第5章

 一

 限りなく真空に近い世界に、瞬くことのない星々に見つめられ、橙色の太陽が噴き出す光と太陽風を浴びながら、一つの天体が浮いていた。
 しかしそれは、何と奇妙な天体であったろう。
 球体がある。
 一つではなかった。球体の隣に球体があり、そのまたとなりにも球体があった。
 ある物は鉛色に光り、またある物はピンクに塗られ、さらにある物は文字が書かれている。企業広告らしい。
 球体は棒で連結されている。一つの球体は、その周辺にある二つか三つの球体とつながっている。棒は太い物もあれば細い物もあり、太い物は何度も枝分かれしていた。
 それがどこまでも続いていた。
 それ全体で一つの天体となっていた。
 それは分子模型に似ていた。
 葡萄に見えないこともない。
 ただし、とてつもなく大きな。
 その大きさは尋常ではなかった。
 球体の数は五万二千。張り巡らされたチューブは、差し渡し百キロ近い広さにまで広がっていた。総延長は四十万キロ。
 球体の森から四方に飛び出したひときわ長いチューブには銀色に光る点がびっしりと張り付いている。点は一つまた一つと、チューブから離れていく。淡い光の尾を曳いて加速し、消えていく。しかし代わりの点が次から次へと現れ、チューブにすいつく。
光る点は、宇宙船。
 長いチューブは、発着用の、言うなれば桟橋。
 現在の銀河でよく見られる、「宇宙都市」の姿だ。
 かつて、人が住むための人工天体は、ドーナツ型か円筒形……軸を中心に対象である必要があった。全体を回転させ、遠心力を生み出すためだ。
 しかし、超流動ニュートロニウムによる重力コントロールが普及した現代、その形に拘る必要はない。かわって一般化したのは、「多数の球体モジュールを連結」という「分子模型型」だった。
 この形状をとれば、改装や増築がきわめて容易だ。しかも毒ガス発生・放射能漏出・疫病・暴動・テロといった非常事態が発生した際には、その部分だけを閉鎖できる。場合によっては切り離し、捨ててしまう事も。
 宇宙都市群のなかで特に大きな物は、億単位の人口をもつほどになっている。
 いまここに浮かんでいる都市がまさにそれだった。
 交易惑星サダラカイン。
 引力のいたずらで引き裂かれた小惑星群が存在するだけだったこのサダール星系に、鉱物ハンターがたまに訪れるだけだったはずの田舎星系に小さな宇宙都市が作られたのは、帝国暦一二五〇年……およそ一八〇年ほど前の事だ。当時は「領主の道楽」「あんな所に誰も来るはずがない」「一族が築いた財産をどぶに捨てるような物」とまで言われたが、宇宙都市サダラカインは発展した。球体の数が千を超えたあたりで「宇宙都市」ではなく「人工惑星」と呼ばれるようになった。
 革命が勃発し、激化し、ついに都市から地球人が残らず狩り出されるに至っても、サダラカインは滅びなかった。地球人は激しく抵抗し、多くの球体が焼き尽くされ廃棄されたが、戦後、銀河解放軍から復員した男達に職を与え、あらゆる種類の娯楽を与えたのもこの人工惑星だった。  
いまも、この星は膨張を続けている。
 


 マードは慎重に周囲を警戒した。
 高さ数十メートルしかない天井が赤い光を放ち、びっしりと並ぶ一戸建てやアパートを照らしている。赤い照明は今が夕刻であることを、天井の低さは、このあたりが金持ちの住む場所でないことを意味していた。
 一つの球体モジュールを多くの層に区切れば区切るほどたくさんの土地が手に入る。逆に言えば、上下の空間に余裕があるのは贅沢なのだ。
 これより地価の高い場所になると天井は何百メートルという単位になり、閉塞感を覚えることもなくなる。上を極めれば、球体モジュールをがらんどうにして、そこを占有できる。高級住宅地はそうなっている。
 ……よし。いない。
 前方を見る。バックミラーを見る。
 通行人の姿がない。働きに出ている者が帰ってくるのはもう少し先の時間だから。
 そして、治安警察もいない。
 マードはいま、フルフェイスのヘルメットで顔を隠している。だから絆創膏でごまかしていたときにくらべれば、「国家反逆者マード」として捕まる危険は少ないだろう。
 だがそれでも、治安警察は怖かった。
 この間、真っ白い警察用バイクに追いかけられたときの恐怖は忘れられない。
 と、そのときマードの視野に一人の人間が映った。
 茶色いコートを着た人間。
 スクーターのスロットルを一定に保ち、何気なく追い抜いて、すれ違いざまに観察する。
 ……手当たり次第にやっちゃ駄目だ。
 だが、この人は良いかも知れない。
 コート姿の人間は、女性のようだった。マード達と似た猿型種族だからそれが分かった。背を曲げて歩いているのは老人だからだろうか。
 手に持っているのはバッグ。
 買い物に行くところなのだろうか? だとしたら少しは金を持っているだろう。
 よし、この人だ。
 マードは次の角を曲がり、そのまた次を曲がり、もう一度曲がった。
 老女の後ろに回り込んだ。
 他に通行人がいないことをもう一度確認して、マードはスロットルを開けた。
 常温核融合エンジンが唸る。前後の反重力ホイールが推進力を生み出す。
 マードは神経を集中した。
 茶色いコートが大きくなっていく。
