第二章
一
トラックが村についた。
もう何時間も空きっ腹を抱えたままだが、マードは空腹など何も感じなかった。
……早くお医者さんに見せないと。
助手席で寝息をたてている金髪の少女が、マードの意識をとらえて離さなかった。
ここまでの走行中に何度かトラックを止め、具合を確認している。足の骨折は実に下手な処置しかされていなかったので、添え木を当て直した。
凍傷も出血もないようだし、体温と呼吸は落ち着いているように見える。だがそれ以上のことはマードには判らない。
自分の医学知識はいい加減だし、別の種族のことだし、それに……詳しく調べようと思ったら、服を脱がさなきゃいけない。
それは、なんか恥ずかしい。
というより、やっちゃいけないことのような気がする。
そう思ったから、やめておいた。
まず医者のところに向かった。この村にひとりしかいない医者だ。
小さな診療所。三角屋根に真っ白い壁。
だが入り口のガラス戸は固く閉ざされていた。中は暗く、人がいるようにも見えない。
「開けてくださいっ! 急病……じゃないな、急患 行き倒れかな。とにかく大変なんですっ」
ガラス戸を叩くがやはり誰も出てこない。いつもは半分寝ているような顔の老人が、なぜか若くて美人の看護婦を連れて出てくるのだが。
裏に回ってみた。こちらは住居としての玄関がある。
チャイムを鳴らすが、やはり出てこない。
庭に行ってみた。庭には小さい樽型の機械が設置されている。発電用の燃料電池だ。確認してみたが、どうやら動いていないらしい。つまりこの家はいま電気を使っていない。
もう一度入り口に戻ってよく確認する。だが「往診中」の札はかかっていない。
「……どこに行っちゃったんだよっ、肝心なときにっ」
怒ってみても仕方がない。
家に連れて帰るか。
家には一応医学の本もあるし、ちょっと古いけど薬もあったと思う。異種族に効くかどうかは判らないけど……
それに父さんは軍にいたんだ。確か解放軍は組織がきっちり出来てなくて、兵科が細かく分かれていなかったから、普通の兵士でも衛生兵みたいなことをやらされることがあったらしい。医学の心得くらいあってもおかしくないや。少なくともぼくよりは。
すぐに運転席に戻る。
幸い、毛布をかぶって横たわっている少女は、ずいぶん具合がよくなったように見えた。表情も和らいでいる。失神しているというより、単に眠っている……それも、楽しい夢を見て。
でも油断は禁物だ。
だって他の種族だから。
どういう状態が良い状態なのかなんて判らない。
そう自分に警告しながら、マードはまたトラックを走らせる。
家にはすぐついた。
少女をかついで降り、ガレージのシャッターを下ろした。少女を背負ったまま家に向かう。
ドアに鍵がかかっていた。
「父さん! ぼくだよ! 遅くなってごめん!」
ドアを叩いたが返事がない。
ふと気づく。人の気配がない。窓から光が漏れていない。
どうして? どうして父さんまでいなくなったんだ?
不審に思いながらも、マードは合い鍵を取り出して家に入った。
自分の部屋のベッドに、少女を横たえる。
毛布と布団をかけた。
彼女のコートとズボンのポケットから取り出したものを机の上に並べてみる。
通信端末、携帯食料、懐中電灯、拳銃。
そんなものだ。
何か身元を特定できるものはないかなあ、と思ってみたが、ない。
ベッドのそばに歩みよる。
「……一体君は誰なんだ?」
謎の美少女、というのはやはり、フィクションの中だけのものではなかったらしい。
その時、少女が眼をうっすらと眼を開けた。
一重瞼が割れて、茶色い瞳が現れる。
焦点を結んだ。
すぐ脇で見おろしているマードの顔を、彼女は確かに見た。
「きゃあっ」
そのとたん悲鳴を上げて跳ね起きた。途中で身体が痙攣し、ベッドから転げ落ちる。
「あああっ」
膝と手を使って、シーツで身体を隠しながら部屋の隅まで逃げた。
「落ち着いて、落ち着いて。どうしたの」
そう言ってマードが近寄ると、少女はばたばたと床を這いずって、壁づたいに逃げようとする。
その表情はひきつっていた。小さな、つんと上を向いた鼻も、
力つきたのか、観念したのか。その場に座り込んでしまう。
その顔は。
血色はよくなったものの、まだ白い顔は。
ただ恐怖に彩られていた。
ひどく震える片手でシーツをつかみ、身体を隠している。彼女は別に全裸ではない。コートを脱がされているだけだ。それなのに身体をマードに見られることを恐れるかのようだ。マードの視線から逃れようとしているかのようだ。
