第四章

 
 第四章

 一

 一瞬、マードの意識がとぎれた。
 何も分からなくなる。ここが宇宙船の二段ベッドであることも、自分がマードという人間であることも、プレアという少女を連れて逃げていることも、彼女を守らなければいけないことも。それどころか手も足も、目も耳も口もなくなって。
 すぐに回復したが、全身を違和感が駆け抜ける。内臓が隣の内臓となじんでいないような。身体を構成する細胞がそろいもそろって「私は本当にここにいて良いのか?」と悩み始めたかのような。自分の肉体は確かにここにあるのに、何一つ変わってなどいないのに、「そっくりだが別の物」にすり替えられたような。
 それは錯覚ではなく、ある意味では事実だった。
たったいまこの宇宙船は「刻印航法」で「跳んだ」のだから。正式名称を「情報構造保持を伴う完全自立型ターディオン=タキオン相互可逆変換による超光速転移」というこの超光速航法は、宇宙船を、乗員や貨物まで全て含めて超光速粒子のビームに変換し、それをあらかじめ目標の空間に刻んであった疑似回路「刻印」に照射して「受信」させ、通常の物質に戻すという代物なのだから。
一瞬の間、マードの身体は消えて、ただタキオン・ビームの中の情報になっている。この世のどこにも存在しなくなっているのだ。それだけのことをやって身体に何の影響もないはずがない。
 初期の「刻印航法」では、「タキオン流にノイズが混ざった状態で再生されてしまい、船体の一部がえぐり取られたようになくなる」、「乗組員が船体と融合した状態になってしまう」、「ビームが『刻印』をそれてしまい、そのまま宇宙の果てまでまっすぐに飛んでいく」などの事故が多々あったという。そのような事故は滅多に起こらなくなったが、たとえ何事もなく済んだとしても生体への影響がゼロということはありえない。脳の神経などは、再構成されるさいに細胞の位置が少しずれただけでつながらなくなってしまう。
 だからこうしてマードは、身体の全細胞が訴えてくる違和感に悩まされている。
 と、そのとき、下から声がした。
 うめき声だ。
 そうだった。
 自分なんかよりずっと辛い人間がいるんだった。
 マードは二段ベッドの上段から飛び降り、下段をのぞき込んだ。
「プレアさん、大丈夫?」
 そこにはプレアが横たわっていた。
 この船内の暖房は効きすぎているほどなのに、彼女は毛布を二枚かぶっていた。毛布だけではない。新しく買った紺色のコートも着込んだままだ。プレアの額には汗が浮かんでいた。緑の塗料が少し解けてしまっている。
 寒くてしょうがない。だが、汗まみれ。
 それはまさしく、高熱を出して寝込んでいる人間の姿そのものだった。
 タオルで汗をふき取る。するとプレアはこちらを見つめて言った。
「……だい、じょうぶ、だから」
 彼女の声には確かに力があった。しかしその力が無理矢理絞り出されたものであることが分からないほどマードは愚かではなかった。
 前回の「跳躍」の時より具合が悪くなっているように見える。
「……やっぱり、医者を……」
 プレアが小さく首を振った。
 マードは胸の中で痛みと苦々しさの塊が爆発するのを感じた。
 昨日プレアが急に体調を崩したのは骨折が原因だろう。骨折した人間が熱を出すのはよくあることだ。
 まして、療養などとても出来ない相談だったのだ。添え木を当て、鎮痛剤を飲ませただけで十日もの間引きずり回してきた。追っ手をまきやすいように、長距離の船には決して乗らず、次から次へと乗り換えた。足を添え木で固め、杖をついて歩く少女は目立ったが、仕方なかった。
 プレアは人の大勢いる場所では常に明るく振る舞ってきた。せめておどおどせずにいよう、少しでも疑われる要素を減らそうとしたのだろう。そうやって気を張っていたおかげで、彼女は限界に達した。だから逃亡を始めたあの日から十一日目、九隻目の短距離旅客宇宙船ヴルート27号の二段ベッドの中で、彼女は発熱した。「刻印航法」の負担に耐えられないのだろう、「跳躍」のたびに症状は悪くなっていった。
 医者に見せれば治せるだろう。簡単なことだ。医者はナノメディックを処方することができる。医療用のナノマシン、ナノメディック。細菌サイズのロボット。それを体内に入れれば、骨をつなぐことも熱を下げることもたやすい。
 だが、その前にナノメディックにプログラムを入れなければいけない。銀河には三万種類の種族がいる。種族によって内臓の配置も、血液の成分も違う。それに合わせて設定を変えてやらなければまともに動かない。医者に治してもらうには、どうしてもプレアが地球人であると明かす必要があるのだ。
 わかっている。だからそんなことは決してできない。わかっているのだ。
 しかし……
「せめて頭を冷やさないと。氷をもらってくるよ」
「……怪しまれないようにね」
 プレアの目元が震えた。笑おうとして失敗したような顔だった。
 マードはプレアの側から離れた。
 視線を上下左右にさまよわせながら出口に向かっていく。不安だった。
 ここは二段ベッドが何十も並ぶ二等船室である。個室はなく、ベッドだけが客のプライベート空間だ。ベッドとベッドの間の通路をマードは抜けていく。ごそごそと、いくつかのベッドの中から身体を動かす音がする。話し声もする。マードの知らない言葉だった。地球帝国は銀河の全種族に地球語を強制したが、革命後になって自分たち本来の言葉を再生させた種族もいる。
ベッドの大きさはみな同じではなく、一角にやたら大きなものがまとめてあった。種族によって体格は異なるからだ。それでも小さすぎるのか、全身を長い毛で覆った種族が、カーテンから手と足を突きだしていた。
 それらの脇をマードは歩く。
 顔から緊張が剥がれ落ちていくのがわかった。
 泣きたかった。逃げたかった。
 ぼくの後ろでしゃべっているあいつは追っ手かも知れない、いやぼくの歩き方が不自然なせいで、なにか隠していることがばれるかも。
 いまはまだぼくとプレアさんの顔は知られていないけど、今この瞬間にも映像放送で全銀河に流されるかも知れない。