 ……いまだ。
 手を伸ばした。
 老女が持っていたバッグのベルトを掴み、たぐり寄せる。
 抵抗する力は伝わってこなかった。バッグが胸元に吸い寄せられる。
 そのまま、さらにスロットルを開ける。
 老女が「泥棒! 誰か!」と叫ぶその声を聴きながら。
 速度を出しすぎて曲がれそうにない。次の交差点は突っ切った。その次で曲がる。あとは普通の速度で市街地を流す。
 しばらく走った後で、スクーターを止め、ナンバープレートを覆っているテープをはがした。ナンバープレートを隠したまま走るのは怪しすぎる。
 手袋をつけたまま、バッグの中身を確認する。
 財布はあった。
 だが、財布を開けてマードは落胆した。
 だめだ、これでは今日の目標額に届かない。
 もう一度やるか……
 その前にまず、スクーターを替えた方がいいかも知れない。ヘルメットも別の物にしたほうがいいだろう。もちろんどちらも盗むのだ。スクーターなどそこら中に止めてある。ロックを解除するのはマードにとってたやすいことだ。
 と、そこまで考えて、ふと冷たい思いが心に侵入した。
 ……僕はヒーローになりたかった。
 だが、実際になったのは、ひったくりやスクーター泥棒を繰り返すケチな犯罪者だ。
 マードは首を強く振って、胸のうちにわだかまる暗い思いを否定した。
 プレアさんを守るためだ。
 それに、このドロパという国が、いやこの世界そのものがプレアさんを認めないって言うのなら。
 どうして世界の法律なんかに、縛られる必要があるだろう。馬鹿正直に守る必要があるだろう。
 そう自分に言い聞かせた。
 ずっと言い聞かせて来たおかげで、盗みをすることにはもう罪悪感を感じなくなっていた。
 ……でも。
 すこし気を抜くと、バッグをひったくった時の気持ちが蘇ってくる。
 それは、獲物をしとめた喜びなどでは決してなく。
 これでプレアさんの役に立てるという達成感でもなく。
 ああ、抵抗しなくて良かった、あっさりとバッグを渡してくれて良かった、という安堵だった。
 もし離してくれないなら、蹴飛ばして振り落とすか、あるいはあのおばあさんが力尽きるまで引きずっていくしかなかった。どちらにしてもあの人は怪我をしただろう。死んだかもしれない。
「……そうだ。死ぬかも」
 マードは独白した。
 天を仰ぐ。このあたりも、やはり天井は高さ数十メートルしかない。天井が放つ赤い照明はずいぶん弱くなっていた。もうすぐ真っ暗になるだろう。夜がやってくるのだ。
 そうだ、ほんの少し間違っていたら、あのおばあさんは死んでいた。
 それは避けて通ってはいけない問題だ。
 僕はまだ誰も殺した事がない。
 でも殺す羽目になるかも知れない。プレアさんを守るために。生きる力を手に入れるために。
 落ち着いてやれるだろうか。誰にも見られず、証拠を残さずにやれるだろうか。
 出来なければいけない。
 身体が酷く冷えた気がした。ジャケットとズボンが薄いせいではない。
 その寒ささえも、もう一度首を振って吹き飛ばす。
 巨大な買い物袋を抱えた爬虫類種族の男が通りがかり、マードを不思議そうに見た。

 三

 とんとん。
 「一七」と言う数字の書いてある、クリーム色に塗られたドアをノックした。
 廊下には、あまり高そうに見えない絨毯が敷き詰められ、中途半端な明るさの照明で照らされている。
 ここは安いアパートだ。廊下には確かに窓もあるが、そこから見えるのは、隣の建物の壁と、それからこの階層の天井だけ。ここの天井は、アパートよりほんの少し高い程度でしかなかった。
 間を開けて、もう二回ノック。
 さらに、もう二回ノック。
 これが、マードであることを示す合図だっった。
 ドアが内側に開く。
 杖を突いたプレアが現れた。顔は緑に塗ったままだが、この星に来る前に比べるとずいぶん顔色が良くなったことが分かる。マードとプレアが出会ってから四十日ばかり、そのあいだずっとマードはプレアを観察していたからだ。その表情の微妙な変化まで見ていた。悲しんでいること、不安に思っていることがあったら僕が気づいて、慰めて元気づけて、少しでもマシにしなければいけないんだと思いながら。
「……どうだった?」
 プレアの声は決して暗くは無かった。
 だが、無理矢理出している明るさだと、マードは思ってしまった。
 靴を履いたまま室内に入り、ドアをきっちりと閉め、ジャケットを壁の掛けてから、マードは答えた。
「……いまいちだね」
「まだ足りないんだ?」
「ああ。この分じゃ相当かかるな」
「……ねえ、やっぱり、もう一度ちゃんと仕事を探して見たらどうかなあ? 泥棒までやって、それで入るお金がそれだけなんて……」
「普通の仕事は見つからなかったんだから仕方ない。大丈夫、捕まるようなへまはしないよ。逆にいえば、もっと危険なことをやらないと大金は手に入らないのかもね、強盗とか」
「……やめて、それだけは」
「僕はもう銀河の敵なんだ、いまさら強盗の一つや二つ」
「そういう事じゃないのよ。そんなことしたら、マード君はきっと捕まる。私は一人ぼっちになる」
「……そうだね、守れなくなっちゃうね。ごめんプレアさん。それより寝てなくていいの?」
