第三章
一
コクピットはひどく狭かった。ほとんど胴体分の幅しかないシート。前方にはモニターが張り出し、頭上には透明な風防が迫っているせいでその閉塞感はさらに増す。
「プレアさん、ハーネスの締め方判る?」
マードは振り向いて言った。
「わ、わかるけど……たぶんこうだと」
「ちがう。そっちじゃなくて」
プレアが目と口を見開いた。
「ま、前っ!」
「大丈夫、見てなくてもまっすぐ飛ぶよ。これは浮遊車じゃなくて宇宙船だから、自動操縦装置もちゃんとしたのが積んである」
そう聞いて安心したのか、プレアは口を閉じた。どこか虚脱したような、呆けたような表情と手つきで、ハーネスをとめる。
「うん、それでいい」
マードは前方に向き直った。
風防越しに見えるのは、灰色の雲と、ところどころからのぞく真っ黒な空。
晴れつつあるようだ。
「……ねえ」
プレアが呼びかけてきた。
「なに」
「どうして助けてくれたの」
その声はひどく震えていた。
マードは右斜め下を見た。そこには宇宙船サンドギヌス号を制御する手段の一つ。サイドスティックが生えている。そのすぐ下に、革製のホルダーが張り付けてある。今はそこに拳銃が収まっていた。
その拳銃を凝視した。
……ぼくは父さんを撃った。当てなかったとはいえ、撃ったんだ。
どうしてだろう。どうして撃てたんだろう。
親を撃つなんておかしいのに。ずっと一緒にくらしてきたのに。大切な家族なのに。
でも、あの言葉をきいたら。
地球人は殺すのが当然だ、それがヒーローだって言葉をきいたら。
身体が勝手に動いて、銃を向けていた。そして撃っていた。
その時なにを考えていたのか、自分でも判らなかった。なにか言葉にできるようなものは考えていなかったのじゃないか、と思う。
だからマードはこう答えた。
「……実は、ぼくにもわからないんだ」
「え?」
「おかしいよなあ……だって地球人はすごく悪いんだって、学校では教わったのに。学校ではね、初等学校の一年生の頃から、地球人は悪いんだ悪いんだって教えられるんだ。歴史の時間は、地球人はぼくたちの星の人を何人殺したって、それにぼくたちの星の革命家たちはどうやって立ち向かったかって、そればっかりだし。道徳の時間も、地球人のようにならないようにしましょうって言うし。映画もよく見せられるんだ。この星の貴族が、ぼくたちを闘技場で殺し合わせて、それを見てゲラゲラ笑って……戦争中に、帝国側の兵士が……」
そこでマードは言葉を切った。後部シートのプレアが沈黙していること、ただの沈黙ではなく、息をのんで言葉を失っていることに気づいたからだ。
「……とにかく、そういわれて……ぼくもそう思ってたんだ。親もそういうふうにいったんだよ。地球人は悪いんだ、自分たちは勇敢にそれと戦って勝ったんだって。学校にいってないくらい小さかったころ、『ぼくも大きくなったら地球人をやっつけるんだ』って言って、みんなに笑われたんだ。もう地球人はいないんだ、倒したんだって」
「……それは。誰が言ってるの。つまり、やっぱり、この星は革命軍に支配されているのよね」
「ちょっと違う。この星の革命軍はロールヴァーゲを倒した。そのあと、銀河解放戦線っていう、銀河系全体の革命軍がやってきて……地球帝国が完全に滅んだあと、その解放戦線がすべての星を治めることになって、それからまたいろいろあって、銀河系はいろんな国に分かれたんだ。いまのこの星は、『ドロパ連合王国』の一部だよ」
「ドロパって、惑星エバーグリーンの原住民のこと? 尻尾が生えてて、身体に模様を描いている人達」
「そうだよ」
モニターに表示されている機体コンディションメッセージに変化がないことを確認して、マードは答えた。