 顔にはバンソウコウをたくさん貼って、それで少しでもごまかそうとしているけど、やはりそんなものにはなんの効果もないかもしれない。ぼくがこうやってプレアさんの側を離れている間、プレアさんは隣ベッドの人に声をかけられて、喋っている間にばれてしまうかも知れない。次の寄港地で警察が乗り込んでくるかも知れない。
 だが、背筋に力を入れて胸を張った。
 逃げたり泣いたりするわけにはいかない。
 ここでそんなことをしたら、プレアさんの前でしっかりしていることができなくなってしまう。いくら心配したって、それで状況が解決するわけじゃないんだから。
 考えるんなら、もっと意味のあることを考えよう。
 この旅の目的。どこまで逃げればいいのか、とか。そうやって前向きなことを考えよう。
 マードはエレベーターに乗り込んだ。

 二

 マードがいなくなった。
 足音が遠ざかっていく。
 もう笑っている必要はないんだ。
 そう思ったとたん彼女は、この現実世界を見ていること自体が嫌になった。夢の中に逃げ込んでしまいたいと思った。ベッドの天井に取り付けられた小さな電球を見ていると、カーテンの向こうから漏れてくる知らない言葉を聞いていると、この世界がプレアの知っている世界とはまるで違うのだということに、あの暖かい世界は二度と戻ってこないのだということを痛感せざるを得ない。
 今の世界は敵に満ち溢れている。たった一人の味方と、何億何兆もの敵。
 プレアは手のひらで顔を覆った。だがそれでも、現実を忘れることはできなかった。足が内側から弾け飛んでしまいそうに痛む。その痛みが体中にひろがって、筋肉という筋肉、神経という神経から活力を奪い去っていた。それなのに意識ははっきりしていた。明らかに熱があるのに、彼女は考え続けることをやめられなかった。
 ……マードくんは本当に戻ってくるかな。
 怖くなったんじゃないかな。わたしと一緒にいることに。地球人をかくまっていれば自分も死刑だから。命をかけてまでどうしてわたしを守らなきゃいけないのか、わからなくなったんじゃないかな。だから船長に「この船には地球人が乗ってます」って教えに言ったんじゃないかな。わたしを警察に突き出せば自分は少しだけ罪を軽くして貰えるかもしれないから。戦争の時にもよくあった。召使いが裏切って主人を殺しちゃって、その首を反乱軍に差しだそうとして……
 同じ事がまた起こるんじゃないかな。
 だいたいマード君のことがわからない。どうして自分を助けてくれたのか。あの街に逃げ込んでいたときも、確かにわたしたちの味方をしてくれる異種族はいた。反乱軍に加わらない人達はいた。でもそれは、わたしたちに恩義があるからだって、本人は言ってた。 マードくんはそうじゃないのに。わたしはマードくんになにもしてないのに。それどころかわたしのせいでマード君は追い回されてるのに、罪人になってしまったのに、それでもわたしを守り続けることが、どうしてできるだろう。
 マードくんは確かにいってくれた。とにかく身体が動いたんだって。でも、それは一時の気の迷いにすぎないんだって、すぐに気づくんじゃないのか。本当はもう気づいていて、そんな間違いのために自分の人生を捨てるのは嫌だと思っていて、じゃあどうしようかって考えてる最中なのかも。戻ってくるときには、保安隊員が一緒かも。そうだったらどうしよう。逃げなきゃ、逃げなきゃ。
 でも逃げることはできない。ここは周りに何もない宇宙船の中。次の寄港地にいくまではなにもできない。どのくらいだったかな。あと半日もかからないってきいたけど。とにかくそこまではなにもできない。そもそも今の私は歩くのも難しい。
 こうやってマードの帰りを待つしかない。
 どんなに恐ろしくても。
 そこまで思ったとき、これまでとは全く正反対の考えがプレアの心の中に滑り込んできた。
 信じられないんだ。ああまでしてもらって、それでもまだ信じられないんだ。
 この世界は反乱軍に、というより解放軍に支配されているのに。マードくんは、地球人は殺して当然だっていうふうに教わってきたのに。
 それでもマード君はそんな考えに逆らって、私のために命までかけてくれて、お父さんに銃を向けて、こうやって私を連れて逃げてくれた。それだけやってもらって、まだわたしはマード君のことが信じられないんだ。
 プレアは寝返りを打った。身体を真横にする。ベッドにかかるカーテンを見る。片手を額に置く。もう片方の手でカーテンの生地をぎゅっと握る。そのつもりはないのに、引きちぎりそうなほど力がこもった。
「……わたし、嫌なやつだ」
 想いを言葉にしてみる。すると想いはますます強くなった。
「あの人達のいうことは、正しいかもしれない」
 また言葉にしてみる。その言葉を出すには勇気が必要だった。自分の全てを否定するに等しいからだ。ところが出してしまうと、なぜそれがいけないのだろう、自然なことではないかと思えた。
 あの人達とは、反乱軍のこと。
 プレアたちの星、惑星エンファードで反乱が起こった時、平民たちは口々にこう叫んで武器をとり、警察署や貴族の館を襲った。貴族を殺してはその様子を映像放送で公開した。両親はしかめっ面で「見てはいけません」と言ったが、こっそり自分の部屋でみてしまった事が何度もある。
 ……「復讐の時がきた。悪である地球人に正義の裁きを。ためらってはならない。悪に裁きを下すのは正しい行いだ」
 プレアには理解できなかった。どうして自分たちがそんなひどい目にはあわされなければいけないのか。反乱軍たちの勢力はどんどん強くなっていった。反乱軍たちは宣伝のビラをまいたり放送を行った。自分たちの正しさを証明するために。地球人=帝国貴族はこれほどひどいことをやってきたんだと。
 何度も何度も繰り返されたので、よく覚えている。