何かを思いだしたように、彼女は室内を見回した。ちぎれそうなほどの早さで首を動かす。
この部屋の中にはベッドと机がある。
少女が羽織っていたコートは椅子にかけてある。そして机の上には少女の持ち物が並んでいた。一丁の拳銃もあった。少女の手には少しだけ大きすぎる、火薬式のリボルバー。
とびついた。突如足の骨がつながりでもしたかのように、彼女は素早く勢いよく駆けた。
そして銃を取り、マードに向けた。
「う、う、動かないでッ」
痛みを感じていないのか、彼女は両方の足を使って立っていた。天井の白熱電球に照らされて光る金色の髪を振り乱し、両手でしっかりと拳銃をホールドし、興奮と恐怖のいりまじった奇妙な表情をうかべて、彼女は叫んだ。
ただマードは呆然とするばかりだった。
「う、動かない……で……」
彼女の声が震え、かすれた。
その震えは身体に伝染した。まず銃をおさえている、白く小さな手が震えだした。セーターの毛糸で覆われた、あまり筋肉のついていない腕が震えだした。なで肩が、細い胴体が震え出す。足にまで震えだした。膝ががくがくと笑っている。
怖いんだ。
マードは理解した。
銃を向けられているというのに、マードは自分の命よりも、その銃を持った少女のことを心配した。
怖くてしょうがないんだ。この女の子はぼくを怖がってる。いまにも殺されるんじゃないかって思ってる。本気で「殺される」って信じてる。ぼくのことを怪物みたいに思ってるんだ。だから銃を向けて。人に銃を向けることも怖いんだ、きっと。
どうして、なんだろう。
一体なにがあって、この人はそんなに怖がるんだろう。どんなひどい目にあってきたんだろう。
「あの……」
「う、うごく、うご、うごくなっ。喋るのも駄目だっ」
「……」
「余計なことをしたら撃つわよ。さあ……貴方、宇宙船のある場所を知ってる? 浮遊車でもいいわ。案内しなさい」
「……」
「きこえてるのっ!?」
マードが怯えずにいることに当惑したのだろうか、少女は金切り声をあげた。いや、これもやはり恐怖の産物だろう。自分に理解できない行動をされたことが怖いのだ。
「撃鉄が起きてない。それじゃ撃てないよ」
「……え?」
その言葉に、少女はあっけにとられる。拳銃をまじまじと見つめる。
と、その間にマードの手がひらめいた。
拳銃が、少女の手から少年の手に吸い取られる。
「あっ……」
少女はその場にくずおれた。
武器を奪ってのけたマードも驚いていた。実にあっけなかった。隙があまりにも大きかったのだ。少女が動揺していたせいもあるだろうが、運動神経そのものが鈍いらしい。
少女は尻餅をついたまま、また室内を見渡した。だが、もちろん、武器になるようなものは他にはない。せいぜい、机の上のペン立てにささっているカッターナイフくらいだ。引き出しの中にはなにかあるだろうか? だが、探している時間を敵が与えてくれるとも思えない。
「こ、ころさないで……」
両手をあわせて哀願した。いまにも泣き出しそうだ。
「いや、殺すつもりなんかないけど……」
「ころさないで……おねがい……」
「殺さない、殺さないから、そんなことしないから、落ち着いて」
「嘘よ……きっと殺すわ……」
相手の恐れようがあまりに尋常ではないので、マードの心の中に使命感が生じはじめていた。
この人を救おう。
一言でいえばそうなる。
だからマードは少女の前にしゃがみこんで、真剣そのものの表情と声で、呼びかけた。
「落ち着いて。
ぼくはそんなことしないよ。かわいそうに、よっぽどひどい目にあってきたんだね。でも大丈夫だから、ぼくはそんなことしないし、父さんも、この村の人は誰も、そんなことしないから。ね、だから安心してそこに座って。怪我してるんでしょ、動いちゃだめだよ」
「え……?」
少女は目と口を丸くした。ぱちぱちと瞬きをする。恐怖と緊張は飛んでしまい、ただあっけにとられている。
「……ど、どういうこと?」
「いや、そのまんまの意味なんだけど。一体なにがあったの? いや、その、話したくないんなら、別にいいけど。辛いことだと思うから。とにかく、その」
参ったなあ、小説や映画の主人公は、おびえるヒロインを一発で安心させて、泣きやませて、幸せな気分にさせることまでできるのに。
「……あなた」
「……なに? あっそうか、この銃だね、こんなのぼくが持ってたら安心できないよね。はい、返すよ」
銃口を手前に向け、銃身を握って少女に渡す。
「でも、向けないでほしいな。撃つ必要なんてないんだって、判ったでしょ」
