第六章
一
「マードくん、これでいいはずだよな」
「問題ありません」
ここは第二機関室。そこら中にパイプがのたくっている部屋だ。パイプや配線が不自然に多いのは、この宇宙船が二十年間に数え切れないほど改修されてきたという証拠だろう。
機関室にある制御パネルとモニターを、作業服姿のマードと、同じく作業服に身を包んだパウトが見守っている。
ここに重力はないらしく、長髪一歩手前まで伸びたマードの髪は逆立っている。だが二人とも浮かんではいない。しっかりと足を地面に付け、手すりをつかんでいる。
操舵室から遠隔操作もできる。事故のことを考えればそちらの方が安全だろう。
だが自分の直した機械がちゃんと動くかどうか、目の前で見たいというのが人情ではないか。
「よし、じゃあスイッチをいれるぞ」
「はい」
パウトが、鼻をヒクヒクさせながら、毛の生えた手でスイッチを操作。
壁の奥で低い唸りが始まった。
マードの足を、身体を、目に見えない手がつかんだ。重力だ。さきほどまで微塵も無かった重力が、わずかとはいえ現れていた。しかも次第に強くなっていく。
モニターに表示されたグラフを見たマードが力強くうなずく。
「重力が上がってます。ニュートロニウムの流速は……」
「まだだ。安定するかどうか。それに船全体に同じように作用しなければ成功とはいえない」
パウトの言葉は杞憂だった。ものの三十秒もすると、床面に働く重力は慣れ親しんだエンファードと同じくらいになった。たいがいの種族が「標準的」と考える重力だ。そして安定した。電車ほどの揺れもない。
「他の箇所はどうだっ」
興奮を隠せずに、パウトはパネルを操作し、モニターにこの船のワイヤーフレーム画像を表示してぐるぐる回してみる。
「成功だ。どの場所も正確に0.97Gだ」
「よかったですね」
「感謝するよマードくん。そうか、微細管が歪んでたのか。てっきりニュートロニウムのシーリングが不完全なんだとばかり……」
「それなら少しずつ弱くなるはずですよ。安定した重力がだせないってのは空間歪曲共振の異常ですよ。不協和音みたいなものです」
「最高だ! よく独学でここまでできるな」
「いや、それほどでも……」
謙遜して見せるが、マードは本当は、踊り出したいほどに嬉しかった。
ここには自分を必要としてくれる人達がいる。そしてこの人達は心から自分を信頼してくれる。かつて地球人を見捨ててしまったから償いたい? それもあるだろう。だがそれだけでは、もっとずっとぎくしゃくした関係になっていたはずだ。
ここの人達は。本当に僕のことを家族だと思ってくれてるんだ。
それに……
その時、背後の扉が開いた。
振り向いたマードの目の前に現れたのは、プレア。
髪や肌は染めていない。元通りの金色の髪を揺らしている。
「もう、急に重力をつくらないでよ! 落っこちて痛かったんだから!」
「いや、でも、ちゃんと昨日の晩ご飯の時にいったよ。明日十時頃に人工重力のテストをやるから気を付けてくれって」
「そんなの聞いてないわよ」
「確かに言ったって」
「まあいいわ。それより、重力は完全に直ったの?」
「うん。まだ長時間連続運転のテストはしてないけど、まあ問題ないんじゃないかな」
「よかった。これでメントくんの身体が弱らずに済むね」
重力のない場所では身体の筋肉や骨が衰える。それを防ぐためには厳しいトレーニングが必要だ。半年ばかり前に重力制御装置が壊れて以来、船の人々は筋肉トレーニングを欠かしていなかった。いざというとき立てません走れませんでは困るからだ。だがメントはそれをいやがり、しょっちゅうさぼるのだという。成長期の子供がそんなことをすれば、無重力の場所から一生出られなくなる。
マードとパウトが重力発生器を修理していたのは、「このままでは不便だから」ということもあるが、なによりメントという子供の発育のためだったのだ。
「でも今頃は泣いてるかもね。重いよーいやだよー前のほうがいいよーって」
