ、敵のテレパシーを遮断し、空間さえも操る。
負けた、負けたのだ。
それなのに、リョウはいまひとつ、隊長ほど悔しがることができなかった。
それであたりまえじゃないか、という声が、どこか胸の奥のほうから聞こえてきた。
どうしてなんだろう?
おかしいな、おれだって天使の純粋さを信じてたはずじゃ?
おれ、なにをしたかったんだろう?
そんなふうに自分を分析している冷静さが自分の中にあることに気づいて、また驚くリョウ。天使になってからいままでの間で、自分がこんなにさめた気分になったことは一度だって。
……天使たちよ。
……私は「翼狩り」です。
……翼は、輝きすぎています。
声が脳裏によみがえった。声が心にこだました。天使たちに、かつてない完全敗北の屈辱を与えた、あの敵の声。
だが……
そう、不思議なのだ。自分は、あの声をきいても、隊長ほどむかっと来ない。
その隊長は青ざめながらも、部下たちに向かって叫ぶ。あるいは虚勢を張っているのかも知れない。
「みんな! 聞いてくれ。敵が、巨大な敵が、最大の敵があらわれた。すべての天使、そして子供たち、輝いてるみんな、力を合わせてそいつを倒すんだ!」
あの「翼狩り」に完敗した屈辱の記憶が、眼で見た物、耳で聞いた音、感じとったもの、その時の心の動きまでとりまぜて、全員にテレパシーの形で伝えられた。
いくら超能力をもつ天使とはいえ、めったにそんなことはしない。たいていは言葉ではなす。心をつなげるのは、やはり恥ずかしく、苦痛ですらあるのだ。しかも、全身がガタガタと震えるほど怖くて恥ずかしい思いをした瞬間の記憶だ。誰が見せたがるものか。
にもかかわらず、隊長はためらわずにそれをやった。
「……わかるだろう、ぼくの気持ちが! あいつは敵なんだよ、宿敵なんだよ!」
そう、この血のたぎるような怒りをみんなにわかってもらいたかったから、あえてそうしたに違いなかった。
炸裂した想いは、すぐに全員に伝わった。
白熱の憎悪は全員に感染した。
「隊長! そいつをぶっ殺しましょう!」
「ああ!」
「殺しましょう!」
いや、やはり例外がいる。リョウだ。
彼は奇妙に白けて、声をそろえる天使たちを見つめていた。
あんなにも確かだった激情は、きれいさっぱり姿を消してしまっていた。