 ……「地球人は、偶然により他の種族より高い科学文明を築き上げた。それは全て偶然であるにすぎなかったにも関わらず、彼らはおごり高ぶった。我らこそ神に選ばれた優良種であると錯覚した。それが銀河千五百年に及ぶ暗黒時代の始まりであった。地球人は凶悪な欲望に突き動かされて銀河に侵略し、平和に生きていた三万もの種族を隷属させた。わずかばかりの科学技術と引き替えに、王を処刑し、誇りを奪い、神を崇めることを禁じ、独自の言葉を禁じ、服も食べ物も、すべて地球のものを押しつけられた。その立場から逃れようとしたものは全て断罪された。我らはいまこそ立ち上がらなければいけない。奪われた全てを奪い返すために。我らの名はジャックでもハリーでもアルバートでもジムでもない、アンガルでありベイムでありアズネンであると思い出せ、地球人は神ではない、たまたま高性能な機械をもっているだけの人間に過ぎない、憎むべき圧制者にすぎないのだと思い出せ!」
 理解できなかった。
 プレアは下級貴族だったので、平民と同じ初等学校に通っていた。平民と日頃から多く接する商売なので、そのほうがいいという両親の判断もあっただろう。クラスどころか学年を見渡しても貴族はプレア一人で、彼女は最初恐怖を感じていた。誰もわたしとしゃべってくれないと。だが数日のうちに、向こうから近づいてくれた。一月のち、彼女は平民の女の子たちに囲まれて昼食をとるようになっていた。たまに一緒に遊びに行くことすらあった。彼女たちは最後までプレアをプレアさんと呼び続けていたが、それにしたところでプレアが強制したわけでも、教師が強制したわけでもない。
 教科書には書いてあった。
 「地球人は、平民たちに多くの技術と文化を与えてくれました。だから平民は地球人を敬い、感謝し、その使命に協力しなければいけません」
 みんなそれを納得した上で、自分の意志で従っていた。そう思っていた。それなのに反乱軍たちは地球人を罵る。地球人は悪いことをした。こんなに悪いことをした。地球人は悪の種族だ、殺すのは当然だ。
 ……全く、理解できなかった。
 初等学校は一五歳で卒業だが、プレアは卒業までそこにいることができなった。反乱軍の活動が活発になってきたからだ。彼女は学友たちと別れて、家族と共にあの街にこもった。でも最後まであの人達は自分を「憎むべき圧制者」だなんて思ってはいなかったはず。
 だから、反乱軍の言うことは理解できない。まるで分からない。確かに自分たち地球人は反乱軍を処刑したかも知れない。でもそれは向こうが攻撃してきたから。自分の楽しみのために平民を痛めつけるような悪い貴族もいたかも知れない。でもそれはごく一部で。
 ずっとそう思っていた。
 カーテンから手を離し、プレアは両方の手を目の前にかざす。
 私たちは被害者だと、そう思っていた。
 地球人が悪の種族だと思ったことはなかった。
 でも、いま直感的に理解できてしまった。
 命がけで守られて。それでもマードくんを信じられない、いつ裏切るか分からないって思ってる、そんな人間は、嫌な奴だ。
 頭の中に、反乱軍のプロパガンダ放送がガンガンと響いた。地球人は悪の種族。憎むべき圧制者。残虐な敵。
 ため息をついた。
 もう一度。
 そうやって息を吐けば、胸の中にある汚いものが全て流れ出すとでもいわんばかりに。
 ……だがもちろん、そんなことに意味はないとすぐに気づいた。
 目の前にかざした手。カーテンごしに漏れる光の中でぼんやりと見える、緑に塗られた手。
 本当はもっと汚い手。
 首を振って、呟いた。
「……プレア、逃げなさい」
 それは両親の言葉だ。
 プレアが最後にきいた言葉。
 自分が盾になって逃がしてくれたんだ。
 だから、死ぬわけにはいかない。
 プレアはカーテンを少し開けた。光が流れ込んでくる。その光を頼りに、枕元をまさぐった。見つけた。小さな箱。画面と、数字だけのキーボードがついている。
 逃亡の途中で買ったマルチ放送受信機だ。通常放送と超光速放送を受信できる。
 ……他のことをやって気を紛らわそう。足が痛い、怖い怖い嫌だ嫌だってそればっかりだから、暗いことを考えてしまうんだ。
 そう思った。
 ニュースを見よう。この世界のことを知ろう。
 だからうつぶせになって受信機に顔を近づけ、スイッチを入れる。
 通常電波放送は何も映らない。当然だ、通常電波による放送は、あくまで惑星内のものだ。だが超光速信号放送に切り替えるとノイズたっぷりの画像が映った。
 なにか奇妙な民族衣装のようなものを着た二人の人間が家のなかでご飯を食べている。場面が切り替わった。先ほどの二人とは別だろうと思われる人間が浮遊車を運転している。
 映画だろうか。情報収集の役には立たないので、小指の直径ほどしかないダイヤルを回してチャンネルを変えた。瞬間的に画像が切り替わる。
 顔にペイントを施した、金色に光る眼が印象的な男が画面に現れた。ドロパ人だ。プレアにとっては、宇宙を荒らし回っていた海賊めいた連中。いまや銀河の四分の一を支配する種族。地球帝国を倒した四大種族の一つ。ドロパの男は机の前に座っている。喋っていた。幸いなことにプレアの知っている言葉、地球帝国公用語だった。
「……バルガスト星系の領有問題を巡るゴドアゴとクファールの対立はさらに深刻化し……」
 ニュースだ。
 プレアは顔を近づけた。
 アナウンサーは次々にニュースを読み上げ、そのたびに銀河各地の画像が現れた。
 ……ドロパ王立宇宙軍期待の新鋭艦・戦艦アルガッシュが進宙しました。アルガッシュはアルガッシュ級の一番艦で……
 漆黒の宇宙空間に浮かぶ、鋭い剣のような宇宙船の映像。
 ……ゴドアゴ帝国とクファール連邦の首脳会談がバスト・ラング星系で行われました。両者は懸案であった七つの項目のいずれについても合意を得ることができなかった模様です……
 身体を鱗で覆われた種族と、鳥のような種族の映像。
 ……ゲステンバル星域で地球人の……
 プレアは身体を震わせる。歯を食いしばっているような表情をつくる。
 ……地球人の遺産が発見されました。S級ナノマシン製造工場のようで、このクラスのものは現在の銀河科学では再現不可能であるため、発見者であるサルベージ企業ニルバック社とドロパ王国政府との間で所有を巡る対立が発生することは避けられない見通しです……
 だが。
 逃げてちゃいけない。
 プレアは自分に言い聞かせた。