「その時はプレアさんが言って聞かせればいいよ。でもがんばらないと歩けなくなっちゃうよって。あの子、プレアさんの言うことなら聞くから」
「うん。それはわたしにも不思議なのよね。種族もぜんぜん違うのに。この間なんて、『本当のお母さんみたい』っていわれちゃった」
そこに、父親であるパウトが首を突っ込んできた。
「ああ、それは妻も言ってましたよ。プレアお姉ちゃんプレアお姉ちゃんってうるさいくらいで。どうしてなんでしょうかねえ? 外から来たってのが大きいのかな。外に憧れて」
「まあ、あり得ない話じゃないけど。あ、それより足は大丈夫? もう重力に耐えられるとは思うけど」
「うん。もう大丈夫。やっぱりお医者さんがいると違うね」
「いや、そりゃめでたい。じゃあ回復祝いと言うことでパーティーやろう」
「もう、パウトさんはお祭り好きなんだから。つい半月くらい前にもやったばかりでしょう」
「あれは、マードくんプレアちゃんがここに来てから一ヶ月、というパーティー」
「パーティーと言うより宴会でしたよ。ライネさんは、あれで船のお酒が半分なくなってしまったっていってましたよ」
プレアはしばらく前から、ライネにくっついて食料生産を手伝っていた。急速に仕事を覚えてるらしい。仕事の話をするプレアは本当に楽しそうだ。
「お酒だけじゃなくって食べ物も使いすぎです。培養プラントはあんまり調子よくないし、肉類の消費は減らして、貯めておかないと。マードくん、培養プラントの修理ってできるかな?」
「いや、さすがにバイオテクノロジーは専門外なんだけど……」
「マードくん、もともと専門の教育なんて受けてないじゃない。でも見よう見まねであれだけ出来る。だからきっと培養プラントも直せるって」
「無理だよ」
「そうだ!」
そこでパウトが手を叩いた。彼の手には肉球があるので大した音はしない。
「快気祝いが駄目だというなら、結婚式はどうだ! これなら名目として文句ないだろう!」
「……結婚式? 確かにそれはそうですが、誰の結婚式ですか? えーと、ラルヴァさんとか?」
「姐さんは生涯独身だってさ。理由はおしえてくれないが」
「じゃあ誰ですか?」
パウトが指を一本突き出し、マードとプレアを指さした。
「ええ!?」
「どうした二人とも。そんなに驚くようなことか?」
「だ、だって……」
絞り出すようにしてマードが言うと、パウトはさぞ不思議そうに首を傾げた。
「君たちは恋人同士じゃないのか?」
「ち、ちがいますよ!」
と、こちらはプレアの叫びだ。
「わからないな。じゃあどうしてマード君は、命がけでプレアちゃんを守って、ずっとここまで逃げてきたんだ? プレアちゃんもどうしてマード君を信じた?」
「いや、その」
「好いた惚れたなしでは考えられないと思うんだがなあ。じゃあ逃げてる途中に惚れたりしなかった?」
「そんなこと、考えた事もなかったです」
プレアが言った。恥ずかしがっているのか、単に当惑しているだけなのか判りづらい表情だった。
「だって、殺される殺されるって、どうにかして逃げなきゃ、どうしても駄目なら反撃して相手を殺さなきゃって、ずっとそればっかりだったんですよ。誰が好きだとかそんなの、ぜんぜん考える余裕なんかなくて」
その言葉を聞いて、パウトは「ふぁっふぁっ」と息を吐いた。
これはこの種族なりの「笑い」の表現なのだと、マードもプレアもすでに知っていた。
「……可哀想だな。辛かったろうな。でも、今はもう大丈夫、そういうことを思って良いんだ」
プレアはその言葉に強いショックを受けたらしく、呆けたように突っ立っていた。
その時、壁の電話が鳴りだした。パウトが応対する。
「あ、第二機関室です。姐さんですか? え? ふたりを? わかりました」
電話を切ると、パウトは真面目そのものの口調と声色で、二人に告げた。
「……姐さんが呼んでる。通信室に行ってくれ」
二
「ねえ」
「なに?」
第二機関室から通信室までの、道のりとも言えないような道のりの途中、プレアはマードに話しかけた。