「知ってる。暴動の中心になってる種族の一つだって。そう、あの人達が国を作ったんだ……でも、あなたはなぜわたしを殺さないの? そういう国にいて、そういう風に教えられてきたのに、どうして……」
「それがぼくにも判らない。ぜんぜん、さっぱりわからなくて、だからとても不思議なんだ。ただ、気が付いたら撃ってた」
「じゃあ……」
シートの上で身体をよじる音が、後ろから聞こえてくる。
「大丈夫。考えてみたらやっぱり殺すべきだった、とかそういうことは言わないよ。自分でもぜんぜん判らないけど、とにかく」
「……助けてくれるのね?」
「ああ。そのつもりだよ」
「……どこに逃げるの?」
「そうだね……」
マードが考え込んでいた時間はごく短いものだった。
「まず、プレアさんは姿を変える。そうだよ、地球人の格好のままじゃ、いくらなんでもすぐに捕まるよ。プレアさんはずっとこの星にいたのかな? だったら知ってると思うけど、この星の住人の大部分は、ぼくたちエンファード人。肌の色が緑色だってだけで、ほとんど地球人と変わらないよ。ごまかすことはできると思う。身体と髪に色を塗って。そのあとは、そうだな……すぐに他の星に逃げよう。この星のなかでいつまでも隠れていられるとはとても思えないよ。広い宇宙に出れば、探す方も難しくなると思うよ。
地球人がこの星で見つかるなんて、ほとんどなかったことだと思う。もう十年くらい、そういうことはなかったはず。だから、すぐに警察とかも対応できないんじゃないかな。もう地球人なんていないんだって油断しちゃって」
プレアは溜息をもらした。どこかとまどいを含んだ声で、疑問を投げかける。
「……こわがってないね……なんか楽しそうなんだけど……どうして? ええと、マード、くん?」
「マードでもいいよ。その、なんていうかな、映画みたいだと思って。ぼくは子供の頃から、映画に出てくるヒーローになりたかったんだよ。『銀河英雄パーン・サーディ』シリーズって知ってる? もう六十作も作られてて、こないだ超光速ネットで最新作が……知るわけないか。そういう戦いとか冒険とかの映画があってね。父さんに笑われても、友達に変な目で見られても、ぼくはそういう風になりたかったんだ。宇宙に行って冒険の旅に出る。悪い宇宙海賊と戦う。お姫様を助けて、国を乗っ取った悪い大臣を倒すとか。とにかく正義の味方が悪い奴と、ものすごい射撃の腕とか、超高性能宇宙船とか、天才的頭脳とか、そういうのを使って戦う、かっこいい主人公の話。
だからこの船を造った。サンドギヌス号。大変だったよ。壊れた機械の、いらない部品を少しずつ外して、父さんの仕事を手伝って技術を覚えて、それで何年もかけて……なんの話だったかな。それで、ぼくは……」
プレアの声にふくまれたとまどいの成分は、先ほどよりもさらに濃いものになっていた。
「……じゃあ、なんか映画のヒーローみたいでかっこいいから、今の状況が楽しいっていうの?」
マードは振り向き、風防と座席の隙間から顔をのぞかせ、プレアを見つめた。
「ちょっと違うよ。昔から憧れていたことができたから、楽しいんだ。おかしいかな。……おかしいよね、うん、おかしい。でも父さんの言ってることは絶対、それよりもっとおかしい。だってプレアさんを殺しちゃうのが当然だって言うんだ」
「……他の人達みたいに、地球人は悪いことをしたから殺していいんだ、とは思わないんだ?」
「だって、プレアさんはそう見えないもの。いや、地球人は悪いのかも知れないけど。でも、なにも聞かずに、調べずに殺そうとする人達のほうがもっと悪いよ。プレアさん、悪い人じゃないよね。殺されても当然なくらいの悪いこと、してるわけじゃないよね」
プレアは一瞬だけためらったが、すぐに首を振った。
「……そんなこと、してない。ただ普通に生きていたかっただけよ」
「じゃあ、何も迷うことはないよ。
