第5章 神に似たる者は誰か

「僕たちは永遠を知っている。そしてそれ以外のものは何も知らない。これが幸福でなくてなんだろう、いや、これ以外に幸福などあるのだろうか!」
 凛然と響く、それは天使長のさけび。
 最高会議ビルでいちばん大きな会議室に、エンジェルフォースの全隊員は集結していた。
 百名の天使たちに向かい、隊長は熱弁をふるう。
「人間はそれを裏切った。汚れた。人間の歴史はただそれだけだった。違うか! みんな!」 
 天使たちはみな、その絶叫の瞬間、隊長ベルンハルト・ライヒェンベルクの全身が黄金に輝くのを視た。
 たかぶる感情が、超物質的なエネルギーと化して噴出しているのだ。
 少女が、少年が、そうとも呼べないような小さな子供たちが、いっせいにうなずいた。
 それはそうだろう、隊長の心の中で渦をまく、大人の世界への嫌悪感を、まるごと叩きつけられたのだ。
 リョウの頭のなかでも、いくつかのイメージがはじけた。
 ……歳をとった男と女が喧嘩している。コーヒーカップが飛んだ。罵声は強まってゆく。どこまでも高まってゆく。
 震えながらそれを視ている子供はまだ小さい。きこんだしましまのパジャマが大きすぎて見えるほどだ。
 子供にはわかっていた。
 こんなに仲が悪いのに二人はどうして。
 ただの道具なんだ、お互い。
 一緒でいたいから一緒でいるわけじゃないんだ。ただ金とか、みんなに何をいわれるとか、そんなことだけが目的なんだ。
 おなじものをかつて自分が見たような気がした。
 自分というのはだれのことだろう? これは隊長の記憶ではなかったのかな? いや、同じものはおれの中にもある……
 おれがそばにいるよ、おれはきみをひとりにはしない。心のありったけの力をこめてさけぶその言葉さえも、心からの微笑みも、ただ、似たような毎日を続けるための道具でしかない。そう解ってしまった瞬間がある。
 場面が飛んだ。
 街中を歩いてゆく彼は、もう子供と呼べる年齢ではない。
 夜の繁華街。カップルの姿がやけに目についた。楽しそうに明るい声でしゃべり、手をつないだりしているこの連中は、たしかに仲がよさそうに見える。
 そうだ、彼に声をかけてきた女もいた。もしあの時受けていれば、ここに自分もまざっていたかもしれない。
 だが彼は明るさに満ちている人々を、ほとんど憎しみに近いものを眼にたたえて見つめた。
 にせものだ。
 もう自分は知っているのだった。
 おなじことを何度も味わったような気がした。
 落胆。いや、そんな言葉で表せるものか。
 それ自体が目的だと思っていたのに、それは道具でしかなかったということが、自分がどんな場所にいるのか理解したその瞬間が、そんな安っぽい言葉で、どうして。
 眼をおおった。
 だが、痛みは消えなかった。
 頭を抱えた。
 だが、痛みはいや増すばかりだった。
 彼は悟った。なぜ、こんなにも世界が、すべての人々が汚く見えるのか、それはつまるところ、自分が「知っている」からだと。
 空を見上げた。
 人間が人間という名前でなかった頃から、ずっとずっと繰り返してきた行為だろう。それは宗教のはじまりだったかも知れないし、哲学や科学のはじまりだったかもしれない。
 ビルに輝くネオンの光は強かったが、それでも若者の視力はビルとビルのはざまにいくつかの星を見いだした。
 だがあれは星ではない。
 見た瞬間、それが分かってしまった。分かってしまったらもう、眼をそらしたくなった。三百万年前のアウストラロピテクスと同じものを、自分は決して見る事ができない。
 いや、たかだか千年前と同じものさえここにはない。
 あれは、核融合をするしか能のない、ガスのかたまりだ。いつの頃からだろう、そう知ってしまったのは。そういうことになってしまったのは。
 自分は。 いや、人間は。
 なにも知らなければ良かったんだ。
 それだけではなかった。
 また場面はとんだ。ほんの五才くらいの体験からはじまって、息をひきとるその瞬間まで。連続して、あるいはまざりあい、世界が輝きをうしなってしまうその瞬間の想いが、五感のすべての情報をともなって、流れこみ、うずまいて弾けた。
 リョウは現実の世界に引き戻された。
 心臓が破裂しそうに脈打っていた。
 まさにリョウの思いを代弁するかのように、ベルンハルト・ライヒェンベルクは澄んだ声でこう断言した。
「人は……なにも知らなければよかったんだ」
 しんと静まりかえった室内に、ただ、その言葉だけが響いた。
 たいちょう……
 そう口のなかだけで呟いた。
 いらだたしかった。なにが嫌なのか自分でもまるでわからなかったが、この場から走って逃げだしたかった。身体を小刻みに振るリョウ。なにかが違う、何かがちがう……