「私たちって、幸せなのかなあ」
マードは一瞬戸惑ったが、すぐにうなずく。プレアを見つめて微笑んだ。
「そうだよ」
「幸せ、かあ……そうだよね。食べ物があって、寝るときに安心できて、楽しみがあって、頼りにしてくれる人がいて、これって幸せに決まってるよね」
「うん、そうだよ。それでね」
マードは上の階層に続くタラップを昇りながら言う。プレアが追いかける。
「それでね、自分が幸せになっていいのかなあ、って言うことを訊くつもりならね」
「うん」
「なっていいにきまってるだろう、って僕は答えるね。だってプレアさん、今まで凄く辛い目に遭ってきた。何にも悪いことしてないのにそんな目に遭うなんておかしいよ。そろそろ幸せにならないと釣り合いがとれないよ。まあ、僕の力でないってのはちょっとがっかりかも知れないけど。でも、そんなのは関係ないよね。僕がのぞんでいた、プレアさんが望んでいた結果になった。だったら良いじゃないか、僕が助けたかどうかなんて関係ないじゃないか、そう思うんだ」
「……マード君ってさ。なんかすごく大人になったというか、達観してるというか」
二人は通信室のまえに着いた。だが入らず、話を続ける。
「そんなことないよ。今だから言うけど、僕は逃げようと思ったことあるんだ」
「え?」
立ち止まって、プレアはマードを見る。
彼は笑っていた。自嘲ではなく余裕の笑みだった。
「怖かったんだ。プレアさんの前では偉そうなこと言ってたけど、どうせずっと逃げられっこないんだとか、これだけ頑張ったんだからもう良いじゃないかとか、そんなふうに自分をごまかして逃げようと考えたことがあったんだ。宇宙船を乗り継いで逃げてた時も、サダラカインで仕事を探してた時も、ひったくりとかやってたときも。一人になるとそういう弱い気持ちがわき起こってくるんだ。
でも、そのたびに、プレアさんがひとりぼっちになったらどんなに怖いだろうって、そう思って、だから逃げずに済んだんだ。
プレアさんは僕のことを凄いっていうけど、その凄さはぜんぶプレアさんがくれたんだ」
「……」
プレアはすこしあっけにとられたような、少し照れたような表情で話を聞いていた。
「どうしたの」
「ううん。思い出してたの。ずっと昔、母さんに言われたこと」
「……かあさん?」
「うん。私が落ち込んでいるときに、母さんはよくこういったの。
プレアという名前は大昔の言葉で『祈り』って意味なんだ。生まれたとき、この子が幸せになりますようにって祈ったからプレアだって。だからいま辛いことがあっても、祈りはきっと届くから大丈夫だって。信じられる? 母さんは、戦争が始まってもそんなこと言ってたのよ。そんなの意味ないんだって思ってた。祈りなんて馬鹿馬鹿しい、いくら祈ったって弾が飛んできたら死ぬし、死んだら生き返ったりしない。祈りなんかに現実を変える力なんてない。私だって祈りたくなったことはあったけど、でも、無駄だって判ってて祈ってた。ただ不安なのをごまかしたくて祈ってた。
でも、無駄じゃなかったのかも。
奇跡みたいな確率で、マード君に逢えて、それからここの人達にもあえて、優しくしてくれる人達に囲まれてるなんて……」
「うん、そう考えても良いと思うよ。
祈っただけで奇跡が起こるなんて僕も思わないけど、でも、あきらめないための方法として祈るのは、無意味じゃないと思う。祈りたいくらい強い気持ちがあるのは、無意味じゃないと思う。たぶんプレアさんのお母さんは、そういう意味で言ったんだと思う」
マードは、言っているうちに気づいた。
ああ、これは僕にも当てはまる。僕がヒーローでいられたのはプレアさんが信じてくれたから。すごく真剣な気持ちがあったから。
だから僕も祈ろう。
明日がもっと良くなるように。
プレアさんがもっと幸せになれるように。
そう思って、マードは通信室のドアを開けた。
その瞬間。
頭の中を漂っていた暖かい空気は、一掃された。