「……ど、どういうこと? なんで私を殺さないの? なんで銃を返してくれるの?」
「そ、そりゃ、当たり前じゃないか」
「あなた、やっぱり……気づいてないの?」
今度はマードが当惑する番だった。
「……なんに?」
「……そう、なんだ……」
「よくわかんないけど、とにかく安心していいから。身体の方は大丈夫? いまちょっとお医者さんがどこかに行っててさ。どこに行ったんだろうねほんとに。とにかく、少し待ってて。そのベッド使っていいから。あ、お腹空いてる? 食欲ある? 食べたほうがいいよ、いまお粥作るから」
「お、お医者さんは呼ばないでっ」
「どうして?」
「その……」
少女はしばらく口ごもった。
「迷惑が、かかると思うから……」
「意味がわかんないよ」
「とにかくだめっ」
「わかったよ。とにかくそんなに怖がることはないから。寝てていいよ」
「……一つ訊いていい?」
「なに?」
「この家、あなた一人で暮らしてるの?」
「なんだそんなことか。父さんもいるよ。今は出かけてるみたいだけど」
「その人にも、会いたくない。私のことは誰にも教えないで」
「……どうして? 父さんは、君をいじめたりしないよ。その、なんていうか、いままでひどい目に遭いすぎて、誰でも悪い人に見えてるんじゃないかな。うちの父さんは、そんな人じゃないよ。ぼくにも他の子供たちにも優しいんだ。それに正義感も強いんだと思う。昔は解放軍にいたんだよ」
少女の表情がまたこわばった。小さな拳をぎゅっと握りしめる。
「解放軍……? ああ、解放軍ね」
どうしてだろう、少女の顔色はこの一言でまた元に戻ってしまった。
「そう。悪い地球人たちをやっつけていたんだ。銀河の全種族を解放するために、虐げられた平民と奴隷を救うために……へへ、これは受け売りで、ぼくも実感できないんだけどね。地球人が支配していた時代なんて、ぼくも知らないんだから」
「そ、そう……すごい人なのね」
「うん。そうらしいよ。だから困ってる人がいたらきっと助けると思うんだ。この間だって、アカスタさんがね、ええとアカスタさんていうのは一人っきりで住んでいる鍛冶屋のおじいさんでね。そのおじいさんが、ちょっと目が悪くなったからもう仕事を引退することになったの。でもこれからどうやって食べていけばいいのか判らないんだって。孫とか子供とかもいないから誰かのやっかいになることもできないんだって。それでね、父さんが機械を作ってあげたんだ。仕事を補助する機械。お代はいりませんから、素晴らしい仕事をこれからも続けてくださいって言ったんだよ」
「へえ……」
ちゃんと聴いているのか聴いていないのかよくわからない様子で、少女はうなずいた。
「それからね、ずーっと前だけど、君みたいに行き倒れが出たことがあったんだ。その人はもっと貧乏な東大陸の出身で、仕事を探しにこの大陸に来たんだけど、見つからなくて、食べ物もなくなって、山の中で倒れちゃったの。その時父さんが通りかかったの。ぼくもトラックも助手席に座ってたんだよ。父さんは血相かえて『大丈夫かっ』とかいってその人を助けて、村に連れて帰って、ご飯を食べさせてあげたんだ。村長は『犯罪者かも知れない、得体の知れない人間を村で養うことはできない』って言ったんだけど、でも父さんがどうしてもって頼んで、元気になるまでぼくの家にその人はいたんだ。だから、君のことも助けてくれるよきっと」
「……だめよ」
少女は首を振った。
「そんなことないって。そうだね、君が、ほんとうに人でも殺していて、それで警察に追われてるんなら、それはやっぱり父さんも許さないと思うけど……でも、違うよね。そういう理由じゃないよね。きみは、そういうことをしてる人じゃないよね」
言い切るマードの眼を、少女はじっと見た。
「どうしてそう思うの」
「そういう人にはぜんぜん見えないから」
少女はそこで手を合わせた。
祈るような動作。そして祈るような表情。
「……うん、やってないわよ、人殺しなんて。悪いことなんてやってない。ただ平和に暮らしていたの。ほんとうにそれだけよ」
マードは彼女の瞳を見た。
その瞳を奇麗だと思った。
そこに宿る感情を信じたいと思った。
「……それなら、何も問題はないじゃないか」
少女は無言だ。
「ああそうだ。自己紹介がまだだったね。ぼくはマード。マードだけで、他にはなにもないんだ。ぼくたちの種族はそうなんだよ。君は?」
「え? え、あ……私はプレア。プレアだけ。私も種族も名字はないの」