 プレアは微笑んだ。剥き出しの細い腕をぶんぶんと振ってみせる。
「今日は平気。熱もぜんぜん出さなくなったし。あとはリハビリとかいうのをすれば動けるようになるんじゃないかな」
 宇宙船を下り、この人工惑星サダラカインで暮らすようになって以来、プレアの身体は徐々に快方に向かっていた。やはり、「刻印航法」による負担がなくなったのが大きいだろう。医者に見せられないのは変わらなかったが、マードが買ってきた医学書に基づいて簡単な治療を行い、栄養価のあるものを食べさせて休養させ……それだけで、プレアの熱は下がり、吐き気を訴えることもなくなった。青黒く腫れ上がっていた足は普通の状態に近づいた。
 ただ、骨がつながるまでには長い時間がかかるはずだ。一ヶ月では無理だろう。しかも無理に連れ回して悪化させたから、伸びることはあっても縮むことはないだろう。
「いや、リハビリはまだ危険だよ」
「でも、早く動けるようにならないと。いつまでも杖を突いてたら怪しまれるし、いざという時には走ったりできないと」
「ああ。……それはね。……正直、やらなくちゃいけないことはたくさんあるのに、出来る事は毎日少しずつ少なくなって……」
 マードは憮然とした表情で言葉を切った。
「……なんでもない」
 プレアさんを心配させちゃいけない、そう思っていたはずなのに、うっかり愚痴をこぼしてしまった。それがはずかしいのだ。
 だがプレアはその態度が気に入らなかったらしい。かつんかつんと室内を歩いて行き、二つあるベッドの片方に腰をおろす。
 そして腕組みして、マードを見つめた。
「黙ってたら分からないよ。ね、困ったことがあったら聴くから。私は身体が動かないし、お金も稼げないけど、その、アドバイスくらいなら出来るし、せめてそっちの方で役に立ちたいから」
 強い調子ではなかった。だが必死で訴えていることが伝わってきた。拒否したら泣き出しかねない。
「……いや、その。プレアさんは」
「プレアさんは何も心配することない、全部大丈夫、僕が何とかする、っていいたいの?」
「……うん」
「駄目よそんなの。私も、最初にそういってくれたときは凄く嬉しかったよ。あの宇宙船の中で、手を握りながら大丈夫大丈夫って言ってくれたときも。暖かいものがつたわってきたよ。
 でも、ずっとそれってのは、おかしくないかな。困ったことがあっても、何が問題なのか教えてくれないってのは、つまり、私の事が邪魔だっていってるんじゃない」
 マードが、絆創膏とマスクに覆われた顔を硬直させる。
「……ちがう! そんなことは絶対にない!」
「じゃあ、教えて。何もかも教えて。そのマスクをとって、側に来て」
 無言で、マードは従った。
 プレアによりそう。
「……ごめんね、怒るつもりはなかったのよ。でも、こうやって守ってもらってるだけだと、すごく自分が嫌な奴になったみたいで。戦うとか働くとか、そういう面倒なことを全部マード君にやらせて、自分はこの部屋で昼も夜も寝てるだけ。ご飯も買ってきてもらう。自分でやるのは、せいぜい身体を拭くぐらい。このままだと、いくら何でも悪いなって」
「……判った。教えるよ。ぜんぜん教えなかったのは悪いと思ってる。
 はっきり言うとさ。
 僕の計画はもうぐちゃぐちゃなんだ。
 この銀河には四つの国があるってのは話したよね。帝国を倒した四つの種族が国を作ったんだって。精神エネルギー文明をもった爬虫類種族の国、ゴドアゴ帝国。鳥みたいな種族が治めるクファール連邦、尻尾が生えた猿型種族ドロパ人の、ドロパ連合王国。最後に、緑色の髪をした猿型種族アスキュル人の、アスキュル共和国。
 一番極端なのはゴドアゴ帝国だけど、どの国も地球人が生きていることを許してはいないんだ。クファール連邦は、科学の発達が一番大事だって考えだから、地球人の科学者とかを匿ってるって話だけど、でもプレアさんは科学者じゃないし。ようするに、国家にとって役に立つなら生かしておいてもらえるかも、っていうくらいだから。
 それじゃどこへ逃げればいいのかって事になるとね、これはもう『辺境』しかない。アスキュル共和国の端っこ、つまり銀河系の一番外側に、国家の力が及ばない場所があるらしいんだ。宇宙海賊とかマフィアとかの犯罪組織がたくさんあって、それが国の代わりに惑星を支配しているらしいんだ。
 で、そこなら、もしかしたら地球人でも生きていけるかも知れない。国の法律にどれだけ違反していても、それは関係ない話だし。地球人もいるって話だよ。重要なのは実力なんだって」
「……それは、どれだけ確かな情報なの?」
「映画で見た」
「そ、そんな根拠で!」
「でも、もしかしたらって可能性が少しでもあるなら、無視は出来ないよ。それからもうひとつ、地球人が生きていける場所は……」
「うん」
「この銀河系の外」
「え?」
「銀河系の外には誰も住んでない。でも球状星団とかいろいろ星はある。ほかの銀河系まで行ってもいい。そこまで行って、人間の住める惑星を探して、そこに住む。家とかも全部自分で作って」
「そんなの、無理よ」
「絶対に出来ないとは言い切れないよ。もちろん航続力はぜんぜん足りないけど、燃料は水素だから補給できる。食料はたくさん積んでいくか、船内で作る。五年、一〇年という旅になるけどね」