三
通信室は、むしろコンピュータ・ルームと呼んだ方がいいようなものだ。ラックに収められた平たいコンピュータが数十台もある。モニターはそれより少ないが、それでも大小合わせて十台近くあった。通常電波・タキオン粒子両方の、あらゆる周波帯あらゆる放送に聞き耳を立て、暗号化を解き、このサダラカイン内部の放送・通信ネットワークに潜り込んで必要な情報全てをかき集められるシステムなのだ。コーレン一人でこれを管理するのは相当の負担であるはずだが、陽気な小猿はいつも鼻歌交じりでこのシステムを操っていた。
などということは、この際どうでもいい。
室内の空気があまりに重く冷たく、そしてそこにいる二人……コーレンとラルヴァが、それさえも上回る陰鬱な空気をまとっているということこそが重要であった。
「嬢ちゃん、兄ちゃん」
「……どうかしたんですか、ラルヴァさん」
「これを見てくれ」
ラルヴァは鳥の足を思わせる骨張った腕で、一つのモニターを指さした。
そこには宇宙船が映っていた。
一隻ではなかった。数百という数だ。
この小さな船を取り囲むように集まっていた。
「何です、これ」
「ついさっき来たのさ。地球人狩りだ」
「え?」
「だって、これまで一ヶ月以上何もなかったのに」
「そうだね、あたしも不思議さね。誰かが教えたんじゃないかと思ってるね」
ラルヴァのその言葉に、マードは息を呑んだ。
それは。
この船の中に裏切った奴がいるということ。
そのとき通信室の扉が開いて、バガンド、パウト、ライネ、クアンなどが飛び込んで来た。
「姐さん!」
「おや。呼ぶまでもなかったかい。宇宙船がこの船に接近してる。地球人狩りかもしれない。この二人を逃がしてやってくれ」
「待って下さい」
そう言ったのはライネだ。
茶色い毛に覆われた身体をピンと伸ばし、誇らしげに、挑むように、彼女は言った。
「……どうして逃がさなきゃいけないんです? さっさと突き出せば良いじゃないですか」
「あんた」
ラルヴァの声のトーンが低くなった。
「まさか、あんたが」
「そうですよ。私が知らせたんです。ここに地球人がいるって」
「そんな!」
叫んだのはプレアだった。
「ラ、ライネさん、どうしてそんな……あんなに、だってあんなに」
ライネは黒い眼をプレアに向けた。どこか哀れむような声で言う。
「あれは演技じゃありませんよ。プレアちゃんのことは好きです。優しくて良い子だと思います。何の恨みもない」
「だったらどうして? ねえ、ライネさん、冗談でしょ? 冗談なんだよね?」
「恨みはなくても理由はあるんです。
みんなも聞いてください。
ずっとここに閉じこめられていたいですか?
私たちはまだいいです。メントが可哀想だと思いませんか? 一生この船の中で生きて死ぬなんて、あんまりだと思いませんか? こそこそ隠れて、いつ止まるかも判らない動力に怯えて、たった何種類かの培養肉と野菜しか食べられない。でもここで地球人を警察に突き出せば、私たちはちゃんとした人間として認められるかも知れない。ちゃんと街に住んで、働いて、好きな人と結婚できる人生を、あの子に与えてあげられるかもしれない。……そう思ったんです」
ラルヴァは言った。それは聞き取りにくい、呻くような声だった。
「……馬鹿なことを。本当に馬鹿な事を」
「……バカ、ですか」
「ああ。あの子、プレア嬢ちゃんをあんなに慕ってたじゃないか。あんたは息子に教える気かい、自分の幸せのためなら友達を殺しても良いんだって、お前もそうやって幸せになったんだって」
「このまま、ゴミと呼ばれ続けて良いっていうんですか」
「本当のゴミになるよりはね!」
ライネは沈黙した。ラルヴァは灰色の目でクアンを一瞥して言った。
「裏切り者は処刑、と言いたいがそんな余裕ないね。あんたも働いてもらうよ。
さあ……」
黄色い法衣の男がうなずく。
「判りました。武器をそろえます」