「そうなんだ。でも、見たことのない種族だけど……」
「ま、マード君、わたし、ちょっと……」
「あ、ごめん。具合が悪くなった? ご飯くらい食べたほうがいいと思うけど……」
「そ、それより今は寝たいから! 早く寝かせてっ」
「うん」
そのとき、部屋のドアの向こうを、なにかが動き回る音がした。足音もする。
「あ、父さん? 父さん、帰ってきたの?」
大声で呼びかける。
ドアの向こうで「ああ」という声がした。
足音が近づいてくる。
プレアはベッドから飛び降りた。身体に電流でも流されて痙攣したかのように、それは唐突で急激な動きだった。無事なほうの足ではねるように動き、窓に手をかける。ここから逃げだそうとしているようだった。
「ちょっと、だから逃げなくていいって!」
マードは叫ぶがプレアは止まらない。ところが彼女の腕力では、窓の高さまで身体を持ち上げることができなかった。力つき、床にどすんと落ちる。
ドアが開いた。
父が現れた。
細長い、温厚そうな顔。少し小柄で、かなり痩せているからだ。
父は、息子と、それからプレアを見た。
父の目が見開かれた。
二
しばらく前のことである。
ゲンデは、息子の乗るトラックのエンジン音が遠ざかっていくのを聴いていた。
……素直な子だ。
そう思う。
まあ、俺の罰は受けても、行動を買えてくれなければ意味がないわけだが……おそらく変えないだろうな。
なにしろあいつは本気だ。冒険活劇のヒーローを目標にしている。今は無理でも、いつかきっと宇宙に行って大冒険をするんだと、そう思っている。いや、思っているだけならそんな子供はいくらでもいるだろう。だがあいつは着々と、そのための準備を整えつつあるのだ。
あのサンドギヌス号にしてもそうだ。俺の仕事を手伝いながら、あるいは寝る間も惜しんで専門書を読んで技術を習得した。スクラップから仕える部品を集めて、何年もかけて組み立てていった。
ゲンデは居間の椅子に腰を下ろし、独白した。
「……夢をもつのは立派だ。それを実現しようとしているのも」
正直、もう少し現実的な夢なら「叶えさせてやりたい」とすら思うのだ。
ヒーローはただ銃を振り回すだけの男ではなくて、それに相応しい心の持ち主のことだと、わかってくれればいいがな。
たぶん大丈夫だろう。ゲンデは自分の問いかけにそう応えた。
戦争が終わってから二十年。その間にいろいろなことがあった。
戦争の中で、この星の地球人を皆殺しにした。地球人に味方する裏切り者どもにも裁きを与えた。
そのあと、軍には残らずに、故郷に戻ってきた。彼の目的はただ恨みを晴らすことだった。それができた以上、軍にいる必要はない。軍の人々は彼を英雄とか偉大な戦士と呼んだが、それがむしろうっとうしかった。
故郷に戻ってみると、家族は誰もいなかった。妹ばかりでなく、母も父も祖母も消えていた。戦争の中で死んだらしい。
それでも、耐えた。もう恨みを晴らす相手はすべて殺したのだ。この問題は終わった。そう思って、機械屋になった。
愛する女と出会って、結婚して、子供が産まれたすぐ次の歳に、あいつは死んだ。事故死だった。
それから十五年、一人でマードを育ててきた。
おかしな子供だとは思う。だが本当は優しくて勇敢な男だ。それは判っている。
あいつはいい奴で、いまはいい時代で、そして俺は幸せだ。
そう自分に言い聞かせた。
時折、すべてが夢ではないかと思うことがある。
本当はまだ戦争は続いていて、地球人どもが俺達を殺していて、おれたちもそれに正義の報復を加えて、とにかく星中に血の臭いが充満していて、そんな果てしなく続く戦いの中で、ひとときの夢を見ているだけなんじゃないのか。
いまも、そんな錯覚がゲンデを襲っていた。
自分以外誰もいないこの家。
台所で、かなり古い冷蔵庫がたてるブーンという唸り、それから家の外を風が吹く音。
それ以外なにも聞こえないはずなのに。
それでも眼を閉じれば、聞こえてくる。見えてくる。
……苦しい。苦しいよ。
地球人どもが、貴族どもが、おれたち平民の子供をリンチにかける光景。
地球人どもの光線兵器で撃たれ、身体の下から半分を水蒸気爆発で吹き飛ばされた男が、それでもまだ死ぬことができずにうめいている光景。
……これが裁きだ。
報復を行うゲンデたち。とらえた帝国貴族たちをあらゆる手段で拷問にかける。どんなに泣きわめいても決して許しなどしない。そして一人ずつ確実に殺していく。仲間が殺されているところを、強引に押さえつけて見せてやる。