「やっと、ぼくたちは天使にうまれかわって、綺麗な世界をとりもどそうとしている。それなのに奴は、それを崩そうとしている。科学の力で動いて、あらゆる知識をためこんで、そうだ、そんな奴らなんだ。わかるから強い、そんなのはでたらめだ。そんな考えがあるから戦いとか、差別とか、つまらない毎日、うその感情しかない世界、そんなことばかり起こるんだ、そんなふうになってしまうんだ。みんな何も知らなければいいんだ、なあみんな、そうだろう? ちがうかな」
 何人かの者達がうなずいた。
 うなずかなかった者も、一様に青ざめ、その言葉に呪縛されて立ちすくんでいた。
 否定することができなかった。胸の奥にある小さなベルが、なにか水晶のような物質でつくられた小さな小さな音叉が、うったえかける天使の声に共鳴したのだ。
 リョウもまた、少なからず胸のうずきをおぼえる。
 知ることを恐れ、知らないから綺麗なんじゃないかと、知ってしまったら世界は少しも光って見えないんじゃないかと、そう思う部分がどこかにあるからこそ、おれたちはここにいるんじゃないか。
 身体はいつしか震えていた。
 それは確かに。
 もし、少しも思わなかったら、なにも知らなかったあの頃はよかったと、そう思わなかったら、いまここに立ってはいないだろう、ああ、それはそうだ。
 いままでなんど、この考えを繰り返しただろう。そこで、考えはとまってしまうのだ。
 リョウ、そこで胸に手をあて、じっと考えこむ。白い布の下の胸は答えてくれなかった。脈動する肉のかたまりがあるだけだ。
「……エターナルチルドレンも、賛成してくれている。
 あれから三日。『翼狩り』は、ぼくたちが解放した人間たちに、むりやり記憶や知識をうえこんで、また大人にしているらしい。あんなにけがらわしい営みを、大人たちはまた、街の一角ではじめている。ぼくたちのことを、わかっていない奴らだ、という眼で見はじめている。
 このままじゃいけない。先制攻撃だ。すべての天使、すべての子供、自分が飛べるんだと信じているすべてのものたち、ぼくのあとについてきてくれ。
 これはたぶん最後の戦いになる。すべてが決まるんだ、この戦いで」
 天使長ベルンハルトの言葉が途切れる。

「……思考波に乱れが生じているぞ」
「そうでしょうね」
 会話は、完全な暗闇の中で行われていた。
 若い娘の声と、年齢不詳の男の声が交錯する。
「……負担なのか」
「補佐コンピュータの貴方に心配してもらうようなことは、なにもありません」
「……われわれを憎んでいるのか? すべてを知らせた上で、君をこんな姿にしたことを? だがそれは最大の効果を発揮するために必要なことだった」
 一瞬の間があった。
「いいえ。まったく。私は天使じゃありません。だから、そう思うことはできないんです。憎しみなんていう立派な気持ちは、わたしのなかにはありません」
「……しかし、明らかにこの脳波・脳磁気・脳電位パターンは苦痛のそれだ」
「それがどうかしたんですか? しょせん、ただのデータでしょう? みんな。機械って、そういうものなんでしょう?」
「なんにせよ、気をつけてくれたまえ。君は、最重要部分のひとつ、中枢有機ユニットなのだから」
「わかっています。だから、貴方達は余計なことを言わないで。ただ、少しでも多くのデータを集めればいいの。少しでも早く計算して、シミュレートを繰り返して、新しい技術を開発すればそれでいいんです。いままでだって、そうしてきたでしょう? そのおかげで、人類の技術水準をはるかに超えられた」
「……当然だ。われわれ機械は『知ってるから強い』だけで出来ている。両者のまざった心をもつ人間より、科学進歩が速いのは当然だ。いっさいの天使性の放棄」
 有機ユニットは、今度は沈黙をもって受けとめた。
「……有機ユニット。量子結合式未来予知システムに蓋然性九十八パーセント以上の情報入力があった。奴らが来る。疑似ESP波発生装置を準備しておいた。全要塞機能を戦闘態勢に移行するが」
「ええ、そうして。でもね。ひとつだけ思うことがあるの」
 会話の流れを無視して、娘はいった。ため息がそこにまじった。
「なぜ自分がここにいるのだろうって……機械だけでいいのに、どうして自分がここに混ざって、ここに埋め込まれているのだろうって」
 機械は返事をしなかった。

 「翼狩り」の浮遊要塞は、アジア某国の大都市上空に浮かんでいた。
 ほとんど球体に近いその機械集合体の下面から、天使たちにしか見えない不思議な光が、下界の街なみへ向かって伸びている。
 何百、何千、何万本という光束。光のシャワー。
「見ろ! あそこで、下の連中を洗脳してる!