「……」
 スケールの大きさに、プレアは圧倒されているようだ。マードの顔を見つめるばかりで言葉を出せずにいる。
「まあ、どっちにしても凄い大金が必要なんだ。犯罪組織が支配する所になんて客船が行くわけ無いんだから、宇宙船を手に入れなきゃ。銀河の外に行くのは、もっと大変だね。僕はこっちが本命だと思っていたんだけど」
「じゃあ、働いたくらいじゃとても駄目じゃない!」
「うん。働いて金を貯めて、プレアさんの怪我が治るのを待って、それから行動するつもりだったんだ。武器を買って、宇宙船を奪うとかね。銀行とかを襲って大金を手に入れても良い。でも実際には、仕事すらほとんど見つからなくて。僕は若すぎるし、身元がはっきりしてないし、ちゃんとした資格があるわけでもないし……結局、泥棒をやらないと食べていくこともできない。ごめんね、プレアさん」
「謝ることなんかないよ。マードくんは頑張ってるんだから。そこまで考えて……」
「もう一つ心配なことがあるんだ」
 プレアの言葉を遮るように、マードはそう言った。
「……僕はもしかして人が殺せないかも知れない」
「……どういうこと?」
「今日、お婆さんの荷物をひったくるときにね、ああ抵抗しなくて良かった。抵抗していたら死なせていたかも知れないって思った。それで、想像してみたんだ。僕がその人を殺して金を奪ってるところを。怖くて怖くて仕方なかったよ。勝手に身体がぶるぶるって震えるんだ。でも、このままじゃ駄目だね。いざとなったら誰でも殺せるようにならないと、プレアさんを守れないもんね。宇宙船だって強奪できないよ。だから大丈夫だから。必ず殺せるようになって見せるから。必ず、必ず」
「マード君……」
 プレアの表情が変化した。涙をこらえているかのようだったが、いまはただ驚いている。
 その顔のまま、プレアはマードを抱きしめた。二人してベッドの上に転がる。
「……そんなにまでして……つらくは、ないの?」
 シャツ一枚を通して伝わってくるプレアの体温と弾力に戸惑いながらも、マードは答えた。
「……つらくなんかない。これは僕が僕の意志で選んだことなんだ。もし、プレアさんを助けて逃げなかったら、僕はずーっとずーっと、何年も後悔したと思う。だからこれでよかった。まあプレアさんが、僕なんかに助けられたくなかったっていうんなら話は別だけど。どう? 僕に助けられるの、嫌だった?」
 プレアは黙った。そして頬を膨らませた。
「……マードくんはずるい。そんな言い方されて、はい嫌ですなんて答えられる人間がいるわけない」
「……でも嫌じゃないんだよね。じゃあ、この問題はもういいよね。
 それより重要なのは、今の状況をどうやって解決するかだよ。
 もう隠してもしょうがないからいうけど、ついに盛り場に僕の写真が貼られるようになったんだ。だんだん行動が制限されていく。だから僕はいま迷ってるんだ。このままでは捕まるから、その前に一か八か、強奪計画をやっちゃうか。それともプレアさんが治る間で待つか。常識で考えればあとの方なんだけどね……」
「……うん。わたしも、その方がいいと思う。歩くのもやっとなんて、足手まといに決まってる。これを直さないと何も出来ない」
 その時プレアの腹が鳴った。盛大に。
「あ……」
 マードは弾けるような短い笑いを発する。
「あはは! 身体はすごく治りたがってるみたいだね! うん、ご飯たくさん買ってきたから」
「あ、ごめんね」
「もう、プレアさんは……どうしてすぐ謝るのかなあ。僕は好きでやってるんだよ、ちっとも迷惑なんかじゃないよ。プレアさんにお願い。謝られるの嫌だから。謝るのやめて。助けてもらったら、『ごめん』じゃなくて『ありがとう』。……判った?」
 マードが明るい調子で言ったので、プレアも軽く「うん、判った。ありがとう」と答えた。
 マードが笑顔で立ち上がり、床に置いたままの買い物袋に近づいたその時。
 どんどん。
 ドアがノックされた。
 どんどんどんどん。
 ノックは続いた。
 マードはドアに歩みより、ドアに取り付けられた小さなレンズ越しに外を見た。
 ドアの前に立っているのは、黄色いゆったりとした服を着た猿型種族だった。地球人や、マード達エンファード人とかなり似ているが、頭の左右に大きな角が張り出している。デュオケイル人だろうか。
 治安警察には見えない。だがいまのマード・プレアにとって味方などいるはずがない。だから居留守を使おうと思ったのだが、一瞬で考えを変えた。
 今の今まで自分とプレアは喋り、笑い声まで上げていたのだ。誰かいることが判らなかったはずがない。いまさら無駄だろう。
だが、用心はするべきだ。
 振り返る。不安げな様子でベッドに座っていたプレアに目配せする。だがプレアは首を傾げるばかりだ。伝わらなかったらしい。人差し指と親指を立てて「拳銃」の形を作る。ようやく伝わった。プレアは緊張に満ちた顔つきになり、足を引きずって粗末なデスクに近寄る。デスクの引き出しには拳銃が隠してあるのだ。
 どんどん。どんどんどんどんどん。
 ノックはまだ続いている。
「どちらさまですか?」
 意を決して問いかける。
「……助けにきました、マードさん」
 間違いない、こいつは!