……最後に勝つのは、おれたちだ。
バトル・ビーイングを装着し、ある時は腕を刃に変形させまたある時は身体から翼を生やして、無数の帝国軍とわたりあったあの時。
そして最後に、あのスタジアムで行われた処刑。
あれで終わったはずだ。
はずなんだ。
死んでいった人たちのために、俺は闘った。妹の、戦友たちの死に報いるために闘った。
そして勝った。裁きもすべて下した。あいつらの犯した罪は償わせてやった。
だから、もう全てが終わった。
これで、幸せになれるはずだったのだ。
正しい世界、素晴らしい世界がやってくるはずだったのだ。
だから、俺は今幸せだ。
そうであるはずだ。
それなのにどうして、まだあの時のことを思い出すのだろう。
ただ平和に子供を見守ることは許されないのか。
なにかが残っているのか。殺しても殺して決して消えない何か。亡霊のようなものが。
台所に立ち、茶を入れた。
冷まさずにあおる。口の中と喉が焼けた。
だが、少し気分は覚醒した。こちらの世界に心が戻ってきた。
気のせいだ。すべて気のせいだ。もう地球人どもは死んだ。確かに今の世の中が楽園というわけではない。地球人のかわりに、革命戦争で指導的役割を果たした四種類の種族……ゴドアゴ、クファール、ドロパ、アスキュルが銀河を支配するようになった。彼らはかつての地球人ほど独裁的ではないが、すべての種族を平等に扱っているとは言い切れなかった。また平和が訪れたとも言い切れなかった。四つの種族、とくにゴドアゴとクファールは対立しており、戦争になることも考えられる。すでに銀河のあちこちで小競り合いが起こっていた。
だが……それはおれには関係ない。おれは理想社会実現のために軍に身を投じたわけではない。闘うこと自体が好きだったわけでもない。目的は一つだ。ただ仇を討ちたかった。そしてそれは終わったんだ。
……なにもかも、終わったんだ。
その時、壁にかけられていた電話が電子音を発した。
「……もしもし。はい、ゲンデの店ですが……村長? 村長ですか、息子さんの車の件でしたら……え、違う? いますぐ役場に来てくれ? どういうことです」
電話はすぐに切れた。
「……なんだ?」
不審に思いながらも、ゲンデは家を出た。村の中心にある村役場までは歩いていける距離だ。
すでに村役場の会議室には人が集まっていた。ゲンデは眉をひそめた。あまりに人が多い。村のほとんど全員が呼ばれている。
ゲンデたちがやってくると、村長は太った身体をゆすってホワイトボードの前に立った。
またゲンデは不審に思った。あの村長の顔はなんだ。顔の筋肉繊維が一本残らず硬直してしまったかのような奇怪な表情。身体の動きもぎこちない。緊張と恐怖をおぼえているらしい。
村長は全員を見渡した。
「実は……」
村長はそこで言葉をくぎり、痛みをこらえて無理矢理吐き出すように、次の言葉を発した。
「……地球人の生き残りが、この村近くにいるらしい」
ただでさえ暖房が弱めだった室内の空気が凍結した。
「……なんだとっ」
ゲンデは椅子を蹴って立ち上がった。
「ばかな!」「まだいたのかっ」「どういうことだ、根絶やしにしたはず」「まずいですぞ、早めに処分しないとこの村ごと」「そうです、政府と軍に全面協力して狩りだしましょう」「地球人狩りに貢献すれば割当金を増やして貰えるかも」「いや、そんなこといってる場合じゃないっ。地球人だぞ。何をしでかすかっ」「そうじゃ、なにしろ地球人だからなっ」「うちの娘は大丈夫かしら」「いや、連中はきっと」
「静かにしてくれんかっ!」
村長は言った。だが静まらない。
「みんな、黙るんだ」
村長が怒鳴っても耳を貸さなかったのに、ゲンデがそう一言言っただけで、全員が見事に沈黙した。彼の声はむしろ抑え気味だったが、形にできない力に満ちていたのだ。
「村長、続きを」
「すまん」
「いや、いい。説明を」
「うむ。実は地球人どもは、街の地下深くに隠れておったらしいのだ。そこに人工冬眠装置を持ち込んで眠っていた。つい数時間前に地表に出てきた」
「……数は? 戦力は?」
胸の中に、冷たい塊が膨れあがっていくのを感じながら、ゲンデは言った。
「……数はたった四人だ。家族と、召使いが一人。召使いは我々と同じエンファード人だ。装備は貧弱だった。たまたま出くわした車が猟銃で武装していたんだが、それだけで十分に殺せたらしい」
「それならいい。高位の貴族じゃないな。全滅させたのか」
「いや、一人逃がしたんだ。ナノマシンで囮を作られて……」
「ふむ。警察に連絡は?」