「まった、クアン、あんたは車であの二人を逃がす役だ。運転はあんたが一番上手いんだから。あたしらが戦って時間を稼ぐ。その間にあんたが車で脱出。その後は、何らかの方法でちゃんとした宇宙船を手に入れるんだ」
「判りました」
クアンは冷静そのものの様子でうなずく。他の人々もこともなげに「判りました」と言った。
マードは混乱した。驚きと、わずかな恐怖すら感じていた。この人達はまるで死を恐れない。
自分たちと脱出するクアンだって生き残れる見込みは薄い。そして、時間を稼ぐためここにとどまって戦う人々には、ほぼ確実な死が待ち受けている。
どのみち、地球人を匿っていたことが判れば死刑は免れないのだ。
「何か言いたそうだね、兄ちゃん。あたしらが自分を犠牲にする必要はないって言うんだろ。そこまでする義理はないって思ってるんだろ。ああやっぱり俺は疫病神だったって悔やんでるだろ」
「はい。ぼくは、僕たちは、ラルヴァさんたちのおかげですごく幸せでした。みんなでご飯を食べながら笑ったり、惚れてるとか惚れてないとか言われてからかわれたり、そんな日が来るなんて信じられなかったです。夢みたいで……」
マードはそこで言葉を切った。胸が苦しくて、これ以上喋っていることが出来なかった。
「そうです。だからもう十分です。ライネさんの言うとおりにしてください。そうすればラルヴァさんたちは」
「このあほ!」
ラルヴァは叫んだ。
「へ……」
「アホと言ったんだ。そんなことを気にする必要がどこにあるもんかい。守ってやるっていったのはあたしだ、助けてやるとも言った。だったら最後まで助けるさ。その程度のこともできないで『助ける』なんて言いやしないさ。
それからね、あんた達はもっと幸せになっていいんだよ。まさか幸せになる資格がないなんて思ってるんじゃないだろうね? それこそくだらない思い違いだよ。他人がどれほど罵ろうと、あんた達は悪いことなんかやってない。だったら良いじゃないか。そうそう、メントも連れて行ってくれ。あの子は嬢ちゃんになついてた」
その瞬間。
プレアは爆発した。
彼女は電撃に打たれたように身体を硬直させた。顔が激情に歪められ、口から言葉がほとばしった。
「違うんです! 違うんです、ぜんぜんちがうんです! ぜんぶウソなんですっ!」
表情も声の調子も、号泣している人間のそれだった。だが彼女は涙を流していなかった。強すぎる感情ゆえに、涙を流す機能が壊れてしまったかのようだった。
「ど……どうしたのプレアさんっ!?」
「……ごめんねマードくん。ごめんねラルヴァさん。ぜんぶウソだったの。ずっと前からマード君のこと騙してたの。
私は悪いことしてないんだって言ったよね。マードくん、信じてくれたよね。でもウソなの。わたしは、凄く悪いことをしたの。放送で言ってるとおりなの。悪い地球人なの。殺されて当然なの……!」
四
それは、遠い日の物語だ。
平民達が解放軍を名乗って、プレアの住む星を暴れ回っていた頃。日に日に悪くなっていく戦況に怯え、我々はみんなころされるのだという予感に怯え、プレアたちが要塞都市にこもっていた頃。
プレアは部屋で、じっとしていた。
部屋は薄暗い。夕刻だというのに電灯をつけないからだ。先ほどまで小説を読んでいたのだが、全く頭に入らないのでやめてしまった。いまはただ、ベッドに腰掛けてぼうっとしている。
出来るだけ何も考えないようにしよう。プレアはそう思って、それを実行していた。父や母は、「辛いときは、楽しいことを考えなさい」というが、とても出来そうになかった。どうしても悪い方向に考えがいってしまう。
だから心を空っぽにしている。
と、その時。
外から何かが聞こえた。家のすぐそばだ。
笑い声。拍手。本当に楽しそうな。
なんだろう、あれ。
興味を惹かれたプレアは家からでた。
プレアの家の前に広がる道路で、それは行われていた。
それは祭りだった。それは儀式だった。それは拷問で……公開処刑だった。