「私はそんな名前ではありません」
 精一杯冷静そうな声を作って答える。
 手に金属の感触。プレアが拳銃を握らせようとしているらしい。
 しっかりと握った。
 早くも手のひらに汗がにじんでいるのが判った。
 ……プレアさんはまだ足が不自由だ。走れないし、ましてや窓から飛び降りるなんて問題外だ。つまり、いまのうちにプレアさんだけ逃がすことはできない。
 僕がここで、いま、この人を殺して、突破口を開くしかない。さいわい階段を下りてアパート脇の簡易駐車場までたどり着ければ、そこには浮遊スクーターがある。ひったくりに使ったものだが、ナンバープレートだけは取り替えてあった。
 だがそこにいくまでに、まず、撃つ。
 相手に戦う暇を、対処する余裕を与えずに、一発で。
 ……撃てるか? 殺せるか?
 必ず、やる。
 やらなければいけない。
 安全装置を外した。撃鉄を起こした。
 なぜかぬるぬると手が滑る。
 ドアを開けよう。そして相手が入って来た途端に撃つ。それが一番良い。
 ドアの鍵に手を掛けようとしたその瞬間。
 ドアの向こうにいる人物はこう言った。
「……撃ったら、ただでは済みませんよ?」
 マードの心臓が跳ね上がった。
 なぜ判った。なぜこのタイミングで。心が読めるのか。そんなばかな。
「確かにサダラカインでは銃を持つのは自由です。しかし撃つとなると話が違う。私を射殺すればなおのことです。銃声を聞きつけて、治安警察が押し寄せてきます。怪我をした女の子を連れて、どうやって逃げますか? いままでやってきたちゃちな泥棒とは訳が違います」
 こいつ、僕が泥棒をやっていることまで。
どうする? こいつの言うとおり、一発でも撃ってしまったら逃げるのは格段に難しくなる。最悪なのは、球形モジュール同士を繋いでいる通路をふさがれる、あるいは検問を行われる事だ。それをやられたら最後、このちっぽけな球形モジュールに閉じこめられる。
 よし。
 撃つのはやめだ。
 殴ろう。この拳銃で思いっきり。
 急所ならかなりの威力があるはずだ。
 と、そう思って、ドアの鍵を解除した。
 その瞬間、背後で「きゃっ」という声が。
 バネ仕掛けのように勢いよく振り向く。
 アパートの窓が開いていた。
 そこから、蛇が滑り込んできていた。
 ルビーのように赤い鱗の、巨大な蛇。
 蛇はとても素早かった。マードが見たときにはもうプレアに巻き付いていた。
 唖然としていると、後ろでドアが開く音がした。
 手首をつかまれた。あっさりと拳銃を奪われた。もがいたが、相手の力はあまりにも強い。さらに、足払いを受けた。上半身で抵抗することに注意が向いていたため、マードの膝は紙細工のように折れた。
 床に這いつくばった。
 自由に動く方の手をついて立ち上がろう……とした瞬間、背中に誰かがのしかかってきた。ちょうど胸の裏側あたりに馬乗りになっているらしい。それでも手を突き、人間一人の体重を振り払ってでも立ち上がろうとしたが、出来なかった。自由だった方の手もねじり上げられたのだ。腱と筋肉が悲鳴を上げる。
「動かないでください。私はまだ銃を持ったままなんです」
 マードの身体から力が抜けた。
 なんだこいつらは。なんだこの強さは。
 まるで魔法のように、ほとんど一秒か二秒という時間のうちに、二人とも行動不能にさせられてしまった。
 いや、僕が弱いのか。
「どう思います、姐さん」
 マードにまたがった男がそう言った。
 その問いに答えたのは、何と蛇だった。
 赤い蛇が口を開け、明瞭な発音で答えたのだ。腕組みまでしている。そう、よく見ればこの蛇には、肉食恐竜の前脚を思わせる腕があった。
「……そうだねえ、敵が一人と決めつけて後ろを警戒しない……動作をするときに隙が大きすぎ……そもそも格闘の素人で、銃を撃つことの意味も分かってない……正直がっかりだよ、こんなんじゃこの子を守れっこない」
「では、いままではただ運が良かっただけですか?」
「まあ、そういうこったね。だがまあ、根性はないわけじゃない。鍛えがいはあるんじゃないかい」
 ようやくマードは、この二人が自分の思っていたような者達ではないことを理解した。
「あなたたちは……?」
 蛇が答えた。
「そっちの黄色いのが言ったろう、助けに来たんだよ。
 あたしはラルヴァ。みんなは姐さんって呼んでるが、まあ好きに呼びな。それからそっちのはクアン。あたしの子分だ。
 それから。
あたし達は『ジュマー』さ。ゴミ野郎の集まりだよ」
 『ジュマー』。