 先制攻撃だ! 向こうのニセ予知をぶっとばせ!」
 だんだん言う事がストレートになってきた隊長は、超音速で大都市の郊外を飛行しながらそう絶叫した。
 その後方を飛んでいる百名の天使、少し離れた場所をゆく百名の子供たち、総勢二百名が、無言で熱狂のテレパシーを放った。
 沈黙をまもったリョウは二百名分の精神波の渦に消えてしまい、誰にも注意をむけられることがなかった。
「そうだ! もっと強く! もっとなにもかも忘れて!」
 感情の高ぶりゆえだろう、テレパシーだけでなく声帯まで使ってわめくその声は、エターナルチルドレンの隊長のものだ。茶色い髪を振り乱し、こちらの隊長の隊長とおなじくらい強烈な光をその眼にやどらせて叫んだのだ。
指示どおりに、二百人の天使が精神を集中する。
 高度は一万メートル。眼下には白い、ちぎれた綿のような雲が見え、そのさらに下には都市のまわりに広がる畑と公園地帯、山などが見えた。
 閃光が、それらすべての景色をかき消した。ただただ強烈な光だけが視界を漂白する。
 超感覚をもつ天使たちは、脱力感とともに爽快さをおぼえていた。
 自分の腕から、ありったけの力が放出される。となりの短く髪を刈った少年も、さらにとなりにいる三つ編みの女の子も、おなじように身体を緊張にふるわせ、命さえ燃やし尽くすつもりでその手に気合いをこめているのだ。
 周囲の空気が震動する。空気? いや、空間そのものが。
 リョウは確かに、自分のまわりの空間が土砂降りの中の水たまりのように激しく波打ちはじけ、あるいはくだけそうにきしむのを感じた。
 あまりと言えばすさまじい力に、空間が悲鳴をあげているのだ。
 ……はじめてだ。これだけたくさんの天使が、いっぺんに全力で戦うのは、はじめてなんだ。これはすごい戦いだ。
 リョウとしても、それは認めるほかなかった。頭でそう認めるよりも先に、心が叫び、身体がわなないていた。
 熱狂。自分が、なにかものすごい場所にいるという自覚。
 どこまでが隊長の思念の影響で、どこまでが自分のほんとうの考えなのか、それはわからない。
 とにかく、しびれるような、ほとんど快感とよんでいいものを味わいながら……二百名の天使たちは攻撃をはじめたのである。

 闇の中に声が生じた。
「未来情報検出。攻撃可能性九十九.九九九八パーセントに上昇」
「……真空量子ポテンシャル変動シールド形成」
 機械の言葉と同時に、得体の知れない唸りが高まった。
 「シールド」とやらを通してもはっきりと、岩山どうしがぶつかりあうかのような激震が伝わってくる。
「シールドに被弾。防御率百パーセント、損害認めず」
「高度、三万六千フィートに上昇」
「機関出力上昇」

 閃光が消えたとき、依然として「翼狩り」は浮いていた。
「隊長、やつは……やつは!」
 失意のさけび。そう、二百人の天使による全力攻撃を受けたにも関わらず、「翼狩り」の飛行要塞はなおも微動だにせず宙に静止していた。 黒光りする装甲にも、無数という他ない砲塔やミサイル発射筒群にも、まるで損傷が見られない。
 唯一の変化は、よく見るとその姿が陽炎のように揺らいでいることだろうか。まわりの空気が高熱を帯びたためだ。
 「翼狩り」は下方へ光線を降らせることをやめた。いったいどんなエンジンを使っているのか、ほとんど音らしい音もなく上昇する。
 いかにも余裕をもって戦闘態勢に転じた飛行要塞に、リョウは戦慄を禁じ得なかった。
 こうまで余裕たっぷりだと、あいつの方が俺たちよりずっと強いんじゃないかと、どうしても思ってしまうのだ。
 そしてもちろん天使たちの場合、強さの否定は正しさの否定である。大人たちのほうが、知って汚れることは大事なんだという考えのほうが、もしかすると。
 隊長が戦闘に専念していたのは幸いだった。
 自分のすぐうしろにいる腹心の部下リョウが、とんでもない反逆的思想をいだきつつあることに気づかなかったからだ。
「今度は飛び込むぞ! 全員の力をひとつに!」
 逆らうことはできなかった。
 心に流れ込んだ隊長の思念が「さあ跳べ!」と叫んでいた。