下半身は黒いズボンに裸足、上半身はTシャツ一枚の少年がいた。地球人に似ているが、尻から短い尻尾が飛び出している。ドロパ人だろう。柱に縛り付けられ、杖を持った大人達に殴られている。大人たちは灰色のコートを着た貴族達。持っている杖はよく見るとただの杖ではなく、電磁ロッドだった。スタンガンのように、あるいは召使いに罰を与える鞭として使われる武器だ。出力を上げれば相手を殺すことも可能である。
剥き出しの肩や腕にロッドが命中するたびに少年はうめき、あえいだ。大人たちは大声で笑い、歓声をあげた。拍手する者もいた。
「な……何をしてるんですかっ」
プレアの叫びに、大人達は一斉に振り向いた。中年もいれば老人もいる。プレアよりほんの十歳ばかり年上であるにすぎない若者もいた。
「やあ、ノボトニーさんの所のお嬢さんだね。なに、裏切り者に裁きを加えているところだ」
「う、裏切り者?」
少年の顔をまじまじと見つめるプレア。もとは茶色かったはずの顔は青黒く腫れ上がり、頬には皮膚の焦げて肉が露わになった傷痕まである。眼を開けていることも辛いようだ。彼は引きつった顔の全筋肉と、半開きにした眼で、必死に訴えていた。
……助けて、助けてと。
「……悪い人には見えませんけど」
「外見に騙されちゃいけない。こいつはうちで雇っていた召使いなんだがな、事もあろうに無線機で外に連絡を取ろうとしてやがった。反乱軍に通じてたんだ」
「ち、ちがいますっ。外に家族がいて、家族が心配で、せめて一声聴きたくて、ああああ!」
片目に思い切りロッドを押しつけられ、少年はのたうち回った。バチバチと放電する音、何かが焦げる臭い。眼から、血の混じった涙が垂れ流される。
「うるさい。敵に通じてたんだな、そうだな? この街の情報を流してたんだな?」
「ちがい、ます」
「ウソをつけっ!」
数人がロッドを打ち込む。
「ああああ! どうして、どうして信じて」
「なぜ信じないかだと? 決まってるだろう。お前の仲間が、お前と同じ肌、同じ髪をしたドロパ人が、平民どもが、反乱を起こしたからだ。俺達が長年教育してやった恩を忘れ! 街を焼き、俺達の仲間を大勢殺したからだっ! お前たち種族そのものが敵なんだ、お前は死んで当然なんだっ」
「で、でもぼくは、わたしは、ご主人様にしたがってこの街までついて」
「それは! 俺達を油断させる策略だろうッ! お前はずっと前から裏切り者だったんだ、そうだなっ!」
「ち、ちがいます……」
「まだ言うかああ!」
腹を思い切り突かれ、少年は胃液を吐いた。
プレアはようやく、思考の麻痺から解き放たれた。この人を助けなきゃ、そう思った。そうだ助けよう。この人は、殺されなきゃいけないようなことなんて何もしてない。ホントに裏切り者だったのか調べよう。ちゃんと本人の言い分も聞いて、証拠も集めて。怖いけど助けよう。
そう思って一歩を踏み出したその時。
「やめてください」
甲高い声が響いた。
いままで存在すら気づかなかったが、この場には少年と貴族達しかいなかった訳ではなかった。リンチに遭っている少年よりさらに幼い、プレアよりも背の低い少年がいた。緑の肌と髪は、この星系の原住種族エンファード人の証だ。ロープを持っている。どうやら少年を柱に縛り付けたのはこの少年らしい。その少年が泣きそうな表情でそう言ったのだ。
貴族達の動きがピタリと止まった。
「何だと、サム」
「もう一度言ってみな」
「やめてください。本当に裏切り者かどうか、ちゃんと調べた方が」
彼は台詞を続けることが出来なかった。顔面を電磁ロッドで殴られたからである。折れた歯が転がった。小さい少年の身体も転がった。
「貴様もか、貴様も裏切り者か」
「ち、ちがい……」
「だ、だまれっ!」
ロッドではなく、黒光りする革靴が、彼の腹を、腹を襲った。彼には悲鳴を上げることも出来なかった。力の限り、体重全てを乗せて、連続して踏み蹴られたのだ。それは何十回も続いた。ぜえぜえと息を切らして、蹴っていた男は足を下ろす。
「おや、死んだぞ」