「もうしてある。首都から警察隊が来る。だからすぐにかたはつくはずだ」
村人たちの間に安堵の色が広がった。
「……よかったよかった」「たった一人か」「武器はほとんど持ってないんだろう?」「簡単に捕まえられるんじゃないか?」
その様子を見て、村長の硬直した顔は少しだけ和らいだ。だがまだ声から緊張は抜けない。
「安心するのはまだ早い。なにしろ地球人だ、どんな卑怯な手を使ってくるかわからん。戦争の時にもいろいろあった。なあ、ゲンデ」
「……そうだな。警察にまかせるのは構わないが、おれたちも備えを怠るべきじゃない。それに……」
ゲンデはいつの間にか拳を固め、自分の目の前で握りしめていた。それに気づいたゲンデは言葉を切り、突き上げられた自分の拳を不思議そうな眼で見て、続けた。
「……それに、地球人は、できればこの手で殺したい」
「……そうだな」
村長はうなずいた。その言葉を口に出すことで、彼の顔は変化した。おびえる肥満体の男ではなく、戦意に燃える男の姿がそこにあった。
その眼を見て、ゲンデは微笑した。微笑したまま言った。
「……殺して殺しつくしたつもりだった。だが、まだ生き残りがいた。すべての地球人を根絶やしにすると決めたことを、私は忘れない。私は、警察に全面協力して地球人を狩る。ただ家にとじこもって、地球人の襲撃に備えているだけでは駄目だ、どう思う」
「おれも」「私も」「俺もそう思う」
四十か五十くらいの、あの戦争を知っている人々は一も二もなく賛成の声をあげた。
「……ぼくも地球人と闘う」
村長の息子も言った。戦争の頃はまだ赤ん坊だったと思われる歳で、父親と比べて痩せているが、あまり気が強そうに見えないその容姿は親譲りだった。
「よし、決まりだな」
「村長、その地球人に関する情報を」
「若い女だ。その女が持ち出した装備は浮遊スクーターが一台だけで、それも今は破壊されている。武装は拳銃が確認されているだけだ」
「問題はナノマシンの装備だ。下級貴族とはいえある程度は持っているはず。それは確認できないのか」
「できない。C級ナノアセンブラを一セット持っていることはわかったが」
「情報が足りないな。ともかく移動手段がないのだから、取れる手段は少ない」
ゲンデは指を一本立てた。その眼には冷たい、だが貫くような激しい光が宿っていた。かつて闘技場で地球人たちを処刑したときの光そのものだった。
「ひとつ、山にひそんで警戒がゆるむのを待つ。ふたつ、近くの人里にあらわれ、武器と移動手段を手に入れる」
村長がうなずいた。
「第一の手段には山狩りだな。うちの車を出そう。ゲメン、お前の店にはどのくらい銃の在庫がある?」
ゲメンと呼ばれた中年の男は、太いまゆを震わせて答えた。
「猟銃と二十。拳銃が十五。うちは普通の銃砲店だ、そのくらいしかない」
「数は不足してないと思う」
「おれも手伝おう。地球人が多少の装備と経験をもっていれば、山中に一定期間隠れるのは難しくない。ただ上空から車で見ただけでは発見できないはずだ。徒歩での索敵を併用するべきだ。偽装を見抜くには一定の経験が必要だ。
バルマム、ライネ。あんたたちは確か、戦争では歩兵だったな。エイルナガウ辺りで闘っていたんだったか」
バルマム、ライネと呼ばれた痩せ型の中年男二人はうなずいた。
「エイルナガウにいた。あの地方の貴族の館を主に攻撃していた。山岳戦の経験もある」
「私もだ。私は最初からこの星の闘いに参加していたから、もっぱら山に隠れる側だったけどな」
「よし。ぜひ山狩りに参加してくれ。おれが指揮をしよう」
「ああ、ゲンデがやってくれると心強い」
「それから第二の手段だが、実はこちらの可能性も否定できない。山狩りで村からは人が減る。そのときに忍び込んで車を奪う。その可能性だ。そこで、自警団で村を見回ろう」
「自警団ならすでにあるぞ」
「今の連中ではだめだ、緊張感が足りない。数は少なくとも精鋭がいい。編成を変えるべきだ。俺に任せろ」
そのとき村長の息子がいった。
「あの」
「どうした」
「ずいぶん楽しそうですね。情熱的というか、若々しいというか、ぼくが普段知っているのとはぜんぜんちがう」
ゲンデは笑った。
線が細く、知性はともかく凄みというものをまるで感じさせない顔立ちであるはずなのに、村長の息子はその微笑みを見てたじろいだ。目に見えない圧力を感じた。