 それは確かに、ドロパ語で「ゴミ」「クズ」を意味した。

 四

 車の中で、後部座席に座ったマードは、助手席でとぐろを巻いているラルヴァと会話していた。
 窓の外に広がる、球形モジュールの密林を見ながら。
「……つまりラルヴァさんとクアンさんは、いわゆる被差別民族というか」
「まあ、そうだな。あたしとクアンを見れば判るとおり、種族は一人一人みんな違う。でも共通点があって、だからゴミって言われてるわけよ」
 あれからマードとプレアは、ラルヴァ・クアンと行動を共にしていた。
 あたし達は、あんた達を助ける為に来た。信用できるなら付いてきな。
 その言葉を完全に信じた訳ではない。だがこの二人が治安警察であったり、その協力者であるとは思えない。仮にそうなら、あの場で射殺なり、逮捕なりすれば良かった。何故こんな芝居を打つ必要があるのかわからない。
 だから付いていった。すると二人はアパートの前に停めてあった浮遊車に乗り、この球体モジュールの一番外側、つまり一番上の階層まで上がった。そして古びたエアロックを開け、宇宙に出た。
 いま、車はゆっくりと、球体が無数に連なる中を飛んでいる。マードは若干の恐怖を感じていた。運転席のクアン、助手席でとぐろを巻いているラルヴァは平然としているが、この車はあくまで車であって宇宙船ではないのだ。高度な航法装置など積んでないし、人工重力式の推進装置しか積んでいない。すぐ近くに球形モジュールの人工重力があるから良いようなものの、なにかの拍子にスピードを出しすぎ、何もない場所に飛び出したら、この車は全く方向転換出来なくなる。生命維持装置だって、本物の宇宙船に比べれば貧弱なもののはずだ。
 だがマードは黙っていた。
 プレアと二人並んで後部座席に座っているのだ、プレアを安心させるためには自分は平然としていなければいけない。
 それに、ラルヴァ達の話は興味深かった。
「共通点は……なんでしょうか?」
「あの戦争さ。あたし達は、あの革命戦争の時地球人に味方したんだよ」
「……!」
 プレアが息を呑む気配が伝わってくる。
 プレアにとってあの戦争は、ついこの間の現実なのだ。
「戦争が激しくなってくると、このサダラカインでも暴動が起こり始めた。鎮圧しきれなくなって、もう戦争状態。そのうち銀河解放軍が増援を送ってきやがって、後は防戦一方。いやあ酷かったよ、さっぱり物資が来なくなって飢え死にする奴も出るしな、そこいら中で銃撃戦があってな。で、そんな中であたしらは地球人の為に戦ったわけよ。理由はさまざまだよ。恩義があったとか、尊敬できる上司だったとか、ただ臣民の義務だからとか。解放軍が憎いからってのもあったな。友達とかを殺されてな。
 まあ、理由はともかく戦った。あたしらは結局負けて、裏切り者っていうか『敵』っていう扱いを受けることになった。ドロパの法律にそうしろって書いてあるわけじゃないんだが、実際にあたしたちは戸籍がない。役所の登録上、存在しない人間なんだ。確かに、見つかり次第捕まるとか射殺されるとか、そんなことはない。あんたらよりだいぶマシかもね。でも、普通の連中がやるんだ。あたしらがと外を出歩くと、面白半分に石を投げられたり、路地裏で袋叩きにされたりするけどな、そういうとき警察は何もしてくれない。病気になっても医者は診てくれないしな。いや、たまに見てくれる先生もいるよ、だがそのときはこっちからお断りすることにしてる。その医者がひどい目にあわされるからさ。ゴミ人間どもに触ったぞ、汚いって言われてな。だから出来るだけ外にでずにいる」
「……ひどいですね」
 マードはうめくようにそう言った。
 だがプレアは違った。
マードと同じくらい沈痛な面もちで、頬に手を当ててその表情を隠そうとしながら、彼女はこう言ったのだ。
「……それ、おかしいです。だったらどうして、ラルヴァさんたちは生きてるんですか」
「どういうことだい、お嬢ちゃん」
「私、見ました。地球人が次から次へと処刑されていくところ。映像放送で、反乱軍が流してたんです。地球人も殺されましたけど、地球人の味方をする人達も殺されました。召使いも、兵士も殺されました。あれから二十年経ったのに、まだ地球人の味方をする人は殺されるんですよ。だから。もし本当にラルヴァさんたちが地球人側について戦ったんなら。生きていられるはずがないんです」
 マードは驚いてプレアの顔を見た。
 前部座席のダッシュボードが発する光に照らされたプレアは、泣き出しそうな顔をしていた。