小さな少年は絶命していた。口から涎をだらだら流して。内臓破裂か、肋骨が折れて心臓に突き刺さったのか。
「くそっ、こいつまで裏切り者だったなんて」
たったいま人を殺したというのに、その貴族は「俺は百パーセント被害者だ」といわんばかりの顔をしていた。
「あ、あ、あ、あ……」
プレアは一歩踏み出した状態で固まっていた。
たすけなきゃたすけなきゃ、たすけなきゃあの子も今の子みたいに殺されちゃう。たすけなきゃたすけなきゃ。でもたすけちゃったら私も今の子みたいに殺されちゃう。裏切り裏切り者って。ほっぺたも口も目もぐちゃぐちゃになって、歯も何本も折れて、あの棒で黒こげにされて最後は殺されちゃう。
「ん? プレアお嬢さん、どうかしたのかな」
貴族の一人が満面の笑みを浮かべて尋ねる。
「あ……」
プレアは言うつもりだった。あの子を助けてと。たとえ自分が代わりに殴られることになったとしても助ける。そのつもりだった。
だが。
視線が刺さってきた。目に、顔に、胸に、心に。
視線は怒鳴り、脅迫してきた。
……まさかあんたも裏切りものじゃないだろうなあ?
……助けてくれって、まさかそんなこと言わないよなあ。
別の貴族がこんな言葉を発した。
「プレアさんもやってみないか」
「あ……」
もしここで。もしここでいやだって言ったら。助けようっていったら。もし一人だけ違うことをしたら。
「は……い……」
「お、そうか、よし、君のロッドはこれだ。どう? 重くない?」
「大丈夫です」
身体が勝手に動いて、勝手に返答していた。その間に心の方は、自分を正当化する理屈を猛スピードで完成させた。
私悪くない。だって逆らったら私もころされちゃう。ころされるのやだから。ころされるのやだから。わたしのせいじゃない。こんなの、わたしだけじゃないし。みんなやってることだし。地球人も、反乱軍達も、みんなみんな、裏切り者を殺すなんてみんなやってるし。わたしがころさなくても結局誰かころしたし。みんなやってるし。みんなやってるのとちがうことかんがえたら、ちがうことやったら私が裏切り者だし。同じことやらなかったら殺されちゃう。私悪くない、わたしわるくない、わたし!
そう自分に言い聞かせながら、プレアは少年に近寄る。そしてロッドを振り上げ、殴る。他の貴族達に混ざって、何度も何度も何十回も。
ドロパ人の肉体は実に頑健だった。だが最大出力の電磁ロッドで合計何千回となく殴られれば生命力も尽きる。あるときその身体が大きく反り返った。そしてそれっきり動かなくなった。
何度か殴って、全く反応がないことを確かめると、貴族たちは「ふん、死んだか」「手こずらせてくれたな」などと言って溜息をつく。
一人の貴族がプレアの肩を叩いた。
「立派でしたよ、見事な勇気です、お嬢さん」
喜ばなきゃ。こういわれたら喜ばなきゃ。ちょっとでも罪悪感とかを感じたら裏切り者だから殺されちゃう。笑わなきゃ。
「……ありがとうございます」
思ったよりずっとうまく、誇らしげに、幸せそうに笑うことが出来た。
五
「……そして、私は家に帰ったの。そしたら母さんが『お帰りなさいプレア、表がにぎやかだったけど、何をやってたの?』っていわれて、私が答えられないでいると、母さんは、『プレア、今日はずいぶん幸せそうな顔してるわねえ』っていわれて。それっきりなの。それっきり私は普通の生活に戻って、ご飯食べて、寝て、お風呂入って、バーグマンに起こしてもらって……ね、最低でしょ? 助けるどころか殺しちゃって、しかも自分は悪くないって思いこんで、それでずっと、ずっと、みんなを騙してきたの。
だから。
わたしなんかの為に命かけること、全然ないんだって。ごめんね、マード君に最初に助けてもらったときに言うべきだったね。ごめん……死んでいいよね。こんなのが生きてるなんておかしいよね。だから、わたし行くから、地球人狩りの人に殺されにいくから。そうすればもうこれ以上」
プレアの言葉はそこでとぎれた。