ありがとうプレアさん。自分でもなんであんなことしたのか判らなくて不安だったけど、話してるうちにわかってきたよ。
あ、プレアさんのことはあとでじっくり聞かせて。ちょっとそれどころかじゃなくなるから」
「え?」
マードはモニターに目をやり、そこに流れた文章を読むと「よし」と言った。
ホルダーに入っていた拳銃をつかむ。
二
その男は褐色の顔に、血管のようにも網の目のようにも見える紋様を描いていた。顔だけではなく、冬だというのに剥き出しになった太い二の腕にも、エンファード人ではない。肌の色が違うし、もっと大柄で、瞳は金色に輝いていた。
現在の銀河系を治めている「四大種族」の一つ、ドロパ人だった。地球人が銀河侵略を開始した直後から抵抗活動を続けてきた、つまり千四百年間戦い続けてきた、戦士の種族。全身に魔術的な紋様を書き、肉体を鍛えることを尊び、精神を鍛えることをそれ以上に尊ぶ。
ドロパ人の男は、黒光りする袖無しのジャケットを威圧的に光らせ、手にした大型電磁ロッドを槍のように床に突き立てた姿勢で、怒りの言葉を発した。
「……どういうことだね?」
ここは村役場の会議室である。
ドロパの男と向かい合っているのはゲンデだった。ドロパの男は
「いま申し上げた通りです。私の息子マードが、地球人を連れて逃げました」
マードとプレアが飛び去っていくのを呆然と見守っていたゲンデだが、彼が自失していた時間はそれほど長いものではなかった。彼は判断力を取り戻すや否や村役場と警察に連絡を入れた。すぐに警察はドロパ人の警部とその部下たちを送り込んできた。こうして彼は警察の尋問を受けているのである。
「詳しい状況は」
「あ、あの、ガルハラ警部」
村長がおずおずと呼びかけた。
「なんだね」
「この男ゲンデは、二十年前の革命戦争では大活躍したのです。ですからこれはきっと何かの間違いです。地球人と結ぶようなことは……」
「それは関係ない、村長。前歴に関わらず、悪は悪、罪は罪だ。その息子とやらが一人で地球人を逃がしたのか。その間、父親である君は黙って見過ごしたわけか。それは十分な罪といえる。惑星クーベルンの例を知らないわけではあるまい」
ゲンデは苦々しい表情を緑の顔面に張り付けたままだったが、村長は「ひっ」と声をあげた。
惑星クーベルンは、ドロパ連合王国の端にある田舎惑星で、そこには革命戦争から逃れてきた地球人たちが隠れ住んでいた。文明を捨て、宇宙船どころか電気も自動車も使わずに暮らしていたのでなかなか発見できなかったのだ。ナノマシンや重力制御などに頼り、多くの召使いにかしづかれていた地球人たちにとって、鍬一本で大地を耕し鋸で丸太を切って家を建て、という生活はさぞ苦労に満ちたものであったはずだが、彼らはそれでもその生活に適応していた。その惑星には地球人以外にも住人がいたが、かつての罪をわび、素朴な生活に移った地球人たちを彼らは許し、かばったという。
十年ばかり前、クーベルンに住む地球人たちはついに発見された。警察ではなく、ドロパ王立宇宙軍の艦隊が派遣された。艦隊は宇宙空間からは砲撃を行い、超高熱で地球人たちの集落を焼き尽くした。惑星上に住む他の種族は抗議したが、艦隊は抗議を受け入れず、そればかりか「地球人を隠匿・保護した者は地球人と同罪とする」という王国政府の意向を受けて、その住人たちまで焼き殺し、わずかに生き残った者達は情報収集のため捕虜とされた。捕虜たちはいまだ王国の収容所にいるという。
これをドロパだけでなく多くの国が支持した結果、「地球人をかばったものは地球人と同罪」という社会通念ができあがった。
「ま、まさか。そんな無茶です警部。あの時の地球人は何十万人という数でした。今回はたった一人です。何の力もありません。クーベルンの時は、『地球帝国残党による反乱を防止するため』ということでしたが……」