 リョウ、背中を突き飛ばされたように、ほとんど反射的に「跳ぶ」。
 あのいつもの、極彩色の異次元空間。
 この前の戦いでは、この空間に「壁」を張られた。勇んで飛び込んでいった隊長とリョウは、壁に激突して痛い目を見た。
 同じことになるのではないか。
 心配するリョウとは対照的に、隊長は自信に燃えているらしい。それはそうだろう、あのときの百倍もの数がいるのだ。
 だが、やはり、異次元を飛んでゆく身体に、よくわからない正体不明の圧力がかかる。
 隊長の顔が怒りに歪んだ。
 大人のつくった機械のくせに!
 ……みんな! 力を!
 ……「現実」なんかに負けるな!
 思念の声がはじけた。声をかけられるまでもなく、天使と子供たちは精神の力をふりしぼる。
 砕け散るガラスの壁を、はばたいてどこまでも飛んで行く自分の姿を思い浮かべる。
 リョウもそうだ。いくら自分に疑問をもっていても、ほんとうに敵がせまると、やはり恐ろしい。抵抗せずにはいられない。
 無心に、この壁が破れることを願った。

「……敵集団アルファ、ブラボー、放射精神エネルギー値、増大中」
「照射目的、遮蔽フィールド破砕と推定」
「現在、精神エネルギー値十五万六千ライン」
「亜空間遮蔽フィールド、負荷上昇」
「フィールド崩壊まで六.五ミリ秒」
「第二段対策を算定中」
「現在、精神エネルギー値十八万九千ライン」
「第二段対処策を算定中」
「未来情報を検出中」
「中枢有機ユニットの意見具申あり」
「……第二段対策決定。実行す」
「なお、推定成功確率九十九.九七九パーセント」
「遮蔽フィールド崩壊」
「敵集団アルファ、ブラボー、目標点へ空間移動」
 これだけの言葉が、要塞奥深く、思考回路の中で火花のように飛びかった。

 敵のバリアが吹き飛んだ。やはり二百人が総力をぶつけると耐えられなかったのだ。
 目の前ではじける閃光。身体にからみつく、目に見えない圧迫感のある粘液のような消えてなくなる。
 なんとなく反発していたはずのリョウも、やはり勝利はうれしいと思ってしまう。
 隊長はもちろん、爽快感をそのまま精神波にして放射する。それを浴びた天使たちはみな、身体を熱いものが通過してゆくのを感じた。
 壁を突破し、通常空間に復帰した天使たちは、すぐ目の前にそびえたつ黒い金属の壁を見つけた。
 要塞だ。要塞の外壁だ。
 隊長、形のいい唇の端をつりあげる。
 そうだ、これをこそ望んでいたのだ。遠くからのビームが届かないならば、肉薄攻撃を。
 二百人のなかでいちばん冷静だったのはリョウだったろう。だからこそ彼は、「おかしいな」と思うことができた。
 そう、おかしいのだ。
 壁にぶつかり、テレポートを妨害された以上、すこしは出現地点がずれるはずなのに……まったくずれていない。
「隊長!」
 叫んだその声はしかし、わあっ、と歓声をあげて要塞に殺到する二百人のさけびにかき消され、まったく隊長に届かない。
 勢いづいた天使と子供たちは音速で要塞に突っ込み、さらに苛烈な攻撃をくわえた。
 拳を光でよろった少年が渾身のパンチを叩きこむ。
 鋼鉄の数百倍の強度をもつ宇宙合金が、踏みつけられた発砲スチロールのように弾けとんだ。
 至近距離から機関砲弾を浴びせかける旋回砲塔が、念動力でひきちぎられた。
 たった数十秒で、何キロもの威容を誇る大要塞は傷だらけになっていた。その表面は何百もの大きな破口でかざられ、まともに撃てる砲は 一門も残っていないようだ。いたるところから白煙と炎をあげていた。
 隊長が、泣き出しかねないほどの歓喜に震えながら要塞に飛びかかり、蹴りを入れる。細い脚による蹴りは、数万トンの念動力を帯びていた。要塞全体に衝撃が走り、どこか奥のほうで何かが崩れる音がとどろいた。
 要塞が沈みはじめる。
 あまりに早すぎる、どんなダメージコントロール能力も及ばない破壊また破壊が、動力部にまで達したのだ。
 あまりにもうまく行ったので、おかしいなと思った。だからリョウにはわかった。
 煙を噴いて落下する「翼狩り」の要塞、声をあげることも忘れて勝利に酔いしれる天使たち、その後ろで、なにもないはずの空間が陽炎のように揺らぐのを。