どこか機械じみた動作で後ろを向き、通信室のドアから出ていこうとする。
その肩を、マードがつかんで止めた。
「……どうしたの? あ、そうか。マード君が殺したいんだよね。そうだよね、ずっと騙してたんだもんね。全部ウソだったんだから憎いの当然だよね。うん、やって。私を殺して首を差し出せば、マード君も、ここにいる他の人達も、もしかしたら助かるかもしれないし。さあ……どうしたの、どうして」
プレアの肩に手を置いたまま、マードは言った。
その声に怒りや憎悪は微塵も含まれていなかった。落ち着いた声だった。
「……ちがう、ちがうんだプレアさん。
僕は、ずっと前から不思議だったんだ。
どうして地球帝国の人達は、僕たち異種族をたくさん殺したんだろう。異種族に味方した人達も殺したんだろう。悪の種族だから悪いことをするものだって学校では言われた。前はそれで納得してたよ。でもプレアさんを見てからはもう判らなくなった。それに、解放軍の人達が地球人を捜して殺すのも、どうしてなのか判らなかった。どうして、憎んでるはずの地球人と同じ事をするのか、それが判らなかった。でもわかったんだ。
ありがとうプレアさん。
本当の事を言ってくれて」
「私を……私を憎まないの? こんなに最低なのに」
「プレアさんは最低なんかじゃない」
静かに、しかし鋭く言った。
緊張と決意に引き締まった顔で、マードは室内を見渡した。
「ねえ、その通信設備を僕に使わせてくれないかな」
「何をする気だい?」
「今のプレアさんの話をきいて、いろいろ判ったから。みんなを助けられるかも知れない」
「……話し合いが通じる相手ではないんです。いますぐ脱出しないと。付いてきてください」
クアンはそう言うが、マードは首を振った。
「いえ、その前に、僕の思いついた方法を試させてください」
「馬鹿な、どんな方法で」
「判ったよ、好きなようにやりな」
「姐さん!」
「交信出来ればそれで良いんです」
「それなら簡単だが……よし、これで通話できるぞ。マイクはこれだ」
「はい」
マードはマイクを取った。
かつて拳銃を握りしめた時のように、掌が汗で濡れている。
でも、やるしかない。
万に一つの確率。
でも、プレアさんが言ってくれた事がもし本当なら。ひょっとして。
「……マードです。
聞こえてますか?
皆さんが思ってるとおり、この船に僕はいます。地球人も一緒です。
皆さんが僕たちを殺そうとしている事は解ってます。抵抗はしません。
でも、その前に。
父さんと話がしたいんです。
僕の父さん、ゲンデです。
その中にいるんですよね?
父さん!
いるんなら出てきてくれ。
あの番組を僕も見てたよ。
父さんは、僕を必ず殺すって言ってた。ただ殺すだけじゃなくて、本当に正しいことは何なのか教えてから殺すって言ってた。
それをやって欲しい。
教えて欲しい。そして殺すなら、父さんに殺して欲しいんだ」
マードはほとんどとぎれる事なく、何かの原稿を朗読するかのような調子で呼びかけた。
すぐに返事があった。モニターに一人の人物が現れる。
細い顔。
広い額。
落ち着いた、知的なまなざし。
しかしそれだけではなく、秘められた激しさを、迫力を感じさせる。
この前に見たときより痩せていた。やつれた、と言った方がしっくりくる痩せ方だった。
マードの父ゲンデが、そこにいた。
「……やっぱり、いた」
どこか喜びを含んだ声でマードは言う。
それが、三ヶ月ぶりに顔を合わせる父親への、第一声だった。
「ほう。なぜ驚かない」
「来ないはずがない、必ず探し出すって言ってたから、きっと父さんは約束を守るだろうと思って」
「ああ。守ったぞ。そして最後まで守るつもりだ」
「うん。こっちに来て。全部教えて」
ゲンデは抑え気味の声で、しかし大きくうなずいて言った
「いいだろう。
全てを、教えてやる。
俺の間違いと、お前の間違いを」
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