「今回も同じだ。たった一人であっても地球人は悪。力があるないの問題ではない。存在それ自体が悪であるものについて、論議の必要などない」
ガルハラ警部は電磁ロッドをしっかりと握り、天井に向けた。大気を切り裂くような勢いのある、だがスムーズな動作だった。
「……我ら『大地の声をきくもの』は誓う。悪しき地球の呪縛を断つことを。流された血を、倍する血によってあがなわんことを! これは我々が、革命戦争のときによく叫んだ誓いの言葉だ。この言葉が我々に力を与えてくれた。むろん、この約束はいまだ反古にはされていない」
ガルハラはロッドを下ろした。
「わかりました。説明します。しかし、それほど大したことではありません。私は息子に、部品の買い出しに行って来るよう頼んだのです。その買い出しの途中で、息子は地球人の女を拾ったようです。私が留守の間に、息子は地球人の女を家にあげて看病していました。この時点では、その女が地球人であると判っていなかったようです」
ガルハラは四角い顎を、太い指で撫でさすった。
「あり得ない話ではないな。年齢からして、地球人を見たことがないのだろう。学校教育や娯楽作品で与えられる地球人のイメージは醜悪に歪められている。外見では判らないのも無理はない。で、その後は。地球人であることを君はもちろん教えたんだろうな」
「ええ。しかしマードは信じませんでした。やがて信じたようでしたが、それでもその女を守ろうとしたのです」
会議室の空気が明らかに変質した。村長は、目に見えない力に張り飛ばされたかのように一歩後ずさった。
ゲンデは一人泰然としているが、このゲンデの言葉は決定的だった。地球人であると知らずにかばったのは単なる無知にすぎないが、知った上でかばったとなると明らかな「革命に対する反逆」である。
「それは何故だね」
怒りも悲しみもあらわさず、ガルハラは尋ねた。
「おそらく、マードは勘違いしているのです」
「勘違い?」
「わたしは、俺はマードを一人きりで育ててきました。あいつの母はすぐに死んでしまいましたから。だから『こういう人間になれ』というのも、俺が教えました。ただ言葉だけでは伝わらなかったようです。俺が身をもって、革命の敵を倒すために戦って見せればよかったのでしょうが、俺はそれを怠っていました。もう敵はいなくなったのだと思って、ただ毎日をなんとなく過ごしていました。マードは間違ったことをした時も、厳しく叱ることはありませんでした。たった一人しかいない子供ですし、死んだ女房も、あいつには優しかったですから。それでいいと思っていたんです、俺が教えるまでもなく、あいつは正義感の強い子供で、弱い者には優しかったですから」
「そんな子供が、なぜ反逆行為を行ったのだね」
「マードは、俺からではなく、映画から、小説から、正義を学んだようです。あいつは学校にあがるより前から、英雄の物語を好みました。革命戦争を扱ったり、あるいはもっと荒唐無稽な、宝探しの物語、海賊退治の物語……そんな物語の、主人公の行動に正義を感じていたのです」
「話が見えない。長引かせても意味はないぞ」
「だから、です。そういった物語の中には、悪の組織や国家に追われる少女、主人公が守って戦うというものがよく見られます。彼は、自分が物語の主人公になったつもりなんです。彼は物語に憧れるあまり、現実の区別がつかなくなっているのです」
ここでゲンデの、仮面のようだった表情が揺らいだ。緑の皮膚が震える。筋肉が引きつり、怒りの表情を形作った。これまで抑えてきたものが、心の亀裂から一気に噴き出したかのようだった。ガルハラを見ることなく、目を伏せて、恥じるように、彼は言葉を続けた。その声にも怒りの要素が充満していた。