「……当然だ。あんたはまだ若いから判らないかも知れないが……おれたちにとって、あの戦争は現実なんだ。つい昨日あったことなんだ。地球人たちがおれたちを大勢殺したことも、おれたちが報復したことも、そのまた報復も、爆撃で瓦礫になったビルも、シェルターにぶちこまれる火炎放射器も、地雷で足を吹き飛ばされて呻いている奴も、そいつにとどめを刺してやらなきゃいけなかったことも、すべて、ついこの間のことなんだ。それがいま蘇ってきた。やっと幸せで、平和な暮らしが出来ると思ったのに……まあ、当然のことだ、忘れたかったが、忘れられるはずもない」
「そういうことだ。さあ、山狩り部隊はもう出るか」
「ああ、そうだな。待て。場所が広すぎる、赤外線センサーのようなものが必要だ。ガレージにあったはず、取ってくる」
「ところでゲンデ、マード君は?」
「今でかけている。そろそろ戻ってくるはずだ。あいつはさすがに山狩りには参加させられん。家でおとなしくしているように言うしかない」
「彼は正義の味方に憧れているんだろう、大喜びでついてきそうだが」
「だからまずいんだよ、村長。あいつは銃弾に頭から突っ込んでいきそうだ。自分は主人公だから弾は当たらない、といってな」
「違いない」
「では、すぐに戻ってくる」
とそう言ってゲンデは走り出した。
すでに身体の中を、灼熱した何かが駆けめぐっている。その一方の頭の中は、どこまでも冷めていく。この二十年忘れていた感覚。
殺す。ただ殺す。
それだけが救い。
自分の家まで一気に駆けてきた。息は少し荒くなっているものの、足は軽快に動く。
ガレージに行った。
預かっている車やロボットがずらりとならんでいる。壁に工具が掛けてある。一番奥には、シートをかぶせられた細長い物体がある。大型トラックと、山のような部品があるのを見て、ゲンデは安心する。
マードの奴、ちゃんと帰ってきたようだな。
さて、赤外線センサーは……これと、これを転用すれば大丈夫のはずだ。これは少し精度に問題があるだろうか。
よし、これでいい。
戻る前に、一言マードに言っておこう。ただ家から出るなというだけでは怪しむだけだろう。地球人がいるとちゃんと教えたほうがいい。
いくつかの機械をリュックに放り込んでガレージを去り、家のドアを開ける。
家の中はごく狭い。
何か話し声がする。
マードの声。電話でもかけているのか。いや違う。マードの部屋からきこえくる。あいつの部屋に電話などない。それに話し声は二人。もう一人、女の声はだれだろう。
「父さん? 父さん、帰ってきたの?」
ドアの中から声がした。
「ああ」
そう答えて、ドアを開けようとする。
部屋の中から、どたどたっという物音がした。誰かが転んだような。
ドアが開いた。
部屋の中には、マードと。
それから床に這いつくばった一人の女がいた。まだ十代なかばといったところだろう。いや、そんなことはどうでもよかった。骨でも折っているのか、片足に包帯を巻いて添え木を当てている。
いや、それもどうでもいい。
重要なのは、長い金色の髪をもっていること。白い肌をもっていること。こちらを見ている、その恐怖をたたえた瞳が茶色であること。
肌の色、髪の色、眼の色と鼻や耳の位置、形が、顔の骨格までもが、ある種族の外見特徴と見事なくらいに一致していること。
銀河には三万種類もの知的種族がいるが、この外見をもつ種族を、ゲンデは一つしか知らなかった。
彼の口から、かすれた声が飛び出した。
「……地球人!」
三
その言葉をきいた瞬間、プレアは激しく動いた。
片足で床を蹴り、マードにとびつく。正確には、マードが持っている拳銃に。プレアは拳銃を奪い取ると、膝をついたままの姿勢で、ドアの向こうにいる男に銃を向け……
だが、男の動きは彼女よりも早かった。
次の瞬間、男の身体が目の前にあった。そのまた次の瞬間、視界の中でなにか黒い細長いものがひらめいた。足だった。手首に衝撃。拳銃が吹き飛んだ。
もう一度、黒い棒がすっ飛んでくる。側頭部に重い一撃が浴びせられた。声をあげることもできず、プレアは真横に倒れる。
身体を起こそうとした。だが男の身体が降ってくる。プレアの上に腰を下ろした。
この間、一秒とかかっていない。
「と……父さんっ?」
「マード、危ない所だったな」
「なにをやってるんだ、その女の子は……」
「まさか、気づいていなかったのか。こいつは地球人だ」
マードは絶句した。父とプレアを交互に見る。
「え……あ……ち、地球人? あ、あの地球人?」
「そうだ。地球人。銀河を一四〇〇年もの間支配し隷属化した、憎むべき圧制者。我々の仲間を何百万人も殺した、絶対の悪」