「隊長! あれ!」
「うるさ……」
 うるさいな、と言って振り向いた隊長の視線の先に、確かに巨大な陽炎があった。
 ゆらぎ。空気の? いや、やはり空間のだ。
 別の世界に姿をかくしていた何者かが、いま顔をあげるのだ。超能力に似ているが超能力ではない、オーバー・テクノロジィの力によって。
 淡い光の塊が出現し、それはすぐに実体を手にいれ、直径数キロの飛行要塞の姿をとった。
 それと同時に、火を噴いて落下しつつある要塞の姿が、跡形もなく消え失せた。
 すべて幻覚だったのだ。黒い壁も、蹴ったり殴ったりしたときの感触も、金属が融けてはぜるときの音や臭いも。
 それに気づいたときは、もう遅かった。
 こつぜんと姿をあらわした本物の要塞が、全力射撃を開始する。
 空間を真っ白く塗りたくる光線。オレンジ色の軌跡をえがく無数の銃砲弾。亜音速で叩きつけられるミサイル。
 天使たちは、永遠の子供たちはひどく油断していた。その緊張はゆるみ、力もまた別の方向にむけられたままだった。
 そんな状態の数秒間の間に、つまり、なにがどうなったのかわからないうちに、実に数多くの仲間が死んでいた。
 気がつくと、もうその数は半分程度しか残っていない。
 ようやく混乱から脱したときには、つい先ほどまでとは一転して、恐怖が子供たちの胸を満たしていた。自信が深かっただけに、それはすさまじかった。
「隊長! 隊長! 逃げようよ! あいつすごいよ!」
「うるさい! このまま間違ってるってことにされてもいいのかっ!」
「でもいやだよ! このままじゃみんな死んじゃうよ!」
 そんな言い争いをしている間にも、次から次へと天使たちは光線や砲弾で打ち倒されていく。
 これまで、すべての物理攻撃を無力化してきた天使の衣は、ほとんど無力だった。
 そうだ、あらゆる超感覚をごまかし、これほど完璧な幻影を見せた「翼狩り」が、バリアひとつ無力化できないはずがないのだ。
「隊長! 逃げましょう!」
 リョウが隊長の肩をつかんだ。そのまま超音速に加速、ほとんど引きずるようにして戦闘空域を離脱する。
 他の天使や子供たちも後をついてきた。みな、これだけの大損害を受けたのははじめてなので、たったひとり冷静な行動をとれるリョウにすがる思いのようだ。
「待てっ! ぼくはこんなところで逃げるわけにはいかないんだ!」
 そうわめく隊長は、しかし失意と落胆にその力を減じているらしく、抵抗できないままリョウにひきずられていった。
 それはそうだろう、彼がもう少し冷静だったら、あんなにも簡単に欺作戦にひっかかる事はなかったのだから。
 でも、そんな風に冷静になってたら、天使としての力を発揮できなかったかもしれないよね。
 リョウはそう心の中だけで呟いた。

「……敵集団アルファ、戦力六十一パーセント、ブラボー、四十九パーセントに減少」
「第二段対策、成功を確認」
「砲弾、ビームに疑似サイキックフィールド付与を続行せよ」
「敵集団アルファ、戦力五十七パーセント、ブラボー、四十一パーセントに減少」
「敵集団アルファ、ブラボー、戦闘空域を離脱。追撃せるや」
「中枢有機ユニットより意見具申あり。追撃の要なしと認む」
「人類覚醒成長作業に復帰する」

 泣いていた。
 最高会議ビルに帰りつき、金髪の少年は泣いていた。
 声はたてない。口を手でおさえている。わずかにすするような音がもれるだけだ。
 眼は伏せている。だが濡れた瞳を見ずとも、頬には輝く筋があり、そして押し殺された声が、打ち砕かれたものの巨大さを表していた。
 激情を振りまいているのは、実はこの隊長ただひとりである。
 同じような考えをもっていたらしいエターナルチルドレンの隊長は、「翼狩り」のビームを喰らって灰になった。ここに生きて帰りついた百名ほどの子供たちにしても、泣くどころか虚脱しきった表情だ。
 信じられないのだ。眼の前で起こったことが。