 画面の端に表示された時刻を見る。ちょうど一九時。あの番組がはじまってしまう。
 あの番組を見よう。
 逃げ出して、この受信機を手に入れて。それ以来欠かさず見ているあの番組を。画面から目をそらしたくて、それでも決してそらすわけにはいかないあの番組を。
 全国ネットではなく地方局の、それでも一億を超える星々で見ることが出来るはずの、あの番組を。
 チャンネル六七。西ドロパ放送。
 細い指で、キーを叩く。
 画面がパッと変わった。
 銀河系を簡略化した画像を、飛来した水晶の槍が貫いていく画像。おそらく歴史上の人物のものだろうと思われる無数の人物写真が、超スピードで画面を横切っていく。大部分はドロパ人だったが、何人か爬虫類型種族・昆虫型種族などがまざっていた。どう見ても地球人にしか見えない眼鏡の青年が一人いた。
人物画像がすべて消え去ると、銀河系をまっぷたつに割って、曲線のみで構成された文字があらわれる。ドロパ文字。ドロパ人はもともと文字を持たなかったので、これは帝国崩壊後に作られたものだという。だからプレアは当然読めないし、ドロパ人であっても読めないものはいる。だがプレアはマードに簡単な読み方を教えてもらっていた。
 こう読むのだ。
 「地球人追撃」
 画面の中では、プレアの知らない猿型種族のアナウンサーが、少々かん高い声で次のニュースを読み上げ始めた。
 「……地球発見から二七〇銀河標準時間が流れました。しかしいまだ地球人は発見されていません。その目的とは一体なんなのでしょうか。長い戦いの果てに獲得した我らの独立、我らの平和、我らの自由、我らの世界を、地球人は汚そうとしているのでしょうか。
 本日の『地球人追撃』では、みなさんに最新情報をお伝えするとともに、専門家の方々をお招きして活発な議論を行ってもらいます」
 画面の下に小さな四角形が現れ、それが膨れあがって画面を占領した。
 四角形には「最新情報1 地球人は下級貴族」とある。
 アナウンサーの声が、心なしか先ほどより少し冷たくなったように感じられる。
「……脱走地球人の正体については情報が錯綜し、皇族であるとか、特殊戦隊の指揮官でありデバイス兵を伴っているとか、いまだ知られていない地球兵器を保有しているとか、いろいろと言われておりました。
 が、最新の情報によりますとこれらは事実ではなく、地球人はただの下級貴族ひとりにすぎないそうです」
 白衣姿の、短い毛に包まれた顔のとがった男があらわれた。どこかネズミに似た種族である。
 「エリオット・マースチン記念大学のオミルクル教授です。教授は地球人行動学の専門家として知られ、バツセーナ事件に代表される多くの地球人犯罪を解決したときけば、皆さんご存知の方も多いことでしょう」
 ナレーションが終わった。ネズミに似た学者……オミルクル教授は、印象を裏切らない金属的な声で語りだした。
「……地球人についてはいくつかの目撃証言と映像記録、そしていくつかの残留品がのこっているばかりです」
 画面の右下が開いて、画像が現れた。
 画像は動いていた。ヘルメットをかぶり、スクーターにまたがっていた。吹雪の中、風に流されそうになるスクーターを必死に操っている。ヘルメットのバイザーのおかげで顔は見えないが、それが自分であることはすぐにわかった。
 車に追いかけられたとき、カメラで撮られていたのだろう。プレアが逃亡に成功するとは思っていなかったはず。捜査の手助けをするために撮っていたわけではないだろう。だとすれば……
 プレアは人工冬眠に入る前によく見た光景を思い出した。反乱軍は、自分たち地球人を処刑し、そのさまを惑星全土に放送した……『私は銀河人類の敵です』と書いたプラカードを首から下げられた男が、女が、もはや抵抗する気力もなくうなだれる地球人が、ライフルの一斉射撃で身体をがくがくと痙攣させるところを、プレアも見た。
 あれと同じだ。なぶりものにして、その過程を記録するつもりだったのだ。
 そしてもちろんこの連中は今もあきらめてはいない。自分が逃げたことでますます怒って、『狩りだして公開処刑』を百倍千倍の規模でもう一度やるつもりなのだ。この番組はそのためでもあるのだろう。
 さらに映像は、プレアが乗っていたスクーターの残骸に切り替わった。
「これは帝国末期にビアンジョ社から発売されていた浮遊スクーターです。重力コントロールで飛ぶ乗り物としてはもっとも安価なもので、シティコミューターとして使われることが多かったものです。地球人はこの乗り物に乗って逃げ、そして事故を起こして乗り捨てました。それ以外の乗り物は全く確認されていません。
 そしてもう一つ」
 画面が切り替わり、プレア自身の姿が映った。
 上から、樹木越しに見下ろしている。
 いや、プレアではない。どこかぎこちなく、だが人間より明らかに速い速度で走る、プレアそっくりの生物。それはあの、C級ナノアセンブラで作った疑似生命だった。囮プレアは不自然な前傾姿勢で走り、雪を踏み散らし、木の根で転びそうになり、とっさに腕を振って立て直し、また走りはじめていた。浮遊車が高度を下げ、森の中に飛び込んだらしく、囮プレアが大きくなる。車にへし折られた枝が無数に飛び散り、がつんがつんという音が聞こえてくる。カメラの視界のなかを黒い小片が横切る。
 車に迫られても囮プレアは一定のペースで走り続けている。カメラの視界内に銃身が現れた。カメラを回している隣の人間が、ライフルを持ちだしたのだろう。一瞬の閃光。囮プレアの近くに銃弾がはじける。それでも囮プレアは全く動じない。恐怖を感じる機能がないのだから当然のことだ。
 しばらく威嚇射撃が続いた。囮プレアの周囲に銃弾が突き刺さる。それでも囮プレアは一定のペースで走る。マフラーを風になびかせ、コートをはためかせ、真っ白になって走る。
 それがしばらく続いたのち、また銃声。
 囮プレアは倒れた。
 おそらく発見者たちは、あの車に乗った男たちは、這いつくばって命乞いをするプレアの姿が見たかったのだろう。だがいつまでもたっても、どれだけ銃で脅してもそんなことをしないプレアに業を煮やした。そういうことだろう。