ゲンデの口調は、何かの教典を読み上げているかのようだった。
「ち、ちがうよ、何かの間違いだよっ。プレアさんはただ怪我して、追われてて……」
「地球人だから、だ。つい数時間前、生き残りの地球人が発見された。地下のシェルターから這い出して、すぐにおれたちに見つかった。三人は仕留めたが」
そのときプレアの顔が歪んだ。
「一人だけ逃がした。そいつの乗ったスクーターが森に突っ込んだところまで確認している。その足は、その時に折った。そうだな」
「……」
「なんとか言ったらどうだ」
「違うよ父さん」
「マード、この女に何をされた? 脅されたのか? もう大丈夫だ、この女はもう何もできない」
「と、父さん何言ってるの……?」
「おい、答えろ」
プレアは答えなかった。ただ、自分を見下ろしている男に向かって、刺すような視線を浴びせ続けている。まるで呪い殺そうと試みているかのように。
「まあいい。認めなくても同じことだ」
そういって父は立ち上がった。自分を圧迫していた体重が消え、すぐにプレアは手をついて逃げだそうとする。
「……立て。逃げたら殺す」
その言葉は平静そのものの態度で発された。それだからこそプレアは震えた。
「……わかったわ」
「ほう、ちゃんと口が利けるじゃないか。立って、両手を壁につけ。マード、拳銃をくれ。この女は他に武器を持っていたか?」
「父さん! プレアさんが地球人だって?」
ゲンデは露骨にあきれた顔をした。
「お前はまだそんなことを言っているのか」
「だって、プレアさんはぜんぜん違う!」
ゲンデはマードの顔を見た。その顔に怒りが浮かんでいるのを確認した。
「映画に出てくる地球人のような悪人面ではない、そう言いたいんだな。……外見に騙されるな。男だろうが女だろうが、子供だろうが、地球人であることにかわりはない。さあ、銃だ」
「父さん、プレアさんをどうするの」
「決まっている。警察に突き出す。その前に、おれたち村のみんなで処刑してもいい。どうせ処刑は決まっている。なんだったらお前も処刑に参加させてもいい。どうだ、お前が望んでいたヒーローの行為だ。悪を裁く正義の行為だ」
とっさにマードは叫んでいた。
「……違う! そんなのはヒーローじゃない!」
彼は、動いた。
「マード?」
ゲンデの顔が驚愕に歪んだ。
マードが部屋の真ん中に立ち、拳銃を向けていた。自分に向かって。
先ほどまでのとまどいと恐慌は彼の表情から消えていた。今の彼は、怒っているようにも、苦痛をこらえているように見える。
ゲンデは拳銃の状態をちらりと確認する。もう、あとは引き金を引くだけで撃てる状態だ。
「……父さん、プレアさんを放して」
「お前、自分が何をやってるのかわかっているのか。この女は地球人だぞ」
「放して」
「銃を降ろせ」
「その前に放して。プレアさんを殺さないって約束して」
「そんなことはできん。地球人は全て滅ぼさなければいけない」
マードの手の中で拳銃がはねた。
爆竹が破裂するような短い銃声がとどろいた。
銃弾はゲンデの頭上にそれ、壁に突き刺さった。
「こ、今度は本当に当てるよ」
「……わかった」
ゲンデはプレアから数歩離れる。両手を高く挙げた。
マードは片方の手でゲンデを狙いながら机に近づき、もう片方の手で引き出しをあけた。
そこから出てきたのは板状の機械だった。モニターが一つと、ボタンがいくつかついている。マードはその機械を操作した。
「……サンドギヌス号、起動」
ぼそりと、機械に向かってつぶやいた。
「……お前」
ゲンデが言った。
「そうだよ、ぼくは逃げる。プレアさんを連れて逃げる」
「……なぜだ?」
マードは口ごもった。
「……そうか。後悔するぞ」
その時、部屋の壁が突き破られた。
壁が破壊され、そこから現れたのは、きらきらと光る金属。銀色の巨大なナイフ。
ナイフは室内に突き込まれ、反対側の壁まで突き破り、そこで停止した。
それはナイフではなかった。細長い三角形の宇宙船。レーシングカーのようにも刀剣のようにも見える形。
刀身の真ん中あたりにある風防が開いた。
「プレアさん、乗って」
「え、あ、うん」
プレアは手をかけて、よじのぼった。マードが手を貸した。マードはすぐに飛び乗った。直後に風防が閉まる。
二人を収容した宇宙船は、ふわりと浮き上がった。天井を破り、木片をまき散らし、空に消えていく。
それをゲンデは見上げていた。
外の冷め切った空気が吹き込んできた。
ぽつりとゲンデは呟いた。
「……ヒーロー? ヒーローだと?」