 ここにいる百人はみな、これまで負け知らずで来た。大人たちの軍隊など、たとえ戦車が何万両あろうとも紙クズのように吹きとばせたし、かつて経験した超能力者どうしの戦いでも、一割も死んではいない。そんな子供たちにとって、あの戦いはあまりにすさまじいものだったのだ。
 浴びせられる敵弾また敵弾の嵐、こちらの攻撃は少しも通じない、つい昨日まで楽しくしゃべっていた友達が人間とも呼べないものになってふっとんでいく、そんな光景。
 体験のないそれが鮮烈すぎ、だから心を閉ざしていた。ほとんどの者は無表情だ。首をわずかに傾け、喜劇の仮面のような笑みを顔に張り付かせている子供もいる。
「たい……ちょう」
「たいちょう……」
 かぼそい声が、ある子供の喉を震わせた。
 声じたいも震えていた。細っこい身体もまた、まるで身体が震動することで音を出しているかのようにがたがたと震えた。ほとんど、揺れているといったいいほどだ。
 それがきっかけだった。泣き声にちかいものが、最高会議ビル大会議室に充ちはじめた。
「たいちょう……」
「もう……」
「そうですよ……」
「そうだよ」
「やめようよ」
「やめようよ」
「やめ……」
 入り交じる声は、五才から十二才くらいまでの子供たちの声は、はじめ一滴か二滴のしずくでしかなかったが、ほんの数秒のうちに豪雨となって会議室のカーペットを濡らし、やがて滝となってその轟きを室内に反響させた。
誰もが訴えていた。眼で、おちつきのなさを見せるすくめられた肩で。
 ……そうだ、きっとやめてくれるよ。
 ……そうだよ、隊長だって恐がって泣いてるじゃないか。
 なんの抑制もなしに、希望的観測がテレパシーになって流れ出している。
 リョウ、やはり心の一部を凍結させたまま、その流れの中にたたずんでいる。
 流されてしまってもいいかな、と思わなかったわけではない。
 でもさ、これって……
 リョウにはわかっていた。隊長が、顔をあげた時なんというか。
 だからみんなと同じようにはふるまえなかったのだ。
 隊長、百名の訴えにうたれ、ゆっくりと面をあげる。
「……!」
 誰かが息をのんだ。
「……やめろって、そういうのかい」
 もう隊長は泣いていなかった。
 身体のふるえも止まっていた。
「怒ってるの……怒ってるの隊長?」
 天使たちのなかでも年齢のひくい子供の一人が、そう問いかけた。おびえは隠しようもない。
「……いいや」
 短くそれだけ言って、隊長は笑った。
 いや、笑ったのではない。唇の端を片方だけつり上げ、頬を引きつらせたのだ。
「……でも、やめるわけにはいかない」
「怒ってるの? ねえ、怒ってるんでしょ?」
「……わからないかなあ、怒ってなんかいないんだよ。ほら、こんなに笑ってるじゃないか」
 まだ涙のあとも生々しい頬が、いっそう不自然な形にゆがんだ。
 さっきまで嗚咽を繰り返していたとは到底おもえない、弱気さのかけらも見えないその瞳を、小さな天使は真正面からみすえることになった。
「あ……ああ……」
「その眼。その眼だよ。ほら、もっとよく見せてくれよ。その眼の奥で、ひょっとしたら大人たちのほうが正しいのかも知れない、なんて考えてるんだろう? そうでなかったらそんなこと言うもんか。
 いや、違うよ。怒ってなんかいない。ちっとも怒ってなんかいないんだ。
 悲しいんだ。
 純粋さが足りないことがね。だから負けたに決まってるじゃないか。まだぼくたちは、天使としては汚れすぎてるんだよ。いや、本当にさ」
 そこで言葉を切り、隊長、子供の額に手を当てた。
 なにをされるのか理解した子供が身をよじり、隊長からはなれようとするが、そんなことを隊長はもちろん許さなかった。
 天使の掌から、不可視の力が溢れ出す。
 熱い息のかたまりが子供の口からはきだされた。
 その苦しそうな表情は、すぐに安らかなものに変わった。寝息を立てている。きっと眼をあけたその時には、いったい自分がなにを恐がっていたのか、まったく覚えていないのだろう。少しの疑問もなくなるのだろう。
 無言で、金髪の少年は一同を見回した。
 与えられる安息を、歓迎する眼はなかった。
 どこかおびえていた。
「……そうかい!」