 囮プレアは倒れた。転がって、太い幹にぶつかって止まった。そこにまた銃弾。囮プレアの身体がはねた。黒いシミが雪の上に広がっていく。
 車は着陸したらしい。カメラが大きく揺れる。カメラを持つ人間がドアを開けて外に出たのだろう。
 カメラは、倒れているプレアにゆっくりと近づいていった。
 「この女は偽物でした」
 ネズミ風の学者は高い声で台詞を続けた。
 画面の中で、囮プレアの身体に異変が起こり始めていた。手が溶ける。足が溶ける。靴がぬげ、顔がくずれ、皮膚がはがれおちる。髪の毛がぼとりぼとりと抜けていく。そして銀色の液体にかわっていく。水銀のような、あるいは金属的原形質とでも表現すべきものになっていく。
 ナノアセンブラを制御しているコアが破壊されたからだ。
「地球人の女は見てのとおり、ナノマシンで自分の複製を作っていたのです。これにより女は逃走に成功し、われわれの捜査は混乱しました。しかしこのナノマシンは『C級』と呼ばれる、地球人なら誰でも持っているようなものに過ぎないのです。回収したナノマシン群はすべてのデータが消去されており、使用者の身分、遺伝子等を知ることはできませんでした。また、現場から地球人の髪の毛や血液などはいまだ発見されておらず、遺伝子の特定はできずにおります。この地球人は一人ではなく、当初三人の仲間を伴い、うち二人が地球人でしたが、彼らはすぐに銃殺されたため情報は得られませんでした。皆さんご存知のとおりです。しかしそれでもわれわれは、この地球人が下級の貴族に過ぎないと推論します」
 画面が分割され、先ほどのアナウンサーが右側に現れた。学者に問い掛ける。
「しかし、たった一人ですよね。仲間の地球人は現地で処刑されたわけですから。ろくな装備もない下級貴族ただ一人を、なぜ取り逃がしてしまったのですか?」
 画面の中で、学者は鼻を大きく振ってうなずいた。こういう仕草は地球文化に由来するものだが、まだまだこういった習慣まで消すことはできないらしい。
 プレアはそれをおかしく思った。そして次の瞬間、冷水を浴びせられたような衝撃に身をこわばらせた。
 この学者が何を言うのか、どう答えるのか、想像がついてしまったのだ。
「みなさんが疑問に思われるのはもっともです。これはまだ警察が発表すらしていない情報なのですが、私はもうこれ以上黙っていることができません。
 地球人が逃げ伸びることができた理由、それは協力者がいたからです。そう、地球人は悪ですが、それ以上の悪というものもこの世にはあります。
 それが、異種族でありながら地球人にくみすることです。我々は1400年間、筆舌に尽くしがたい苦しみを味わってきました。たたきによってそれは終わりましたが、そのた戦いでも多くの人が死にました。銀河人口の五パーセント、実に50京人もの犠牲の上に、今の社会はあるのです。それなのに地球人に味方をするものがいた。これほど悲しいことがありましょうか。私は、あの苦しかったっ戦いのすべてを踏みにじられた気がしてなりません。いえ、地球人に味方するということは、この1400年の歴史すべてを踏みにじる行為です」
 学者は言葉を切った。顔から突き出しているひげが震えていた。怒りと屈辱をこらえているようにプレアには見えた。異種族の感情を読み取るのは難しいことだが、それでもプレアはそう感じた。
 これと似た感情の奔流を、何度も何度も浴びたことがあるから。
 受像機のスイッチを切りたかった。
 折れている部分ばかりでなく片足全体が破裂するように痛い。悪寒と吐き気もいや増すばかりだ。それなのに今は、たとえあの痛みの中でもいいから逃げ込んで、何も考えられなくなってしまいたいと思っていた。
 巻き込んでしまった。
 いや、そんなのはわかりきっていたことだった。彼も、マードも、罪に問われることくらい承知で私についてきたのではないか。自分にそう言い聞かせた。しかし納得できなかった。
 まさか地球人より、それに協力した人間のほうが罪が重いなんて。私よりもっと重いなんて。今からでもマード君を説得して自首させれば少しは。でも本人は納得しないだろうし、いまさらだめかも。それに私自身、確かにマード君とは別れたくない。たった一人になったら、どうやって生きていけばいいだろう。
 だから恐ろしく、すべてから、すべての見ることと考えることから逃げてしまいたくて……
 そこまでプレアが思ったとき、画面に変化が現れていた。
 学者の姿はない。映し出されているのはスタジオだ。そこにはアナウンサーがいて、もう一人新しい人物が加わっていた。
「氷もらってきたよ」
 プレアが寝ているベッドのカーテンが開き、マードが頭を突っこんできた。プレアの受像機をのぞく。
 その瞬間、彼は硬直した。
「とうさ……」
 もちろんプレアも。
 悲痛な表情で、アナウンサーの隣に座っていたのは、父ゲンデだったのだ。

 三

「とう……」
 マードは言葉を飲み込んだ。
 テレビの中のゲンデは、こちらを見ていた。
 いや、カメラを見ているだけだろう。
だがプレアは確かに視線を感じた。そんなことあるはずがないとわかっていても、ゲンデは受像機のこちらを見ているのではないかと思ってしまう。数百光年の空間を飛び越えて意思を届けるほどに力強いその視線は、だが敵意にみちたものではなかった。すくなくともプレアを追い掛け回していたあの浮遊車の男たちとは違う。
 ゲンデが口を開いたので、プレアの注意は言葉のほうに移った。
「銀河系のみなさん、解放される日を待ち望む皆さん、戦士たちへ。……これは革命期によく使われた挨拶です。私はかつてエンファードという星で革命闘争に携わったことがあります。ここでは最初、革命戦士ゲンデとして発言させてほしいと思います。ですからこの挨拶を使わせてください。
 そう、私は革命のために戦いました。そして地球人たちを自分の星から一掃しました。それで新しい世界がやってくるのだと、そう信じておりました。
 しかしそれは間違いであったといま悟っています。なぜなら……戦いは終わってなどいなかったからです。我々の中に、革命の敵は潜んでいたのです。