 恐怖ではなく悲しみがあった。そしてその悲しみから眼を逸らすまいという意志があった。そしてその表情のまま言った。
「……本当のことを教えて下さい」
「そうだね、あたしは卑怯だったよ。お嬢ちゃんの言う通りさ。あたし達は逃げたんだ。最後の最後で逃げたんだよ。仲間がほとんど死んで、辺りは死体だらけ、武器も弾薬もほとんどない。そのときあたしらは主人を捨てて解放軍に投降した。主人を撃ち殺した奴もいる。ふんじばって手みやげにしたやつも。だから生き残った。裏切ったんだよ。だから生かしてもらえた。革命に目覚めたとか言ってね。最後まで裏切らなかったやつもちゃんといて、そいつらはみんな死んだよ。いつだって、一番偉くて純粋な奴は生きて還ってこないのさ。
 そうさ、あたしらがゴミと呼ばれるのは、そういう理由もあるんだよ。ゴミとしか言いようがないだろう?」
「……」
「お嬢ちゃんは、あたしらを憎むかい。信用できないって思うかい。今回もまた裏切るだろうって」
「……それは。そこまで言うつもりはありません。過去は過去だと、私は思います」
「あんた良い子だね、お嬢ちゃん。信じられないくらいだ。あたしゃてっきり罵倒されるんだとばかり思ってたよ。あんた達が裏切ったりしたから仲間が死んだんだ家族が死んだんだって」
 プレアは不自然に平板な声で答えた。
「……だって。そういう恨みとかは、もう嫌ですよ。そんなこと言ってたら、何もできなくなっちゃう。今考えてるのは、私自身が生きることです。それからマード君が生きること。そのために力を貸してくれるって言うんなら、信じます」
「たいしたもんだね。二十年経ってもずっと引きずったままのあたしらにくらべて、実に前向きじゃないか。銀河のみんながあんたみたいだったらどんなにいいだろうねえ」
 するとプレアは苦しげな表情を見せた。胸の奥で棘だらけの棘だらけの何かが転がっているような。
「……そんな立派なものじゃないです」
 それにはラルヴァも答えなかった。
「さあ、そろそろ着くよ」
 四人の乗る浮遊車は、球形モジュールと別のモジュールの隙間で止まった。恒星の光はここには届かない。真空だから日陰は完全な暗黒である。だが車のヘッドライトがその闇を切り裂き、前方に物体を浮かび上がらせていた。
 宇宙船だった。回転楕円体、言ってみればラグビーボール型の、きわめて一般的な船。表面はビスケットのようにボロボロだ。その後部に噴射ノズルはない。その部分は取り外されているらしい。船は球形モジュールの外壁に固定されていた。
「ここが、あたしたちの家だ。なに心配するな、見かけはボロだがちゃんと住める」
 車は、その宇宙船の船腹に取り付けられた大型エアロックに潜り込んだ。 
「おりな、ここは重力がないから気をつけるんだよ」
 そういってラルヴァはドアを開けて漂い出る。プレアとマードは続いた。
 そして、エアロックの内扉を開けた瞬間。
 人が飛び出してきた。
「わあああい!」
 叫びを上げて。
 飛んできて、マードに抱きついた。
「わ!」
 全く予期していなかったのでマードは叫んだ。とっさに身体をこわばらせる。だが自分の身体にしがみついているのが、敵意をまるで感じさせない生き物であることに彼は気づいた。
 それは全身を茶色く短い毛で覆われた、小柄な生き物だった。
「やめなさい、メント、お客さんが怖がってるぞ」
 そういって船内から現れたのは、マードに抱きついた生き物をふた回りほど大きくしたような種族だった。マードは映画でみた「犬」という動物を連想した。
 「メント」と呼ばれた生き物は「えー、とうさん、でも」と言いながら、器用に身体を回転させてマードから離れた。
「恥ずかしいところをお見せしましたな、マードさん、プレアさん」
 犬型種族は言った。
「この子は寂しがってたんですよ、年寄りばかりで、子供が自分しかいなかったから。ごめんなさいね。
 ……ようこそ、私たちの家へ」

 五

 飾り気はないが頑丈そうな丸いテーブルを囲んで、人々は集まっていた。
 全員で七人。
 ここは食堂で、会議室も兼ねているというのがラルヴァの説明だった。電力を節約しているのか、ここには人工重力は働いておらず、人々の前にはゼロG用のコップが置かれている。
 先ほど「とうさん」と呼ばれた犬型種族が言葉を発した。
「私がパウト。動力や生命維持装置など、この船の整備・管理を担当している。こっちのはライネ、私の妻で、食料の生産を担当」
「おかーちゃんはいつもすごくがんばってるんだよ?」