 それこそがまさに汚れなのだと言わんばかりに、彼は吐き捨てた。ひとたび絶望し、滝のような涙をながすことによって高められたその力が、さらに何倍にも強まって周囲にまき散らされた。
 リョウも嵐を、爆風を全身に浴びる。
 それは、無数の問いかけの形をとって襲いかかってきた。
 ……どうしてこだわるの?
 ……どうして気にするの?
 黒髪の少年はただ震えた。
 それでも歯をくいしばって、泣いているとも笑っているともつかない表情をうかべた金髪の天使を、じっと見つめつづける。
 ……わからない。
 わからないんだよ。
 胸がその言葉で、ただその言葉だけでいっぱいになった。
 それ以上なにも言えない自分というものに、いやでも気づかされた。
 なんだか、ずっと遠い昔にも、おなじような目にあったような気がした。自分の外から、そして内側から、なにかぎざぎざした細長いものが生えてきて、なんでもかんでも削り取っていってしまうような目に……
 これでも、リョウはよく耐えたほうらしい。
 ほかの天使たちは一様にくずおれる。
 きっと目をさましたときには、なんの疑問もいだかなくなっているだろう。世界はクリスタルの明晰さにきらめき、良い物は雪のように輝き、悪い物は汚泥のように汚い、そういう場所にもどってきているだろう。
 たった一人踏みとどまったリョウに、天使長は言葉をなげかける。
「……やっぱり君か」
 浴びせられたその言葉は、いくつもの感情を含んでいた。驚愕はなかった。わかっていたのだ。含んでいるのは怒りと、悲しみと、虚無感か。
「……そんなものが本物だと思っているのかい。きっと辛い思いをするだけだよ」
 もう室内で立っているのはリョウとベルンハルトだけだ。隊長はリョウに一歩ずつ、一歩ずつ近づきながら、そんな言葉を投げかける。
「わかんないよ……」
 それ以外言葉らしいものが出てこなかった。本当に、隊長がいったい何をいってるのかわからなかったのだ。
 ……隊長……もしかして。
 それは恐怖をともなった、ひとつの推測。
 ……おれの心の中のことがわかってるの?
 おれがどうしてイヤだイヤだって、そう思ってるか、わかってるの? おれ自身にもぜんぜんわかってないのに!
 いったいこれで何度めだろう、この人の、なんとなく笑っているような顔をみて、背筋が寒くなるのは。
「……それがニセ物だってことは、ただの道具として君は使われてるだけだし、使ってるだけなんだってことは、とっくに知ってるはずなんだけどな。どうして、そんなものにしがみつこうとするのかな」
 リョウはいまでも隊長をしっかりとみすえていた。その視線は白い、うすら笑いをうかべる喜劇の仮面のような顔に突き刺さっている。
 けれど隊長はリョウも見ていなかった。視線は宙をさまよっている。
「もういいよ……きみはこなくていい……いつまでもそこにいればいいよ」
 ベルンハルト・ライヒェンベルクは、そう言い切った。いままで光と影のようにともに戦ってきたリョウを、その一言で切り捨てたのだ。
 ……この人は天使だ。
 その時リョウとベルンハルトは、ほとんど一歩か二歩の距離にまで近づいていた。喜劇の仮面はもう崩れない。
 ささやくような声で、隊長はもういちど言った。
「……いつまでもそこにいればいい……」
 なんで、この人からそんなことをいわれなきゃいけないんだろう。
 そんな考えも少しは頭に浮かんだが、そんなことよりもはるかに強く印象にのこったものがあった。
 貌だ。
 視界の大半を占領した、ただ白く、灰のように白い貌だけだった。
 白い顔は、胸に。かるく波打った金色の髪は、心に。ほんのわずかに灰色のまざった蒼い目のかがやきは、魂に。ただ、焼き付いた。
 自分も、これと同じような、顔とよばれる皮膚や骨や、髪という死にかけた細胞糸をもっていることが信じられない。
 自分は戦ってるんだ。この真っ白いやつと戦ってるんだ。命と心の危機なんだ。それなのにどうしてこんな関係ないことばかり考えてるんだ、 さあ、もっとちゃんと考えてくれよ、勝てる方法とか、こいつの間違ってるところとかさあ……!