 いえ。そんな回りくどい表現は止めましょう。
 敵とは、私の息子マードのことです。どうして地球人は逃げることができたのか、いまだにつかまっていないのはなぜか、答えは簡単です。私の息子マードが、地球人の女をかばっているからです。つれて逃げたからです」
 ゲンデの隣に小さな窓が開き、写真が現れた。プレアと違い、マードの写真ならいくらでも手に入る。いまのマードと同じくらいの年齢だから撮られたのは最近だろう。いや、夏か。写真のマードはシャツ一枚の姿だった。身体の緑がプレアの知っているより濃いのは光の加減か、それとも日焼けしているのか。よく筋肉のついた二の腕を剥き出しにして、写真のマードは笑っていた。
 ゲンデは感情の抑えられた口調で続けた。
「そのことについて言い訳をするつもりはありません。弁護するなどとんでもないことです。
 ただ私は二つのことを述べるためにここにきました。一つは、警告です。
 革命が成った後、私は軍から離れ、平凡な生活に戻りました。やがて妻をめとり、子供もできました。その後、私は革命のことを、そのなかで戦った自分のことを、息子にあまり話しませんでした。理由はいくつもあります。それはもう過去のことだと思っていたのがひとつ。それから、革命のとき私は手段を選ばなかった、それを心のどこかで恥じていたのかもしれない、ということが一つ。そして最後に、私のなかで革命が何だったのか、あの戦いが何だったのか、自分の中で整理がついていなかったということもあります。
 私は死んでいった人間のために戦いました。裏切り者の汚名を着せられた家族のために、力及ばず倒れていった戦友たちのために。私の頭の中に、声がするんです。苦しい苦しい、助けて助けて……。その声を無視することはできませんでした。だから、その声の主たちの代わりに、敵を倒したのです。平等とか、自由とか、そういう難しい話ではなく、私にとってはその声だけが正義でした。
 そして帝国は滅びました。それなのに声はまだ聞こえてくるのです。戦いをやめてしまった私を責めるように。弱くなってはいても、決して消えはしないのです。いえ違います、数が減っただけで、弱くなどなっていませんでした。むしろ今まで以上に真剣な訴えが、そこにはこめられていました。
 私はそれを無視しました。すべては終わったんだ、もう私は声に応えた、だからこの声は意味のない幻に過ぎない、そう思って、戦いの前に夢見ていたような平凡な生活の中に逃げていきました。そうです、なんと言い訳をしようと、それは逃げです。そう思っても消えずに、声は聞こえ続けました。この声の正体を知りたい、そうは思いました。しかし知ることを拒みつづけてきました。知ってしまえば、今までやってきたことすべてが無駄であったと証明されてしまうのではないか、声に応えるつもりでやったことが、少しもそうではなかったとはっきりしてしまうのではないか、それが怖くてなりませんでした。
だから子供にも戦争のことを教えませんでした。教えようとすれば、どうしても声のことを意識するからです。
 その結果がこれです。息子は、地球人に惑われて逃亡を助けました。いまも銀河のどこかに潜んで、地球人の手先として働いていることでしょう」
 そこでゲンデは言葉を切った。
 ゲンデは小さかった。もともと平均的なエンファード人とくらべて頭半分ほど低く、筋肉もあまりついていない。それにくわえて、隣のアナウンサーが体格の大きな種族らしく、比較するとまるで子供のようだった。
 その差が、消滅した。
 違う、本当に大きくなったわけではない。ただ、今まで少しだけ伏せ気味だった顔をあげ、胸を張っただけ。
 それだけで、茶色い毛に覆われたアナウンサーの巨体に負けないほど大きく見えた。
 プレアは、視線が超光速で自分個人に叩きつけられるという先ほどの錯覚をまた味わった。
 細かい表情がわからないほど小さい画面なのに。どうしてこんなに、なにかが伝わってくるんだろう
 怖かった。だが眼は画面に釘付けだ。
 印象が変わったその瞬間、ゲンデは話を再開した。
「……だから私は警告します。この放送を見ている人たちの中に、私と同じことを考えている人がいたら。もう革命戦争は終わったのだと思っている人がいたら。それは間違いだと、そんなことを思っていたら私と同じ間違いを繰り返すことになると、そう警告します。少しでも気が緩んだら、我々のつかんだものは崩れ落ちてしまうのだと。
 それから。もうひとつ、今度は私的な立場でものを言わせてください。
 反逆者マードの父親という立場です。
 マード。私は間違っていた。どうしようもなく間違っていた。私はお前に何も教えなかった。自分の中で整理がついていないというだけの理由で、私は過去を教えずにいた。革命戦争の中で私が体験した事を教えなかった。おまえが映画や小説のヒーローに憧れて、夢の世界でばかり遊んでいたのも、結局はそういうことだったんだな。現実の世界での、現実の戦いを、私が教えなかったからだ。
 だから、お前がそうなってしまったのは私の責任だ。この声の、例え一部でも教えようとしていれば、地球人などに騙されることは決してなかった。ヒーローになったつもりで、最悪の罪を犯してしまうことなどあり得なかった。
 済まなかった、マード。
 その責任はとるつもりだ。
 私はお前を捜し出す。
 そして、お前の何が間違っていたのか教えた上で、処刑する。
 その上で、私自身も反逆者として罰を受けるつもりだ。
 ……皆さん、私の個人的な目的につき合ってくれてありがとうございます。みなさんの前途に、エリオット・マースチンの加護あらんことを。全銀河に真の解放を」
 そういって一礼した。
 画面が切り替わる。
 そこにはもうゲンデの姿はなく、先ほどとはまた別の種族が「心理分析」というキャプションをつけて登場していた。
「……父親は涙ながらにこう語っています。本当にそうなのでしょうか? マード少年が異常行動に走ったのは教育の失敗が原因なのでしょうか? マリオエルス大学のジェイ教授をお招きして……」