「……すべては、本当の正義というものを教えられなかった俺の責任です。現実とお話の区別がつかない子供を育ててしまった、俺の責任です」
「なるほど、判った。で、君はまずその罪をどう償うつもりかね」
「ガルハラ警部、それは警察の領分では」
「黙っていたまえ。これは私の個人的興味で訊いているのだ」
ゲンデは顔をあげた。細い顔には、いまだ抑制できずにいる怒りの炎があった。目には、それと裏腹の鋭く冷たい光がある。
「必ず狩りだします。この手で」
「自分で処刑するというのか。地球人をか、それとも息子をか」
「両方です。地球人が悪だということを、どんな理由があっても彼らは敵で、守ってやるべき者ではないということを教えてやらなかった俺が悪いのです。俺が決着を付けます」
「面白い。いい目だ。戦争の時によく見た眼だ。戦争では活躍したというのは本当なのだな」
「ゲンデは英雄なんです。この星を解放したんです。だからゲンデ本人に罪があるなんてことはっ」
村長のうわずった声は、とぎれた。他ならぬゲンデ自身が、片手をあげて遮ったのだ。
「……活躍というほどのものではありません。ただ、殺された者の仇を取りたかっただけです。妹が地球人に殺されたんです。いつも頭の中に、お兄ちゃん助けてと、泣き叫ぶ妹の声が聞こえるんです。どんなにどんなに消そうとしても消えない。だから殺せばいい、妹を殺した奴を殺して、償わせてやれば、その声は消えるだろう、妹は喜んでくれるだろうと思ったのです」
「なるほど。それで声は消えたかね」
「消えませんでした。とぎれることはあっても、何度も何度も蘇ってくるのです。助けて助けてと。泣いているのです。
……今も聞こえています。
俺が悪かったのだと、そう思っています。まだまだ、償わせ方が足りなかった。たった一人の領主、たった一つの星を片づけただけで俺は逃げた。もういいんだと自分を納得させた。武器をすてて、軍をやめて、平和な生活に逃げ込んだ。妹が殺される前に戻ったかのように、機械いじりをして毎日を過ごした。女とつきあい、子供まで育てた。
本当には、その前にやることがあったはずなのに、響いてくる声に従うべきだったのに、俺はそれを怠った。その結果がこれでした。そう思っています」
村長が呆然として、うめくような声を発した。
「ゲンデ、あんた、あんた、そんなことを」
「ああ。自分でも、これだけはっきりと自分の考えを喋ったのは初めてだ。だが、これは俺の本音なんだよ」
がつん、という音がして、村人たちは電撃に撃たれたように身体を震わせた。
ガルハラだった。彼は電磁ロッドで床を勢いよく突いたのだ。そして何度もうなずきながら言った。
「興味深い。君は自分の罪を償うため、我々と共に行動し、息子と地球人を見つけだす。そのとき、君が怒りのあまり二人を処刑してしまった。そういう筋書きでいいかね」
「上にかけあってくれるんですか」
「私もそういうのは嫌いではない」
「わかっていただけて有り難いです。もちろん、それだけで罪が消えるとは思っていません。マードと地球人を処刑したのちには、私の罪を問うてください」
「そこまで覚悟しているなら、私から言うことは何もない」
「まず最初に。マードがいまどこにいるか、どうすれば捕らえられるか、ですが」
「何か手がかりがあるのか」
「これです」
ゲンデは、作業着の胸ポケットから一枚の写真を撮りだした。平面写真だ。
古代地球の戦闘機のようでもあり、レーシングカーのように見える物が移っていた。丸い風防、細長い胴体、二つのエンジン。
「なんだこれは。浮遊車?」
「宇宙船です。マードはこの船をサンドギヌス号と呼んでいます。あいつが作った船なんです」
「作った! 子供がか? 君も手伝ったのか」