「はは、メントの言うとおり、我々が飢えずにいられるのは食料プラントと水耕農園のおかげなんですよ。で、こっちのでかいのが」
 ひときわ大型の猿型種族がうなずいて、名乗る。
「バガンドです。医者のまねごとをしています」
 その脇の、対照的に小柄な猿型種族が言った。金属的な声だ。
「僕はコーレン。コンピュータやデータ通信系が専門。このサダラカインのどこで何が起こってるのか把握するのが仕事なんだ」
得意げに笑うコーレン。
 こんな具合に全員が自己紹介した。
 最後にクアンとラルヴァが一礼する。
「……私はクアン、ラルヴァの補佐をしています」
「ラルヴァだ。見てのとおり、ここの頭目をやっている。といっても、あたしは看板みたいなもんだ」
「とんでもない、いざというときの姐さんは絶対間違えない、そう思ってるからみんな付いていくんですよ。今回の件だって、姐さんが助けようって言わなければ」
「余計なこというんじゃないよ、パウト。
 まあ、ここにいるみんなはお嬢ちゃんと兄ちゃんを歓迎するよ、そうだろ」
「もちろん、賛成です」とクアン。
「……ええ、姐さんがそういうなら」とパウト。
「良いんじゃないでしょうか」とライネ。
「僕達の目的にも合致するし」とコーレン。
「異論ありません」とバガンド。
「ぼくもー!」とメント。
 マードは先ほどから信じられない思いで人々を見渡していたが、いまやっと判った。
 安住の地が、受け入れてくれる場所が、ここにある。そう言うことか。この銀河にそんな場所はあり得ない、そう思っていたのに、こんなに近くに。
「……本当に、良いんですか」
「もちろんさ」
「ぼくたちがここにいるせいで、ただでさえ差別されてるのがもっと酷くなるかも。ここに警察が殴り込んできて、みんなを殺してしまうかも。それでも良いんですか」
「だから疫病神だ、迷惑掛けたくないってのかい? 大丈夫、あたしらは人間扱いされない生活を二十年続けてきたんだ、いまさら怖くなんかないね。あんたらが殺されないよう、全力で守るし」
 マードの中で喜びが爆発した。
「やった! やったよ、プレアさん! ……プレアさん?」
 プレアは喜んでいなかった。胸元でぎゅっと拳を握りしめて、いまだ何かをこらえるような表情のままだ。
「……どうしたの? うれしくないの? この人達が信用できないのか?」
「そうじゃないの。……ラルヴァさん」
「なんだい嬢ちゃん」
「どうして、私たちのためにそこまでしてくれるんですか? その理由が判らないと、わたし」
「本当はわかってるんだろう、嬢ちゃんは」
「ええ。……償いたい、んですよね」
「そうさ。あたしらはみんな、地球人を裏切って逃げてきたんだ。事情はいろいろだがね。その結果がゴミと呼ばれ続けるこの毎日さ。地球人と一緒に処刑されるべきだったとか、戦いで死んだ方がましだったとは言わないさ。だが、どうしようもなく悪いことを下のは確かさ。だから、今度は地球人を守りたい」
「……それは」
「そうさ、偽善だよ。自己満足さ。だが、そう思うのはいけないことかい? あたしたちは完全にゴミになっちまったわけじゃないんだ、世界中の誰がなんて言おうとあたしは知ってる、そう思いたくて行動するのはいけないことかい?」
 プレアは沈黙した。
「それだけが理由のすべてじゃないですよ」
 とはパウトの言葉だ。
「人手が足りないことも事実です。ニュースでは、マードくんは機械いじりが得意だという話でしたが……常温核融合発電器、メンテナンスできますか? 重力ホイールは」
「小型のものなら」
「いま残っているのは小型です。プレアさんも、探せばきっと出来ることがあるはずです。今までは良かった。でも誰かがかけたら? 後継者は、せめて助手はいないのか? そう、これから何十年も生きて行くことを考えれば、若い人が入ってこなければ駄目なんです」
 パウトの隣に座っていたライネが、夫の顔を鼻でつついた。
「どうしたライネ」
「一番大事なのを忘れてるわよ」
「ああ、そうか。……この子、メントの遊び相手になってあげてください。この子はこの船で生まれて、ずっとこの船から出たことがないんです」
「それは……」
 プレアは、母親にしがみついているメントを見つめたまま口ごもった。
「プレアさん。ここにいようよ」
「……うん。わかりました。ここにいさせて下さい」
「ああ、歓迎するよ。
 たったいまから、あんた達はあたしらの家族だ」

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