 プレアは、マードの顔を見ることが出来なかった。
 苦しい。後ろめたい。
 わかってはいたはずだった。だがそれでも、マードが全銀河の敵になったことがここまではっきり示されると、胸が痛い。
 上方から視線が降ってくる。
 マードの視線が針のように突き刺さってくる。
 ……お前のせいだ、お前の。お前のせいで全てなくした。もうどこにも戻ることはできない。何もかもお前のせいだ。
 そういわれているような気がした。だから彼女は顔を伏せた。
 だがそのとき、プレアの手にマードの手が重なってきた。マードの手がゆっくりと動く。プレアの手に文字を書いていく。
 ……だいじょうぶ
 プレアは身体をこわばらせる。何と言われたのか分からなかった。
 ……だいじょうぶだ
 呆然として顔を上げる。
 視線の先のマードは。
 あまり明るいといえない光の中で、笑っていた。
 緑の頬に笑みを、太い眉に決意を宿らせて。
 ふと目があった。
 ……だいじょうぶ
 指だけでなく、瞳までそう言っていた。
 ……でも。これでマード君は
 プレアがそう書こうとしたとき、乱入者があった。
「地球人情報かい? どうなったって? ちょっと見せてくれよ」
 低い声がして、マードの頭の横に何かが滑り込んできた。カーテンが揺れる。細長く平たい、ナマズのようにもサンショウウオのようにも見える、黒光りする顔。
「何でしょう?」
 乱入者は首をうねらせて「おお、すまん」と答えた。
「いきなり入ってくるなんて失礼ですよ」
 マードは驚きで目を見開きながら言った。その声には怒りが含まれている。
 いや、そうではないとプレアは思った。
 謎の男が顔を突っ込んできた瞬間、マードはきつくプレアの手を握った。彼の手は汗ばんでいた。それを恥じるように、すぐ力が緩められたが……本当はマードも緊張しきっているのだと分かった。その緊張を相手に悟られないように、怒った振りをしているのだ。
「すまん、おれはペルテッパ。みてのとおり、両生類種族のパムリ人だ。フリーライターっていうかなんていうか、物書きをやってるんだ。ゼ・テンペルーチアという雑誌で……」
「それは知りません。で、何の用ですか?」
 マードは怒りの演技を続けることにしたらしい。
「いや地球人潜伏のニュースが気になってな。おれ受像器持ってないんだよ。見せてくれ、な」
「……分かりました」
 プレアは息を呑んだ。
 何てことを言うのだろう。まだ画面の中では、「少年マードの狂気」とやらについて学者達が分析しているというのに。マードの顔写真だって出てくるのに。このサンショウウオ人間がシャベルのような口をぽかんとあけて、「お前……」などと言い出したらどうするのか。
 プレアは抗議しようと口を開けた。だが、どういう理由をつけて断ればいいのか迷っているうちに、ペルテッパは「枝分かれしたヒレ」のような腕を伸ばし、枕元の受像器を手に取った。
 ……だまってて
 手のひらに、力強くそう書かれた。
「ふーむ。こいつが、地球人を手助けしたって奴か」
「マードというそうです」
「種族が違いすぎてよく分からないけど、こいつまだガキじゃないか?」
「そうらしいですね」
「ふーん」
 ペルテッパは細い首を、ねじるように回してうなった。
「どうしたんですか」
「あまりに皮肉なんでな、笑ってしまった」
「どの辺がですか?」
「ほら。聴けば分かる」
 音量を上げた。
「そう、彼はヒーローになりたがっていた。それは確かなことです。
 ……初等学校でマードが書いた作文にはこうあります。
 ……『将来の夢。
 ぼくはヒーローになりたいとおもいます。
 いろんなお話に出てくる、よわいひとをたすけて、わるいやつをやっつける、正義のヒーローです。この話をしたら、みんなは笑ったけど、ぼくはまじめです。すごくまじめです。
 ぼくがどうしてそういうことを思うのかというと、それは父さんのせいです。ぼくの父さんは機械屋さんをやっています。でもむかしは解放軍にいて、悪い奴らをやっつけていたんです。でも父さんはそのときの事を教えてくれないんです。でも一度だけぼくが、正義のヒーローだったのてきいたら、そうだなって父さんはこたてくれたんです。
 父さんは昔ヒーローでした。でもいまはヒーローじゃないし、そのことをわすれてしまったみたいです。だからぼくはヒーローになります。ぼくがヒーローの話をすると、とうさんはとてもかなしい顔をするんです。むかし解放軍だったときヒーローだったって父さんがいったときも、やっぱり悲しそうでした。ヒーローはすごいことなのに、どうして悲しいのかぼくにはわかりませんでした。わからなかったからずっと考えました。たぶん父さんは、もう自分がヒーローじゃなくなったのが悲しいんだとおもいます。だからぼくがかわりにヒーローになってあげます。どうすればヒーローになれるのか父さんはぜんぜん教えてくれないけど、そんなのは平気です。お話の中にたくさん教えてくれる人がいるからです。だからぼくはヒーローになります。ぜったいぜったいなります。
 これがぼくの夢です。おわり』
……なんと悲しく、皮肉な事でしょうか。子供らしい純真さで、正義の味方になりたいと、必ずなると誓った少年は、わずか五年後、正義とは正反対の存在、全銀河の敵となったのです。一体何故なのでしょう。どうして少年の心はけがれてしまったのでしょう」
 先ほどと逆の現象がプレアを襲っていた。マードの顔から目をそらすことが出来ないのだ。彼は何かとても懐かしい物を思い出したかのような微笑みを浮かべていた。
 けれど、決してそれだけではないとプレアは知った。なぜならマードは、プレアの手を強く強く握りしめているから。震える指がめり込んでくるから。
「それにしてもひでえな。そんな奴が、どうしてそんな悪いことをしたのかな」
 サンショウウオが首を斜めに傾けた。
 マードが答える。彼が口を開いた瞬間、プレアの手に掛かってくる力はますます強くなった。骨がきしみ、手のひらが千切れそうに痛くなったが、こらえる。