 だが答えてくれるものは胸の奥のどこにもいなかった。ただひたすらに強く、隊長のきれいな顔が胸に刻印された。
 リョウ、顔をひきつらせる。
 どこか苦しげに、笑った。
 目だけはまったく笑っておらず、たがいの息がこそばゆく感じられるほどの距離におかれた金髪の少年に視線をそそいでいた。
 いや、視線が、目には見えない力で固定されているだけだ。超能力とはちがう。どちらかというとその力は、リョウの中から生まれている。
 見たくない。見たくないのだ。
 リョウはわずかに身をよじった。
 だが眼球が反対に動く。目だけは隊長の目と結びついている。ほんの少しでも逃れることができない。
 灰色がかった蒼い吊り目がまばたきをする瞬間だけが、解放の時だ。
 いままで隊長とにらみあったことは何度かあった。ほんの少しまえにも、いちど。
 だがそれらの体験のどれと比べても、口のなかの苦さは強かった。
 ふいに隊長が視線をそらした。リョウは深いため息をつく。
 うつむくリョウ。肺に流れ込んでくる空気が、ひどく熱い、乾いたものに思えた。むせかえりそうになって、口元をゆがめて顔をあげる。
 隊長は態度を一転させていた。
 もう、こちらを見ようともしない。
 軽く頭を振って、天使たちを見回す。
 なにも言おうとしない。言う必要がないからだ。
 逃れたかったものから逃れられたのに、リョウは汗のにじんだ手をにぎりしめて、一歩また一歩とあとずさりすることしか出来なかった。
 はっ、と息を吐いて、うしろを向いた。
 ドアまでの数歩は、ほとんど駆けるように。
 ぶ厚いドアを開け、その向こうの世界に逃げ込む。
 背後で響いた重い音。
 広い建物の中にひびいたその音が、リョウの心に強くのこった。
 あれほど巨大なちからでリョウを呪縛した、隊長の言葉よりもずっと。
 振り向かずに一歩を踏みだした。
 もう一歩。やはり振り向かない。もし振り向いてしまったら、あの扉の向こうに自分がのこしてきたものを見たくなってしまうだろう。そしてもう。
「……ぼくは……」
 あまり使わなくなっていた一人称が、自然に口からすべり出た。
 「力」で宙に浮き、窓を突き破って天に飛び出す。
 外は夕暮れ時だ。
 西のほうに残っている明るさに向かって、リョウはとんだ。色あせた冬の太陽の光は、あまりまぶしくなかった。
 身体を支えている「力」が弱くなっていた。飛ぶ速度が、かつてよりだいぶ遅くなっていた。もうジェット機より速くは飛べないし、宇宙まで飛んで行くこともできはしないだろう。こうして飛んでいる間にも、少しずつ速度がにぶっていく。
 あたりまえだ。「それはそれでひとつの考えだよな」なんてことを本気で思ってしまった者が、これからも天使でいられるはずがないのだ。
「白い……顔」
 はきだされる言葉は、天使長のかなしみに充ちたあの顔についてのものだ。
 泣きたいのに、リョウは泣けなかった。
 涙をこの風のなかに散らしたいのに。
 じゃあほんとは悲しくなんかないのかな。
 本当はうれしいのかな。
 ようするに、こういうのが成長と呼ばれるのだろう。
 それがなんとなくわかり……
 それが、とても嫌だった。


 次の章に進む 前の章に戻る 王都に戻る 感想を送る