「いえ、あいつが一人で。俺の仕事を手伝いながら、少しずつ部品を集めて。ヒーローは自家用の宇宙船で宇宙を冒険するものだ、自分もいつかはこれで、と言っていました。あいつはこの船で、地球人と逃げました。この船の外見的特徴ははっきりしています。探しやすくなるでしょう」
「彼が、この船を捨てて別の移動手段に乗り換えることは考えられないのか?」
「まずないでしょう」
ゲンデは即答した。
「あいつは三年近くかけてこの船を造ったんです。ヒーローになりたいという願望の結晶が、この船だったといってもいい。それを捨てられるはずがない」
「わかった」
ガルハラはうなずき、またロッドで床を突いた。
「やはり父親だな、息子の考えることは判るということか」
「そうですね。しかし、わかっていても防げなかったのだから意味はありません」
三
プレアはきょろきょろと周囲をみまわしていた。
彼女が落ち着かない様子なのも無理はなかった。
彼女とマードは、二人がけの固い椅子に並んで座っている。前にも後ろにも同じような二人がけの椅子が並んでいる。通路を挟んで、もう一つ椅子の列。椅子にはびっしりと人が座っていた。ある者はマードと同じエンファード人。またある者は全身を短く白い毛に包み、頭の上に三角形の耳を生やしたバステ人。四本の腕を持つ種族、身体を鱗で覆った種族、首のない種族、とにかくいろいろだった。椅子はマードたちにとっては大きめに作られているが、それでもすべての種族の体格をカバーできるわけではなく、実に窮屈そうにしている種族もいた。
ここはとある旅客宇宙船の船内。定員八〇人の小型客船。一日かからない近距離航路専用だ。個室もベッドもない。船内は観光バスに似ていた。
マードは、側面の壁に埋め込まれた窓代わりのモニターを見つめていた。そこには星々が映し出されている。
プレアはマードの手に、指を走らせた。文字を書いているのだ。
……「怖い。やっぱり個室のほうがよかった。みんながわたしを見てる」
マードはモニターから視線を外し、プレアの細い手をとって、手のひらに返事を書いた。
……「大丈夫」
マードはプレアの顔を間近から観察した。髪は肩までの長さに切りおとされ、そして緑に染められている。マードより少し色が薄いが、それは個人差ということで別におかしくない範囲だ。肌も、念入りに塗料を塗って緑色にした。もちろんこの距離から観察すれば、生来の肌の色でないことははっきりわかった。それに、触れば一発だ。
それでもマードは思った。大丈夫だと。だって、プレアさんを怯えさせたってしょうがないじゃないか。安心させないと。
……「ねえ、怖い顔してる。やっぱり後悔してるんでしょう」
……「馬鹿なことを言わないでよ。ぼくは自分のやったことが正しかったって思ってる。プレアさんを連れて逃げたのも、サンドギヌス号をすぐに捨てたのも」
……「本当に捨ててよかったの?」
マードの指は、プレアの手のひらに張り付いたところで止まった。だがすぐに動き出す。
……「よかったよ。これでちょっとは時間が稼げたかな。あのまま乗ってたら今頃は捕まってた。あそこで捨てたから、港を封鎖される前に脱出できた。どのみち、あの船に超光速航行の機能はないんだ。どうしてもそれだけは付けられなかった」
……「でも、マード君にとって、大切なものなんでしょう? 何年もかけて作って」
……「うん。でも」
そこでマードは、指による会話を止めた。
プレアの手に自分を手を重ね、ぎゅっと握る。
耳元で、囁いた。
「でも、船なんかにこだわるのはほんとのヒーローじゃない。そんなものにこだわってプレアさんを守れなかったら、何の意味もない」
「う……うん」
マードはプレアを見つめた。プレアも見つめ返してきた。マードの顔に、どこか無理して作ったような微笑が浮かんでいるのをプレアは見た。プレアの薄茶色の瞳に浮かんでいた当惑と驚きの色が溶け、驚きと信頼に変わっていくのをマードは見た。