 マードはそれ以上の痛みに耐えているだろうから。
 そのままの表情をうかべたまま、マードはサンショウウオに顔を向けた。
 そして言った。
「わかりませんね、さっぱりです。……お話にひたりすぎて現実が見えなくなったっていうか、正常な判断ができなくなったのでは」
「……そうかもしんないな。まあ早く捕まるといいよな」
「……そうですね。でも大して時間はかからないでしょう。顔も割れてるし、大きな港なんかでは遺伝子照合をやってるんでしょう? 検疫と一緒に。そうすればすぐに見つかりますよ」
「いや、それがな。やってくれないところも多いみたいなんだよ。交易惑星は、なかなかやってくれないんだ。一日で何億人出入りするから、そんなことをいちいちやってたら経済に影響が出るとかいってな。政府に対する自治とかそういう考えもあるらしいぜ。くだらない話だよ、地球人の危険性というものを全く分かってない。ただの殺人犯やテロリストなんかとはわけがちがうんだ」
 サンショウウオの言葉に、マードは勢いよくうなずいた。
「え、ええ。そうですよねっ。……ところで、次の寄港地ってサダラカインですよね。あそこもですか?」
「ああ、サダラカインは交易惑星の中でも、特に政府に非協力的だからな。保安より商売優先なんだよ昔っから」
 マードの手が、腕が、全身が震えたのが、はっきり伝わってきた。
「こまったもんですねえ。早く地球人なんて捕まるといいのに。安心して旅行も出来ないじゃないですか」
 表情を作りきれなくなったのか、言葉とは裏腹にマードは微笑みを浮かべたままだ。
 その奇妙さに、サンショウウオは気づかなかったらしい。生物種が違いすぎるからだろう。
「……ところで旅行って、あんた達は観光かい? どこに行くんだ?」
「ええ、まあ……ちょっとアルバイトしてお金が貯まったから、銀河を旅行してみたくなったんですよ。行き先は特にありません、あてどもなくブラブラと」
「へー。良い身分だな。そこで寝てるのは友達? 恋人?」
「え……まあ友達かな?」
「挨拶が遅れたね、はじめまして、お嬢さん。寝てるけど具合でも悪いの?」
「え、いや……何でもないですっ」
 突然話しかけられたプレアは慌てて答えた。両生類の、全く感情の読めない目が自分を見つめている。
 もし、この人が疑問に思ったら。もし種族の壁を超えて、自分の顔を識別できたら。自分は大丈夫でも、マードは? ついさっきまで画面でマードを見ていたのだ。
 緊張に身体をこわばらせるプレアの手のひらに、そっとメッセージが届けられた。
 ……わらって
 ……たのしいこと おもいだして
 プレアは精一杯笑顔を作った。
「そうか。それなら良いんだが。邪魔して悪かったな、これ返すよ。お詫びにどこか面白い所に案内してやろうかと思うんだがな」
「い、いや結構です」
「そうか? じゃあおれは行く、ありがとな」
 サンショウウオの顔が引っ込んだ。
 ぺちゃぺちゃという足音が遠ざかっていく。
「……ああ怖かった。疲れた……」
「大丈夫だって言ってるでしょ」
 そういって、マードはベッドの中に身を乗り出してきた。
 息がかかるほどに顔を近づけて、耳元に囁く。
「……でも本当は、僕も怖かった」
「ねえ、マ……その、ほんとにごめん」
「どうして謝るの? ……最初から分かりきっていたことだよ、それがはっきりしただけ。それにね、あの作文は……なぜだか知らないけど、あれを読まれたときにね、凄く嬉しかったんだ。あの作文を忘れてたわけじゃないけど、でも、ああそうか僕はこういうこと考えてたんだって、やっぱりなくしてたものがあるんだって、それに気づいて、よし頑張るぞって、そう思ったの。だからちっとも嫌なんかじゃなかった」
 プレアは混乱のただ中にあった。足の痛みすらも超越した衝撃が胸の中を転がり回っていた。
 ……どうしてこの人はここまでしてくれるんだろう。
「……でも。おとうさんみたいになりたかった、それが最初の目的なんでしょ。それなのにお父さんに逆らって、敵だって、殺すとまで言われて」
「……作文に書いてあったよね。父さんが忘れてしまったなら、僕がヒーローになるって。僕はウソを書いた覚えはないよ。だったらいまでも、それをやるだけだ。
 さあ、さっきの人が良いことを教えてくれた。次で船から下りるよ遺伝子照合をどうやってごまかせばいいのか、思いつかなくて困ってた。助かったよ。そろそろお金も尽きるしさ、サダラカインでひとまず降りよう」
「……こわく、ないの?」
 目をパチパチさせてプレアは尋ねる。
 するとマードは困惑気味の表情でこう言った。
「もちろん怖い。でも。プレアさんはもっと怖いよね。僕がここで逃げてしまったら、凄く怖いよね。
 だから平気。
 たった一つのことがはっきりしてれば、それでいいんだ」
「……たった一つの事って、なに? 私に何を訊きたいの?」
 そこでマードは真面目そのものの表情になった。なにか、とても神聖なものと向かい合うときのようだった。
 そして、言った。
 相変わらずの、かすかな声で。
 けれど心にまっすぐ突き刺さる不思議な力をこめて。
「……プレアさんは、前に言ってくれたよね。自分は悪いことしてないって。そうだよね」
 一瞬。
 ただ一瞬だけ、プレアの筋肉と脳は凍結した。心さえも凝固し、ひび割れ、生まれた裂け目から一つの思い出が這い出してくる。
 力ずくで、その記憶を消した。ねじ伏せ、また裂け目の奥に封印した。
「……うん。私、殺されるようなことなんて、してない」
「じゃあ、何も問題はないよ」
 マードはそういって笑った。今まで見せてくれた笑顔とは違う。目も鼻も口もぐちゃぐちゃになる笑いだった。
「……うん、そうだね」
 そしてプレアは、何度も何度もマードが手のひらに書いてくれた言葉を思い返して、自分に言い聞かせた。
 ……だいじょうぶ。
 だがそれでも、プレアの中から一抹の不安が消えることはなかった。
 いや、それは不安ではなかった。
 罪悪感だった。
 ……私はマード君にウソをついた。
    
 次の章へ  前に戻る CHAINの入り口に戻る 王都に戻る 感想を送る